第19話
トンプソンエリアは少しずつ荒れていく。
始まりは道ばたにゴミが増えていくことからだった。
余計な組織に、そして騎士に目をつけられないために少しだけ綺麗に使われていただろう。
教養なんて言葉が存在しないこのエリアでは、恐怖の対象がいなくなればあっけなく逆戻りだ。
治安の悪化は目に見えるところから悪化していくようだ。ゴミが増えたと思っていたら、続いて壁の落書きが増えていた。
うち捨てられたゴミを片付ける者はなく。
アートとは口が裂けても言えない卑猥な言葉の羅列が町にあふれる。
そういったことが少しずつ増えていく。
町の外見に影響されるのか、人心も荒れていった。
路地裏でクスリの取引が増えたり、男娼がわかりやすいところで立っていたり、殺しが増えたり。
結局、騎士団長の犯罪組織を使った統制は間違っていなかったのだ。そう結論づける騎士や民も多い。
「それで、あの方はどうなりましたか」
燃えた建物を自力で戻したのか、外見は前よりもみすぼらしく、汚らしい。まるで野犬が住む掘っ立て小屋のようだ。
オーガストとエレナは、機を見て戻ってきた少年の鍛錬を横目にみすぼらしい椅子と机に腰かけていた。
「辛うじて生きていたよ、だが、無秩序に育った生命樹を切除するのは、ね」
「廃人ですか」
「……」
エレナは誤魔化すように、手に持った杯をあおった。
「真っ昼間にお酒ですか」
「このエリアの騎士は今停職中だ」
騎士団長が行った犯罪行為がつまびらかにされたことで、トンプソンエリアの騎士団には手入れが入ることとなった。
トンプソンの騎士たちは停職となり、エリア外の真っ当な騎士が調査を進めている。
「騎士団長の方針は黙認されていたんじゃないかと、今になって思うよ」
「では、彼女は罪にとらわれず、無罪放免ですか」
「いや、面倒な犯罪事はすべて押しつけられるだろう」
杯をあおろうとして、中身がないことに気づく。
「どうぞ」
オーガストが杯に酒を注いだ。
エレナは軽く頭を下げて、杯をあおる。
「荒れ始めた今を見ればわかるだろう。ここに秩序を求めてる者なんて、いないんだよ。外から来た騎士も、騎士団の整理を目的としているだけで、治安の維持は目的じゃあないんだ」
「それでヤケ酒ですか」
「……そうだ」
エレナは意気消沈に机へ突っ伏す。
「私は何をやったんだろうな」
「仕事をしたのでしょう」
「……」
「巨大な犯罪組織に目をつけられた哀れな男を守るために犯罪組織を潰し、空白に群がる屑を掃除し、身内の犯罪を摘出した」
「ふっ……哀れな男を救ったのが発端か」
エレナはぐっと煽ろうとして、またもや杯が空であることに気づく。
「原始者、だったか」
杯を端にやって、机に肘をのせる。酒に飲まれかけているのか、目が据わってきているがこれが本題だったのかもしれない。
それなりに親しいがやはり男の身の上話を聞くのには酒の力が必要だったのだろう。
「おや」
オーガストはわざとらしく、曖昧な笑みを浮かべる。
「言いたくないならいい……」
あっさりと意思を曲げるエレナ。
「冗談ですよ」
ふふ、とオーガストは笑みを零し、端に避けられている杯を手に取って、酒をつぎ始めた。
「何度か話しましたが、実のところ武術というものにさしたる思い入れはないのです」
並々に接がれた酒をくっと呑み干す。
「そして、詳しくもなければ、鍛錬も行っていない」
「だが、キミは鍛錬し尽くされた肉体と――」
エレナは鍛錬を続ける少年に目をやった。
「武というものの理合を獲得しているようにみえる」
「生まれつきなんですよ」
オーガストはそう言って、飲み干した杯を机に置き、人差し指でトン、と叩いた。
「本当に生まれつきなんです。鍛錬なんてしたことはなくて、武術も習ったことはない」
ことり――と杯が真っ二つに割れる。
「ただ、獣の狩りなどを見ているとですね、不思議なことにその理屈がわかってしまう」
半分に割れた杯をさらに突っつき、また半分へ。指先は柔らかくなでるように突っついただけ。エレナには、力が入っているようには見えなかった。
「同じように人の武術も見ればわかる、と」
エレナはおずおずと言った。
「というよりも、力の流れや、物体の弱いところがなんとなく見ていればわかってしまう」
オーガストは粉々になった杯を手のひらにのせて、
「このように」
砂のような細かい杯を地面に捨てる。
「生命力に頼らない強さか。極限の肉体と観察力が生まれ持って備えられていると」
オーガストは肩をすくめて、苦笑する。
「いや、稀にいる原始者にはこんなことはできないそうです。ただ、強靱無比な肉体を有する。あらゆる技術を無視した原始的な生命、なのだそうですよ」
「ならばキミはどういう存在なのだ」
「さて。身体を見るに、原始者……に分類されるようですが」
「肉体か。鍛錬をしていない、それも男がそれほどの肉体を自然に手に入れるのは驚異だな」
「ただの肉体に宿った力で鍛え、武器を振りかざす女を殺すことができますよ」
オーガストは穏やかに言う。
「ですが、肉体の強度に任せて暴れずとも、人の弱い部分を破壊すれば事足りてしまうんですね。観察眼、この能力に関しては才能というほかないようで」
「まさしく武に愛されているのか」
エレナはどこか暗い雰囲気で言った。
――女であれば、幸せだっただろうに。男の身で不必要な力を手にしていることは果たして幸せと言えるのだろうか。
この男ははじめから強かった。望んですらおらず、ただはじめから強さの極点にいたのだ。
女であれば、その強さをさらに突き詰めることで、富も栄光も手に入れることが出来ただろう。
だが、男である。男が、すべてを押しのけるほどの強さを手に入れたところで栄光はなく、ただ疎まれるだけだ。
強くたくましい男を好む者はあまりにも少ない。
「ここに流れて来たのは……」
「最果てで流れるように暮らす村では不和の元となる力は不要なようで」
オーガストは苦笑した。
「なので、強さを誇る女たちを全員くじいて出てきました」
「――」
「中々見物でしたよ。驕っていた性根を粉々にされる者たちの様は」
晴れやかな笑みを浮かべ、揚々と語るオーガストに、エレナもつられて笑みを浮かべた。
「キミ、思ったより前向きだな」
「不必要な力なんてものはありませんよ。力なんてものはあればあるだけ良いものです。強すぎる力が不和を生むだとか、疎まれ孤独にするなど、力を持たない者の戯言に過ぎません。力があれば、いつだって人生は己の手の中です」
オーガストは拳を握り言う。
「力を振るうも振るわぬも、目の前の障害を見逃すも破壊するも、己の心一つ。力は選択権です」
「……そうか」
エレナは自身の幼少期がよぎる。この薄汚れた世界から出たくてあがき続けた日々。そして、騎士になり、汚れを拭き取り正す側に来た今。
それは確かに強さがなければなしえないことだろう。
「勝手に哀れんで悪かった。――思えば、キミを弱者扱いしては、救われての繰り返しだ」
「これでも目の前で困ってる人を救うことを
心がけているのですよ」
ふ、と困ったような笑みを見せる。
「村を出る前に諭されまして。自分一人生きるにはあまりある力を他人のために使ってやれと。余剰分だけでいい、あくまでついででいいから、それでも多くの人を救うくらいの余裕はあるはずだから、と」
「キミがわざわざ何でも屋などというものをやっているのはそういう訳か。確かにその気になればもっと効率的に稼ぐことくらい可能だろうとは思っていたが」
「日銭は必要ですから、言い値をいただいている次第でして」
「私も、キミを見習った方が良いかもしれないな」
この男からは学んでばかりだ、とエレナは苦笑を見せた。
「私はこれと決めたら全力を傾けてしまう質だ。だが、それは良くないのかもしれないな。キミのように余裕を常に持っておかなければ、一歩踏み出すのにも苦労してしまうのかもしれない」
「何も持っていない身軽な身だからできることですよ。貴方のように何かと背負っているのであれば、一歩踏み出すにも力が必要でしょう」
「むしろ背負いすぎなのかも」
エレナははにかんで、立ち上がる。
「今日はありがとう。また来るよ。今度は、騎士じゃなくなっているかもしれないがね」
「是非。今度は立場を背負わずいらっしゃってください。友人として、歓迎しますよ」
「気兼ねのしない初めての友人だな」
エレナは軽く手を降って、道場を後にする。
――先のことはわからない。もしかしたら必死に走ってきたこの道を失うことになるかもしれない。だが、この先がどうなろうと、肩の力を少しだけ抜いて歩いてみるのも悪くはないと思った。
外からの調査が入り、人が寄りつかなくなって久しい宿舎だったが、一ヶ月と立たないうちにオンボロの建物へと姿を変えていた。
いかにエリアを統括する騎士の集う場所といえど、所詮はトンプソンエリアということか。建物の質自体がよくないようで、ちょっとの間でも人の手入れがなくなれば劣化が始まっていくのだろう。
「やれやれ……」
そんな朽ち始めている宿舎だったが、ようやく外部の騎士たちの捜索も終わりを迎えていた。
宿舎には煩雑な立ち入り申請を行うことで入れるようになっていたこともあってか、連日、人を迎え入れていた。
少数ではあるが、職務復帰を諦めた騎士が宿舎を訪れ、私物の整理を始めたのだ。
その中には、エレナ・トンプソンの姿もあった。
「……思ったより少ないな」
エレナ・トンプソンは私物をかき集め、箱に詰める作業を始めて三十分。たった一箱にすべて納められていた。
勿論、不正に関わった証拠などないのだから、証拠として持って行かれたのは普段の業務で発生した書類くらいだ。
それらは持ち出すわけにはいかないから、私物の量はどっちにしろ変わらないことを神しても、あまりに私物の量が少ない。
宿舎に住み込んでいるのであれば、もう少し私物が多くても良いはずである。
だが、エレナは公務に使用する備品ばかりがあり、私的に好む物品など数えるほども集めてこなかった。
「うむ……」
改めて考えると、あまり関わりあいに鳴りたくないタイプの人間ではないか、とエレナは顔をしかめた。
自身を省みる時間など取らずに生きてきたのだから仕方がないのかもしれない。
「どうかされましたか」
「うむ……己を省みてわかったよ。非人間的すぎる」
エレナはかけられた声に返答し、声のする窓の外に顔を出した。
「もう少し自分の時間をつくらなければな。――忠告しておくが、ここは関係者以外立ち入り禁止だ」
いつぞやのように、建物の影に寄り添う男が、そこにいた。
目立つ背丈をしているくせに、やたらと気配が薄く、声をかけられでもしないかぎり気づかれることはないだろう。
「その気配の消し方も誰かがやっていたのをまねているのか?」
エレナの呆れる声。
「獣が狩りをする際に姿をくらますでしょう」
「獣の技法とやらか。芸達者なことだな」
エレナはいつもよりも気安い雰囲気で肩をすくめる。
「少し、柔らかくなりましたね。何か良いことでもありましたか」
「いや、これからうんざりすることばかりが起きる。頑張り続けるのは一休みしようと思ってね」
今回の騒動の発端はエレナである。ゴミ箱を無闇にかき回す人間など疎ましいだけだ。
トンプソンエリアの騎士に求められるのは、ゴミを外部に出さない警備員である。治安を改善する騎士は、お呼びではないのだ。
「おそらく、私は今回の騒動の責任を取ってクビだな」
「……大変ですね」
自身が原因の一つということもあってか、オーガストは珍しく罪悪感混じりの曖昧な笑みを浮かべた。
エレナは謝罪など求めていないないことは、付き合いの短いオーガストでも察するところがあった。
あくまで己の信念に基づき行動したと言い張るだろうし、なんだかんだでオーガストが殴って解決した事柄も多く、己の不甲斐なさを悔いるていた以上、感謝も求めていないだろう。
高潔なのか堅物なのか。エレナに言わせてみれば、それが女の意地、というものなのかもしれない。
オーガストはその頑なさを好ましく感じていた。勿論、それをエレナ本人に伝えはしないが。
「それで、キミは何をしに来たんだ。先ほども言ったが、ここは関係者以外……いや、関係者ですら面倒な申請が必要なのだ。つまりは厳戒態勢なのだが」
忍び込めたことにもはや驚きはすまいが、エレナは言った。
「野暮用……というか、これを返しに来たのですよ」
オーガストは懐から、種を取り出した。
「生命樹の種……それをどうしてここに? 地下通路を埋め尽くす生命樹の種なのはわかる。だが、それはあの商売人だかを自称する変な女のものだろう」
「あののっぺらぼうの方ですが、以前こちらでお見かけしました」
「……何だと?」
「勿論、普段のように生命樹を全身に纏っていた訳ではありませんが」
「ならばどうして、あの女だと分かる」
「体型や重心、普段の歩き方や立ち姿は千差万別なのですよ。目を凝らしてよく見れば、顔が分からずとも他者の識別くらいは誰だって出来るでしょう」
「それはキミだけだ。……だが、そうだな。確かにあれだけ多種多様な生命樹を持つものなど王国に連なるものだけ、か」
考えてみれば当然の話である。生命樹を違法に栽培したとしても、できあがるのは既製品のコピーだけだ。
全身を覆う二種類のケセドや、無作為に咲き誇る原種のような生命樹。どれも騎士であるエレナでも見たこともないものだった。
つまり表に出たことのない新種である。
生命樹の開発など、それこそ国が関わっていなければ不可能な事業だ。
「国外から採取する手もありますよ」
「国外を出るのにも危険が伴う。キミは樹獣を観察していたようだが、そんなことをして無事な方が珍しいんだよ。それに、生命樹の野生種は人が手を出して良いものじゃない。国内に出回っているのはなんとか改良したものだ」
柔らかくなっていた雰囲気も消し飛び、エレナの目つきは鋭くなっていた。
「すまない。キミに手伝ってもらいたいことがある」
「手伝えることであれば」
オーガストはあっさりと頷いた。
「……此度の自体を重く見た国の命によって組織は再編されることになった」
監査官の女は集めたトンプソンエリアの騎士の前で書類を手に話し始めた。
監査官の睨めつける瞳が騎士たちの姿を射貫くが、真面目に萎縮してみせる者は当然いない。
トンプソンエリアの騎士はどこまでも不真面目である。このエリアに飛ばされた時点で、騎士という職務に固執する理由もないのだ。
「こちらで調査を進め、騎士としてあるまじき行為をしていた者、看過できない違法行為をした者、反社会的組織と繋がりがあった者は処罰対象となる」
漂う雰囲気は諦めであった。このエリアに騎士という職務に固執する者はいない、惰性で続けていた者ばかりなのだ。
違反行為に手を染めていた者は、わずかばかりのうまい汁を吸うために騎士をやっていたに過ぎず、何の違反行為も認められない者は、そもそも職務すら投げ出している者が大半だ。
「では、呼ばれた者は前に出るように――」
そうして、監査官は名をあげ始める。
呼ばれた者は嫌々に返事をして一歩前に出る。呼ばれる名は多く、騎士の三分一ほどにもなった。
「名を呼ばれた者は重大な違反行為により除名とする。以上!」
監査官は読み上げていた書類を雑に折りたたんでポケットの中に入れる。
「あの……」
名前を呼ばれなかった者のうちの一人が手を上げる。
「なんだ」
「騎士裁判……行わないんですか?」
騎士裁判とはその名の通り、騎士の違反行為に対する裁判である。罰則や除名などもあるが、違反行為の程度によっては懲役や処刑なども存在した。
今回の事例では処罰対象の者も多かっただろう。
「貴様たちを裁判をかける時間と予算は用意されていない」
監査官は面倒くさそうに答える。
「そう、ですか」
そう言って、声を上げた騎士は敬礼した。
「分かってるとは思うが、市井に降りた騎士が犯罪を起こせば無条件に極刑だ。肝に銘じるように」
監査官は背筋を伸ばし、敬礼をする。その敬礼は質問者の者より美しい。
「以上で報告は終了とする。解散」
きびすを返してさっさと帰って行く監察官を尻目に、騎士たちはやっと終わったとため息を吐いていた。
「……」
エレナは直立したまま黙っている。予想に反して、エレナが除名処分を受けることはなかった。
だが、いい加減な処分からして、トンプソンエリアの騎士の扱いに正当性などあってないようなものだ。
もし、エレナが他のエリアで起こしたことであれば除名処分を受けていたのかもしれない。
だが、トンプソンエリアの騎士という存在はただ少しだけ使い道のあるゴミを清掃員として雇っているだけなのだ。
今回は違法行為をしたものを排除したが、それも騒ぎが大きくなったからにすぎない。
ゴミを最低限掃除して、外にあふれ出させないためだけに存在する清掃員が真面目であれば言うことはなく、騎士団の面子など考慮する必要はない、ということなのだろう。
「……それで、あの女はいたか」
すでに騎士が去り、一人動かずにいたエレナは乾いた声でつぶやいた。
「ええ。いましたよ」
オーガストは答える。初めからそこにいたかのような自然さで、エレナの隣で立っていた。
「名前もわかりましたよ」
「……だろうな」
エレナはオーガストに目線を送る。
「案内してくれ」
人を殴りつける。
がしゃん、と物が吹き飛ぶ音がする。
女が痛みにうめく間に、首を絞めて持ち上げる。
「満足か」
酷薄な目が、うめく女を見つめている。
「商人などと、馬鹿なことがあるか。あれほどに生命樹を手に入れるのは、国か外の砂漠。どちらかに属していなければ無理だ」
「……」
「お前はどちらだ、ときくまでもないな。パーク。お前が騎士団長をああしたのだろう。大方、生命樹に寄生させたのだ。目的は、そう……」
「ゴミ掃除」
口から血を流すパークが失笑を零す。
「勿論、推測はすべて正解だ。あの日和見主義の女を傀儡にしたの私で、それを命じたのは国だ。それで、それを暴いて何とするんだ、エレナ・トンプソン」
「私はな」
笑う女を殴る。
「国やエリアに殉じるつもりだった」
また殴る。
「だがやめだ。お前のような奴をみると虫唾が走る」
血が飛び散る。
「かはっ……ははは、虫唾が走るからと言ってなんだ。私を殺すか。ゴミ溜めの中で唯一騎士たらんとしていたお前が」
「それも悪くない」
エレナは女を投げ捨てた。
「が、そうするつもりはない。これはただの私の憂さ晴らしだ」
「ふ、ははは……一応言っておくが、あの女はここに飛ばされるだけあってクズだ。本来使い道のないクズをこうも使ってやったのだ。文句を言われる筋合いはない」
ざわざわと、血を吐く女の身体を樹木が覆っていく。
「言っただろう憂さ晴らしだ。貴様の手口には吐き気がする。これは所業の善悪ではなく、私の好悪の問題だ」
「ふ……ゴミ箱からゴミがあふれれば掃除くらいするでしょう。これを招いたのはトンプソンエリアですよ。好きだの嫌いだのと言う前に自分たちで処理してほしかったですね」
樹木に包まれ、のっぺりとした女が立ち上がる。
「まあいいでしょう。新型の生命樹の実験もできました。そこそこ実りのある月日でしたよ。貴方がすべて破壊しなければ、すべてこともなし、エリアの自治で完結するはずだったのですが仕方がありません」
けらけらと軽薄に笑い、手を広げ、紳士ぶったお辞儀をする。
「仕方がないから何だ。私を殺すか」
「いえいえ、劇の幕を下ろすとしましょう。サボり魔の立場も気楽で楽しかったですが、私は国に仕える身。ここのゴミたちと違い、働かねばいけません」
「何が幕を下ろすだ。元よりお前は除名処分を装いここから去るつもりだっただろうが」
「フフ……細かいことは言いっこなしですよ。貴女に見つかったから私はおめおめと逃げ帰る、ということ良いでしょう」
パークは楽しげに肩を揺らした。
「二度と顔を見せるな。次見かければ、お前を殺す」
「ははは。好きでゴミ箱をひっくり返そうだなんて思いませんよ。それでは」
「待て」
パークがするりと姿を消そうとしたその時、
「忘れ物だ」
エレナは平べったい何かを投げつけた。
「おっと……」
それは、ユーライアがつけていた仮面だった。
「っこれは」
受け取ったパークは焦った表情で仮面を地面にたたきつけた。
「くそっやってくれましたね」
忌々しげに仮面にふれた手のひらを見ると、パークは腕の生命樹を力任せに引き剥がし捨てた。
「態々、地下通路から探したんだ。ありがたく受け取ってくれ」
エレナは鼻を鳴らして言う。
「……」
パークは無理に引き剥がしたせいで吹き出る滴る血を押さえた。妙なオーバーリアクションはなりを潜め、植物のように静かにエレナを見つめていたが、ずるずると引きちぎられた生命樹の断片から蔓が伸びて向きだしの腕を覆っていく。
完全に元通りになった腕から手を離したパークは、また妙に大げさな動作でやれやれと首を振った。
「まったくやってくれる……。つくづく貴方は生命樹を酷使するのが好きなようだ」
仮面の内側からうぞうぞと這い上がり、地面を這いずりまわる仮面をパークは踏み潰した。
「……餌が残っていた場合、逃げ出す性質はどうにかしないといけませんね」
「ずいぶんと杜撰な仕事だな」
「仕事熱心な人間は貴女くらいなものですから」
パークは肩をすくめて、ふふ……と忍び笑いを漏らした。
「洗脳用の生命樹を意趣返しに使うとは……」
賞賛するように、拍手をするパーク。
パークが焦っている間のことに興味はなかったのか、エレナはすでに背を向け、帰路を歩き始めていた。
「まったく。どうなっても後悔しないでくださいよ」
その言葉に、エレナは足を止めた。
「そうだ。忘れていた」
エレナは振り返ると、懐を探り、手にした物をパークの足下に転がした。
「これは……」
パークは足下に転がる小さな種を拾う。
「お前がオーガスト・ピストンドに貸し与えた生命樹の種だ。代わりに預かった。返しておく」
それだけ言うと、またエレナは反転して帰路の足を進め始める。
「やはり貴女はとても真面目だ。洗脳用の生命樹ではなく、これを使えば私を殺すこともできただろうに」
去って行く背中を見ながら、パークは心底おかしそうに肩をふるわせた。
「借り受けた物を使うことはしないその生真面目さ。やはり貴重な人材だ」
ハハハと、声を上げて笑いながら、女は去って行く背とは逆の方向に歩き始めたのだった。
コンコンと、扉を叩く音。
エレナが片手をあげて立っていた。
「会えましたか」
オーガストの問いに、ああ、とエレナは穏やかな声で答えた。
「助かったよ、ありがとう。これで本当にすべて終わりだ。私も騎士は廃業だ」
「本当にそれでよかったんですか? 黙っていれば騎士のままでいられたでしょう」
「いいんだ。ここで見過ごせば、私は私ではいられなくなる」
「真面目ですね」
オーガストは笑った。
「それだけが取り柄だ」
エレナも笑って答える。
「これからどうするので?」
「さて、どうしたものかな。トンプソンエリア出身者という汚名は一生ついて回る。トンプソンエリアで除名処分を受けた騎士の肩書きも褒められたものではないし……」
そうは言うものの、エレナに切羽詰まった様子もなく、軽い表情で、腕を組んでいた。
「そうだな。キミの何でも屋にでも雇ってもらおうか」
「ふむ」
その答えは意外だったのか、普段は明朗なオーガストが答えに窮したのか、言いよどむ。
「ははは、冗談だよ。まあ何とでもなるさ」
エレナは扉に寄りかかってた身体をあげる。
「さて、騎士をクビになってもしばらくはトンプソンエリアにいると思う。また会うこともあるだろうが、そのときはよろしく頼むよ」
「はあ……」
オーガストは生返事を返した。
「キミと肩を共にした日々は中々刺激的で楽しかったよ」
妙に明るい調子でエレナは言って、オーガストの肩を叩く。
「キミの弟子に見つかる前に帰るよ。私は嫌われているからね」
エレナはそう言って、オーガストの住処をあとにしたのだった。
「くそったれ」
そうつぶやくエレナの顔は苦み走っていた。
つい先日までのすがすがしい笑みとは対象的である。
あの報告から三日。世間にも調査結果が告知された。概ねの罪は前期騎士団長、ユーライアになすりつけられることで幕は下ろされた。
勿論、国が関与していたなど公表するはずもなく――公表したとしてもゴミ掃除に気を止める者などいないだろうが――すべてはあっさりと整理され、片付けられた。
ここの汚職にまみれた実態は掘り返されたものの、エリア内に収まっているものはお咎めなしという結果に反発は大きいかと思いきや、そうでもなく。トンプソンエリアの住民からの批判もそう多くはなかった。
このエリアの市民は騎士の趨勢などに興味はないのだ。
唯一残念がられたのは、エレナ・トンプソンの名が除名処分のリストになかったことであろう。だが、市民の目から見れば真っ当に仕事をしている人間でしかないため、何故、という声は犯罪組織からの怨嗟の声のみであった。
蓋を開けてみれば、意外と除名処分を受けた人間は少なく、他の者は騎士団長を恐れていたのか、それとも分をわきまえていたのか。このエリア内にとどまる汚職、あるいはチンケな小銭稼ぎで満足していたようだ。
とはいえ大なり小なり不正を行っていることは事実で。
外のエリアからトンプソンエリアなんてゴミ箱の上に立とうなどという奇特な人間もいないわけで。
と、なると現職の騎士から選ばれるのだが、その選定基準は優れた統率力、騎士をなぎ倒せる武力……などではなく。
「辞令――エレナ・トンプソンをトンプソンエリアに騎士団長に任命する」
汚職が最も少なく、業務を遂行していた者が選ばれるのだった。
「これは何の悪夢だ……」
頭を抱えるエレナ。辞令書を受け取り、頭を抱えていた。
「これから励むことだ。騎士歴一年で団長にまで上り詰めるのは異例のことだからな」
「もっと適任がいるでしょう」
「いない。なぜならば、エレナ・トンプソン騎士が唯一の推薦を受けた騎士だからだ」
「……推薦?」
「ああ。さるお方というには大げさだが、このエリアにおいて人事権を持つ方の推薦だ」
その言葉と共に、とある女の顔がエレナの頭に浮かんだ。
「それでは。私はこれで」
最後まで堅苦しく、女はきっちりとした敬礼をエレナにして、折り目正しい歩調で部屋を去って行く。
残されたのは空虚な騎士団長室に、なけなしの地位の高さを表す格調高いチェアとテーブル……そして途方に暮れたエレナ・トンプソン。
数分間、エレナ・トンプソンは呆然と立ち尽くし、やがてふらふらとおぼつかない足取りで革張りのチェアに座り込むと頭を抱え、
「やられた……くそ、あの女」
誰にきかせるでもなく、嘆いたのだった。
生命樹は大地に根付かない~女が支配する世界で筋肉で戦う男と出会う話~ みち @ota2_miti
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