スランプ
不許
スランプ
エロ漫画家として有名な三木おじさんからスランプになったとSOSが届いたのは昇くんが「出席しない奴にあげる単位ないから」と大学教授にぶった切られた日の翌日であった。
「昇くん~LINE見てくれたんだね! いやーよかったよ受験戦争勝ち抜いて悠々自適にサボってるエリート大学生に頼りたかったんだ」
「どうしたんですか三木おじさん。親族に職業を「若者に人気のクリエイター」で通していることが恥ずかしくなったんですか」
「れっきとしたクリエイターだから。若者の愛をクリエイトしてるだけだから。ちょっとそこに座って聞いてくれ」
片付けられていない作業部屋の中、おじさんは「魔法肖像るるるんるん」の絵柄のついたクッションを指さした。
俺は床に直接正座する。
「いやあ助かるよ。こんなこと話せるの昇くんぐらいしかいないんだ、僕をリスペクトしてくれるからね」
「……いつも大変お世話になっております」
「実はねおじさん、いつも描いてる「男優おじさん」の霊が見えるようになってさ。原稿を書いていると、部屋の片隅からすっごく見慣れた彼がこっちをじっと見てくるんだ。当然のごとく顔もあいまいだしちょっとしたホラーだよ」
「そこはせめてエッチな女の子にしてください。三木おじさんの脳内に男優おじさんとか負のマトリョーシカだ」
「おじさん負の存在なの!?」
俺はため息をつく。
そしてスマホを取り出しておじさんに見せつけた。
そこにはキラキラした大学生活が映っている。
入学式の写真。
サークル勧誘をしている先輩たちの姿。
学食のメニュー表。
授業中に居眠りしている俺。
友達と一緒にいる写真。
そして昨日撮ったばかりの大学の門の前での集合写真……。
「ウッウワッ」
あまりの青春の輝きに三木おじさんの目がつぶれそうになる。
俺もつられて涙ぐむ。
写真の俺はリア充に見えるが、写真撮影がやたら上手いだけで本当はぼっちだった。
「……話を戻しまして。妥当な線でいくとストレスによる幻覚じゃないでしょうか。五徹するとキマりすぎて異空間が見えるって言うし、スランプには休養が良いと聞きますよ。
でも本当に幽霊だとしたら……そうですね、何か伝えたいことがあるんじゃないですか? もっとエッチな漫画を描いてとか」
「それ昇くんの欲望だよね。イヤラシい~ね~っ!」
「チッじゃあエッチな漫画に出るのイヤとかそういうのでしょどうせ」
「急に投げやりになったね……」
おじさんはうーんとうなる。
腕組みをしてしばらく考え込む様子だったが、やがてぽんっと手を打った。
「スケベブルーか!」
「スケベブルー!?」
「確かになあ、おじさんだったらエッチな漫画に転生してウハウハしたいけど四六時中それじゃあイヤになっちゃうかもね。
昇くんみたいなスケベブルーとは無縁なやれやれ草食系には辛いね」
「喧嘩売ってんのか?」
「よし、勇気を出して本幽霊にいっちょ聞いてみるかあ! 昇くん何かあったらブチ切れ編集さん宥めといてね」
「喧嘩売られた挙句丸投げされた」
三木おじさんがのっそりと部屋の隅に近づいていく。
そこには何もいないはずなのに、おじさんには何かが見えているのか、目を閉じてぶつくさと話し始めた。
俺はただ黙って見ているしかない。
おじさんの声だけが部屋に響く。
……突然おじさんの動きが止まった。
おじさんはしばらく虚無に耳を立てていたが、目を見開き、硬直する。
そして震えながらこちらを振り向いた。
おじさんの額から汗がだらだらと垂れ、ひゅうひゅうと、喉から空気の通る音がする。
俺は思わず、ごくりと唾を飲んだ。
「お、おじさん――アイツは何を言ってたんです! まさか幽霊の王道の祟り殺してやるとか」
「お酒やめて体大事にしろって……」
おじさんはそう言いながらその場にへたり込んだ。
俺は呆然としながらその言葉をゆっくり、ゆっくり反芻する。
「やさしい……」
「今の部屋は不潔だから一日かけて整理しないと女の子ドン引きだよって……。
ううう、おじさんこの道何年だと思っているんだ! 今更生き方を変えるだんてできないよ! この三段腹を見ればわかるだろ!」
「そうですね」
「しかもエロ漫画家なんて女性に話したら引かれる職業じゃないか! 独身どころか彼女なし一筋50年この道のプロだよ!」
「そう悲観するほどじゃないですよ。エロ漫画家にも普通に結婚している人けっこういますし、今は女性の漫画家も多いって聞くじゃないですか。三木おじさんには絶望しかないですけど」
「はっきり言いすぎじゃない!?」
俺は立ち上がっておじさんの肩に手を置いた。
「でも、若者の愛をクリエイトする才覚は本物ですよ」
おじさんも立ち上がり、俺の手を握り返す。
二人の間に友情が生まれた瞬間であった。
「昇くん……でも……でも……それじゃあダメなんだ!」
「何がダメなんですか! 俺の人生は最高になりますよ! 俺の人生だけは!!」
「僕ななちゃんに告白したいんだ! ぼくは、ぼくは、あの子が、ななちゃんが……好き!」
——よく言えたね、おじさん。
部屋の隅から、強烈な光が放たれる。
光をまとって現れたのは、まさにそういう漫画とかに出てくる男優おじさんだった。
「う、うわああああああああ!!出た!!!!」
男優おじさんは慈愛の笑みを浮かべながら、おじさんにそっと近づく。
そしておじさんの肩に手を置いた。
——おじさんのことをエロ漫画越しにずっと見てたんだよ。大丈夫、おじさんは変われる。
全裸であることを意もかけず、天使のようににっこりと笑う。
おじさんはハッと目が覚めたように目を瞬かせて、顔をみるみるしわくちゃにした。
涙がはらはらと落ちていく。
——これからもコマの中から君のことをずっと見守ってる。
ななちゃんを好きだと思った、三次元の女の子を愛した気持ちをどうか忘れないでね。
「だ、男優おじさん! もしかして君は、僕の背中を押すために……男優おじさん……!」
男優おじさんが光の粒となって消えていく。
贅肉のついた腕が、酒太りした腹が光の粒子となって砕けていく。
おじさんが必死に引き留めようとするも、キラキラした欠片が残るだけ——やがてそれも、風に吹かれて散っていった。
——ありがとう、男優おじさん……! そして、さよなら……。
俺は深く深く、思った。
(なんだこれ)
俺は一体何を見せられていたんだ。
「決めた……僕は強くなる! パチンコやめてななちゃんを迎えに行く!」
「あっエロ漫画家やめないならいいです。良かったですね。ところでななちゃんって誰ですか?」
「キャバクラで会った子でね。ブランドバックを欲しがる甘えんぼさんなんだよ」
おじさんが決意を固めて拳を握る。
昇くんは何も言わなかった。
ただ次回作はビッチものになるだろうなと、期待を膨らませた――
スランプ 不許 @yuruseine
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