第18話

 重い物体に挽きつぶされるがごとき衝撃がはしる。


 騎士団長の手から伸びる茨がエレナに突き刺さっている。


 不思議と音はなかった。生物の域を超えた悍ましい速度に弾き飛ばされもせず、エレナは鎧に串ざしにされているだけだった。


 ユーライアとどめとばかりにへばり付いたエレナを壁で押しつぶしす。


 みしり、と死体のごときエレナから音がした。


「……馬鹿な」


 ユーライアはうめき声を漏らしたその瞬間、轟音と共に顎が上を向く。


「ぐっ――」


 たたらを踏みつつ、その場で踏みとどまり、生命樹に引っ張られるように顔面を元の位置へ。


 ぜひゅっと異常な呼吸音を一つ漏らしながら、血走った目で張り付いているエレナをにらんだ。


「きさまっ」


 しゃがれ声。喉が潰されたのだ。


 呼吸がままならなければ、生命力を循環させることさえ困難となる。


 それが狙いだった。生命力を上手く使えなくなれば、生命樹の塊を相手に無防備となるだけである。


「ざまあみろ」


 エレナはユーライアの顔面に唾を吐きかけた。


「――」


 ふ、とユーライアの顔から色が消える。何度か見た、機械的な表情を見て、エレナは微笑む。


 ――死に瀕しているからだろうか。瞬きする間にオーガストと出会ってからの出来事が瞬いていく。


 ろくでもない思い出ばかりだ。血と汗と苦痛ばかりの日々だった。


「く」


 エレナは笑い声を漏らす。この数週間が自分の本性なのだ。どれほど取り繕っても、スラム生まれの躾のなっていない野良なのだ。


「ははは――」


 力の抜けた笑い声が癇にさわったのか、ユーライアはへばり付くエレナを乱暴に引き剥がし、勢いよく顔面を地面にたたきつけた。


「一矢報いれば満足か。お前を殺してからすぐにそこの男も殺してやる」


 潰れた声には殺意が満ちていた。冷徹さはどこへやら、ただ感情に支配された女がそこにいた。


「死ね」


 術理もくそなにもない、感情にまかせた一撃を見舞うために、腕を高く上げた、そのときである。


「があっ!?」


 ユーライアが苦痛の悲鳴を上げる。


 苦痛から逃れるために遮二無二その場から飛び去り、距離を取る。


 痛みに震える身体を押さえつけながら、痛みの発生源――腕を見ると、茨と同じようにねじくれていた。


「ぐ、うぅ……」


 痛みと怒りで血走った瞳をぎょろつかせていると、エレナのすぐ側に、男がひざまずいていた。


「お見事です」


 筋肉質な男が言った。男は、気絶しているエレナを仰向けに寝かせ、顔の血と汚れを拭った。


「捨て身の一撃のために全身の力を抜き、合掌した手で生命樹の刃を包み即死を防ぐ。押しつぶされる衝撃すら流してみせるのは、武の極みと言えるんじゃないでしょうか。たぶん」


 オーガストは腕を押さえる騎士団長に問うように言った。


「完全に命を捨てる覚悟があったからこそ、身の危機に起こるこわばりを完璧に打ち消したのでしょう。でなければ、貴方とぶつかった衝撃一つで身は砕けていたと、思いませんか?」


「……」


「どうしました? 武術がお好きだと以前耳にしたのですが」


 オーガストは生命樹の鎧を着込み、殺意に満ちた女を前にして、悠然と笑っていた。


「それとも、見立ては間違っていたでしょうか」


「異常者め」


 人ではないものを目にしたような嫌悪感をにじませる。


「殺す相手だからといって、会話をしてはいけない、なんてことはないでしょう」


 オーガストは何でもないように笑いながら、歩き出した。


「見たところ、貴方に武術の才能はなさそうです。下手の横好きというべきか、それとも必要にかられて浅く学んだからでしょうか」


「……」


 騎士団長は目の前の男に警戒心を尖らせていた。一挙一動に目を配り、息を殺して見つめる。


 一瞬でも隙があれば殺してしまおう。相手が男だとしても、目の前の人間は獣の道理に生きる異常者だ。


 油断すれば、慢心が心に忍び寄れば、目の前の者が男であろうとも殺される可能性が十分にある。


「実のところ、武術には疎いのです。エレナさんはついぞ信じてくれませんでしたが」


 ぺらぺらと話しながら、自然体で歩き続けている。死とを前にした震えも、暴力を手にする強ばりもない。


「やはり子供に護身術を教えていたからでしょうかね。これこそ、下手の横好き……いえ、好きではありませんが」


 ぴたりとオーガストは止まった。そこはユーライアが腕を伸ばせば届く範囲――互いに一撃で殺せる範囲だ。


「どうしました? 殺すのでしょう」


 困ったように首をかしげて愛想笑いをもらす。


 男はこの決死の距離でさえ、殺意も闘志も見せなかった。まるで一人で散歩をしているかのような自然体だった。


「うっ……」


 女は一瞬のためらいを見せた。気の緩みというにはあまりにもか細く短いたじろぎを前に男は動いていた。


 重力より速く身を沈めて一歩前へ。意識の死角に滑り込んだ一歩は女の意識をすり抜ける。


 決死の間合いが即死の間合いへ転じたとき、遅まきながらにようやく女は男をみた。


「――」


 ためらった分、男の姿を把握した時に全力だった。


 身に染みついた生命力を練り上げ燃やすための呼吸――喉が潰れていて使えない。


 薪となるべき生命力はただ搾り取られるだけで、生命樹を自在に成長さえ許されていない。


 残された手は一つ。生命樹の性能に任せた超速の挙動。合理の欠片も見られない、圧倒的な性能だけが許されていた。


 だからこそ、沈み込んだ男の頭を破裂させる気で、女は膝を突き出した。


 危機感が生んだ絶大な集中力を持って、世界が緩やかに速度を落としていく。無限に引き延ばされていく一撃が男の頭にゆっくりと収まっていく。


 ――死んでしまえ。


「甘い甘い」


 男の頭からするりと膝がすり抜け、時は再加速しはじめる。


 残ったのは膝を突き出した不安定な姿勢の前で、獣のように四肢を地面につけた男だった。


 くすくすと耳障りな掠れた笑い声がユーライアの耳の奥にこだまする。


「っ――」


 焦りに頭が空転する。時がすさまじい速度を加速していく。


 無理矢理な一撃を取り戻すだけの思考力はない。


 焦りに焦って、訳もわからずもがこうとして――全身がバラバラになるような痛みを前に、女は這いつくばっていた。


 ――気づけば男は、すでに余裕の笑みで見下している。




「か、はっ――」


 ぜひゅっと潰れた喉から息が吐き出される。


 騎士団長は横たわり、四肢を投げ出していた。


 何も理解出来ていないのか、目を白黒させながら、必死に呼吸だけを繰り返していた。


 ――身体が動かない。


「恐怖に駆られた一撃なんて、愚の骨頂ですよ」


 オーガストは倒れ込んだ騎士団長をのぞき込む。


「武術に一家言あるのであれば、それ相応の技を使うべきでしたね」


「ギィ――」


 団長の喉から粘度の高い液体を無理矢理吸い込んだような、異音がした。


 鎧の中心から細く鋭い茨が伸びる。目に見えないほどの速度で、成長する茨は真っ直ぐ目の前の男の心臓へ。


 ほとばしる血が、生命樹の鎧にしみこんでいく。


「ふ、はははは……」


 茨は、オーガストの手のひらに突き刺さっていた。オーガストは、手のひらを身体の中心から外すことで、茨を防いでいた。


「あまり無理なさらない方が良いかと。死期を早めるだけですよ」


 騎士団長の目には理解不能な恐怖が宿っていた。あまりに無茶苦茶だ。人が反応できない速度の、それも意識の外からの一撃だったはずなのだ。


「四肢の関節をばらして、ついでに骨を砕いておきました。支柱がなければ生命樹も動きようがないでしょう」


 オーガストが敵意がないことを主張するような笑みを見せる。


「とはいえ、先ほどのように無理をすればまだ抵抗の余地はあるかもしれませんね」


「ひっ」


 引きつる声。初めて、騎士団長の恐怖が外に出ていた。


「何もしませんよ。襲ってこられるなら素直に逃げます」


 ははは、とオーガストは笑った。


 これほどの強さを手に入れるための犠牲はどれほどだろうか。それを、男の身で生命樹を纏った女に勝つことにこだわることもしない有様はあまりに達観しすぎている。


「どれほど……どれほどのものを犠牲にしたんだ」


 畏怖の宿った言葉に、


「何も」


 オーガストは素っ気なく答えた。


 ユーライアは目を見開きく。ああ、と声を漏らし、


「そうか――」


 ――答えがするりとおりてくる。


「お前、原始者(ルーツ)か」


「そう言われたこともありますね」


 オーガストは肯定した。

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