第五話

奈落

 薄明りの中、小さな手が、巨大な両開きの鉄扉を押す。

 真新しいはずのそれが、ギギィっと音をたてながら、張り付いていた錆をパラパラと落とし、やがて扉の向こうにある景色を映し出した。


 暗い空間に明かりが灯る。

 一つ、二つ。


 浮かび上がるのはここまでの通路同様、石のブロックを積み上げて作られた、一辺が二十メートルほどの部屋である。その最奥には台座に置かれた、銀製だろうか、身の丈二メートル程の、頭部のない騎士像が立っていた。


 少女は背中に担いでいた、体のサイズに見合わない巨大な盾を左手に持つと、腰にぶら下げていたブロードソードを右手に構えた。左右の状況に視線を向けながら、ゆっくり部屋の中に進む、その表情は真剣そのものである。が、真剣そのものであるがゆえに、どこか滑稽にも見える。どう見ても十歳前後の少女が、スカートに鎧という、なんともちぐはぐな格好で武器を構えているのだ。例えばリムニアの人間が見れば、それは遊技会の一場面にしか見えないだろう。


 後に続くのは鈍色の軍服を着た金髪の青年と、白いローブを着た長身の、明らかに普通の人間とは異なる特徴である長い耳の──いや、特筆すべきはそこではないだろう。

 歩くたびに揺れる青い髪。神秘的なエメラルドグリーンの瞳。こと美しさという点において、アストレアでは最上とされる種、エルフの女性が居た。

 軍服が手にしているのは、先端に白銀の装飾が施された、五十センチほどのショートロッド。エルフの女性は無手だ。


 騎士像の十メートル程手前まで進んだところで、少女が左手の盾で後続の進行を制止した。


「マスター。あと一歩で、像の覚醒範囲に入ります」

 少女の声にエルフの女性が頷き、何処から取り出したのか、いつの間にか手にしていた双剣の感触を確かめるように一振りすると「準備して」と残る二人に告げる。


「デュラハン、ね」


 言いながら、あるはずの頭部を探す。

 パターン通り、それは騎士像の小脇に抱えられていた。

 次に鎧の状態を確認する。鑑定スキルは例によって持ち合わせていない。彼女をマスターと呼んだ少女も、もう一人の少年もそれは同様だ。ならばどこで敵を判断するのか。現実と同じ、外見や雰囲気。イレギュラーな個体でもない限り、それはこれまでの経験が答えてくれる。

 例えば騎士像が身に着けている装備品。そこに施された装飾、あるいは素材。


 ──ミスリル装備か。Bの上位ウォリアーか、精々がAクラスナイトってとこかな。


 そう判断し、小さく頷く。

 同じデュラハンでも、君主ロード級ともなればドラゴンに近いSクラスの魔物となるが、その手の個体ともなれば装備はアダマンタイトやオリハルコンの様な、神話級素材の装備が常である。目の前に居るのがそれであれば、尻尾を撒いて逃げ出すところだ。


防御プロテク攻撃マイトMP回復マナリジェ状態異常抵抗レジスト一式。あとは命中力アップガイダンス。こんなもんかな? アリス。あと追加で欲しいのある?」

「大丈夫です、マスター」

 アリスと呼ばれた少女が、そう答えながら再び盾と剣を構え、後にのこった鈍色の青年もまた、杖を騎士像に向けた。

 二人の様子を確認すると、エルフの女性は目を閉じ、剣を持った両手を左右に広げる。同時に三人を、包み込むように、幾重にも重なった光が天上から降り注いだ。


「まぁ、フロアボスって言っても精々がAクラスだから、あまり気負わずに。それと、ルッソ」

「はい」

「三分あげる。それを過ぎたら私が墜とすから、そのつもりで」

「承知です。レティシア様」

 青年の回答にエルフ──レティシアが頷き、アリスの姿勢が低くなる。

「行きます」

 言葉と共にその足が、デュラハンの覚醒範囲、その一線を超えた。

 小脇に抱えた頭部、その奥の目が赤く光り、ギチギチと音をたてながら、彫像の腕が腰の剣に伸びる。

「ルッソさん、ヘイトは維持するので、これまで同様、全力で撃ちまくってください。遠慮は──」


 アリスの姿が掻き消える。


「──いりません!」

 言葉と同時に響く轟音。双方を分かつ十メートルの距離など無かったかのように、デュラハンが剣を握るよりも早く、アリスのシールドが、デュラハンを弾き飛ばした。

 アリスの動きに停滞は無い。そのままブロードソードをデュラハンの肩口に叩きこみ、片膝をついた敵に更に追撃を試みる。が、敵は案山子ではない。反撃の剣が横薙ぎにアリスの胴を狙う。

 反射的に盾で剣を受け止めるが、体重差は歴然だ。今度はアリスが数メートルも吹き飛ばされ、だが転がることなく足を滑らせながら再び構えを取った。同時に前方に加速。双方の剣が、けたたましい金属音と共に、火花を散らす。


 アリスの動きを横目に、ルッソは深呼吸をすると、杖を構えなおした。

 与えられた時間は三分。既に時計の針は進んでいるのだ、悠長にアリスの戦いを見ているわけにもいかない。


 ──相手がミスリルいうことは、魔法耐性が強い。物理ダメージで押し切るか──


 唇を尖らせ、深く息を吐く。半眼の瞳に映るのはデュラハンの影、同時に頭の中でルーンを選ぶ。


「ガー・スタン・イール」


 言葉と共に、自身が望む魔法の形をイメージする。

 初めに鉄鉱石を、銑鉄を、鋼を。更に精錬し、鍛錬し、それが完全な形を成した時、イメージは現実世界に舞い降りる。

 目を開きその視線を、構えた杖の先、中空に生み出された小さな楔に向ける。それがパキパキと音をたてながら、徐々に太く、細く、長く、鋭く、ルッソがイメージした、全長一メートルにも及ぶ鋼の、無骨な槍へと変化してゆく。

 詠唱開始から既に十秒。上位者ならスリーワードのルーンなど、撃つのに五秒もかからない。そう自分に言い聞かせながら、首の無い騎士へ狙いを定め、タイミングを計る。


 剣と剣。あるいは剣と盾がぶつかりあう、甲高い音が響く。

 デュラハンの推定ランクはA。一方のアリスも同じくAランク。必然的に戦いは拮抗する。が、レティシアの従者サーバントたるアリスは防御特化型である。レティシアのバフによる能力上昇を考えれば、単純に防御性能だけなら更に上位のランクに匹敵する。とはいえ決定打に欠けるのも事実である。勝敗を決するのは、少なくともレティシアの指定した三分間に限って言えば、ディアスの魔法師団に所属していた術師のルッソであり、アリスもそのことは重々承知していることだ。

 だからこそ注視する。戦いの最中であっても。


 体格差に物を言わせ、上方から打ち下ろされるデュラハンの剣を、アリスの盾が受け止める。衝撃に膝をつくアリスの目に、ルッソの生み出した槍の姿が目に入った。

「てぇぇいっ!」

 気の抜けた掛け声と共に、受けた剣を盾で弾くと、まるでテニスのラケットを振るように、ブロードソードをデュラハンの胴、小脇に抱えた頭部に叩きつける。その衝撃に、騎士はまるで脳震盪でもおこしたかのように体勢を崩す。


 ──いまだ──

「アーヴァ・レスト!」

 ルッソが叫ぶ。


 発動の言葉と共に、銀色の槍が宙を舞う。

 キリエが放つ魔法の様な、圧倒的な速度が出ているわけではない。が、それでも僅か十メートルの位置から放たれたそれは、回避する間もなく騎士の、小脇に抱えた頭部に突き刺ささり、同時に砕け散った。

 奇怪な絶叫をあげ、悶絶しながらも、頭部を隠すように身をねじる。

 ルッソが再び同じルーンを紡ぐ。イメージの構築が先ほどよりは早い。一度完成させたイメージだ。再構築は容易い。

「アーヴァ・レスト!」

 二発目がデュラハンの肩に突き刺さり、間を置かず砕け散る。

 苦痛のせいか、睨むように視線をルッソに向け、剣を振り被るデュラハンを、アリスの斬撃が襲う。癪にさわる彼女の攻撃に、再び騎士の意識がそちらに向けられる。

「ガー・スタン・イール」

 次に生み出された槍はルッソの遥か上、天井すれすれの位置に発生した。

「──アーヴァ・レスト!」

 再びの槍は弧を描き、今度は直上からデュラハンの首へ。何もない黒い穴に突き刺さる。たまらず膝をついた騎士を、アリスの斬撃が襲う。

「あと五秒」

 ──あともう一発──

 レティシアの声が耳に入り、ルッソの思考が、再び魔法の構築へと切り替わる。それとほぼ同時にアリスの叫びが響いた。

「範囲が来ます、下がって!」

 霞のようにゆらめく闘気に身を包み、手にした剣を眼前に構え、姿勢を低くしたデュラハンの剣がギラリと光る。

「──ちっ!」

 後方に視線を向けたアリスが、思わず舌打ちをする。

 ルッソは既に次弾の準備、構成に取り掛かっている。あと数秒は動けないだろう。純魔法使い。しかもデュラハンより劣るBクラスの彼が、Aクラスの範囲攻撃を食らえばただでは済むまい。いくら装備を強化したところで、魔法使いの紙防御など盾役タンカーである自分アリスに比べれば無いに等しいのだから。

 そう思い、庇うようにデュラハンが剣を振るその前面に立つ。

 盾を構え、絶対防御の姿勢で──


「──無理しないの」

 一陣の風がアリスの横を通り過ぎる。

 双剣の、白い風が。


 衝撃とともに、デュラハンが後方にのけ反る。

 何故のけ反ったのか、何が起きているのか。彼には理解できなかった。

 範囲攻撃の発動直前に、白いものが目の前に現れた。全てはそう思った次の瞬間の事である。足を踏ん張り体を支え、小脇に抱えられた頭部で、何が起きたのかを確認しようとした、その視界が急にぶれる。抱えた腕ごと、肩口から切り落とされたのだと理解するのと、ごろりと床に落ちる衝撃を感じるのはほぼ同時の事。更に鎧の胸部に大きな裂け目が幾重にも走り、右手の剣も半ばから寸断された。残った右手を横に振るが、振った先から腕ごと切り落とされる。


 落とされた左手が、離れ離れになった頭部に伸びる。かろうじて届いた指先で、横向きに落ちた自身の頭部を弾き、上を向かせた。

 目に映るのは石の天井。

 己の躰は、立っているはずの筈のそれは、等しく床の上に転がっているのだろう、視界の隅に、らしきものが見えるだけだ。


 すぐ横に女の姿が映った。

 嫣然と微笑み、自身を見下ろす美しいエルフの姿が。


 手にした双剣。その一方をゆっくりとあげる。

 風を切る音。


 同時にデュラハンの視界は暗転し、意識もまた消失した。





「とりあえず、今はこの階層で終わり。かな?」


 階層主である先の騎士像が、最初に立っていた台座。その背後の、石でできた壁をノックするように叩きながら、レティシアが呟く。

 離れた場所のアリスやルッソも同じだ。下階層への入り口を探して、各々壁を調べているが、成果が無いのだろう。共にレティシアの言葉に頷くと、ため息をついた。


 後に所在地である「ガイダ」の名を冠することとなるダンジョンの最奥。第六階層。階層主の間。

 先ほどまで戦っていた、デュラハンの亡骸は既に無い。

 元より、がらんどうの鎧に霊魂レイスが取りついただけの魔物だ。明確な死体が残るわけでもない。転がっていたデュラハンの装備一式も、ドロップ品として残されたガントレット以外は、かき消すように消えてしまった。

 そもそも、ダンジョンを構成する備品の一部である。客寄せの為のドロップ品以外は、次のデュラハンの一部として活用されるのだろうが、それもレティシアたちにとっては当たり前の事だ。驚く事でも、特筆するようなことでもない。


「でも、ここって、何時できたのかな?」


 そう言いながら、レティシアは考え込むように頬に手を当てた。

 リムニアという国の成り立ちは知らないが、キリエからはこの国には怪物も魔物も。それどころか魔法すら存在しないと聞かされている。

 そのような場所に自然にダンジョンが発生するとは思えない。となれば何者かの意思が介在していると見る方が妥当だろう。


「ルッソ。公国軍とか、ディアスは関わってないの?」

「あ、いや、自分は末端ですから。そういう話は聞いていません。が、何かしらの動きはあってもおかしくないと思います。他の国がいまだ進出していない未開の地、資源の宝庫、と考えれば」

「そっか」

 申し訳なさそうな表情で答えるルッソに、レティシアは「気にしないで」と手を振りながら苦笑いで応えた。

 別にきちんとした回答を期待していたわけではなく、話の流れで振っただけだ。そもそも、たかだか尉官が深い部分を知っているなど、思ってはいない。


「いずれにしても、誰かしらがシードを持ち込んだと考えるのが妥当よね。それが何時だったのかはわからないけど、アストレアのダンジョンが、ここまで根を伸ばしたとは思えないもの」

「あり得ませんか?」

「無理ね。有機ダンジョンの成長なんて、年に精々が五、六キロってとこでしょ? 世界変異からたった一年。アストレアからここまで何百キロもあるんだから、届きようがないわ」

「飛行生物が種を運んだ可能性は?」

「ない、とは言い切れないけどね」


 ルッソの質問に答えながら、レティシアは天上を見上げた。見えるのは当然石の壁である。が、視線はその先に向けられていた。


 ──あとは、上に上がった、むーちゃんたちの報告待ち。かな?


 そう思いながら、レティシアは二人に向けて肩をすくめた。

 ぐるりと階層主の部屋を見渡し、少し乱れた長い髪を整える。


「何はともあれ、異常なダンジョンよね。出来てからおそらく一年足らず。それで既に全長二十キロ超えの六階層」


 呟く声にアリスは主の顔を見上げた。

 それはアストレアで、クランの盟主であった彼女が常に抱いていた疑問である。

 世界異変以降、彼の地においても常に彼女たちを悩ませていた、それまでは起こり得なかった数々の出来事。ゲームとしての記憶など既に失いながら、だからこそ感じる、未知なる事象に対する畏怖。


 歴史上、同様の速度で成長を遂げたダンジョンなど、アストレアには一つしかない。

 それは最古の、最初のダンジョン。

 今も彼の地で成長を続ける、最大の──


「奈落、か」

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