第17話
「時間がない、か」
エレナは立ち上がった。
「鎖を解いてくれ」
オーガストはエレナの手にある鎖を手刀で叩き斬る。
「実はあの屋敷で拾った間に合わせでして。鍵はありません」
「――」
エレナは困り顔でむっつりと黙り込んだ。
「これ以上私を巻き込まないでくれよ」
徐々に近づいてくる地響きにマーマインは絶望の声を上げた。
「当然といえば当然ですが、弱ってる相手を見逃すほど愚かでは、騎士の団長などやっていないでしょうね」
「ここをどうやって割り出したのでしょうか」
「あの女は妙な組織とつながりがあるようだからな。何かしらの生命樹をつかったのだろう」
妙な組織とは、商人を自称する女の元締めのことだ。チンピラたちが着込んでいた生命樹もその組織とやらが用意したのだろうか。
「やっかいな話だ」
繋がりがあると言うが、エレナが見立てでは金さえ出せば誰とでも付き合うように見えた。
「またあのおかしな女が首を突っ込んでこなければいいが」
エレナは身体をほぐすように動かし、調子を確かめる。
「駄目だな。万全とはほど遠い」
「どうしますか。逃げますか」
「どうでも良いが、私を安全圏に送ってからにしてくれ」
「逃げたいのはやまやまだが」
エレナは地響きする方向とは逆側を見た。
「あちらに逃げても罠に飛び込むようなモノじゃないかな」
「では迎撃しますか」
オーガストは言った。
地響きはかなり近く、一分とかからずに大群が押し寄せてくることが察せられる。
「そうしたいが、大群を相手取ることが私にはできない」
「私は勿論、戦うくらいなら逃げるし、死ぬくらいなら命乞いでお前たちを裏切るからな」
マーマインはきっぱりと言った。
「では、僭越ながら」
そう言って、オーガストは立ち上がった。
「お二人は座っていてください。どうにかしてみましょう」
「……無理だ。前は論理の通ずる相手だったからこその勝利だろう。今度は獣の群れだ。理性なぞない」
「やってみてもいいが、無駄死にするというのは同意しておこう。いくら筋肉ダルマとはいえ所詮は男だろう、キミ」
やれやれとマーマインは首を振った。
「ご心配なさらず。こんなこともあろうかと」
と、オーガストは懐から種を取り出した。
「……生命樹の種。どこで手に入れた。いや、そもそも男に使える物じゃない。枯死するだけだ。やめておけ」
エレナは立ち上がり、種に手を伸ばす。
「種はあの生命樹を着込んだ妙な女性から貸していただきました」
オーガストはそう言いつつ、種を取られないように腕を高く上げる。
「あ、コラ。渡しなさい」
生命力をこんなことでつかっていられないエレナは、ただの少女としてぴょんぴょんとはねる。
「男が使うとどうなるか知らぬのなら教えてやる。だから、渡せっ」
ぴょんとジャンプする度に、オーガストは背伸びをして、取られないようにしている。
「この、戯れはよせっ」
「ここを切り抜けるための犠牲になってくれるのだろう。放っておけよ」
投げやりなマーマインの言葉を聞き、エレナは俄然意固地になり始める。
「ならば私がやる。元々は私が罠にはめられたのだ。キミが犠牲になる必要はない」
オーガストはエレナの額に指を当てて、強く押した。
エレナはがくんと首が後ろに倒れ、転びそうになるが、慌てて体勢を立て直す。
「死にませんよ。まあ見ていてください」
オーガストはそう言って、静観しているまーマインの肩に手を置く。
「貴方も、そのままでいてください」
「何もする気はないと言っただろう」
マーマインは鬱陶しげに言いつのる。
「さて」
地響きはすぐそこまで来ていた。まさしく獣の群れである。純粋な殺意と暴力とそれを行使する歓喜が押し寄せている。
「相手は数百の生命樹を纏った理性なき人。理性薄弱なのは、生命樹の衣に仕掛けがあるのでしょう。それは、恐れず暴力に準じさせ、大きな犠牲を払いながらも確実に対象を殺すため。つまり、相手は獣であり、そして本能が暴力に切り替わっているための獣に劣る存在であるともいえる」
生命樹が宿主を取り込み、異形となった値群が姿を現す。
思い思いの姿を形取り、共通するのは純粋な喜びを持って突進してきていることである。
騎士団長にとっては、彼女たちもまた処分の対象なのだろう。
この後、エレナたちを殺したとして、生命樹に生命の一欠片まで絞り尽くされて死ぬことは想像に難くなかった。
「おい。それって私が命乞いをする余地がなくないか?」
今更ながら、マーマインは判断の誤りに気づいた。
オーガストは笑みを返し、言葉を続けた。
「シンプルに殺すことしか頭にないのであれば対処は簡単です。すなわち、こちらも純粋な力を真っ正面からぶつければいい」
「ならさっさとその種を使ってくれ!」
悲鳴に近い叫び声に、オーガストは頷いた。
「獣の技法」
ぐっと、マーマインの肩においた手に力を入れる。
種が開花し、瞬く間に生命樹が成長を始める。
「はあっ!?」
マーマインの身体から、一気に生命力が抜け落ちていく。
それはマーマインの意思を無視した吸生だった。なぜか、マーマインの身体に渦巻く生命力が急激な勢いでオーガストに流れ込み、そしてそのまま生命樹へと流れ込んでいる。
「王国の外にいる樹獣の狩りを模倣してみました。本来は敵対生物を吸い殺すための生きる知恵ですが、殺す意図がなければ死にません」
「いやいやいやっやめろ、勝手に絞るんじゃない!」
「同意は取りましたが」
オーガストは微笑む。
「きさまっグチグチとくっちゃべっていたのはそういうことかっ」
マーマインはオーガストをにらみつけようとするも、目の前がぐるぐると回り、全身から力が抜けていく。
笑みを浮かべるオーガストの顔が三重にぶれるのを最後に、マーマインはその場で崩れ落ちた。
「種を育てるのはやはり女性でないと」
オーガストは種を地面に落とした。
種は地面に潜り込み、次の瞬間、ずん、と鼓動のような地響きを一つ鳴らした。
「さて、獣の群れはこれでいいでしょう」
オーガストが言うや、異形の集団の足下から鋭い根が飛び出して、女たちを貫いていく。
地響きはすぐに悲鳴と苦痛の叫びに変わる。
過剰成長した種が女の集団を食い荒らしていた。
「生物の生命力を吸って成長する原始的な生命樹の種だそうですよ」
阿鼻叫喚を見ながらもオーガストは微笑んで言った。
「エグい手を使う」
「効率的でしょう。真正面から戦っても勝ち目はありませんし」
「それは……そうだが」
効率が良い、というだけでここまで非道なことをして良いものか。エレナの良心が疑問の声を上げていた。
だが、オーガストの言うとおり、こうでもしなければ獣の群れに八つ裂きにされて死ぬだけなのだ。
男であるオーガストなぞ、エレナとは比べものにならないほどの恥辱と苦痛を与えられて死ぬことになっただろう。
「ああ、あの種は過剰成長させると、食い荒らすだけ食い荒らして枯れるそうなので、こちらには向かってきませんよ」
エレナのわずかに曇らせた顔を見て、懸念を取り違えたのか、オーガストは安全性を言いつのった。
「そうか」
己が解決する手段を持たない以上、何も言う資格はないのだと、エレナは黙った。
――悲鳴がやんだ。
惨状を見ると、大木となった木々が荒れ狂う波動となって地下空洞を埋め尽くしていた。
おそらく、あの木々に飲み込まれた者は誰一人として生きてはいまい。
人が生きていられるだけの生命を吸い取られ、瑞々しく成長した木々にすりつぶされたことだろう。
「恐ろしく成長しましたね。それだけ人数が多かったと言うことでしょうか」
空間を埋め尽くす木々の波は圧巻である。
人などこれを前には何の抵抗もできないのだと、本能に教え込まれるような光景だった。
「枯れるまでどの程度かかるのでしょうね。あそこまで成長してしまうとずいぶんと長く咲いていそうではありますが」
「さて、な」
「ひとまず、これで新たな追っ手が来るまではしのげそうですね」
と、オーガストが言った時だった。
地下空洞そのものを揺らすような今までの地響きとは違う、破壊的な震動が辺り一面を襲う。
「――」
オーガストは破顔していた表情を無にして、樹木で塞がされた方を見つめる。
――破壊的な震動が徐々に大きくなっていく。
それだけでなく、堅い物を破砕する音が殺意となって響き渡る。
「今度はなんだ」
エレナは力の入らない身体で立ち上がり、少しでも戦えるようにと調息する。
分厚い壁となっていた樹木の欠片あたりにまき散らされる。
「……」
奥が見えない薄暗い樹木の穴から出てきたのは、仮面をつけた女だった。
「やはり……」
「お知り合いですか」
「私を度々襲ってきた暗殺者……だ」
仮面をつけた女はまずオーガストを見て、エレナを見て、そして気絶しているマーマインを見た。
「あれほど言っただろう。余計なことはするなと」
相も変わらず、特徴をつかませない奇妙な声だった。だが、その出で立ちは今までは違い、暗殺者染みてはいない。
身体の線を隠すような緩やかな衣服はなく、纏っているのは生命樹の鎧――ケセドだ。
ウインドミルの構成員が、そして首領が纏い、暴れていた時と同じ物であろうか。
明らかにこれは隙を突いて殺す戦法を取る木がなく、正面からの暴力で殺しに来ている。
圧倒的な力ですべてをなぎ倒すための鎧はウインドミルがつかっていたときよりも分厚く成長していた。
「それはこちらの台詞だ、と言わなかったか」
エレナは流れ出る緊張の汗を隠すように、挑発を口にした。
「治安を維持するためならば何をやってもいいというわけではないのですよ、団長」
「それは見解の相違だな。エレナ・トンプソン」
仮面の女――騎士団長は驚きもせず、返答を返す。
マーマインがここにいる次点で、正体がバレていたことを悟っていたのだろうか。
極めて平静そのものである。――もっとも、声は変わらず特徴のない作られたものだったが。
「悪党といえど、王国の民ですよ。騎士の独断で虐げてよいはずがありません」
「お前には期待していた。が、ぬるいな。そこの男の方がまだ見所がある」
「それはどうも」
オーガストは肩をすくめた。
「だが、その男も駄目だ。その男こそ獣だ。正義も悪も関係なく、己の安息のために生きている。ただ生きるために生きる者に人を束ねることなどできはしない」
「束ねるも何も、一般臣民なのですが」
と、オーガストは困り顔で言った。
「そうだ。彼は騎士ではない。そして騎士は規範となるべき存在であって、臣民を束ねる存在ではない」
エレナは主張する。己の生きるべき規範を。
ただ真っ直ぐに、騎士として生きるべき方向性を。
「違うな。王は国を束ねる。領は貴族が束ねる。規範は官僚が。だが、エリアを束ねるのは騎士だ。騎士が治安を管理し、束ねてやらねば人なんぞ獣の群れだ」
「獣の群れと化すのはそうでしょうとも。ですが、騎士は手足であって頭ではありませんよ」
エレナは感情の見えない騎士団長を見つめる。騎士団長の仮面から除く瞳は、揺らがず冷め切っている。
これがこの女の本性なのだ。感情を挟むことをせず、過激な圧政を敷いて世界を平らにすることを好んでいるのだ。
感情を挟むことをしないのだから、エレナが何を言っても、揺らぐことはない。固定したあり方が、その冷徹な瞳ににじみ出ていた。
すべてが自己完結しており、他者の考えを理解する気がない目だ。
「ならばお前が生まれ育ったトンプソンエリアはどうだ。お前の言う頭は腐っているぞ。頭が腐るから手足まで腐ったのだ。何もかもが腐った末にここはただのゴミの吐き捨て場だ」
確かに、ここは何もかもが腐っていた。それをマシな環境にしたのは騎士団長たるユーライアの手腕あってのことだろう。
ここで生まれ、そして騎士となって帰ってきたエレナには嫌というほど実感が伴っている。
頭が腐り、手足が腐り、身体(エリア)がどうにもならなくなっている。そんなことは、改めるなくとも周知の事実だ。
「だとしても」
エレナは息を吸い、半端な生命力を練り上げる。一雫しかなくとも、たった一瞬だとしても戦えるように呼吸を整える。
「綺麗になるまで汚いものを上から踏みにじり続ける権利は、ないんですよ」
「そういう貴様たちはここで何をしたんだ。殺戮をしたんじゃないのか?」
「それは……」
「あのー」
言い淀んだエレナをしり目にオーガストは首を傾げた。
「敵対してくる相手を退けるのは別におかしなことではないのでは? あなたがここを統治するにあたって、犯罪組織に取り入り、裏で恐怖と力でねじ伏せたのも、同じでしょう。味方と敵を分けて、敵を排除した。それだけでは?」
「いや、それは……」
エレナはとっさに反論しようと口を出したが、それよりはやく、騎士団長が答えを出した。
「やはり獣だな。人の世界にそこまで単純な世界観を持ち込んでいいものではない」
「お二人は正義だとか悪だとか、考えに色をつけすぎている。単純に目の前に立ちはだかる敵がいるからそれを打ち倒す。今起こっている、あるいはここで繰り広げられている騒乱の根源はこれでしょう」
「そうも単純な世界で動いているならば、ここまで醜いことにはなっていない。そして、複雑だからこそ野に広がる獣にはない国という群ができるのだ」
「己の利益に反する敵を排除する。あるいは己の利益のために隣人と手を取り合う。獣も人も同じですよ。獣だって群れを作り、番を求め、子を成すでしょう。人が国を作るのは、獣よりも弱いから、より大きな群を作らなければ耐えられないからにすぎませんよ」
オーガストは地面に手をついて、身をかがめる。
「人を高尚なモノだと考えすぎですね。人と獣に大した違いなんてありません。人間だけが神様に作られたわけじゃあるまいし、何を得手とし、なにを不得手とするか、そのわずかな差があるだけです」
「いや」
エレナはかばうように片腕を広げ、オーガストの前に出た。
「人は愛とか勇気とか、理性っていう獣にはない綺麗なものがある」
「エレナさん」
オーガストは少し驚いた顔で、エレナを見上げた。
「私はそう信じている。人と獣は違うものだ」
エレナは振り返り、にっと笑う。
「ここは任せてくれ」
「その体調じゃ、殺されますよ」
至極もっともの意見だ。エレナの生命力は最低限を推移している。戦いから時間がたち、慌てて調息したとて、たかがしれている。
「意地があるんだよ、私にも」
エレナは青ざめた顔で微笑んだ。
「女として?」
オーガストは構えを解き、エレナを見据えた。
まっすぐと見つめる視線から目を離し、敵を見据える。
「騎士として、だ」
「見上げた根性だな。やはり、お前はダメだ」
ユーライアは肩幅ほどに足を広げ、軽く膝を曲げる。
「そういう綺麗なものを掲げなくてどうするのですか。私たちは国を、臣民を守る騎士でしょう」
エレナは息を限界まで吸い込み、一気に吐いた。
息吹きと共に体中に満ちる生命力がすべて発露する。
薪をくべた火のように燃えさかり、騎士服が発光する。
手足に力が満ちる。視界が揺れる。
世界がゆっくりと静まっていく。心臓の鼓動が高まっていく。
世界の色が消える。身体中が冷たくなっていく。
「――」
鎧を纏うユーライアが飛び出した瞬間――目で追いきれない速度が、極限にまで高められた視力が断片として捕らえていく。
寸断された絵のように一瞬一瞬移り変わり、エレナに近づいてくる。
エレナはあえて手足の力を抜き、その場に沈み込んだ。
重力を背に感じながら、ゆっくりと落ちていく。
しかし自身が落ちる速度よりもユーライアが詰め寄る速度の方が速い。
瞬く間に、射程圏内。
騎士団長はぎりぎり手の距離で腕を伸ばす。腕を延長するように茨を鋭く伸びる。
茨は瞬きするより速く、荒れ狂い、ねじれ、成長する。四方に逃げられようとも目の前の人間を貫き生き血を啜るためだ。
かすっただけでも身が大きくえぐれる速度の乗った一撃を前に、エレナは胸の前で両手を重ねて、合掌した。
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