最終話 坊や

「昨日の奴、帰ってきたぞ。やっぱりお兄さんのとこで治療していたみたいだな。元通りハイテンションで『はっはー、すまなかった』って言ってたよ」

「ソレハ、ヨカッタデス。ソウイエバ、ゴウキリセンパイノコト、キキマシタカ?」

「ああ、偽名だったんだろ。私も事情聴取の時に聞いたよ。今住んでる神社の、親戚の名を語っていたんだってな。ま、その親戚ってやつもあやしいが。廃村からは全員いなくなってたし、結局この件も自主映画撮影中の事故として処理された……謎が多い連中だよ」


「デスネ」

「もうすぐ伊予乃氏と一緒に来るみたいだから、その辺、詳しく聞かないとな」

 松宮がニヤリと意地悪く笑った。

「あーそれとも、お邪魔かな?」

「ヤメテクダサイ」

 斗南は照れくさそうだが、音声では感情は伝わらない。


「そういえばさ、お兄さんに坊やのことを聞いてたのを話してなかったな。それとも、もう?」

 斗南は少し間をおいて、自分の見た幻覚は、昭僧を抱いた彦一が坊やと一緒に村から逃げるところで終わったことを説明した。


「じゃあ、その続きだな」そう言って松宮は坊やの最期を話し始めた——。




 ——坊やはお願いするように胸の前で手を合わせ、木の陰でしゃがみ込んでいた。

 しばらくして昭僧を抱き抱えた彦一が戻ってくると、すぐに手をとって山道を下った。

「しょうちゃんも一緒に行くの? おかあさんは?」

 彦一は無言で首を横に振った。

 すぐに坊やは、彦一の白衣の背中が真っ赤に染まっているのに気づき、心配の声を掛ける。

 彦一は言う「大丈夫、とにかく今は逃げるんだ」


 村を出て、早朝の人通りのない街を行く。どれくらい走ったのか、どれくらい歩いたのか、ようやく目的の孤児院にたどり着いた。

 その頃には、彦一はズボンまで赤く染まるほど出血していた。


 孤児院のドアを叩く。

 おかあさんは? お父さん大丈夫? ここどこ? どうなるの? と、ここまで何度も不安を口にした坊やに、ようやく彦一は答える。

 もう、おかあさんとは二度と会えない、と。

 坊やは駄々をこねるように、なんで? いやだ。どうして? と白衣の袖を引っ張った。


 ドアを叩き続けながら、息も絶え絶えに続ける。

「だから、代わりに坊やが、しょうちゃんを守ってあげるんだ」

 彦一はドアを叩くのをやめて、両手で坊やの頬を優しく包んだ。

「でも……うん。守る。代わりに、ぼくがおかあさんになって、しょうちゃんを守る!」

「そうか……おかあさんになるか……じゃあ、女性だね。それなら、これからはちゃんと、自分のことを呼ぶ時に『わたし』って言わないと……だめだね。名前も——」

 孤児院の電灯が点いた。

 それを見て安心したのか、彦一は力尽き、血溜まりの上に倒れた。


 これがもとで斗南彦一は四日後に死去するのだが、死の間際の証言により、村の人間のほとんどは収監され、国際問題となることを懸念した政府がこれを隠蔽、伝染病の蔓延によりほとんどの人間が犠牲になったとして村は封鎖されることになる。


 ひみご村は地図上から消された。



 ——孤児院に引き取られて三年、坊やは八枝子の死についてはすでに理解していた。

 昭僧に対する時、必ず自分は「おかあさんだよ」と接し、そして必ず八枝子のやったように村の呪いの話をした。

 ただ、ひとつだけ話を加えていた。

 それは、「呪詛を受けた者は殺されるのがならいなの。でもね、この先しょうちゃんの家族に呪いを受けた者が現れたら、絶対に殺さないで。守ってあげてね」と。


 職員たちは初めこそ気味悪がっていたが、しばらくすると気にも留めなくなっていた。

 だが、ここにきて昭僧が、本当に坊やを母親と思い込んでいるような言動を見せるようになってしまい、放置しておくことができなくなり、二人を引き離して別々の部屋で生活をさせた。


 毎日会うことは自由だったが、会話は制限された。坊やには、それが耐えられなかった。



 ある日の早朝、坊やは孤児院を抜け出して、散歩道である川べりの草地で腰を下ろした。

 

 眺める水面が朝日を反射させ、キラキラと流れによって変わるその光は、まるで旋律を奏でているように見えた。

「きれい」

 坊やは八枝子と散歩をしたあの広場を思い出していた。

 散歩道は毎回研究所から広場までのとても短いものだったけれど、とても楽しかった。


「そうだ」

 いつかの散歩の途中、八枝子は言った「——たとえ死んでも守るから」と。

 坊やはそれを思い出すと、何もできない自分にも、まだできることがあった、と立ち上がった。


「おかあさんと同じように、わたしも、しょうちゃんを守ればいいんだ」

 坊やは歩き出す——。

 川に足を踏み入れて、さらに進んだ。


 愛されて生まれてきたのではなかった。


 その後の十年間の生涯で、どれだけの愛情を受けられたのだろうか。


 はたして、この少女は幸せだったのだろうか。


 川の中、胸まで浸かった坊やの表情に陰りはなかった。

 苦しみも悲しみも感じさせない。


「は、ふう、はあっ」


 華やかな笑顔がそこにあった。


 やがて坊やの姿は水光の中に消えた——。




「ナンカ ツライ デスネ」

 だいぶ間をおいて「なんだか……やるせない」と、松宮はため息をついた。


 病室を沈黙が支配する。

 静寂を長引かせまいと、斗南が話題を探してタブレットをタップする。


「イウノガ オソクナリマシタガ アリガトウゴザイマシタ。センパイノ、オウキュウショチガ ナケレバ、ボクハ シンデイタト オモイマス」

「ん? ああ、気にするな。出来る限りはするよ。当たり前だろう。命を救われたのは私のほうなんだから……私の方こそ、ありがとう」

 松宮はそう言って、病室の窓際の、備え付けの椅子に座り、斗南の顔を覗き込むようにして続けた。

「ま、私のファーストキスは、君に奪われてしまったがな」


 斗南がわかりやすく動揺してタブレットを床に落とした。

「ふ、ふ、ふ、冗談……でもないが、カウントはしないでおくよ」


 松宮はいたずらっぽく笑い、タブレットを拾って斗南に手渡した。


「もう、夢は見ていない?」


「ハイ モウ、アレカラ イチドモ」


「そうか、良かった」


 松宮は窓の外の景色に視線を移す。


 斗南もそれを追うように外を眺めた。


 少しの静寂の後、松宮が口を開く。


「斗南氏、やはり言っておくよ。そのボカロの音声はやめた方が良いぞ」



      おしまい

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怨念遺伝 FUJIHIROSHI @FUJIHIROSI

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