聖女と魔女

雨屋二号

魔女


 深い青の空に、闇を暴くような金の瞳が一つ。

 満月の夜。穴の空いたボロ屋の屋根から月明かりが差し込むと、そこには手を合わせて祈る少女が一人。

 その長い金の髪は腰まで届く程に。身に纏う白いローブは所々に銀の装飾が施されており、丁寧に仕立て上げられたのが見て取れる。

 しかし、月の光が辱めるかのように少女を照らすと、その服と身体は泥や埃により汚れ、むき出しの足の裏はマメが潰れて痛々しく皮膚が削ぎ落ちていた。

 滲み出した赤が土と混ざって黒々とし、歩くことすらままならぬ激痛に襲われても、少女は祈ることをやめなかった。


「聖女様!」


 不意にボロ屋の扉が開かれる。

 聖女と呼ばれた少女が振り返ると、そこには背高な銀髪の女性が立っていた。

 顎下までの銀色の髪が、夜風に吹かれると月明かりを弾いて揺れる。身体には長いボロ布をマントのように羽織り、腰に携えた剣ごと自らの素性を隠している。

 騎士。そう呼ばれる者の姿とは思えない程、みすぼらしく、卑しくみえる日陰者の装いだった。


「私はもう聖女ではありませんよ」

「そんな……きっと何かの間違いです……」


 困ったように眉を顰めて、はにかみながら答えると、騎士の女性は唇を噛んで強く拳を握りしめた。

 暗い夜の闇に覆われていても、聖女には騎士の強い感情の込もった沈黙が、手に取るように伝わってくる。

 かつて聖女として人々から崇められていた少女は、ある日を境に、異端の魔女として忌み嫌われる存在となり、処刑されることが決まった。

 それは彼女たちからすれば突然に、脈絡もなく。

 それでも聖女の方は少し想像がついていた。きっとこれは何か都合のいい理由付けの為なのだと、大きな変化が起こる前触れの、その一つに過ぎない。

 ならばこれはもはや覆ることはない、国そのものが動いていると言えるほど、大きな力で強行されている。


「聖女様。私がなんとしてでも、貴方をお守りします」

「今からでも戻れば……騎士様の罪は、きっと免れます」

「それはッ……!」


 互いに確証のない言葉で気休めすることしかできない。


──守る? どうやって?


 既に聖女……否、異端の魔女を狩るために多くの人間が動いている。

 手配書など出されていれば、これから出会う人間全てが敵となる。


──だとすれば騎士様も、もう……


 手遅れ……助かることはないだろう。

 二人仲良く一緒に処刑されればまだマシと言えるだろうか。

 聖女の方は見せしめに醜く晒し殺される。異端の魔女などと仰々しい異名を付けたのだから、さぞ処刑のしがいがあるというもの。

 

「そんなことを……言わないでください」

「……」


 まるで迷い子のような弱々しい声が漏れる。

 ゆっくりと、黒の帳が開いていく。

 雲の切れ間から月明かりが再び降りると、哀しそうな目で騎士は見下ろしていた。

 思わず目を逸らして、聖女はあるものに気づく。

 


「騎士様、それはなんですか?」

「こ、これは」


 よく見ると、騎士は左手に荷袋のようなものを持っていた。

 大き目の布の角を掴み、袋のようにして何かを包んでいるようだ。

 騎士は僅かに逡巡すると、それを地面に置いて広げてみせる。


「食料を……町の人から食料を貰ってきました」

「食料……?」


 広げた布の上に置かれたのは果物が二つにパンが二つ、それと……


「待ってください。これは……これはなんですか?」

「……干し肉です」

「干し肉……?」


 騎士の言葉を繰り返したのは、理解し難い現実を、ゆっくりと咀嚼して飲み込むため。


──ありえない。


 口に出さずとも、聖女の動揺は顔に現れていた。

 騎士はそれに気付かないのか、気付かないふりをしているのか、そのままパンと果物を一つずつ分けて真ん中に干し肉を置いた。


「これはどこから……どうやって頂いてきたのですか?」

「事情を説明したらなんとか……あっ! もちろん聖女様のことは隠して……その……」


 口ごもって顔をそむける。


──嘘。


 騎士という身分も隠して……否、たとえ騎士という身分を明かしていたとしても、無償で恵んで貰えるなど考えにくい。ましてや、果物ならまだしも肉などと貴重な食べ物。

 果物も、表面を触ってみた限り傷んでいるようにも思えない。


──私のことを隠したのなら、一体どんな理由で?


 女の騎士が一人だけでというのなら尚更、それもこんな時間に、話に耳を傾ける者すらいないだろう。

 聖女を崇めていた人達の中で、この処刑に異を唱える者はほとんどいない……いなくなった。

 最初はいたはずだが、結局、逆らったところで意味もない。聖女が処刑されても、されなくても、ほとんどの者の生活は変わらない。意味のないこと。


──盗んで……来たのですね……


 わかりきっていた。

 この騎士は本当の罪を犯したのだ。

 

「聖女様……」


 聖女の様子を伺うように、恐る恐る声を漏らす。

 気付かないで欲しいのか、それとも気付いても、仕方のないことだと、慰めてほしいのか。

 その姿に牢から聖女を連れ出して、共に逃げた時の騎士の頼もしさは、もはやなかった。

 聖女は騎士に向き直ると、優しく、微笑んだ。


「やはりこの国の人たちは優しいですね」

「そ、そうですね!」

「では、ありがたく頂くことにしましょう。せっかくの皆さんの優しさを、無下にするのはよくありませんからね」

「はいっ!」


 聖女にとって、ここで騎士の嘘を問い詰めることは簡単だ。


──それでも、それはできません……


 パンを取り、口に近づける。それを見て騎士も真似をする。

 数瞬、聖女は手を止める。その後、ゆっくりと小さく口を開けてパンに嚙みついた。

 硬いパンの端を懸命に嚙みちぎって、咀嚼する。騎士もまた同じように。


──……悪い人

──私が先に食べるのを待っていましたね……私も共犯者となったのを確認してから。


 二人は黙々と食べ、果物と干し肉にも口を付けた。

 最初に聖女が食べたことを確認してから騎士も食べる。食べ終わるのはどれも騎士のほうが先だった。

 これからの為にも食料を残しておくべきだった、などとはお互いに言わなかった。

 どうせ逃げられないことは本心でわかっている。だから、耐えきれず食欲を満たした。


「きっと聖女様のことをわかってくれる人はいます」


 騎士の言葉は先ほどよりも少し明るく聞こえた。


「そうですね。私も、こんなに優しい人たちがいるのですから、諦めてはいけませんね」

「はい!」


 聖女に騎士の嘘を問い詰めることはできない。


──私も嘘をついているのだから。


 気休めにしかならない言葉。既に手遅れのこの状況で、未だ現実から目を背ける。

『もう終わりにしましょう』

 そう言ってこの逃亡生活をやめてしまえばいいのに。

 目的が聖女ならば、騎士だけなら追われることもないかもしれない。二人で戻れば二人とも裁かれるかもしれないが、騎士だけならこの国から逃げることはできるかもしれない。


──でも、きっとあなたは止めるでしょうね。

──私はあなたにとっての寄す処。あなたは私を言い訳に自分の行いを……正義を正当化している。


 刹那。心臓の音が一つ、耳を叩いた。


──ならば、私があなたを否定したら、あなたはどうなってしまうのでしょう。


 魔が差した。というのはこういうことなのだろうと、聖女はその胸の高鳴りに静かに手を添えた。


「ですが騎士様」

「なんでしょう?」

「私はあなたが……あなたさえいてくれればそれでいいのです」

「…………聖女様?」


 騎士に近づき、目を合わせたまま、その手を掴む。


「なっ……!」


 騎士がたじろいで、上体を逸らす。

 聖女の金色の瞳と騎士の深い青色の瞳が重なり、再び雲が月を隠した。

 暗闇の中で、互いの双眸はぶつかり合い、少しづつ顔を近づける。


──もし、私があなたを否定したら……

──あなたが私を……


──殺してくれますか?


 暗闇の中、二人は何も言わずに唇を重ねる。


──どうぞ私のせいにして構いません。私に縋ってくれて構いません。

──あなたの信じる聖女で私は居続けましょう。


 二人はもう助かる方法などない。逃げる場所もない。

 そんなことはわかりきっていた。この罪は最初から理不尽なものだった。

 だから諦めていたのに、不本意に、生き長らえてしまった。

 ならば最後に、この自分の胸の底から湧いた好奇心に、身を任せてしまおう。


──もし、あなたの理想の聖女である私があなたを否定したら?

──きっとあなたはそれを否定するでしょう。あなたを否定する私を否定する。『そんなことを言わない』と。

──そしたら、あなたは私を殺す。そして、冷たい肉塊となった私を見て『こんなつもりじゃなかった』と。

──それが私の望み。

──私を殺すのはあなたで、あなたを殺すのは私であって欲しい。

──だから、私はあなたの理想の『聖女』で居続ける。


──優しいあなたが殺してしまうほどの『魔女』になるために。

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