二章 贄姫①
「おのれ、そういうことか……っ!!」
ヴォルガの予想通り、
『たとえ脚を失っても、必ず逃げ切ってみせる……っ!!』
あのとき彼女が叫んだ言葉は、
燃え立つ
その瞳に
(一度目は、雪原で捕らえた贄姫を王宮に連行する道中だった……! 脚に枷をつけたことで油断していたこちらの
三度目は、部屋の
──そして、
これでもう逃げられまいとタカを
その後も、贄姫の逃亡は息をつく隙もなく続いている。手口は場数を重ねるごとに
そして、最終的にはやむを得ず、
準備を整えるためにも朝まで待ちたいが、もしも、また贄姫が逃亡したとしたら、次はどんな手段を用いればいいのか──牙を
中でも、最古参の
「──なればこそ、生きて捕らえず、殺すべきだと申し上げているのでございまする。アルカンディアとの
「……ゲーリウス」
ヴォルガはにわかに
「〝逆らう者は殺せ〟と言うのか?
「……っ」
「安直な考えは
「……お言葉ではございまするが、長きにわたる戦乱で、ウルズガンドは獣気に
「そんな言い訳が通用すると思っているのか!? 贄姫といえど、相手は人間だぞ!」
「否、
鈍色の隻眼が、
幼い
三代の王に仕えた老将の目には、年を追うごとに
積もり積もった
陛下、とゲーリウスが喉奥で
「恩情をかけるべき相手は正しく
「過ちだと……っ!?」
最後に放たれた一言が、
「まさか、またか……っ!?」
重なる悲鳴、
あそこから逃亡するなど、ありえない。
この王宮の地下牢は、
辿り着いた地下牢の入り口には、信じがたい光景が広がっていた。
「なんだと……」
開け放たれた地下牢への
いずれも、体格の良い男達だ。あんな
しかし、その正体に気づく前に、先に現場に駆けつけていたファルーシが顔面
「ヴォルガ! に、贄姫がまた
「見ればわかる。一体どうやって逃げた、地下牢だぞ……」
「そ、それが、牢番の話によると、鎖に繋いだ贄姫が、急に激しく
「死んだふりに
「牢番は五名、いずれも
「…………」
壁や天井を走る。ファルーシの言葉が嘘でも
「幸い、兵隊の報告によれば、王宮周辺の雪に新しい
「──いや、贄姫は俺が追う」
「
「言われなくてもわかっている。だが、追って
静かな返答に、ファルーシは残りの小言を飲みこんだ。「兵達が心配ならそう言えばいいのに、言葉の
地下牢から
「──はずれだ、ファルーシ。贄姫は、すでに王宮内にはいない。地下牢には水路が流れている。あそこから外に逃げたようだ」
「あれは地下水脈から引いた氷水だよ!? 人間の女の子が飛びこめるもんか! 大体、どこに通じているかもわからないのに!」
「
「む、無茶苦茶だ……! そんなことをして、
「狩りをするときは、
言うなり立ち去ろうとしたヴォルガは、ふと、あることに気づいて足を止めた。運び出されていた牢番達を見たときの、違和感の正体である。
「ファルーシ……これまでに、贄姫に殺された者はいたか?」
「いいや、気絶させられただけだよ。首の急所を
「……なるほどな」
いかにして贄姫を
それはとても有効な手であると同時に、
だが、もはや
「ヴォルガ……? お願いだから、
「手荒な真似はしない。
● ● ●
「放してっ! 放してって言ってるじゃないっ!!」
(なんて嗅覚なの……! どんな
嗅覚や視覚といった五感の
これが獣人なのかと、心の底から
人間の知性と獣の身体能力、その両方を有した無敵の
「──
ポイ、と放りこまれた先は浴場だった。
身支度を終えたあと、待ち構えていたヴォルガに腕を掴まれて、ふたたび廊下を引きずられていく。
(きっとまた、あの寒い地下牢に
はるか頭上の、
間もなくして、足音が増えていることに気がついた。ヴォルガの従者か、ニーナの後ろを身なりの良い獣人の青年がついて来ている。
連れて行かれた先は、地下牢ではなかった。
今まで通ったどの廊下よりも美しい、白銀の
見上げるほどに大きく、
それが、これほどまでに大きな一枚鏡とは。
──だが、まだ
「わあ……っ!!」
天井を
まるで真昼のような明るさと、
なんて
(すごい……! 物語では、獣人の王が
「今夜は、この部屋で過ごせ」
「え……っ!? こ、こんな豪華な部屋で!?」
しかし、すぐに驚いている場合ではないと思い直す。豪華な部屋をあてがう理由は、ニーナを
今さら、そんな言葉を信じるものかと身構えていると、掴まれていた腕が離れていった。
同行した青年を呼び寄せて、ヴォルガは感情の
「次に逃げれば、この者の首を切り落とす」
「え……っ?」
「明朝、お前を喰らう。それまで、ここで大人しくしていろ」
「ち、ちょっと待って! この人の首を切り落とすって、こ、殺すってこと……?」
「それ以外の意味があるのか? お前が逃げればこの者が死ぬ。どちらの命を選ぶかは、お前が決めろ」
言うなり、ヴォルガは
重い扉が閉まる音が、枷をつけられたときの
(殺す……?)
──あの白狼王は、自分の臣下の命を枷に使ったのだ。
「あ、
小麦色の髪の青年は、獣耳と
自分の命が
波のない湖のような、
「……僕達には、どうしても
「──っ! おかしいわよ、そんなの……っ!」
ニーナが逃げれば、他の
その事実は、想像以上に重い枷となった。目に見えない鎖で、身体中を
青年は、入り口の扉の前に
(……落ち着くのよ。殺すなんて、はったりかもしれないじゃない)
しかし、もしも、その言葉が
ニーナの
──ニーナが彼を殺すのだ。
自分が助かるために、他の誰かを殺すのだ。
「……ぅ……ぐっ!」
胸の奥底から、吐き気がこみ上げた。突きつけられた
(……寒い)
だが、いくら
どうすればいいか、わからなかった。
生きるために他の生き物を殺すことは、今まで何度も
今回も同じはずだ。生き延びたいのなら、今すぐにでもこの窓を飛び出して、迷わずに逃げるべきだ。それなのに、どうしても身体を動かすことができない。
もし、ここで青年を見捨てて、彼の命を
自分がどうしようもなく
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