雲ひとつない空の下、大団円でございます。

 城山にはしいの木や数珠根じゅずねの木、鎌柄かまつか赤四手あかしでといった多様な樹木が生い茂る豊かな森が広がっておりました。風に揺れる葉と煌めく木漏れ日。それはそれは美しく、心休まる場所だったのです。


 一際大きく目立つ椎の巨木の元には二匹の狐。片や少しくすんだ亜麻色の毛並み、そしてもう一匹は空に浮かぶ優しい雲のような色をしておりました。寄り添う姿は仲睦まじい夫婦か、それともくつろぐ親子兄弟か。あるいは気を許しあった友人か。いずれにせよ、平和で暖かい世界が広がっていたのでございます。


 そこに現れたのは狐狩りを命じられた七太郎と平馬。家中かちゅう総出での捜索でしたが、この二人は特に必死だったのです。血眼になって探し回り、珍しい毛色の狐を見つけるやいなや恐ろしい勢いで生け捕りにしてしまいました。そのとき白い狐がもう一匹を庇ったように見えたとか、見えなかったとか。



 捕らえられた白狐を見た頼直様は大変に喜び、高揚したご様子でございました。


「干し柿のように吊るしてやろうか、それとも狐らしく裂き殺してやろうか」


 狐を如何いかにしてらしめてやろうかと考え、明石志賀之介しがのすけという力士のことを思い出したようです。久留里仲町なかちょうの生まれで、勧進相撲では大関を務めるほどの強者。現代では、初代横綱として名前が刻まれておりますね。


 さっそく頼直様は志賀之介に狐を裂き殺すようお命じになりました。先の十兵衛のこともございます。志賀之介は逆らえばどんな酷い目に合うかと身震いし、狐のことを気の毒に思いながらも尾を掴み引裂きました。その力の凄まじいこと。白狐の体は真っ二つに裂け、その片方が勢い余って口を開けていた井戸に真っ逆様!


忌々いまいましい泥棒め! いい気味だ!」


 大笑いする頼直様の顔は悪鬼あっき羅刹らせつのように歪みきっております。この方がかの信玄公に仕えた賢臣の末裔だと、どうして信じられましょう。先代の慈悲深さも全て弟君に受け継がれ、ただの一片も伝わっておりません。


 家老の安太夫殿は、せめて引き上げて弔ってやろうと井戸を覗き込みました。しかし、ただ清く澄んだ水が静かに佇んでいるのみ。波紋の一つも立ってはいなかったのです。振り返ればもう片方の亡骸も忽然と姿を消しておりました。

 不思議なことだと思いつつも、あとはもう、いつものように諫言するしかないのでございます。


「このような所業は、もうお止めください」


 正にぬかに釘。それどころか頼直様の機嫌はみるみるうちに落下してゆきます。


「十兵衛の妹が、殿のお命を狙っているとの噂もございます」


 この当時、仇討ちというのは正式に認められたものでした。しかし領民の遺族に仇討ちされる大名など、前代未聞の愚か者にございます。


「先代も草葉の陰で、さぞお嘆きになっていることでしょう」


 その言葉を聞いた頼直様はとうとう烈火の如く怒りだし、槍の石突いしつきで安太夫殿を何度も打ち据える始末。それでも「何卒なにとぞ、何卒、行いを正してくださいませ」と訴え続けたのでございます。真に土屋家のことを思ってのことだったのでしょう。


 その後も頼直様の愚行は止まず、とうとう安太夫殿は自ら腹を切り、死を以て最後の反省を促しました。しかし、それでも傍若無人なお殿様の心には響かなかったのです。哀れにも安太夫殿は白の麻上下あさがみしもで夜な夜な夢枕に立ち「何卒、何卒」と諫めるのですが、それでも頼直様が悔い改めることはございませんでした。



 そんな折、江戸からの使者が訪れます。吊り目がちのひょろりとした佇まいの侍は、口元に人の良さそうな笑みを浮かべつつも目は全く笑っていませんでした。

 携えてきた奉書ほうしょは、時の老中ろうじゅう大久保忠朝ただとも様からの召し状。しかし江戸で待ち構えていたのは怪訝けげんそうな顔をした忠朝様だったのでございます。


「そんな事を命じた覚えは無い」


「しかし奉書には直ちに登城するようにと、確かに――」


 頼直様が懐中から書状を取り出しますと、それは召し状などではなくただの白紙でありました。何度見ても、ひっくり返しても、透かしてみても文字の一つもありません。対して老中の眉間には、深々と皺が刻まれてゆきました。


其方そなたの乱行な振る舞、聞き及んでおる。即刻国元に帰り謹慎せよ」


 そうしてのちに言い渡された沙汰は家禄没収、久留里城も廃城となってしまったのです。土屋家は八十年に渡り久留里を治めていましたが、頼直様は僅か四年で全てを台無しにしてしまったのでございます。

 これには流石の頼直様も参ったご様子で、今までの行いを悔いながら短い余生を過ごされました。郷里を追われ、ないがしろにしてきた者たちにそしられる夢にうなされ、それはもう惨めでみすぼらしい最期にございます。行き先はきっと奈落の底でございましょう。



 時は少し戻りまして、謹慎中のこと。白紙を届け頼直様を欺いた吊り目の侍は、実は狐狩りのときに遺された亜麻色の狐ではないかという噂が駆け巡りました。これを聞いた七太郎と平馬は血の気が引き、何か怖いものでも見たかのように取り乱し、最期は自害してしまいました。


 一方で力士の志賀之助は、今川森之助との取組みの最中に土俵から落下し打ち所が悪かったため亡くなりました。この森之助という男、志賀之助に勝てぬ余り憎々しく思っており、吊り目の怪し気な男に相談する様子が度々目撃されておりました。


 もしも遺された狐が白狐殺害に関わった人間を始末すべく暗躍していたのだとしたら、恐ろしいことでございますね。


 まあ実際のところは、人間たちが互いの足を引っ張り合っていただけなのかもしれません。傲慢ごうまん、横暴、羨望に嫉妬。そういう欲深さが暴走すると、ろくでもない末路を辿るのです。


 さて、この話はこれにて終い。本日はご清聴ありがとうございました。

 え? 深々とお辞儀をしたその背に見えるのは尾ではないか? はて、何のことでございましょう。薄暗くなってきたせいで見間違いでもされたのでしょうか。「秋の日は釣瓶つるべ落とし」と申しまして、日が暮れるのもグッと早くなるものです。逢魔時おうまがときに化け狐などに出会わぬよう、お気を付けてお帰りくださいませ。




 


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釣瓶落としの後始末 十余一 @0hm1t0y01

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