彼誰時

 すうっと目を細めながら、ライゼは目の前に立つ、少女の後ろ姿を見た。

 早朝。何時かアルスが魔法の存在を知った、シストロ湖の湖畔。その畔で、緩くウェーブしたストロベリーブロンドの髪を風に遊ばせ、彼女に背を向けた少女の姿を。


 長い船旅のせいか健康的に日に焼けた、だが覇気のない、むしろ無気力な、そんな印象さえ抱かせる横顔。それでも見た目にはごく普通の、いや、大人になれば、それなり美人にはなるのだろうことが容易に想像できるだけの容姿をもつ少女。魔大陸から帰還した、ライゼには理解のできない威力の魔法を放つ少女。


 その黒いドレスの立ち姿に意識を集中させる。


 息を吐き、目を細め、意識を深く、更に深く。

 やがてライゼの体を薄い白色の燐光が包み、それに呼応するように、目の前の少女にも、その身を包む色が浮かび上がる。

 別に、互いに攻撃の意思を持っている訳ではない。自身の意識を集中させることによって、いままで見えていなかったものが、見えるようになっただけだ。


 薄い青。

 それが少女を包む色。

 日本に昔からある色の十二階位。

 アストレアにおける魔法使いの区分。魔力光の色。


 少女の青は、その区分における上位、上から四番目の階位である。


 濃紫、薄紫、濃青、薄青、濃赤、薄赤、濃黄、薄黄、濃白、薄白、濃黒、薄黒。


 アストレアには紫の魔力光を持つものは存在しない。それを持つのはGMであるエルドたち以上の存在であり、人が人のまま到達できるのは濃青までと決められているからだ。


 現在、青を持つものは三名。


 濃青の魔力光、莉々・クレイブン。

 薄青、アルカナの長。魔女ベファーナ。

 そしていま、ライゼの前に立つ、キリエ・エレイソン。


 ライゼは自身の掌を見る。純白の魔力光に彩られた己の掌を。

 いずれは自分も成長の中で、その色を変える筈だ。莉々の見立てでは濃黄、条件さえそろえば薄赤には到達できるだろうと言われてはいる。だが、と思う。

 キリエも、自分も、共に出自はリムニアであり、そこに変わりはない。なのに自身は白、彼女は青。魔大陸においてすら特異な──


 もしも莉々が彼女を見たなら、どうするのだろう?

 自分の立ち位置は彼女に奪われてしまうのだろうか?

 師と仰ぐ彼女の関心は、目の前の少女に奪われてしまうのだろうか?


 それも仕方のないことなのかもしれない。

 魔法師団。副団長。その肩書は、今の自分には重すぎる。

 ゴブリン程度に辛酸を舐めさせられ、たまたま通りがかった魔大陸の人間に助けられるような弱者。そんな自分、莉々の横に立つ資格など──


「めっきり全力でネガティブですね、えーと──ライゼさん? でしたっけ」

 ふいにかけられた言葉に、内心の驚きを隠しながらライゼは振り返り、地面にぺったりと腰を下ろした赤毛の女性を見た。

 一目見てリムニアの人間ではないことがわかる。深紅の髪の人間など、ナチュラルに存在するはずもなく、まるで人形の様に整いすぎたその顔もまた然りだ。美しさと同時に湧き上がる違和感は止めようもない。


「そう見えますか?」

「ええ。まるで嫉妬に狂った童貞の独身中年男性そのものです」

「なんですか、それ」


 どこか嘲笑するようなリアの言葉に、ライゼはぶっきらぼうにそう答えると、再びキリエに目を向けた。

 手にした杖を前方に突き出し、ルーンを唱え始めた彼女に。


「貴方が何を考えているのか察しはつきますが、比較対象が間違っています。超越者と一般人では、行きつく場所はおのずと異なりますから」

「キリエはリムニア人ですよ?」

「同じ事です。私たちもアストレアの人間ですが、マスターとは違います」


 そう呟くと、リアは口元に浮かぶ自嘲を隠すことなく、キリエの後ろ姿を見た。


「生まれが何処だろうと、きっと違うんです。あの人たちは」

 そのリアの呟きは、ざぁっと、言う音にかき消され、ライゼには正しく聞き取ることが出来なかった。

 ──ああ

 そんな、溜息にも似た声が自身の口から漏れる。

 目の前に映る景色。いつかクラルが見た光景。

 物理法則も何もない、まるでモーゼの十戒のように、二つに割れた湖面を前に──





「あれが、リムニアの遭難者?」


 対岸で繰り広げられる不可思議な光景。

 その、湖の半ばまでが二つに分かれた湖面を見つめながら、グラムは一つ舌打ちをすると、背後から聞こえたその声に振り返り、視界に映るその立ち姿を見た。


 ゴシック調の黒いミニドレスに、肩で揃えた浅い金髪。三白眼。

 戦争に興じていたころ、同じクランに在籍していた時期もある、よく知った顔。  


 グラムは溜息をつくと無言のまま、手にした竿に視線を戻すと、水面に揺れるウキを見た。隣に置いた魚籠は空のままである。なにしろ先ほどから対岸でキリエが魔法の鍛錬をしているのだ。殆んどの魚が避難中なのだろう、釣果など、期待できるはずもない。


「つれないね。久しぶりに会ったてのに」

「ライゼから聞いて、予想はしてたからな。おっさん」


 グラムの、取って付けた様な言葉の端に、莉々は引きつった笑みを浮かべながら、対岸の様子に目を向けた。

 キリエが杖を振りかざすと同時に、幾つもの水柱が湖面に上がり、そのたびに背後に立つライゼが険しい表情を浮かべる様子が見て取れる。

 ライゼの心情を理解しているのか、莉々はその様子を生暖かい目で見つめながら、顎に手を当てるとふぅむと鼻を鳴らした。


「リムニアの人間でも、あそこまで行けるんだね。習熟期間はどれくらい?」

「半年程度だって話だ。覚えてる魔法も中級レベルだとよ」


 グラムの言葉はルッソから聞いたものである。

 救助された直後は何の魔法適正も示さなかったが、ある日突然にそれが開花し、魔法が使えるようになったのだと。それが夏ごろだったと聞かされてる。

 開化のきっかけが何であったのかをグラムは知らない。ルッソも、当のキリエも、それを話そうとはしなかったからだ。


「詠唱アリ。魔力頼りのゴリ押しか。鍛えれば上位のプレイヤーでも食えるかな」

「弟子にでもする気か?」

「望むならね」


 そうグラムに返答しながら、莉々はキリエの使う魔法を解析しているのか、目を細めながらぶつぶつと呟く。

 その様子を、グラムは何とも言えない表情を浮かべながら、視界の隅に映した。

 互いに元トップクラスのプレイヤーである。時に狩場で、戦場で、あるいはリアルの世界で何度もあった事のある相手──もっともここ数年は互いに戦場からは遠ざかっていた身である。こうして『世界』で会うのも久しぶりだ。


「なぁ」


 視線を再びウキに戻し、グラムは問いかける。

「記憶は、あんのか?」と。


 その言葉に莉々は、首を傾げ「何?」と答えた。

 彼には、その質問の意図が読み取れないのだ。


「何って、日本のだよ」


 問いかけながらグラムは『何を聞いてるのか』と自問する。

 それは意味の無い質問だ。

 記憶などあろうが無かろうが、それで何かが変わるわけでもない。むしろ無い方が幸せだろうとさえ思う。そんな記憶など、所詮は借り物に過ぎないのだから。


 グラムは背を向けたまま「いや、何でもねぇ」とぼそりと呟くと、そのまま押し黙った。そのまま数秒。何の動きも見せないグラムにの姿に、莉々は不機嫌そうに腰に手を当てると、砂を踏みしめる音を響かせながら、そのすぐ後ろに立った。


 腕を組み、男の後頭部を見下ろす。やがて無言のまま右足を持ち上げると、目の前の大きな背中に蹴りを入れた。


「聞いといて何でもないとか。生意気だぞ、睦月のくせに」





 けたたましい音と共に、勢いよく扉をあけ、部屋へと転がり込む。

 はぁはぁと息を荒げながら、そこに久しく見なかった男の姿を認め、アルスはゆっくりと、その人影に歩み寄った。

 二月ぶりの邂逅。

 渋面をつくり、椅子に深く体を沈め、机の前に広げられた書類を前にした男──クラルは、アルスに視線を向けることなく「来たか」とつぶやく。かけていた眼鏡をはずし、手をひらひらとさせると、傍に控えていた秘書官が「では」と、一礼し、部屋を後にした。


 バタンとドアの閉じる音が響く。


「いつお戻りになられたのですか、父上」

「ついさっきだ。よく気が付いたな? 先触れもなかったというのに」

 手にした書類を机に戻しながらアルスに問いかける。

 まだ早朝のこの時間、アルスたちは、やや離れた位置にある居館にいたはずである。帰城早々、着替えもせずに本城の執務室に入った自身の存在に、よく気が付いたものだと、クラルは目を細めた。

 口元には僅かな笑み。久しぶりの息子との対面だ。嬉しくない訳もない。


 そんな胸の内を言葉にすることも無く、クラルは再び視線を書類に戻した。いまは久方ぶりの対面を喜んでいる場合でもない。


「で、報告にあったダンジョン、だが、アルス。お前はどうみる?」

 挨拶もそこそこに本題に入るクラルの言葉に、アルスは頷くと姿勢を正し『やはりその件か』と思った。

 元々、三か月程度を予定していた王都への旅程を繰り上げ、千キロ以上もはなれた王都からここまで、おそらくは知らせを受けてすぐに戻ったのだ。理由などそれしかあるまい。ちらりと目を向けてみれば、クラルの目の前に広げられているのもガイダ絡みの書類ばかり。二百の領民が犠牲となっている以上、それも当然である。


「ライゼ──魔法師団の副団長は、『これ以上の被害者が出る前に、直ちにダンジョンを破壊すべし』と、進言しています。わたしも同意見ではあります。が──」

「が、何だ?」

「その場に居合わせた魔大陸の住人は『そのままにしておけ』と」

「ほう?」

「『あれは資源だだから、いずれ来るときの為に備えた方がいい』そう言ってました」

「莉々嬢と同じ意見か」

 そう呟き、クラルは顎に蓄えた髭をいじった。

 ガイダの惨劇。ダンジョンの発見。その報をうけた直後、クラルは莉々に同じ質問をし、同じ答えをもらっている。その理由もまた然りだ。

「アルス。お前の意見はもっともだ。なにより領民の安全が第一だからな」

「では──」

「が、今回ばかりはな。問題は、そこから先だ」

 言いかけたアルスの言葉を、クラルが被せるように制止した。

「魔大陸の人間だよ。かれらの武装は私たちの常識を超える。が、少なくとも我らの知る、持ちえる素材で、あれを再現することは不可能だ」

 その言葉にアルスは俯く。

 実際先のゴブリンとの争いでも、こちらの武器の威力不足は否めなかった。銃で倒すことは可能、とはいえ、まるで重装兵とでも戦っているかのような効果の薄さだ。剣戟に至ってはもはや鈍器に等しい。ところが莉々の作った短剣や、モルが手にしたゴブリンから奪った剣は別次元の切れ味である。その差は歴然だ。


「ダンジョンが資源。というのは、そういう事ですか」

「そうだ。いまだ検証は終わってはいないが、そのダンジョン内でとれる鉱石、素材で作った装備でなら、おそらくは彼らに対抗することも可能だろう」

「つまりは、いずれ訪れる、魔大陸との衝突。それを視野に入れている、ということですか?」

 アルスは喉の渇きを覚えながら、やや震えの混ざった、低い声で呟いた。


 戦争。


 リムニアにおいては、既に死語に等しいそれが、いま目の前にある。

 他民族同士が接触すればそれは必然だ。歴史がそれを物語っている。だからこそ、リムニアもまた統一されたのだから。


「そうだ。が、それだけではない。海にいる怪物、いずれ海を渡ってくるであろう他の怪物。そういうものから身を守るためにも、な。なにしろガイダの件は王都でも重大案件として受け止められていてね。王も諸手を挙げて、全面的な協力を約束してくれたよ」


 王が同意。

 その事実にアルスは押し黙った。


 もちろん、その為にクラルも莉々も王都に向かったのだ。この決定は予定調和の内であるし、アルス自身もそうなることは解っていた筈だ。が、実際に世界が、戦争に向けて動き始めた事実を、アルスの幼い心は上手く受け入れることが出来なかった。

 自身もまた、戦争の為の、戦うための準備をしていたというのに。


「ガイダは、どうなるのですか」

 胸の内に湧き上がる矛盾を押さえながら、アルスはクラルに問いかける。父はどうやってこの事実を受け入れたのだろうと思いながら。


「地域一帯を国の管理下に置く。ガイダの領民にはすまないが、それだけの保証はするつもりだ」


 父は争いを望んでいるのだろうか? 莉々もまたそうなのだろうか?

 アルスの頭の中でそんな考えがぐるぐると回る。世界はどうなるのか。カルマートの民は。今までは感じることの無かった不安に、押しつぶされそうになりながら握りこぶしを固める。

 そんな、俯いたままの我が子の様子に、クラル目を閉じると、ゆっくり立ち上がった。

 その傍に立ち、少年の頭を優しく撫で、言葉を紡ぐ。


「我らは貴族だ。領民を、民を守る義務がある」


 アルスは押し黙ったまま、それでも父のその言葉に目を見開き、小さく頷いた。

 それは貴族の責務Noblesse oblige

 貴族が貴族たる所以ゆえん。それは地球も、リムニアも変わりはない。


「それが必要であるのなら、剣はとらねばなるまいよ」

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OUROBOROS 納見 丹都 @nito_ra

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