武蔵野レクイエム

深川我無

11月24日 武蔵野

 薄汚れた雑居ビルの五階。安っぽいアルミサッシの扉には、明朝体の黒字で「心霊解決センター」と書かれた白いプラスチックのプレートが貼られている。そこには他所では匙を投げられた難解な霊障を専門に請け負う卜部という男がいた。

 

 通称:腹痛さんその人である。

 

 卜部はから大慌てで飛び出してくるなり、流れる水の音をかき消すほどの大声で助手のかなめに向かって叫んだ。

 

「おい! 亀! 今日は何日だ!?」

 

「亀じゃありません! かなめです。十一月二十四日ですけど、どうかしたんですか? そんなに慌てて」

 

 卜部が小声でしまったと呟いたのをかなめは聞き逃さない。

 

 かなめは自分のデスクに腰掛けてパソコンで山下邦夫事件のファイルを整理していた。そんなことには目もくれず、卜部は何やら慌ただしく準備をしている。かなめは卜部の気配を察知してファイルを保存すると、自身も出発の身支度を始めた。

 

 

「すぐに出るぞ」

 

 案の定卜部が出発の指示を出す。

 

「どこに行くんですか?」

 

 

 

「十一月二十四日と言えば、行くところは決まってるだろ?」

 

 

「知りませんよ! クリスマスじゃないし……」

 

 

「とにかく急げ! 武蔵野中央公園に行く!!」

 

 

 東伏見の駅を降り、早稲田大学のグラウンドの脇を通り、下野谷遺跡公園を抜けてしばらく進むとそこが武蔵野中央公園だった。

 

 

 

 公園の西側には伏見通りと呼ばれる広い道路が通っていたが名前の由来が分かるようなものは何もなかった。

 

 

 

 卜部達が公園に到着した頃には時刻は黄昏時に差し掛かっており、現し世と幽世の境界が曖昧に滲んで、木々や行き交う人の輪郭はすでに朧気にぼやけていた。

 

 

「なんとか月が出るまでには間に合いそうだな」

 

 卜部が一安心といった様子でふぅと息を吐いた。

 

「一体ここが何なんですか? それに月って……」

 

 かなめはだだっ広い芝の公園を見渡して卜部に尋ねた。緑の地平の向こうには夕日に染まったサッカーのゴールやグラウンドが見える。

 

 卜部はこっちだと言ってコンクリートで出来た円形の舞台のような場所に向かうと静かに話し始めた。

 

 

「武蔵野中央公園という場所は、かつて中島飛行機武蔵野製作所という飛行機工場があった場所だ。第二次大戦で米軍は、本土編隊爆撃の第一目標にここを選んだんだ。日本空軍の補給力を全滅させる目的だったらしい。その初日が昭和一九年十一月二十四日というわけだ」

 

 

「そうだったんですか……わたし何も知りませんでした」

 

「この国がいかにして存在するのか、何故存在するのか、それは過去を紐解かなければ分かり得ない。人のうちに潜む邪悪も同じだ。過去のどこかに怪物を生み出した瞬間があるはずだ。俺たちが祓うべき闇もその過去の一点から現在に向かって伸びている」

 

 

 かなめは卜部の言葉に何も言うことが出来なかった。それでもただ真っ直ぐに卜部の眼を見つめていた。眼を逸してはいけない。わたしはこの人の助手として、これからも隣を歩いていくのだから。

 

 冷たい十一月の夜風が頬をさらった。すると卜部はふぅとため息をついて視線を逸した。

 

 

「これからも闇に向き合っていくつもりなら、お前も少しは過去に眼を向けろ」

 

「はいっ!」

 

 

 卜部は革の鞄からごそごそと短冊と筆ペンを取り出した。そして円形の舞台の上に正座すると何やら短冊に書き始める。

 

 

「何してるんですか? ここは何の舞台ですか?」

 

 

「ここは月待台だそうだ。ここにはさして意味は無いが、名前が気に入ってる」

 

 

「じゃあそれは何を書いてるんですか?」

 

 

「弔いの歌だ。ある人から頼まれてな。毎年この時期になると地縛霊や浮遊霊の魂を鎮めるために読みに来るんだ。少し黙れ気が散って歌が書けん」

 

 

「すみません……」

 

 弔いの歌。ここでたくさんの人が亡くなったのだ。どれだけ景色が変わってもその事実は消えず、その血はこの土地に染み込んでいるのだ。

 

 ふとかなめは背後に気配を感じて振り向いた。すると遠くの木立の影に白い人影が隠れるのが見えた。

 

 それだけではなかった。

 

 周囲のいたるところに、こちらを窺う白い霊たちの影が見える。

 

 ボロボロの服を纏う者、手足のないもの、老人から子供まで様々な霊たちの姿があった。

 

 それらは皆一様に悲しみとも羨望とも分からぬ、ぼんやりとした表情でこちらを窺っているのだ。

 

 かなめは背筋を緊張させてぎゅっと唇を結んだ。

 

 

 彼らはゆっくり、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。手を前方に伸ばし、こちらに触れようと歩いてくる。

 

 

「せ、せんせい……?」

 

 

 

 

「出来た」

 

 

 

 卜部はゆっくりと大きな声で短冊に書かれた歌を詠んだ。

 

 

 秋月沈む芒野の

 

 影より臨む武蔵野は

 

 君の願いし姿やらん

 

 

 冷たい十一月の夜風が頬をさらった。すると月を覆っていた雲もすっと流れて三日月が姿を現した。

 

 淡い月の光に照らされて、あるいは卜部の歌に魂を洗われたのだろうか、亡霊たちはすぅーっとその姿を消してしまった。

 

 

「やれやれ。歌人でもないのに毎年違う歌を詠むはめになるとはな」

 

 卜部は悪態をついた。

 

 かなめはそれが照れ隠しだと知っている。

 

 しかしそんなことは言わない。怒られるに決まっているから。

 

 

「帰るぞ。亀!」

 

「亀じゃないです! かなめです!」

 

 

 二人はこうしてもと来た道を帰っていった。三日月が照らす武蔵野の地を後にして。

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武蔵野レクイエム 深川我無 @mumusha

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