1-2

「……キースはさ」事後の脱力感のままにくたりと体をあずけたまま、どちらからともなく名前が出た。

「――うん?」

「なんでアルの兄貴をさしおいて子供ガキなんかつくろうって思ったんだろ」

「つくるつもりがなくてもデキちゃっただけかもしれないだろ」

「あいつがそんな無計画なマヌケ野郎だと思う? なあ覚えてる? 俺らが中学ジュニアんときにさあ、キースの兄貴の尻ポケットになんかガムみたいなビニールの包みがのぞいてたから、やったあと思ってひっぱったら……」

「全部コンドームゴムだった」

「ゾロゾロ出てきたよな」

「あんとき兄貴は俺らに一コずつくれて」

「明るいとこで見たら爆笑必須の、すげー色のやつな」

「ディーンにフーセンだよって渡したら」

小学校ガッコに持ってって教室で膨らませて、ソッコーで親父が呼ばれたんだよな」

「ディーンの担任が大学出たてみたいなけっこうカワイイ女教師だったっていって、そんな若い女にこんなネタで呼びつけられて説教喰らう身にもなってみろこのバカ息子って、親父怒り笑いしてたよな」

「ソレはそういう用途で使用するものではありません、お父さまもご存知でしょうって、そんなことは今さらお嬢さんなんぞに教えてもらわなくても承知してる、使しなかったらこいつのほかに今ごろ何人の子持ちになってたかわからんって何度言ってやろうかと思ったけどかわいそうだからこらえたっていってたよな」

「あんときはさすがの親父も威厳てものがなかった」

「親父は女には紳士だからね」

「ディーンはゲンコツ食らって泣いてたけどね」

「でも最後まで俺らの名前出さなかったし、兄貴も知らんぷりしてたよな」

 あいつ妙なとこで根性ガッツあるよな、とふたりしてうなずき、

「……その親父をね」

「まさか兄貴がね」

「……まさかディーンがねぇ」

「だからそんなヤツがヘタうつとは思えないんだよなァ、女のことだって、今の今まで隠してたのにさ」

「まあね」

 しばしの沈黙のあと、

「キースの兄貴の考えてることなんて、兄貴の作ってる書類とおんなじくらいわかんねーよ」

「これも俺のカンだけどさ、ひょっとしたら寂しかったのかもな。だってアルフレッドはαアルファだし、俺にはお前がいるし、ギルバートのやつにはロジャーがいるけど――」

 二番目ギルバート三番目ロジャーは年子だ。ロジャーはほとんど口をきかないが、ギルバートがその倍悪態をつくし、昔、愚鈍のろまだと弟をからかったら兄が烈火のごとく怒って一日中しつこく追い回されたので、以来双子もよほどのことがない限り口をつつしむことを覚えた。

「あのふたりはヤッてないだろうけどな」

 片方がまぜっかえすと、もう片方は嘔吐そっくりの音を発してみせた。

 一番下の弟はとにかく母親に可愛がられて育った。「わたしの可愛い可愛いディーン」――母親が頬ずりしながらよくそう言っていたのが耳に残っている。ぷっくりした頬に音を立てて何度もキスをされ、鼻を押しつけられてまるい腹をくすぐられ、きゃあきゃあ笑う赤ん坊の姿も。

 きっと自分たちも幼いころはそう言われて育ったのだろうし、七つも下のおむつもとれていない弟にやきもち妬くほど子供ガキでもなかったから大して気にもしなかったが、ひとり挟まれた三つ違いの四番目の兄キースがどうだったのかまではわからない。中間子の悲哀か。

「だからキースの兄貴はあいつを可愛がってたんじゃねえ? あいつがチンコ腫らしたときもさあ、呼吸いきできなくて涙が出るほど笑ってたけど、結局、フロ場に連れてって冷やしてやったの兄貴じゃん」

「そのあとハレがおさまんねえって薬局に薬買いに行ったとき、あいつの口から女の店員に、なにがあったのか言わせてんの聞いたけど」

「マジ? それは初耳」

「とことん性格悪いよな」

「……ほんと、かわいそーになァ」

 相方がうなずくと、汗に濡れた同じ色の髪が混じりあう。ほとんど同じ身長、ほとんど同じ体の重み、同じだけの熱を、うっとうしいとは感じない。俺たちは家族だから――その中でも俺たちはふたりでひとりだから。

 射精後の心地良い倦怠感と相手から伝わるぬくもりに、自然とまぶたが重くなる。互いの肩に腕をからませ、子供のように頬を寄せあい、うとうととつかのまの眠りに落ちていく。

 まどろみを破ったのは車の揺れだった。

 双子が片方ずつ目をあけて窓の外に目をやると、そこには年の離れた次兄の不機嫌を張りつけた顔があった。

「さっさと開けやがれこの野郎」

「あー……ハイハイ、ちょっと待っててね」

 アルバートがのろのろ身体を反転させ、ドアロック解除ボタンを押す。

 後部ドアを開けたギルバートは鼻をうごめかして思いきり顔をしかめ、

「お前ら売りモンの中でなにヤッてんだよ」

「兄貴こそ売り物になにしてくれてんだよ」

 先ほどの揺れは彼が車を蹴ったのだ。黒光りするドアにはドクター・マーチンのごついソールの形にくっきりと、乾いた白い泥のあとがスタンプされている。

「ドアがへこんだらどーすんだよ、このバカ力」

「反対側から蹴りゃ直る」巨漢の兄はどさりとシートに座り込んだ。「ボルボは世界一頑丈なんだから、俺が蹴ったってへこみゃしねーよ」

「兄貴が蹴っても大丈夫なのは“野獣ザ•ビースト”だけだろ」

「直すんなら兄貴が蹴ってよね。俺らじゃムリ」

「そんでどーだったの」

 双子のかたわれがすかさず尋ねる。

「泣いてたよ」

「そりゃギルの兄貴のカオがおっかなかったんだろ」

「黙れクソガキ」

 ギルバートは彼にはめずらしくなにか考え込むように腕組みをし唇をゆがめ、

「……だから途中で出てきたんだよ、クソ、俺ァあーいう湿っぽいのニガテなんだよ、チクショウ」

「じゃあ今ごろアルの兄貴は女なぐさめんのに忙しいだろうなあ」

「こりゃかかるかもね」

「やらしい想像すんじゃねーよ、ったくお前らときたら年中サカってる犬みてーに……。もう腹がけっこうデカかったんだよ。ありゃもうすぐ生まれるんじゃねえかなあ」

 そんな女と兄貴アルファがナニするわけねえだろうが、と次兄ベータはブツブツ言った。

「キースの子供ガキを俺らがしょいこむの?」

「わッかんねーよ、だから今アルフレッドがナシつけてんだろーが」

「俺このトシでガキのおりなんてヤだぜ、なんでディーン追い出したんだよ」

「そーだよ。これで俺らまた下っ端オメガに逆戻りじゃん。ロジャーの兄貴の使いっぱとかゴメンだよ、あいつの買い物リスト読めねえんだもん。ちゃんとエーゴで書いてんの? スワヒリ語とかじゃなく?」

「うるせえ、文句は俺じゃなくてアルフレッドに言え、大体おめーら一度だってマトモに下働きしたことあんのかよ」

「ないよ、だから言ってんじゃん、兄貴のアホ」

「皮かむり」

「早漏」

「早漏は余計だ、つうかてめえらいつ俺の持続時間なんて……!!」

「俺ら兄貴のエロ本のジャンルまで知ってんだよ、なにを今さら」

「あんなのが好きだなんてさあ、兄貴とはトコトン趣味が合わないね」

 年長のきょうだいが頭から湯気をたてて、口から先に生まれてきたような弟たちにつかみかかった。ふだんなら絶対に首根っこを押さえられるような事態には陥らないが、なにしろ密室だ。一発抜いたあとなのも災いしマズかった。ドアを開けて逃げ出すより早く、バーナードがリアシートに引きずりこまれ、凶器のような腕にチョーク・スリーパー・ホールドをキメられる。顔を真っ赤にして、筋肉が縄のようにりあげられた腕を叩いて必死に降参の意思を伝えるが、老婆のパンチほどにも響かない。

「わあ、兄貴ゴメン、早漏は取り消す、謝るからマジ許して!」

 アルバートがもがく弟の足をひっぱるが、逆効果だ。兄の編み上げブーツの爪先で顎を蹴られて涙目になる。

 車内は三つ巴の大混乱の坩堝と化した。事情を知らない通行人が車の揺れを目にしたら、中ではさぞかし激しい不道徳な行為が行われていると思ったかもしれない。

 そのときひかえめに、しかしどこかきっぱりした調子で窓ガラスがノックされた。

 ギルバートの太い腕にそれぞれホールドされて逆さまになった双子の視界に、呆れたような表情でたたずむ長兄の姿が映る。

「……あ、おかえり兄貴。意外と早かったね」

「お前たちこんな狭いところでなにをやっているんだ、いい年してプロレスごっこか?」

「ちょっと退屈だったし運動不足だったからさァ――ギル、どいてよ」

 もつれあいからまりあった腕と脚を、知恵の輪よろしく苦労しながら解いていく。ようやく全員が序列にふさわしい位置ポジションにおちつくと、アルフレッドは運転席のうしろに静かに身体をすべりこませた。かっちりしたネイビーブルーのテーラード・ジャケットに染みついているのは、清涼な百合とコーヒーの香り。

 車は夜の住宅街を静かに走り出す。

「どんなひとだったの?」運転を交代したアルバートが助手席から体をひねって尋ねる。「美人?」

「美人っつうか、明るくて元気な感じだったよな?」次兄の言葉に長兄がうなずく。

「ベルギーとスコットランドの血が混じっていると言っていた。お腹の子供は男女の双子で――八か月だそうだ」

「わお」前列の双子がそろって口笛を吹く。

「なにしてるひと?」

「昼間は小さな会計事務所で、夜はたまにパブのウェイトレスとして働いているんだと――キースとはそこで知り合ったとか」

「いいなあ――群れを離れるメスなんて貴重だもんね。ほかにもいるのかなァ、そのひとの妹とか、従姉妹いとことかさ」

「俺らもそこ行ってみようかな、なんてとこ?」

「忘れた」

「兄貴のケチ!」

「今は夜の仕事はしていないんだ。なんとかいう鳥の名前がついていたと思うが」

 お前たちはこれ以上面倒ごとを起こすな、と若いαリーダーは言った。大体運転手ならひとりで足りるところをふたり連れてきたのは、ふたり一緒に目の届くところへ置いておかないとなにをしでかすかわからないからなのだ。一緒にしていてもろくなことをしないが。

「で――どうすんの」

 だらけた車内にぴりっとした緊張が走る。

「話はした」群れのαアルファの声は静かだった。「だがすぐには決められないと言われた。なにしろこっちは男所帯だし、おまけにふたりもがしているとあっては、呪われていると思われてもしかたがない」

「……」

 ギルバートが太い鼻息を吐いて鼻のつけ根にしわを寄せると、上唇がめくれて太い犬歯がのぞいた。

「じゃあさ、そのひとさあ、群れクランに戻るの?」

αアルファの娘じゃないよね、群れを出たってことはさ」

「そんなんでどこの誰のタネかわかんないガキなんて連れて帰ったら――メスのほうはともかくさあ」

 そんなことはお前たちに言われなくてもわかっている、アルフレッドの静謐なおもてがわずかに曇る。

「この短時間で事情をすべて聞き出せたわけじゃない。警察の取り調べじゃないんだ、弔問なんだからな」

「それで兄貴はなんもしないで帰ってきたの?」

「俺ら兄貴がとすほうに賭けてたんだよ、これじゃ負けじゃん」双子が口を尖らせる。

「ねえ、女ごとキースの兄貴の子供ガキひきとろうよ、兄貴が押したらゼッタイ落ちるって!」

「それまで毎晩運転手して通ってもいいからさあ!」

「俺ら言われたことちゃんとやるよ、仕事もサボんないし!」

「家のことだってやってもいいからさあ」

「だから、ねえ、いいでしょ兄貴?」

 ねえねえねえ、の合唱を、

「うるせーぞ、黙れガキども!」

「まったくお前たち、自分自身がまだ子供みたいなものなのになにを言っているんだ……そのへんの犬の仔を拾ってくるんじゃないんだぞ。キースの分の仕事もあるのに、誰が世話をすると思っているんだ」

「俺らがするよ」バーナードがハッキリした口調で言った。

「そうそう、俺らがする」アルバートも言い添える。

「ちゃんとめんどうみるよ、うんと可愛がるよ」

「おしめだって替えるし、おっぱい出ないけどミルクもやるし!」

「イジワルなんてしないからさ、だからさ――」

「「お願いプリーズ!」」

 ふたりが声をそろえたのにかぶせるように、

「いいからてめーらちゃんと前見て運転しろ!」

 ギルバートの悲鳴が重なった。



 to be continued...?

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神の慈悲なくばEx.2 ~Conchobhar~ 吉村杏 @a-yoshimura

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