誰よりも近くありたかった
南雲 皋
□□□□
わたしを目覚めさせたのは、幼さの残る顔立ちをした青年でした。
彼は
ただ、『ご主人様』と。
そう呼んでほしいと笑う彼が何を思っているのか、わたしには
ですのでプログラムされた通りに
彼は基本的に自分のことは自分でやるタイプの人間でした。
わたしは彼の父親がしていたように書類の整理をし、母親がしていたように家事をしました。
彼の家は、三人の人間が住むには少し狭いのではと思わせる間取りでしたが、彼にとってはその狭ささえ輝くような思い出であるようでした。
一通りの家事をすることは許されていましたが、遺品の位置を断りなく動かすことは禁じられていました。新しく増えたものに関しては整理を許可されていたので、掃除に支障が出ることはありませんでした。
ある時、リビングのテーブルの上に古いアルバムが広げてありました。
片付けることも出来ず、処理の方法について考えていると、仕事から戻ってきた彼がやってきて一緒に見ようと誘ってくれました。
そこには彼に顔立ちの良く似た優しそうな男性と、目元が彼にそっくりの活発そうな女性が写っていました。彼の両親でした。
白い布に包まれた産まれたばかりの彼を挟んで、輝かんばかりの笑顔を浮かべている二人。ページを
しかし、途中から彼の写る写真が減っていき、ついには彼の両親しかいなくなりました。
わたしが不思議そうにしていたのが分かったのでしょう。彼は苦笑いをこぼしました。
「ボクは、あまり写真が得意ではなかったんだ。だから、物心ついてからはボクの写っている写真はあまりない。自らカメラマンを買ってでるくらいでね、これも、これも、ボクが撮ったのさ」
それからのアルバムには彼の見ていた世界が広がっていました。
彼自身が写っていないことを残念がっている口振りではありましたが、それでも彼の言葉から感じ取れるものは寂しさや悲しさばかりではありませんでした。
彼の切り取った世界の断片は、わたしの世界をも照らしたような気がしました。
「もう、写真を撮るのはやめたのですか?」
アルバムの中身は、彼の両親が亡くなる数日前までで終わっていました。
掃除に入ることは許されていないけれど、彼の部屋の棚に立派なカメラが置いてあることくらいは知っています。
そしてそのカメラが、
「うーん……そうだね。何か撮りたいなと思えたら、もしかしたらまた撮るかもしれないけれど」
彼はそう言って、アルバムを手に部屋へ戻っていきました。
その背中を見送りながら、彼がまたカメラを手にする日が来ることを願わずにはいられませんでした。
そんな彼の表情に変化があったのは、彼が三十歳を迎える少し前のことでした。
毎年わたしと二人でささやかに祝っていた誕生日のディナーを、今年は用意しなくて良いと言われたのです。
その日から彼は少しずつ輝きを取り戻していきました。
それは恐らく、彼が
あの時に見た写真から感じる
そうして次の年の誕生日が過ぎた頃、彼は一人の女性を
「紹介するよ、彼女はエイミー」
「初めましてミリエラ。あなたのことは彼から聞いているわ」
「初めましてエイミー様」
「聞いてくれミリエラ、ボク、彼女と結婚するよ」
彼はそう言って、今までで一番輝かしく美しい笑顔を浮かべました。
エイミー様と互いに見つめ合う視線は、わたしの回路を焼き切ってしまいそうなくらいに熱いものでした。
「おめでとうございます、ご主人様。エイミー様。それでは、わたしはもう用済みでしょうか?」
「用済み?! そんな悲しいことを言わないでくれ。キミは大事な家族の一員さ」
「そうよミリエラ、私たちとこれからもずっと一緒に暮らしてちょうだい」
「はい、喜んで」
そう答えたわたしは、あの時すでに、どこかおかしかったのかもしれません。
彼とエイミー様は結婚し、新しい家を買いました。
その家は今までの家と少しだけ似た間取りをしていて、けれど敷地面積的には倍近くありました。
エイミー様は犬が飼いたかったそうで、結婚式を終えて少しした頃、可愛らしいコーギーの子犬を連れてきました。
彼は新しいアルバムを買ってきて、エイミー様や子犬の写真を撮るようになりました。時折、わたしまでその中に写り込んでしまいそうになるので、今まで以上に周囲に気を配るようになりました。
一緒に写ればいいのにと笑われますが、そのレンズがわたしを直接追い掛けることはありません。ですから、わたしは彼の写真には決して写りませんでした。
エイミー様は彼と同じ職場で働いていました。結婚してからもそれは変わらず、そのためにわたしの仕事は彼が結婚してからもあまり変わりませんでした。
書類の整理と、家事。
そして二年ほど経ってから、そこに子育ても加わりました。
子育てに関しては、初めのうちはエイミー様と共に
「ミリエラは、ママよりもママみたいだね」
「そんなことを言ってはいけません。あなたのお母様はエイミー様だけですよ。わたしはただのアンドロイドですから」
そう言ったわたしにぎゅうと抱きついて、彼によく似た瞳で見上げます。
「確かに硬いし冷たいけどさ、ミリエラはママよりあったかいよ」
「……その言葉は嬉しく思いますが、もう口にしてはいけません」
「はぁい」
お子様がわたしの世話がなくとも大丈夫になる頃には、小さくてころころとしていたコーギーは大きくなり、重たい身体を自分の足で支えることも困難になっていました。足腰の弱くなったコーギーの世話をしながら、わたしは考えます。
犬は、老いて死ぬ。
人も、老いて死ぬ。
突然の事故や病気でも、死ぬ。
彼は、死ぬ。
わたしは、死なない。
わたしは、世界に一人取り残されたような心持ちになりました。
未だ、日々感謝の言葉を送ってくれる彼が、死ぬ。
嫌だ。
そう思った次の瞬間には、わたしは自身の内部プログラムを書き換え始めていました。
おかしな話です。そんなことなど出来ないよう、厳重なプロテクトが掛けられているはずなのに。
わたしは、彼の健康状態をモニタリングしているシステムと、自分の稼動システムを結び付けました。彼の心臓が機能を停止した時、自分の活動も停止するように。
自分の中心に埋め込まれたコアに彼の鼓動と同じリズムを伝える信号が流れるようになって、わたしは我に返りました。
なぜ、こんなことを。
元に戻そうとしても、出来ませんでした。今度こそ、厳重なプロテクトに阻まれて。
わたしは素知らぬ顔をして生活を続けることを決めました。
幸い、彼の家族は誰もアンドロイドに詳しくありません。基本的なメンテナンスではコアシステム周りに触れることはありませんし、わたしの動作に異変がなければ問題が発覚することもありません。
わたしの異変に誰かが気付くのは、彼がその生命を終えた時です。
わたしは彼と、彼の家族と共に何十年も過ごしました。
時折、身体のパーツを最新型に交換しながら、コアの変化に気付かれることもなく、ずっと。
アルバムは冊数を増やし、家の中の至る所に彼の撮った家族写真が飾られました。
孫が産まれた頃から、彼も写真に写るようになりました。
わたしはいままでの彼の写真を誰よりも見ていました。学習していました。だから、彼の代わりにカメラマンを努めるようになりました。
家を出た息子娘たちが孫を連れて帰ってくる度、わたしは彼らを写真に収めました。
可能な限り彼の切り取る世界に似せた、家族写真を。
彼は、孫の成人がもう少しという時、病に倒れました。
わたしに伝わる鼓動がどんどんと弱くなり、シワの寄った手が震えるようにエイミー様や、息子たち、孫たちに伸び、そしてわたしにも。
わたしは彼の眠る病室で、エイミー様と三人になった時を見計らって口を開きました。
「エイミー様、お話しておきたいことがあります」
「何かしら」
「わたしは、昔、自分のシステムを書き換えました」
「システムを?」
「はい。ご主人様が亡くなった時、わたしも活動を停止するように」
そう言ったわたしに向けられたエイミー様の眼差しは、とても優しいものでした。
「あなたも、彼を愛していたのね」
「愛……?」
「そうよ、彼と共に死にたいと思ったのでしょう?」
わたしは少し考え、そして頷きました。
「私も、彼と共に死ねたらいいのにと思う。でも、子供たちも、孫たちもいるわ。だから、その役目はあなたに任せる。私がそっちに行くまで、彼の面倒を見ていてくれる?」
「はい、エイミー様」
その会話が終わるのを待っていたかのように、急激に彼の鼓動が弱まっていくのを感じます。わたしは、エイミー様に、彼が死へと歩み始めたことを告げました。
わたしたちは彼の両サイドに腰を下ろし、彼の手を握ります。
右手を、わたしが。左手を、エイミー様が。
そうして彼が、眠るように息を引き取るのを、見守ります。
わたしも、もうすぐ活動を終えるでしょう。
これが、愛なのでしょうか。判りません。
みんなが天国と呼ぶ場所に、わたしも行けるのでしょうか。それも判りません。
けれど、エイミー様のお願いだから。
きっとわたしは天国に行けます。彼の少し後ろに立って、彼の面倒を見ることができます。
いつまでも。
いつまでも。
「おやすみなさい、クリフォード様」
そうしてわたしは、彼は、活動を停止しました。
[END]
誰よりも近くありたかった 南雲 皋 @nagumo-satsuki
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