釣瓶落としの後始末

十余一

秋涼の昼八つ、故郷の昔話をいたしましょう。

 早いもので今年も残り二ケ月と少し。北国では初雪が降り本格的な冬の訪れを感じる季節になりましたが、私の故郷上総国かずさのくにでは、ようやっと秋めいてくる時期でございます。けれども寒暖差の少ない地域ですから、山々の染まり具合は紅葉の名所には遠く及びません。しかし、染まりきらずに枯れていく景色の中では、軒先に吊るした柿の橙色がよく映えるのです。本日話しますのは、そんな干し柿にまつわる昔話でございます。



 時は延宝えんぽう。戦国の機運もだいぶ落ち着き、町民文化が華やぎ始めた頃合いでしょうか。上総国望陀郡もうだぐん久留里くるりという町がございました。


 常緑と半端に染まった葉が混じる山並み、曲がりくねった細い川、海の幸と山の幸が集う市場、それらを一望する一際高い山にそびえ立つ三重の天守。とまあ、そんな景色が広がっている長閑な田舎でございます。銘水の里としても知られ、町のあちこちに澄んだ水を貯えた井戸が口を開けておりました。

 そして城山の麓にある三の丸御殿の軒先には、濃く色付いた柿が連なっているのです。吊るされた柿を満足そうに眺めるお殿様、名前を土屋頼直よりなお様と申します。


 ご先祖様は武田信玄公に仕えた忠臣で、武田氏が滅亡したのちは徳川家康公に見出されてこの地を拝領するに至るのです。代々のお殿様は才気煥発にして公明正大、そして慈悲深かったため長いこと穏やかな治世が続きました。


 しかし頼直様はというと、父君が病床に伏すと謀略を巡らせ藩政を騒がせる始末。そして利発な弟君を陥れ、無理やりに家督を継いだのです。騒動の際に自ら辞す者と追放された者が合わせて三十四名。この中には、後に正徳しょうとくという政治改革を行う新井あらい白石はくせきもいました。こうして若き日の白石は貧困の中で苦労することになるのですが、それはまた別のお話でございますね。


 そうして頼直様の治世になったわけでございますが、酒に溺れ女を漁り、全てをほしいままにしたのです。家老の諫言かんげんも馬の耳に念仏。いさめれば槍で突かれ、邪魔者は容赦なく処刑。そうでなくとも些細なことで癇癪かんしゃくを起こすお殿様に、皆辟易へきえきしておりました。

 ずらりと並ぶ干し柿も臣下に作らせるだけ作らせて、一つも分け与えることはございません。



 その日も、家老の青木安太夫やすだゆう殿が必死に忠告するいつもの光景が広がっていました。不機嫌を露わにしたお殿様が、安太夫殿から逃げるようにその場を去った後、ひたすらに渋柿の皮を剥いていた近習の川窪かわくぼ七太郎しちたろうがポツリと零します。


「なあ、干し柿食っちまわないか」


 その言葉にギョッとしたのは、同じく近習の俵田たわらだ平馬へいま。柿の皮を剥く手を止めて、少し考えこみます。

 確かに先に吊るしておいた柿はもう良い具合に皴が寄り食べごろになっているはず。旨そうに食べる殿を見てもそれは一目瞭然。しかし――。


「先日、朝生あそう村の十兵衛じゅうべえとやらが死罪になっただろう」


 領内の朝生村で平穏に暮らしていた十兵衛には鶴という妻がおりました。しかし鶴の美貌に一目惚れしてしまった頼直様は、無理やり離縁させ彼女を城に連れてきてしまったのです。そして十兵衛は無実の罪を着せられ死罪。なんと哀れな話でございましょう。


「そこまででなくとも、盗んだとあったら殿はお許しにならないさ」


 出来るだけ安穏と過ごしていたい平馬の言い分に、七太郎は食い下がります。


「でも、俺たちがこしらえたもんだぞ。それを俺たちが食べちゃあいけない道理があるかい」


 ただ、単純に干し柿が食べたいというよりも、気付かれぬよう少しばかり反抗したいという気持ちがあったのでしょう。何分なにぶん頼直様には欠片も人望がありませんから、減った柿に気付かないお殿様をわらってやろうなんて気持ちが芽生えてしまったのかもしれません。


 言葉を交わさずとも、二人の奥底にはそういう考えがじくじくと燻っていました。新井白石のように信念を貫き清貧に堕ちる覚悟も無ければ、老中のように諫め正そうという気概も無い。それでいて非道な行いに目を瞑り従順に生きることもできない。そういう小物たちなのでございます。


「どうせ気付きやしないだろうよ」


 そうして二人は干し柿を一つだけくすねて、半分に割り食べたのでした。その甘いこと甘いこと。奪ってやったという優越感も加わりこの上なく甘美に感じてしまったのです。


 それだけで済めばよかったのですが、足ることを知らぬ欲深い人間だったようでございまして。次は二つ、それがバレなかったら次は四つ、その次は……という具合に増長していきました。いつしか大変に数が減ってしまい、さすがの頼直様も気付き近習たちを強く問いただすに至るのでございます。



「私の干し柿を盗み食べたのは誰だ!」


 大いに立腹し怒鳴りつける頼直様を前に、七太郎も平馬も青ざめた顔で震えるしかありません。

 この怒りよう、もしかしたら杖罪じょうざいや追放では済まされないかもしれない。どうにかして罪を逃れる方法はないかと考えを巡らせる二人。閃いたのは少しだけ頭の回転が速かった平馬のほうでございました。


「野狐が食べているのを見ました! 犯人は狐です!」


 必死になって叫び訴える平馬と、同じく必死になって頷く七太郎。

 それを聞いた頼直様は更にお怒りになり、家臣に城山の狐狩りを申し付けたのでした。


 きっとこのとき平馬は内心でホッと胸を撫でおろし、七太郎は窮地を救った同輩の名案を心の中で称えていたのでしょう。この後、大変なことになるとは露ほども知らずに。





 

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