エピローグ

「そうか、いまだ目覚んか……」

 背後から聞こえる少女の声にクラルはそう答えると、視線を遠い空に浮かぶ、白い雲に移した。


 晩春の空にぽっかりと浮かぶ濃い雲が、夏の到来を告げているようにすら思える。もっとも亜熱帯に属するカルマートに、明確な四季の移ろいがある訳でもないのだが。


「原因は相変わらず不明、か」

「こればっかりはね。アストレアでも聞いたことないかな? 似たような症例はあるけれど、病気の類とは別物だし、どっちにしても回復魔法が効かないんじゃ、私たちには打つ手がないよね」

 視線を外に向けたままのクラルの問いかけに答えながら、少女──莉々はソファーに腰かけたままで、半ばまで減ったアイスコーヒーの中に浮かぶ氷を遊ばせるように、グラスを揺らした。

 彼女が思う似たような症例とは、ゲームであれば良くあるケース、離席や回線エラーなどで、キャラクターが動かせない状況の事であるが、クラルにそれを話したところで理解されるわけもない。なにしろここは仮想世界でもなければ、ネットゲームなどと言うものが存在する世界でもないのだ。


「おとぎの世界の事象でないのなら、医学の領域か」

「たぶんね」

 そう答えながら、莉々は思う。

 現在、この地に居るヒーラーでもっともレベルが高いのはリアであるが、彼女の回復魔法は、アルスの症状に対して何の意味もなさなかった。であれば医学に期待するしかないのは事実であるが、所詮、十八世紀欧州レベルの技術力しかもたないリムニアである。素人考えでも行きつく様な脳の病気に、対処できるだけの技術も設備もあるはずがない。

 莉々は僅かに首を振り、額を押さえた。


 クラルは再び視線を眼下へと移す。


 執務室の窓から見える景色は、あの日、アルスがダンジョンより戻った時と、さして変わらない。早咲きの桜が遅咲きの桜に変わった程度だ。

 それでも時は過ぎ、もう一月もの間アルスは目覚めることなく眠り続けている。

 今もアルスの部屋では、母であるリジェが、少年の手を握り祈り続けているのだろう。早く目を覚ましてくれと。いつものように語り掛けてくれと。


 遠くで号令の声が聞こえる。

 今日は第三次となるガイダダンジョン探索が行われる予定である。

 リアやキリエのサポートも前回までで終了し、今回からは純粋なリムニア兵のみでの攻略が行われることになる。いわば真の探索がここから始まるのだ。


 ──自分も行く。


 そう駄々をこねるアルスの姿が浮かぶ。

 実際には少年自身、既に己の限界を悟り、一次探索以降の参加など望まなかったのだろうが、それはクラルの知るところではない。

 遠い進軍の足音に耳を傾けながら、だからこそ思う。

 今もしもそれを望むのならば、と。


 言葉なく、遠くを見つめるクラルの後ろ姿を見ながら、莉々は再びグラスの氷を揺らした。

 重い空気の中、カラン、という音が響く。

 ふぅと息を吐き、空になったグラスをテーブルに置くと、莉々は静かに席を立ち、執務室の扉を開けた。

 いま、この場で彼にかける言葉など思いつくはずもない。

 適当な慰めや、いい加減に希望を持たせるような言葉など、とてもではないが吐く気にはなれず、今できることと言えば、彼をそっとしておくことくらいしか無かったからだ。


 扉を後ろ手にしめ、再び息を吐く。

 扉の向こうで待っていたのか、腕を組み、苦笑いを浮かべる黒衣の大男に舌を出すと、壁に遮られて見える筈の無い遠い空を見た。




 見える筈の無い空。


 同じようにそれを見上げる男の姿があった。

 まるで黒く塗りつぶされたように、周囲の様子をうかがい知る事のできない部屋。

 彼の目に映るのは無数の、まるでモニター越しの映像の様に浮かび上がった下界の様子。

 その映像を前に、黒いインバネスの男──エルドは無表情に腕を組んでいた。

 世界の全ては、彼が望めばすぐさまそこに映し出される。彼にはその権限が与えられているからだ。

 神の代行者として、いや、その座を継いだものとしての権限。世界を見捨てた古い神に与えられた、託された権限が。


 ──権限。


 確かに古い神は、エルドたちに神としての役割を彼らに託し、消失した。

 主神としてエルドを。

 それに付き従う二柱としてテミスとニースを。


 だが、彼の持つ権限は結局のところ、ゲームの頃と大差はない。確かに異なる部分はある。ゲームであった頃にはできなかった事、例えばプレイヤーに対する記憶の改ざん、システムへの軽微な干渉。アカウントが持つ権限の変更、エトセトラ、エトセトラ。

 それでもやはり、それは彼が思う神の力、いわゆる万能さとは程遠いものでしかない。

 ゼロからの世界を構築も、全てを自身の管理下に置くことも出来はしない。支配下にあるはずのアストレアであってもだ。

 それは何故か。

 問いかけても旧神は応えない。


『要するにストラテジーゲームのようなものだよ』


 ふと、いつか交わしたグラムとの会話が頭をよぎる。自身が発したはずのその言葉に、エルドは苦笑いを浮かべ「そうか」と、呟いた。

 何のことは無い、結局のところ彼らもまたプレイヤーでしかないのだろう。

 この世界を、システムを作り上げた誰かの手に平の上で、遊ばされているだけの存在。グラムたちがロールプレイングゲームのそれであるように、彼らもまた。


 エルドは浮かび上がる映像の一つに、目を向ける。

 眠り続ける少年と、その手を握る女性の姿に。


「アルス」


 エルドの唇が少年の名を呼ぶ。


 グラムの姿を追いかける中で見つけた少年。

 莉々に伴われ、この舞台に立つこととなった少年。

 自身のあずかり知らぬ、見知らぬ闇に飲み込まれた少年。


 アストレアとリムニア。

 二つの世界が交錯するのであれば、リムニアにもまた、自分たちと等しい位置に立つ者、同じように選ばれた代行者がいてもおかしくはない。正にあの闇の中、あの場所にいたものこそが、リムニアの代行者なのだろう。なのに何故、あの時自分は何の疑問もなく、それをのんびりと眺めていたのか。

 なぜ、そんな当たり前のことに、今の今まで考えがまわらなかったのか。


 ──思考をコントロールされてるわけか、僕らも──


 胸の内でそう呟き、小さく舌打ちをする。

 旧神の真意はわからない。

 判っていることと言えば、旧神が望んでいたのは、この世界が停滞から脱却することのみである。

 そこにリムニアを勝たせなければならないというような決まりごとは無い。

 そもそも、最初からリムニアを勝たせる気なら、わざわざアストレアの様なバケモノ揃いの世界ではなく、もっと拮抗した相手を選ぶはずだ。

 それでもあえてアストレアを選んだのは何故か。


 そこまで思考を回したところで、エルドは苦笑いを浮かべた。

 ストラテジーゲーム。

 答えは出ているではないか、と。


「簡単なゲームに、興味は無い。とはいえ今動かれたら一方的になりすぎる。だからある程度のレベルまでは行動制限を──それは判らないわけじゃないけどね、僕らがそれに付き合わなきゃいけない義務はないよねぇ」


 呟き、その目つきが厳しくなる。


「僕らだって黙って食われるわけにはいかないもの。敵が力をつける前に潰す。それがベターなんだけどさ」


 ──それでも『舞台が整うまで待て』ってことかな。なら──


「その舞台が整うのは、何時さ?」


 そう呟き、エルドは再び視線を少年の映像に向けた。

 昏々と眠り続け、閉じた瞼の奥に紫色の虹彩を湛えた少年を。


「莉々によって見いだされ少年」


 生活魔法でさえ、再現するのにかなりの時間を必要とした彼の魔法能力に、莉々は期待などしていなかった。

 それはライゼをはじめとする、周囲の人間も同様だろう。


「無力な少年」

 それでも少年は、ありもしない自身の潜在能力を信じ、ダンジョンに潜り、戦い、現実を知り──


 エルドはクスリと笑った。

 それはゲームに取り込まれ、のめりこんでゆく多くのプレイヤーたちと同じだ。


「ねぇ、君を選んだのは、誰だい?」


 その問いかけに応えなどある筈もなく、エルドは視線をさらに上、深い深い闇に向けた。


 その先に在るのは、まだ見ぬリムニアの代行者か。

 それとも──

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OUROBOROS 納見 丹都 @nito_ra

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