二章 贄姫②
いつの間にか、窓の外が明るくなっていた。
はるか遠く、北の空に
(結局……あれから
こんな風に、ひとときも目をそらすことなく夜明けの
一日の始まりが、こんなにも
温かい朝食も運ばれてきたが、空腹なのに食べる気がしなかった。
見ると、逃げれば殺すと言われたあの
彼はニーナと視線が合うと小さく
「おはよう。食事が食べられないなら、代わりにどうかな」
表情は穏やかだが、青年の眼差しから憂いの色は消えていない。
ニーナは、
「……毒でも飲ませるつもり?」
「いいや。これは
言いながら、彼は毒味のつもりか別のカップに同じものを注いで飲み干した。
生まれて初めて目にする、獣人の国の飲み物だ。
席につき、恐るおそる口をつけてみる。
「……
「気に入ってもらえて、よかったよ。香草茶は、長く厳しい冬を乗り
少しでも君の心が落ち着くように、と
「ファルーシ」と彼は答えた。
「……ファルーシ。貴方はきっと
「……っ!」
ニーナの言葉に、翠緑の瞳が戦慄いた。
「どうして、そんなことを……僕が
「枷にされたのが貴方じゃなくても、私は逃げなかったわ。……それに、私はまだ」
まだ、
そう口にする前に
──ヴォルガだ。相変わらず、
「逃げなかったのだな」と呟かれた、その声のあまりの冷たさに、
「……逃げられるわけないじゃない!! 私は貴方とは
一晩中、胸の中で
「
一度涙を許してしまったら、
まるで、自分に与えられた
やがて、溢れていた涙も
それでいい、と彼。
「お前は、俺を
ヴォルガは放心したニーナを連れて部屋を出た。
彼の歩みが止まったとき、
(──
歩くたびに、足が震えた。
しかし、ヴォルガに続いて廊下を歩むニーナの背後には、ファルーシがついて来ている。
「……ここだ」
入れ、と
外は真冬だというのに、室内は
高い
「──妹のハティシアだ。今年で十歳になる」
絹の寝台に横たわった少女の姿に、ニーナはハッと息をのんだ。
部屋に差す光に
ただ、
〝──
ずっと、不思議だった。
王という身分にありながら、ニーナが逃げるたびに、ヴォルガが自ら
仲間の命を枷に使ってまで、ニーナを喰らわねばならない理由はなんなのか。
心の中で、これまでのすべてが
「
「……そうだ。お前の養い親がこの手紙で伝えた通り、ウルズガンドには千年の昔より伝わる贄姫の伝承がある。その血肉は獣人に大いなる力を与え、万病を治す万能薬になると。俺は、その
ヴォルガは
ここに来る前に、師匠から
「ハティシアは、生まれたときから不治の病に
「獣気、って……?」
聞きなれない言葉に思わず問い返した。これまで散々、ニーナの言葉を無視し続けてきたヴォルガである。返答は期待できなかったが、ニーナを向いた月色の双眸は
「……獣気とは、獣人の力の根源だ。神の聖域を守護するために獣神より与えられた、獣人のみが持つ力のことを言う。獣気を高めれば、身体能力や五感、自己
ヴォルガは長身をかがめ、ニーナの前に
まるで神にでも
「情け深きアルカンディアの
「……ニーナよ」
「ニーナ。俺は、お前に感謝している。この世界に生まれて、今まで育ってくれたことに。なによりも、
こちらを見つめるヴォルガの顔が、ぼんやりと
死ぬのは
食べられるのは嫌だ。
でも、ニーナが贄姫として命を捧げれば、この妹姫は助かるのだろう。
とっくに涸れたはずだと思っていた涙が、ふたたび頬を流れていく。
この身が
ニーナがこの世に生を受けたことに、大きな意味が生まれるのだろうか……。
そっと、
「──……っ」
かすかな呼吸を繰り返していたハティシアが、なにかを
「ハティシア……! 目が覚めたのか……?」
ヴォルガの声に、ハティシアは
彼女の視線が、食い入るようにニーナに注がれる。
「──おに、い、様……ど、うか、もう……おやめ、ください……」
「なに……?」
「
「ハティシア……
悲痛な
事情を知らされたばかりのニーナの胸にも、深く
誰も犠牲にはしたくない。自分が助かるために他者の命を
ハティシアが発した言葉に、昨晩、死の
ニーナがたった一晩でも
そして今、自らの命が危うい状態にあるにもかかわらず、ニーナを犠牲にするまいと訴えてくれている。
触れれば折れてしまいそうな
「おに、様……お願いです……っ、──う、くぅ……っ!」
「ハティシア!?」
骨の
しかし、指先が触れる前に
たちまち、呼吸もままならないほど激しく
ヴォルガは
「ファルーシ、医師を呼べ! ──息をしろ、ハティ!!」
ファルーシが寝室を飛び出し、それまで
ヴォルガは必死の呼びかけを続けるが、すでにハティシアの意識は失われているようだ。
彼の腕の中からだらりと垂れ下がった、あまりにも細く、白い腕を見たとき、ニーナの心の中に、
(この子を──ハティシア姫を、救いたい……!)
突き動かされるように動いた身体が、ヴォルガに抱き
どうして、自分がそうしたのかはわからない。
ただ、ハティシアの
(なんて、
見とれるうちに、光はニーナの手のひらからハティシアの手を伝い、腕、
「──っ、は……ぁっ!」
苦しそうな
「よかった……」
何が起きたのかはわからない。しかし、ともあれ一命を取り留めることができたのだと、ニーナは深い
──だが、その
(あれ……?)
足元に空いた穴へと、真っ逆さまに落ちていくような
不思議と痛みはなかった。
意識を手放す寸前、ふわり、と
◇ ◇ ◇
続きは本編でお楽しみください。
貢がれ姫と冷厳の白狼王 獣人の万能薬になるのは嫌なので全力で逃亡します 惺月いづみ/角川ビーンズ文庫 @beans
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