二章 贄姫①

「おのれ、そういうことか……っ!!」

 そら色の小さなぬのぶくろにぎめ、ヴォルガは胸の内にたぎいかりをばくはつさせた。夜半のせいじやくを引きいて、ウルズガンド王宮の玉座の間に、もうじゆうさながらのほうこうが響きわたる。

 じようきようは最悪だった。

 ヴォルガの予想通り、にえひめは自身が贄にされるべくこの国へみつがれたことを知っていた。何者かの入れがあったことは明らかだったが、小袋の中にかくし持っていた手紙の内容は、その予測をはるかにえていた。生き延びて、幸せになれ──養い親の切なる願いを託されたあの贄姫は、十数年ものたんれんの成果をかんなく発揮し、王宮に連れ帰った後も、いくものとうぼうを試みているのである。

『たとえ脚を失っても、必ず逃げ切ってみせる……っ!!』

 あのとき彼女が叫んだ言葉は、きよせいでもなければ、はったりでもなかった。そのごうたんさは舌を巻くほどだ。たかだか十五歳の少女であるにもかかわらず、獣化したヴォルガの姿におびえすらしない。どれだけきばこうとも、彼女は目をそらさずいてきた。

 燃え立つあかつきの天のような、激しくきらめく真紅の瞳。

 その瞳にめられた強い覚悟の前には、もはや腱を切るというおどしなど、なんの意味も成してはいない。

(一度目は、雪原で捕らえた贄姫を王宮に連行する道中だった……! 脚に枷をつけたことで油断していたこちらのすきき、服に隠し持っていたかぎ針を足の指であやつり、枷を外して夜の森に消えた。二度目は、とうそうした彼女をふたたび捕らえ、ようやく連れ帰った後。夜着にえさせ、隠し持っていた武器および道具をすべておうしゆうした上で部屋に閉じ込めたが、見張り番が食事を運んだときには、すでに姿をくらませていた……っ!)

 三度目は、部屋の椅子いすなわしばりつけて閉じこめた。二度目の失敗をまえ、室内にも見張りをつけたが、としごろの美しい乙女おとめほおを染めながら「用を足したい」とわれれば、縄を解かないわけにはいかなかった。こうそくを解かれると同時に、贄姫は急所にりをって逃亡したという。

 ──そして、むかえた四度目。もうようしやするものかと両手りようあしに枷をつけた上で縄で縛りあげ、せんとうてつぺんにあるどくぼうに贄姫を押しこんだヴォルガである。

 これでもう逃げられまいとタカをくくっていたが、そんな油断をあざわらうかのように、数刻後にはやすやすと枷を外し、身を縛っていた縄を使って尖塔のかべを伝い下りていた。

 その後も、贄姫の逃亡は息をつく隙もなく続いている。手口は場数を重ねるごとにこうみようさを増し、並の兵達ではついせきすらままならない。そのため、逃亡の知らせが入るたびに、獣化できるヴォルガが自ららえに出た。

 そして、最終的にはやむを得ず、ごつかんろうくさりつなぐよう命を下したのだ。

 じようの際に結んだ条約上、貢がれたにえひめに対して不必要な苦痛をあたえることは禁じられている。側近のファルーシにはあらすぎると強くとがめられたが、たった一晩でこうまで立て続けに逃げられては仕方がなかった。脅し通りに腱を切るわけにもいかず、喰らう者へのえいきようを考えると、安易に薬でねむらせるわけにもいかない。

 準備を整えるためにも朝まで待ちたいが、もしも、また贄姫が逃亡したとしたら、次はどんな手段を用いればいいのか──牙をのうするヴォルガに対し、この場に召集された三人の重臣達は、他人ひとごとのようなれいたんおもちを並べている。

 さんけんろう──ウルズガンド建国時より王家に仕え、王に次ぐ権力を有する助言機関として国政を支えてきたさんの族長達。

 中でも、最古参のはつの老将、灼賢狼ゲーリウス・アレズ・マーヴォルスが、見かねた様子で苦言をていした。

「──なればこそ、生きて捕らえず、殺すべきだと申し上げているのでございまする。アルカンディアとのいくさでは自らせんじんに立ち、数え切れぬほどの人間を牙にかけてこられたではありませぬか。たかがむすめ一人あやめることに、今さらなにをちゆうちよしておいでか」

「……ゲーリウス」

 ヴォルガはにわかにそうぼうすがめ、深いしわに囲まれたにびいろせきがんにらみつけた。

「〝逆らう者は殺せ〟と言うのか? ごうまんなお前らしい物言いだな。確かに、殺めるのはやすい。だが、伝承に正確に沿うためには、贄姫には自ら命をささげさせる必要がある。それを無視し、こちらの都合で一方的に命を奪った結果、失敗した場合の責任は当然、お前が取ってくれるのだろうな?」

「……っ」

「安直な考えはそくに改めろ。ゲーリウス、そもそも贄姫のたび重なる逃亡の原因は、お前が指揮するろう兵師団の失態にある。灼賢狼一族は武技としゆりようつかさどる、ウルズガンドの武のせいえいであるはず。たかが小娘一人ろくに捕らえられないとは、〝王の牙〟が聞いてあきれる」

「……お言葉ではございまするが、長きにわたる戦乱で、ウルズガンドは獣気にすぐれた多くの仲間を失いました。生き残った者達はしようすいし、弱体化のいつ辿たどっておりまする。狼牙兵師団の面々も、例外ではございませぬ。夜目も鼻も利かず、しゆんびんさすら欠く中で、夜をてつしてのりなどできようはずがありませぬ」

「そんな言い訳が通用すると思っているのか!? 贄姫といえど、相手は人間だぞ!」

「否、ことにその身体能力において、あの少女がただの人間のわくに収まらぬことは、陛下ご自身が最もわかっておいでではございませぬか?」

 鈍色の隻眼が、けんのんな光をたたえてヴォルガを見返してくる。

 幼いころから、この目が苦手だ。

 三代の王に仕えた老将の目には、年を追うごとにふんまんちくせきされていく。彼が忠義を捧げるべき理想の王──き父王の姿に、今の自分はほど遠いのだと思い知らされる。

 積もり積もったふんまんの底にひそむのは、明らかな敵意だ。のどもとやいばの切っ先をあてがうような、およそ臣下が主君に向けるべき視線ではないが、この場にそれを咎める者はいない。残る二名の賢狼達もまた、同様のまなしをヴォルガに向けていた。

 陛下、とゲーリウスが喉奥でうなった。

「恩情をかけるべき相手は正しくきわめられよ。──あやまちを、り返さぬためにも」

「過ちだと……っ!?」

 最後に放たれた一言が、ばくざいのように激しい怒りをおこす。たける獣のとともに玉座を立ったしゆんかん、白銀の獣耳が、予期せぬ物音にビクンと反応した。

「まさか、またか……っ!?」

 重なる悲鳴、そうぞうしい足音、飛びごう──まくを打つそれらに瞬時に状況を察し、ヴォルガは三賢狼をその場に残して地下牢へと走った。

 あそこから逃亡するなど、ありえない。

 この王宮の地下牢は、身体からだしんまでこおりつくような石と氷のろうごくだ。通路は細く、出入り口はいつしよとこふゆの王国に生きる獣人でさえ、わずかな時間で動けなくなる極寒のはずである。そう思うのに、ける足は乱れるどうとともに速まっていく。

 辿り着いた地下牢の入り口には、信じがたい光景が広がっていた。

「なんだと……」

 開け放たれた地下牢へのとびらから、気絶した牢番達が次々に運び出されている。

 いずれも、体格の良い男達だ。あんなきやしやな少女が、どうすればかれこんとうさせられるというのだろうか。

 ぼうぜんと、その場に立ちくしていたヴォルガだが、ふとみようかんを覚えた。

 しかし、その正体に気づく前に、先に現場に駆けつけていたファルーシが顔面そうはくで現れた。

「ヴォルガ! に、贄姫がまたげ出したんだ!」

「見ればわかる。一体どうやって逃げた、地下牢だぞ……」

「そ、それが、牢番の話によると、鎖に繋いだ贄姫が、急に激しくきこみ始めたらしい。そのまま意識を失ったんで、服毒を案じて鎖を外したたんあごを蹴り上げて逃げたみたいなんだ……」

「死んだふりにだまされたのか……? 情けない、それでも狩りにひいでたウルズガンドの獣人か! 他の牢番はなにをしていた、単独で見張るなとあれだけ命じておいただろうが!」

「牢番は五名、いずれもれの者達ばかりだよ? でも、贄姫を捕らえようとせまい通路に押しかけて、まって身動きがとれなくなったんだ。……で、そんな彼等を飛びえざまに、後頭部を蹴って気絶させていったそうだ。うそまことか、壁やてんじようを走ったらしい」

「…………」

 壁や天井を走る。ファルーシの言葉が嘘でもでもないことは、ヴォルガ自身が身をもって知っていた。森の中を逃げ回る贄姫を追った際、彼女は樹の幹を軽々と駆け上がり、枝の裏側でさえ走り抜けて見せた。あの細いあしのどこにそんなバネが備わっているのか。もはや、身軽という一言では済ませられない俊敏さだ。

「幸い、兵隊の報告によれば、王宮周辺の雪に新しいあしあとはなかったそうだよ。贄姫はまだ王宮内にいる。総出で保護しよう。君は、部屋にもどってくれ」

「──いや、贄姫は俺が追う」

だ! 君はなんでも背負いすぎるよ。いくら獣気にすぐれていても、君一人ですべて解決していては国は立ちゆかないぞ!」

「言われなくてもわかっている。だが、追ってつかまえるだけの俺でさえつかれているんだ。獣気にとぼしい上、深夜まで見張りを続けている兵達のろうは相当のものだろう。少し休ませてやれ」

 静かな返答に、ファルーシは残りの小言を飲みこんだ。「兵達が心配ならそう言えばいいのに、言葉のあつかいが雑なんだから……」とぼやく彼を無視して、ヴォルガは腹の下に力をめる。身体の底から獣気が高まり、きゆうかくまされていく──

 地下牢からただよう鉄ごうにおい、てつく氷柱つらら、冷え切った石、見張り番の兵士達。知っている匂いを省いていけば、あのわく的な贄姫のかおりを見つけ出すことはやすかった。

「──はずれだ、ファルーシ。贄姫は、すでに王宮内にはいない。地下牢には水路が流れている。あそこから外に逃げたようだ」

「あれは地下水脈から引いた氷水だよ!? 人間の女の子が飛びこめるもんか! 大体、どこに通じているかもわからないのに!」

せんとうてつぺんから逃げる際に見たはずだ。この王宮のしきは湖上に張り出している。水路の先は湖だ。そのしように、地下牢の外に出た遺臭がない」

「む、無茶苦茶だ……! そんなことをして、おぼれ死んだらどうするんだ!」

「狩りをするときは、ものの気持ちを深く想像しろ。あのひめは捕まったらい殺されることを知っている。溺れて死ぬか、喰われて死ぬかをせんたくした上で、溺れずに生き残る可能性に懸けたんだ。──湖岸をそうさくしてくる」

 言うなり立ち去ろうとしたヴォルガは、ふと、あることに気づいて足を止めた。運び出されていた牢番達を見たときの、違和感の正体である。

「ファルーシ……これまでに、贄姫に殺された者はいたか?」

「いいや、気絶させられただけだよ。首の急所をねらわれはしたが、大したすら負っていない」

「……なるほどな」

 いかにして贄姫をらえておくか。ヴォルガの頭に、ある策がかんだ。

 それはとても有効な手であると同時に、れつざんにんな手段でもあった。

 だが、もはやなりりを構っているゆうはないのだと、反発する感情を凍らせていく。

「ヴォルガ……? お願いだから、あら真似まねだけはしないでくれよ。これ以上、悪いうわさを立てられたくないんだ」

 おんな空気をさとったファルーシに、ヴォルガは「わかっている」と視線を合わせることなく言い捨てた。

「手荒な真似はしない。かせくさりも役に立たないのなら、別のものでつなぎ止めるまでだ」


    ● ● ●


「放してっ! 放してって言ってるじゃないっ!!」

 つかまれているうでが痛い。長さのあるつめが喰い込むたびにうめいたが、ヴォルガのこうそくゆるまない。ねずみになったニーナを引きずって、彼は無言で大理石のろうき進んでいく。

 ろうの水路から湖へとのがれたニーナを、このしゆうねん深いはくろうおうはまたしても追って来た。身を切るようなごつかんの湖を泳ぎ切り、湖岸に着いてわずかも進まないうちに、ついせきしてきた彼にあっけなく捕らえられてしまったのだ。

(なんて嗅覚なの……! どんなけものでも、湖をわたった獲物なんて追えるはずないのに!)

 嗅覚や視覚といった五感のするどさはもちろんのこと、真におそろしいのは、ヴォルガが持つ狩人かりうどとしての感性だった。

 これが獣人なのかと、心の底からふるえが走る。

 人間の知性と獣の身体能力、その両方を有した無敵のかいぶつだ。

「──たくを整えてやれ」

 ポイ、と放りこまれた先は浴場だった。み係の女官達に、こうして引き渡されるのは何度目だろう。夜天を望む硝子ガラスてんがいと、花のほこる室内庭園を有するぜいたくな浴場だ。なみなみと張られた湯で身体を温められ、良い香りのするこうすみずみまでみがき上げられる。逃げるたびに連れて来られているせいで、女官達の動きも慣れたものだ。

 身支度を終えたあと、待ち構えていたヴォルガに腕を掴まれて、ふたたび廊下を引きずられていく。

(きっとまた、あの寒い地下牢にぎやくもどりね。拘束も警備も、逃げるたびに強固になっていくわ。これだけ逃げても殺されないことには理由があるんだろうけど、聞いても答えてくれるわけがないし)

 はるか頭上の、いやなほどにたんせいぼうにらみ上げる。逃げたニーナを捕らえ、こうして連行する間も、ヴォルガは凍りついたような無表情をくずそうとしない。一言も言葉をわさないのは、こちらに余計な情報をあたえないためだろう。──と思うのは、以前に読んだ物語で、敵国のりよになった主人公がじんもんを受ける場面からの受け売りだ。

 おこらせたすきをついて拘束を逃れたかったが、ニーナが思いつく限りのあつこうぞうごんさけんでも、氷の美貌はるぎもしない。重い息をき、ひとまずは足取りに従うことにする。

 間もなくして、足音が増えていることに気がついた。ヴォルガの従者か、ニーナの後ろを身なりの良い獣人の青年がついて来ている。まなじりの下がったやわらかなおもち。かたの線でそろえられた小麦色のかみに、同じ色の獣耳。人間ばなれした美貌と冷たい眼光のヴォルガと比べると、ずっと親しみやすい印象だった。彼は、ニーナと視線が合うと、うれいのこもったまなしを返した。

 連れて行かれた先は、地下牢ではなかった。

 今まで通ったどの廊下よりも美しい、白銀のじゆうたんかれた先にある硝子のとびら

 見上げるほどに大きく、れいな花々のちようこくが細部までほどこされたその扉は、鏡面になっているために見通せない。鏡も、硝子と同じく初めて目にした。手のひらほどの品でもとんでもない値がつくことは、本の知識で知っていた。

 それが、これほどまでに大きな一枚鏡とは。

 ──だが、まだおどろくのは早いとばかりに、開かれた扉の向こうから、まばゆい光があふれ出した。

「わあ……っ!!」

 天井をおおう、おおつぶの硝子のシャンデリア。

 まるで真昼のような明るさと、そうごんなそのきらめきに、思わずたんせいがこぼれる。

 なんてごうな部屋だろう。雪白の大理石で造られた室内は、見回し切れないほどの広さだ。奥のかべ一面に大窓が取られ、月光にえるはくほうあいいろの夜天が絵画のようだ。かんぺきに配置された数々の調度品は、テーブルや椅子いす、ソファに至るまで、すべてが硝子製だった。

(すごい……! 物語では、獣人の王がんでいるのは、〝雪と氷にざされた、冷たい石の城〟だったのに。こんなの、本の内容とちがい過ぎるわ!)

「今夜は、この部屋で過ごせ」

「え……っ!? こ、こんな豪華な部屋で!?」

 しかし、すぐに驚いている場合ではないと思い直す。豪華な部屋をあてがう理由は、ニーナをだますために違いない。『危害を加えるつもりはないからげるな』とでも、言いくるめるつもりだろう。

 今さら、そんな言葉を信じるものかと身構えていると、掴まれていた腕が離れていった。

 同行した青年を呼び寄せて、ヴォルガは感情のこもらないこわでこう告げた。

「次に逃げれば、この者の首を切り落とす」

「え……っ?」

「明朝、お前を喰らう。それまで、ここで大人しくしていろ」

「ち、ちょっと待って! この人の首を切り落とすって、こ、殺すってこと……?」

「それ以外の意味があるのか? お前が逃げればこの者が死ぬ。どちらの命を選ぶかは、お前が決めろ」

 言うなり、ヴォルガはきびすを返して部屋を去ってしまった。

 重い扉が閉まる音が、枷をつけられたときのひびきによく似ていた。

(殺す……?)

 ぼうぜんと立ちくしたまま、言われた言葉を何度もはんすうする。そして、突きつけられた条件のざんこくさを理解したとき、激しいけんかんに全身が戦慄わなないた。

 ──あの白狼王は、自分の臣下の命を枷に使ったのだ。

「あ、貴方あなたは、それでいいの!? 私が逃げたら殺されるのよ!? いくら王様に命令されたからって、そんなことで死んでもいいって言うの!?」

 小麦色の髪の青年は、獣耳とが生えているほかは人間と変わらない姿をしている。

 自分の命がじんてんびんにのせられているにもかかわらず、おだやかな目だ。

 波のない湖のような、すいりよくひとみだった。

「……僕達には、どうしても貴女あなたの命が必要なんだ。だから、絶対にここから逃がすわけにはいかない。僕の命一つで繋ぎ止められるなら、喜んで差し出すよ」

「──っ! おかしいわよ、そんなの……っ!」

 ニーナが逃げれば、他のだれかが殺される。

 その事実は、想像以上に重い枷となった。目に見えない鎖で、身体中をしばり上げられている心地ここちがした。ヴォルガも、この青年も、本気でニーナの命をうばおうとしている。

 青年は、入り口の扉の前にたたずみ、動く気はない様子だった。

(……落ち着くのよ。殺すなんて、はったりかもしれないじゃない)

 しかし、もしも、その言葉がうそでなかったら。

 ニーナのせんたくが、青年の命を奪うことになるのだとしたら。

 ──ニーナが彼を殺すのだ。

 自分が助かるために、他の誰かを殺すのだ。

「……ぅ……ぐっ!」

 胸の奥底から、吐き気がこみ上げた。突きつけられたせんたくの残酷さを考えるほど、頭のしんが深くうずく。ニーナは青年の視線から逃れるように部屋のすみへ走り、カーテンのかげにうずくまった。

(……寒い)

 だが、いくら身体からだきしめても、震えは一向に止まらない。

 どうすればいいか、わからなかった。

 生きるために他の生き物を殺すことは、今まで何度もり返してきた。森でものり、その肉を食べ、殺して奪った命の数だけ、ニーナは生きてきたのだ。

 今回も同じはずだ。生き延びたいのなら、今すぐにでもこの窓を飛び出して、迷わずに逃げるべきだ。それなのに、どうしても身体を動かすことができない。

 もし、ここで青年を見捨てて、彼の命をせいにしてしまったら。

 自分がどうしようもなくみにくい生き物になって、二度と、もとの自分にもどれなくなってしまうような気がした。

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