本文 8節 ひまりのステップ1 自信を取り戻させる

 須藤雪平は、温かなものが頭を撫でていることで目を覚ました。確か昨日は、いつも通り、Vtuber甘夏ショウの配信を聞きながら寝落ちしたはずだ。

 ぼんやりとした意識では、誰が頭を撫でているかを考えられなかった。

 頭を撫でる手は、耳に深く刺さったイヤフォンを取り払う。少しすうすうとした耳に、くすくすと笑う声が聞こえる。

「甘ショウ?」

 それは最推し(甘夏ショウ)の声によく似ていた。雪平は混乱しながらも目を開ける。

 笑っていたのは同級生の藍夏ひまりだった。しかも、自分の頭が彼女の太ももに乗っている。

「起きた? 今日もがんばっているね」

 藍夏ひまりは甘夏ショウとして活動するVtuberだ。つまり、今、雪平は最推しから膝枕されたうえで、直接応援されていた。それは甘ショウリスナーとして、最高の瞬間のはずだった。

 雪平は飛び起きて叫んだ。

「ちょっと着替えるから、外に出ていてくれ」

 今、自分が一張羅でないことを、雪平は寝起きの頭で猛烈に悔やんでいた。

 ひまりは目をぱちくりさせている。目の前には「お前は俺に従えよ」とまで言った、面倒見の良い友人の姿はない。

 顔を真っ赤にした友人に、ひまりはにんまりと笑った。

「雪平くん、今日もがんばろうね」

 返事は、混乱した雪平が自分の部屋を飛び出す音で返された。


 その週の土曜日、ひまりは約束通り、雪平の家を訪れていた。

「まだ寝ている?」

 応対に出た彼の兄は、困ったように眉を下げた。

「そうだ。友だちがくるのに、起きられなかったみたいでさ」

 ひまりは驚いた。雪平は中学の頃、どれだけ忙しくとも自分がした約束は守る人間だった。彼女は彼の部屋の方を仰ぎ見る。

「起こす? 帰る? 俺は出かけるから好きにしていいよ」

 雪平の兄はそう言うと、ひまりが呼び止める前に、外出した。いたずらそうに笑う姿は、ひまりと雪平の関係を勘違いした笑みを浮かべていた。

「ただのVtuberとマネージャーなんだけどな」

 ひまりはそっと、雪平の部屋に足を運ぶ。中学時代からの友人からすれば、部屋に入ることは何の気兼ねもない。

「お邪魔しまぁす」

 雪平の部屋は散らかっていた。勉強道具は机に散らばり、昨日着たのであろうコートはクローゼット前の床に落ちている。

 自分自身である甘夏ショウのグッズ置き場だけが整然としている。これは恥ずかしいな。そう思いながら、ひまりはコートをハンガーにかけた。

 部屋の主はぐっすりと寝入っていた。耳にはワイヤレスイヤフォンがしっかりとはまっている。

「昨日、私が深夜配信したからかな」

 そう言いながらも、ひまりはぶんぶんと頭を振る。いくら彼が、甘夏ショウのファンだからといって、いつも彼女の配信ばかり聞いているのではないだろう。

 そっと彼女は雪平の頭を撫でた。

「わっ、ふわふわだ」

 近所の犬を撫でたときのような感触に、ひまりは思わず、くすくすと笑いだす。

「中学の頃から、こんなにふわふわだったのかな」

 あれだけ傍若無人に振る舞っていたのに、あの頃からこんな感触だったかと思うと、彼女は笑いが止まらなかった。

 雪平はまだ起きない。ひまりはゆっくりとイヤフォンに手をかける。

「電気を使うものを耳につけて寝るの、危ないよ」

 右耳のイヤフォンが外れた。ううん、と雪平が呻く。

「それなのに、頭はふわふわ」

 いや、それだけではない。よく見ると、雪平の目の下にはべっとりと隈がこびりついている。

 ひまりは部屋を見渡した。

 部活と勉強、そして、甘夏ショウのマネジメントに関わるものが、部屋をうめつくしていることを、ひまりはそこで初めて気がついた。

 雪平の顔を見返すと、異変は隈だけでなかった。頬はこけており、眉もぼさぼさとしている。疲れを見せないエネルギッシュな彼にあるまじき姿だった。

 ひまりはベッドサイドに腰を下ろし、労わるようにもう片方のイヤフォンを外す。そして、足を伸ばして、雪平のふわふわの頭を乗せた。

「昔、私が疲れているとき、こうしてくれたもんね」

 膝枕しながら、ひまりは雪平の頭を撫でる。

 彼が飛び起きるのは数分後の出来事だった。


 雪平は内心嘆いていた。俺は着替えてきた。なのに、どうして、また膝枕されているんだ。

「こっちにおいで」

「何だよ」

「いいからこっち」

 そんなやり取りをした覚えはある。甘ショウの声には、雪平は逆らえなかった。仰向けで、じっと目を閉じながら、彼は心を空っぽにしようと考えていた。

 前髪を柔らかな手がくすぐっている。目を閉じて聞くひまりの声は、より甘夏ショウにそっくりだった。

「そりゃ同一人物だもの」

 困惑しきりの雪平の耳に、ひまりの静かな声が届く。

「部屋のなかを見た。中学の頃とちょっと違って、人のことばかり考えてがんばっているんだね」

 だから応援したくなってこうしている、と、ひまりは言う。

「雪平はがんばっているよ」

 その言葉は、雪平の胸を打った。彼に思い出されたのは、高校入学から今までのことだった。

 それは中学時代、どれだけ調子に乗って時間を無駄にしたかを痛感する日々だった。自分以上の人間がどの分野にもいて、どれだけ努力しても追いつかない毎日だった。

 それでも努力して、頼られるようになった今でも、記憶の中の理想たちには追いつけていない。

 雪平はそっと目を開けて、ひまりと目を合わせた。

「たまたま、俺がお前のそばにいただけで、もっと上手くマネジメントできる人は山ほどいるぜ」

 ひまりはじっと雪平を見つめ返した。

「でも、今、私の目の前にいるのも、あの時、私たちがあこがれたのも、雪平だから」

「だから?」

「君以外いない」

 雪平は、目元を隠すとすぐに腹を抱えて笑い転げた。

「刷り込みじゃねえか」

 ひまりは平然としている。

「刷り込みでいいよ。昔も今も、君が目の前にいることには変わりないから」

 雪平は未だに笑いながら起き上がる。

「中学時代、好き勝手ばかりした黒歴史と思っていたけれど、こうしてみると悪くねえな」

「私にとってはずっと、中学時代はあれ以上ない思い出だよ」

「それは心外だな。今こうしているのも、いつかそれ以上の思い出にしてやるよ」

 啖呵を切る雪平とは反対に、ひまりはうつむいた。

「今は、甘夏ショウの活動で悩んでいるから、まだ中学時代の思い出以上に楽しくはないかな」

 雪平はにやりと笑った。ひまりがそう言うことはわかっていた。だから、事前に考えていた言葉を返すことにした。

「甘ショウに贈りたい最高のマネジメントプランがあるんだけど、聞く?」

 その言葉は、悩んで隈を作った人間にしては強気で、雪平が中学時代にしていたような、傍若無人な発言によく似ていた。

 ひまりは嬉しそうに、満面の笑みで頷いた

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②昔の友人が最推しVだったから支えることにした 小早敷 彰良 @akira_kobayakawa

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