第16話

「ここも外れか」


 エレナは死屍累々の牢屋を見ていた。


 半殺しにされた女の山である。手荒に取り締まっているが故に、怪我が治るまで面倒を見る羽目になっているのだ。


「またやったのか」


 やってきたユーライアは小さくため息を吐いた。


 牢獄の新しい住人は、痛みにうめき、見つめるエレナの瞳におびえている。


 もちろん、半死半生の住人の目にも恐怖が根付いていた。エレナの視線一つに肩をふるわせ、挙動一つに汗を流した。


「ええ。取り締まりは順調です」


「そうかい」


「ウインドミルが解散してから活発化した組織は規模が小さいので、私一人でもどうにかなりそうです」


「やりすぎるなよ。恨みを買いすぎればろくなことにならない」


「承知の上です」


 頑ななエレナの態度に団長はため息を吐いた。


「このエリアで悪の芽を摘むことができると本当に信じているのか?」


 いつになく、真剣な声。この腐ったエリアを騎士団長なりに憂いているのかもしれない。


「信じているわけではありません」


 対してエレナはいつものように、平淡な声だった。凜と芯のある声。信念といったような強い感情は乗っていないが、それでも当たり前のやるべきことをやる、と言った風である。


「出来ようが、出来なかろうが、やらなければいけないことです」


「ふむ」


 ユーライアは頷いた。


「そうか」


 その声は、いつものように軽かった。望んでいた答えではなかったのだろうか。


 しかし、その様子に落胆は見られず、平常そのものである。


「そう思っている者が他にもいたのであれば、意味もなそう」


 クズの山に視線をうつし、


「たった一人でこの有様だ。同士がもっといればここの掃除も上手くいくだろう」


「ええ、ですが――」


 と、頷いた時、廊下からのんきな声がした。


「団長ーユーライア団長~」


 声の主の足音が廊下で止まる。


「いたいた。駄目ですよ、こんなところにいちゃあ」


「パークか。何のようだ」


 のんきそうな声と、見た目。何かにつけてサボり癖をみせ、ろくに働かない女。それがパークである。


 ――ラクーシャが、言っていた要注意人物、か。


 あまりに普段からサボっているため、エレナは見かけたことはあっても話したことはなかった人物である。


「何のようだとは酷いなあ。お使いですよ。騎士団長にお客です」


「なぜお前が使いなどしているのだ」


 パークに呆れ果てて向ける感情もないのか、ユーライアにしては珍しく、真顔で問いただしていた。


「なぜと言われましても……頼まれたから?」


「……大方サボりを見とがめられたのだろう。もういい、案内しろ」


「はいはい。それではトンプソン騎士。私たちはコレにて」


 わざとらしく慇懃無礼に頭を下げると、パークは騎士団長を連れて、牢獄を出て行った。


「あまり、だいそれたことをしそうにないな……」


 パークは、ただのサボり魔で、給料泥棒に違いない。




少しずつ、エリアに静けさと、恐怖がやどっていく。


 誰もが羽目を外して生きる場所である。そこに、規律と圧政がもたらされたとなれば明日は我が身と考えるのもおかしくはない。


 定職に就いているものはまだ良い。だが、犯罪で食いつないでいる者はそう易々と真っ当に生きようとすることなど出来はしないのだ。


 エレナの人となりを知っている者であれば、横暴な規律を持って制する者ではないことはわかる。


 だが、噂でしか知らぬ者はそうではないのだ。


 たった一人の騎士が一体何をするというのだ、そうあざ笑っていた者は今や少数だ。


 犯罪組織に当初の余裕はなかった。何せ、末端から遡って確実に追い詰めてくる。


 騎士であるから、十全に鍛え、才能を有し、生命樹を使いこなす訓練も受けている。


 侮っていた騎士という存在が、まともに犯罪と向き合うとこうも厄介なのか、トンプソンエリアに飛ばされて来た今までの騎士は単に落第者でしかないのだと理解し始めていた。


 生まれ故にここから出られなかっただけで、むしろこのエリアから騎士になれた、驚異的な人物。それがエレナ・トンプソンの評価だった。


 今や、犯罪者にとって恐怖の象徴となりつつある。翻って、その評価は同僚の騎士にも突き刺さりはじめていた。


 ただ一人、正しく、強く、恐れられる騎士と比べられるとたまったものではない。


 理想を忘れた騎士にとって、この濁った環境はとても好ましい。なのに、その環境を浄化しようとする愚か者を目の前にして、敵意を出さない者などいない。


 いまや犯罪者だけでなく、騎士にとってもエレナ・トンプソンという存在は不倶戴天の邪魔者となりつつあった。


 後ろ暗いことをしたことがない住民など一人もいない中、悪の敵が現れたことにより、トンプソンエリアの雰囲気は日に日に重苦しくなっているのであった。


 そんな雰囲気と、視線が強まるのを日々感じつつもエレナは路地裏で身を隠すように移動していた。


 ――次の地点は……。


 いくつかの末端狩りを経て獲得した情報を元に次ぎの犯罪組織狩りに向かっていた。


 組織を一つ潰すごとに警戒心が強くなっていくせいか、偽の情報を混ぜて攪乱されることが増えていた。


 おかげで、末端狩りを複数回おこない、情報を多角的に集めなければならない。個人で動いている都合、それなりの時間を要する作業となっていた。


 路地裏で姿を隠すように移動するのも、今や道を歩くだけで注目され、後ろ暗いものを持つ人間は身を隠すからだ。


 ――もっとともそれは市民全員が逃げるに等しいが。




 人目を避けて移動することしばらく。ようやく目的の建物へたどり着いた。


 薄汚れているが、やや大ぶりな屋敷である。


 このトンプソンエリアで屋敷があるというのはなんとも奇妙に感じるが、犯罪で財を蓄え、こうしてやけに豪奢な建物で自己顕示する者はそこそこいるものだ。


 そうした者はもちろん部下を護衛として働かせ、時には拠点を兼ねていることも多い。


 今回もその口だろう。


「犯罪者はおとなしく闇の中で震えていろ」


 そびえ立つ顕示欲の塊を見る度に思わずにはいられないことだ。


 大手を振ってふんぞり返る犯罪者をすべて撲滅すれば、少しは暮らしやすいエリアになるはずだ。


 エレナは軽く装備の点検をして、屋敷へと突入した。


「手入れだ」


 ドアを蹴破り、第一声。


 その声を聞き届けた者は、屋敷の中に無数にいた。


「来た来た。情報通りだ」


 くつくつと暗い喜びの忍び笑いが屋敷を満たす。


 ――情報が漏れている。


 同じ騎士にも疎まれ始めているエレナは、尋問で得た情報を誰にも話していない。それにも関わらず、情報が漏れていたということは。


「罠か」


 つまり、複数の末端のチンピラに情報を渡しておびき寄せられたということなのだろう。


「お前はやりすぎたんだよ」


 興奮気味に話す女。手を焼かされた騎士を排除できる機会に嗜虐心が沸き立っているのだろう。


「雑魚が何人集まろうが」


 騎士服に生命力を流し込み、織り込んだ生命樹を起動。ほのかな光がエレナを包む。


「騎士に勝てるわけがないだろう」


 それに加えて、エレナは攻勢装備(ケセド)の種を袖口から引っ張り出し、生命力(えさ)を与えて成長させる。


 騎士に与えられたケセド、それは生命力を吸って任意の武具の形へと成形させることができる。


 特別強力なわけではないが、種からとっさに武具を形成できるため、携帯に困らず隙がない。


 殺しにも制圧にも用途に応じた形をとらせられるのだ。


 エレナの手に形成された武器は、大ぶりな槍(ランス)だった。


 いかにも殺意が具現化したような見る者に威圧感を与える形である。


「ひひっ」


 だが、淀む者はここにはいない。


 それどころか、玩具を見るような嘲りすらあった。


「……」


 警戒心を高めるエレナ。普通に考えれば、多勢で気が大きくなっている反応だ。しかしエレナのスラム暮らしで培ってきた危機感が警告を鳴らしていた。


「そんなカスみたいな生命樹でビビらせようってかあ?」


 ケラケラと笑う女につられて、少しずつ軽薄な笑い声が増えていく。


「あははは」と、やがてそれは合唱となり場を満たし、屋敷を揺さぶるほどの音圧になっていた。


 ――明らかに異常だ。


「イカれた騎士を囲んで殺すのによお、こっちが何も準備してねえと思ってんのかよ」


 その声を契機に囲む数百の女たちの生命力が沸き立った。


「用意してるぜぇ、お前を殺すためのとっておきをよお!」


「これは……」


 エレナの背中に冷たい汗が流れる。


 数百の女たち、そのすべてが騎士服と同じような発光現象を見せたのだ。 


数百の生命樹の衣である。尋常ではない。熟練した騎士といえど、流石に数百の生命樹を着込んだ女を相手にして勝てると言い切る自信はなかった。


「いくぜぇ! 囲め囲め殺せぇ! 私たちの自由を取り戻すんだ!」


 生命樹になれていない者特有の興奮を持って、数百の人間が一斉に飛びかかってくる


「いやああああっははははは」


 まるで獣のような叫び声を上げながら、エレナを血祭りに上げようとしている。


「くそったれ」


 エレナは悪態をつきつつ、手にしたケセドに崩壊寸前まで生命を食わせて成長させる。


 大樹のごとき巨大な鈍器が数百の人間を横薙ぎにする。


「ぐああああ!? やべえ早く囲んで殺せ!」


 苦痛の声を上げる者の、血走った目が表すとおりの興奮が痛みを和らげている。


 手足が変な方向にむこうとも、生命樹の衣が無理矢理矯正し、動けるようにする。


 抱きつくように飛び込んでくる女を蹴り飛ばす。


 折れた腕をかまわずに思いっきり拳を握りしめて振りかぶる女の顔面を蹴り飛ばす。


 わずかに働く理性で連携をとる女ふたりをかわして大群の中に押しつける。


 味方にかまわず外側から投げ込まれた刃物を十避けるが、右足と左肩に突き刺さる。


「ぐうっ」


 喉を鳴らしつつ、エレナは再び巨大な鈍器を持ち上げ――枝が折れて枯れていく。


「くそっ」


 無理な成長に耐えられるほどの高品質ではなかったようだ。枯れていく枝を目の前の女の腹に突き刺して屈んだところを足場にして跳躍する。


「上だ上だ上だ」


 同じように味方を足蹴にして飛びかかってくる女たち。


 エレナの隊服の光が強くなっていく。


 後々のことを考えている場合ではなかった。捕まれば死ぬ。呑まれれば死ぬ。……駆け抜けるしかない。


 生命力を失っていくごとに身体の熱が奪われ、疲労感がのしかかっていく。


「屑どもが私に触れられると思うな!」


 空中でさらに身を翻し、飛びかかってくる女の肩を足場にさらに上へ。


 天井を殴りつけ、腕を突き刺して固定する。


「降りてこい! 殺させろ!」


 理性のない獣が叫びをあげる。


 ――どうしたものか。


 エレナは全身を汗で濡らしている。それでいて、寒さに身体が震えていた。


 生命力の欠乏症状である。


 正直、腕を上げるのにも気合いが必要なほどだった。


 天井で辛うじて時間を稼げているが、このままでは、遠くないうちに屑の海に呑まれて死ぬ羽目になるだろう。


 装備は標準的な騎士服と、使い切ったケセド一本のみである。


「はあ、は――」


 息があがる。突き刺した腕が痙攣し始める「おりてこんかい!」


「殺させろ!」


 囂々と下から投げつけられる言葉も薄い膜に包まれたかのようだった。


「……」


 エレナは首を振って意識をつなぎ止める。このままでは死ぬだけ。さりとてここを切り抜ける方法が思いつかない。


 その逡巡を邪魔するように、天井から砂埃が降ってくる。


「何だ――」


 何気なしに上を見ると、天井にはひび割れが入っていた。


 そのひび割れは、埃を落としながら、エレナの周辺まで蜘蛛の巣のように割れ始める。


「っくそがあ!」


 エレナは激情のままに叫んだ。天井から手を抜き、屑の海に落ちていく。


「きたきたきたぁ!」


 獲物が手元へ落ちてきたことに歓声が上がる。


「ここまでして命があると思うなクズ共がぁ!」


 エレナは強い言葉をつかって己を奮い立たせていた。そうでなければ、疲労と恐怖に飲み込まれて動けなかった。


 残った生命力を搾りあげて生命樹へと捧げる。


 下手を打てば自死につながるが、もはやなりふり構っていられない。


「オラァ!」


 地面に着地すると同時に、床を蹴り壊す。


 破壊された床は瓦礫と土煙をまき散らす。


 煙がもうもうと建物中に広がりすべての人間の姿を包んだ。


 それは明らかに破壊した床が起こした土煙の範疇を超えている。――が、エレナにそれを判断する余裕はもはやなかった。


 本能のままに煙の中に見える影へ向かって拳を突き出した。


 影はふらりと揺らぎ拳は空を切る。


「ちぃっ」


 背後に立つ気配に向かって身体をひねり、横薙ぎに蹴りを飛ばした。


 つま先が影にめり込む――みっしりとした何かに受け止められる。


「ぐぅ――」


 エレナはうめき声を上げた。そのうめき声に反応してか、エレナの回し蹴りを受け止めた影がまた揺らぎ、エレナへと手を伸ばした。


「――」


 とっさに身を翻そうと地面を蹴り後ろへ体重を寄せるが、蹴り上げた足が影に固定されうまくいかない。


 崩れた体勢のエレナに素早く伸びた腕が首に伸び――頭蓋を捕まれたと思った時には地面にたたきつけられていた。


「くそっ……」


 エレナは頭の割れる痛みを感じる間もなく、意識は暗転した。




 17




 じゃらり、と鎖がこすれる音がした。薄ぼんやりと意識が立ち上っていくのをエレナは自覚した。


 ――身体が重い。


 全身に例えようのない疲労感を感じていた。そう、私は負けたのだ。だが、なぜ――?


 意識を少しずつ取り戻し、鈍った頭が回転し始める。


 なぜ、殺されていないのか。


 正直、生きて目覚めるとは思っていなかった。これから拷問でも受けるのだろうか。


 だとしても、この体調で勝ち目などあるのか。


 鈍っている頭を回していると、人の気配がした。


「……」


 気を取り戻したと知られたらどうなるかわからない。エレナはなおも気絶している風を装うことにした。


 うち捨てられたかのように全身の力を抜きながらも、意識を鋭敏に尖らせて気配を追う。


 どうやらここには二人いるらしい。苛立ち混じりにうろつく者と、少し離れた場所に立っている者。


 おもむろに、苛立った空気を纏う方が話し始めた。


「……余計なことをするからだ。愚かな奴め」


 ――どこかで聞いた女の声。


 嘆くように言って、倒れ伏すエレナを足蹴にした。


 その声に反応するように、離れた場所に立っている者が言った。


「向こう見ずなところは流石トンプソン出身、と」


 あの暗殺者に似た抑揚のない不自然な声だった。同じ組織の人間だろうか。いや、エレナの身体の不調が聴覚にも出ている可能性もある。正直、どこまで自分が正常なのか判断がつかない。


「まったく。冗談じゃない。なぜ私がこんなことを」


 どん、と何を殴った音がした。


 しかし何に怒っているのだろう。目当ての人間は捕まえ、後は殺すだけだ。


 半死半生の状態で捕らえている以上は、目的は半ば達成されているはず。


「起きてるだろ」


 ぞっとするような冷たい声。


「――」


 背筋が凍り付いた。エレナはとっさに起き上がると、その場から逃げようと大きく跳躍――つながれた鎖がピンと張り、反発して地面に落下……と同時に顔面に冷たいモノが降り注いだ。


「ぐっ……み、みず?」


 困惑した声。降り注ぐ水に溺れるように口に入れた。生きるための本能的な行動だった。


「起きたか」


 抑揚のない声。


 はっとして声の主を見ると、それは半笑いのオーガストだった。


「どうです」


 オーガストは喉に手を当てた。


「中々うまいでしょう?」


 深い声が、途端に中性的な抑揚のない声に変わった。


「お前……ビビらせるんじゃねえ!」


 普段の冷静さをかなぐり捨てて、エレナは吠えた。


「拷問されるとでも思いましたか」


「趣味が悪いぞ……」


 笑うオーガストに、エレナは肩を落として言う。


「流石に焦りましたよ。押さえつけたら気を失われるのは。よもや生命力が欠乏して死んだのかと」


「それは……」


 あのとき、地面にたたきつけられたのではなく、闇雲に殴りかかったところを鎮めるために押さえつけていたのか。エレナはうめき声を上げた。


 ――なるほど、頭蓋も割れていないし、傷もない。


 土煙の中で殴りかかった相手は攻撃に転じず数度の防御があった。あれは、オーガストだったのだ。


「真面目なのは良いのですが、些か考えなしと言わざるをえませんね」


「……返す言葉もない」


 実際、少しばかり杜撰だったのだ。裏取りはしたつもりだった。


 屑どもが手を組んで襲ってくるのは予想していたことだったが、まさか騎士の装備染みた生命樹を大量に用意してくるとは思ってもみなかったのだ。


 アレさえなければ一網打尽に出来ただろう。しかし、相手も生命樹があればこそ、こうしてエレナを罠にはめ、攻勢に打って出たのだ。


 有り体に言ってエレナの考え不足であり、敗北だった。


 どうやって忍び込み、気絶したエレナを運び出したのかは定かでないが、間違いなく生きているのはこの男のおかげだった。


「だが私はなぜ鎖でつながれているのだ」


 エレナは軽く深呼吸をして、調子を整える。足につながれた鎖を手に持ち、オーガストに突き出した。


「気絶中に暴れたからですね」


「――キミが手荒な真似をするからだろう。きっと」


「煙幕を張った中でも暴れてたじゃないですか。一応、声をかけたつもりだったのですが」


 呆れ口調のオーガストに追従するように、背後から女が言った。


「生命力が枯渇した中で、生き延びるために五感を低減させていたのだろうよ。限界を振り絞ってなお暴れる奴がたまになる」


 不機嫌な声の主を見て、エレナは呆気にとられる。


「マーマイン」


「先輩を呼び捨てか。お里が知れるな」


 マーマインは不機嫌な調子を強めて、吐き捨てた。


「あ、いや失礼いたしました。ですが、なぜ……」


「ふん。だから言ったのだ。騎士団長なぞに媚びを売るからこうなる」


「何ですって?」


「ウインドミルのケツ持ちは団長だと言ってるんだ」


「……」


 予想外の話に、エレナは言葉を失った。


 エレナから見た騎士団長は職務に対して怠慢気味ではあったものの、私腹を肥やしたりするタイプではなかった。


「貴方が罠にはめられることを、教えてくれたんですよ」


「なぜ……」


 目的がわからなかった。マーマインは典型的なトンプソンに飛ばされるタイプの騎士だと思っていたからだ。


 職務に興味がなく、ただ特権目的で騎士にしがみついているだけ。


 そしてその特権で狡っ辛い利益を享受するだけの小悪党。


 そのイメージは間違っていないはずだ。


「私はね」


 マーマインはイライラと足を揺らしながら、話し始める。


 いかにも神経質そうに眉間にしわをよせ、歯ぎしりをした。


「お前が嫌いだ。トンプソンエリア出身でありながら、才能と努力で騎士にまでなったお前がね」


「……」


 エレナははあ、と気の抜けた返事をしそうになったら、慌てて口を閉じた。


 一体何の話なのか。そう思わずにはいられないが、とにもかくにも偏屈にも口を開いたこの女の話を途切れさせてはならないとだけ思った。


「だがね。私は騎士団長とラクーシャがもっと嫌いなのだよ」


 相当のストレスなのだろう。口調に嫌悪感が募り、ついには唾をとばして演説と見間違わんばかりであった。


「ラクーシャ……あの人もですか」


 唖然とするエレナに、マーマインは当然だ、と吐き捨てる。


「だがラクーシャ。奴はまだマシだ。団長のお零れに預かり、利益を享受するただの屑だからな。だが騎士団長。奴は効率的な支配のためならば躊躇なく一線を越える。そんな奴が身近にいると思うだけで怖気が走る」


「支配、ですか」


「表向き惚けた女だが、あれは仮面にすぎない。本性は冷酷な女だ」


「……」


 あまり、想像がつかない。


「貴様が訓練棟にいた頃に奴は来たから知らないのだろうが。奴は荒れていたこのエリアをわずか一年で支配下に置き、その後継続的に敵を減らしていったのだ」


 減らしていったとは、つまり殺したということだろうか。このエリアで屑が死ぬことは日常ですらある。


 だが、それを騎士が率先して行うとはにわかに信じがたい話だ。


「殺(バラ)して強請って、そしてそれをすべてウインドミルの統治下で行われたように見せかける手腕といったら気色の悪いことこのうえなかったよ。そして、それを行った理由は何だと思う」


「……さて」


「治安維持だとよ。つまり騎士の職分だと言いたいのだ、あの女は」


「ふむ。確かに力こそが正義であるならば、それ以上の力と恐怖で統制をとるのはむしろ王道と言えるでしょうね」


 オーガストは納得して頷いた。


「貴様、男のくせに妙な奴……」


 マーマインは気色悪そうな目線を送った。


「普通、忌避感を示さないか? 力と恐怖で君臨する女なんぞ、男が恐れ嫌う典型例だろう」


「嫌いではありませんよ、そういうのは」


 さらりと言ってのけるオーガストにますます嫌そうな表情を見せて、


「ならば強い力に媚びを売り、取り入ることで己の力だと勘違いする典型的な男がお前――」


 マーマインは口を閉じた。オーガストの肉体を不躾になめまわすように見て、


「ここには異常者しかいないのか?」


 真っ当なのは自分だけだとでも言いたげにため息を吐いた。


 この男がそう言った類いではなく力を持つ側だと、肉体を見て思い出したのだ。


 そもそも、肉体一つで鉄火場につっこんでエレナを救ったのはこの男である。マーマインより遙かに強者であることは明白だった。


「これっきりだ。後はお前たちがなんとかしろ。異常者たちに関わるなんてごめんだからな」


「貴方も騎士でしょうに」


 エレナが呆れ混じりに言うが、マーマインは首を振った。


「騎士なんてものは、特権階級だからなったんだよ。誰が他人のために働きたがる」


「そんなだからここに飛ばされるんですよ


 エレナはやれやれと首をふった。


「……うるさい」


自覚はあるのか、声の調子が少し下がる。


「ちなみに、パークさんはどういった立ち位置なのでしょう」


「パーク?」


 マーマインは怪訝な顔で首をかしげる。


「ラクーシャさんが貴方と、パークには気をつけろと」


「ふん。手の早いことだ。それで私のことを警戒していたのか」


「いえ」


 エレナは素っ気なく否定する。


「別に警戒はしてませんが」


 ――どう見ても、ただの小悪党でしたから。


 エレナが抱いていた印象を感じ取ったのか、マーマインは頬を引きつらせる。


「う、ぐ……貴様……慇懃無礼というか、敬意に欠けているというか、とにかく失礼な奴だな」


「そうでしょうか。敬意は払う質ですか」


「――」


 敬意を払うべきところには、と直球の罵倒だった。


 だが、この女からすれば己なぞただの薄う汚れた小悪党でしかないという自覚があったのか、マーマインはそれ以上非難の声を上げることなく、問いに答え始めた。


「パークはただのカスだ。並べて批評すれば私も怪しく見えるから並べたのだろう。奴は仕事をサボってばかりなくせに、妙に騎士団長の尻を追っている。気に入られようと必死なのだ」


「ふむ」


 オーガストが言う。


「どうやらこのエリアの騎士は存外、頼りにならないようですね」


「トンプソンエリアに飛ばされた奴に期待する方が馬鹿だ」


 マーマインは言いつつ、エレナに視線を送る。


「そこの女含めてな」


「清廉潔白だと言った覚えはありませんよ」


「よく言う」


 マーマインは忌々しそうに唾を吐いて、


「一人でパトロールして治安を守っているかのような面をしているくせに」


 その非難がましい言葉に、エレナはクスリと笑みを零す。


「何がおかしいってんだ、ええ?」


「いえ、治安を守っているだなんてそんな」


 くすくすと笑うエレナを不審な目でみるマーマインに、オーガストは肩をすくめて言った。


「今回の騒乱を起こしたのはこの人ですよ」


「はあ?」


「噂は全部本当です。ウインドミルに難癖をつけられた男を助けるために、ウインドミルを壊したんですよ」


「……」


 マーマインは口を開けて、絶句した。


 何か言おうとして、それでも言葉が出てこないからか、酸素不足にあえぐ魚のように口を開閉しながら、オーガストを指さした。


「……男」


 やったの思いで一言つぶやく。


「ええ」


 オーガストは指された指を引き受けるように自身に人差し指を向けて頷いた。


「色香に……いや」


 マーマインは口に出しかけたことを言いよどんだ。どう考えてもこの男を好む女は趣味が悪い。


 堅く大きく筋肉質で気質も荒れ狂っていそうだ。


 この男を好む女は正直言って、相当の変態か、趣味の悪い者であろう。


「――」


 唖然としたまま、視線をさまよわせるマーマイン。


 オーガストは言わんとしていることを理解してか苦笑し、エレナは何を思っているのか、むっつりと黙り込んでいる。


「そういう物言いは騎士としてどうかと思いますよ」


「……いや、うん」


 エレナの本気の忠告に、マーマインが黙り込む番だった。


「お気になさらず。さて、これからどうしますか」


「どうするか、か」


「ええ……もう猶予もありませんし、パッと決めていただけたらと」


 と、そのときである。かすかな地面から来る身体に響く揺れがした。


 それは遠くからやってくる。絶え間なく響いていて、すさまじい勢いで近づいてきていた。


「なんだ……」


 マーマインは不快そうに眉をしかめたがそれはちらつく不安を隠すような顔だった。


「これは……」


 エレナは顔を曇らせつぶやく。


「追っ手か。私の居場所が見つかったのだ」

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