ハロリン深川です!
ちょいと用事がありまして、とある街に出かけたのですが、そこに古っるい中華料理屋がありまして、ぜひ行ってみたかったので足を運んだ次第です。
なんかね、言葉を失ったんですよ。
五十年積み上げてきた、テーブル3席とカウンター2席、座敷1席のちっちゃい店。
老夫婦がひたすら厨房で中華作ってる空間に溢れる命と、そこに費やしてきた時間に。
大将とおかみさんの旨いもんを食べさせるって心意気とか、腹いっぱい食わしてやりたいって優しさとかに。
深川、ちょろっとピアノを齧ってるんですが、例え凄い才能があったとしても(実際には無いです🥲)、3歳から真剣にピアノをやってきた人には一生追いつかないわけで、
このお店にも、どんなに美味くて綺麗な名店も、絶対に追いつけない五十年の歴史、夫婦2人で積み上げてきた温もりがあって、
換気扇の汚れとか、使い古された椅子とかに、エイジング加工では絶対に届かない、染み付いて取れないドラマがあって、
すげえなぁ……
旨いなぁ……
潔いなぁ……
こんな風に歳とりたいなぁ……
って、めちゃくちゃ思ったわけです。
ピカピカの良さを否定するわけじゃないのだけれど、日本の昭和中期とかから続く小さなお店や、有名ではない神社仏閣なんかが淘汰されてしまうのは、なんだか違う気がします。
資本主義とか、消費社会とか、そういう価値観の外にある
温もりとか、継続とか、精神性とか、使い方を誤って嫌厭されてしまった繋がりみたいなものを、
間違ったところを正しながら、もっと良いものに作り直すのが、
今の世代を生きる者の責任のような気がして、なんだか背すじがしゃんとしました。
継続は力。
でも、どんな想いで、どんな気持ちで、どんな動機で継続するかで、
醸し出す空気や色は変わってきます。
なんかね。お客さんも皆優しい顔してたんよ。
それが大将とおかみさんがどんな気持ちでお店を続けてきたのかの、答えな気がしますよね。
今書いてる作品とかが、前時代のものになった時、それでも人の心を打てるような、生き方、在り方、心持ちを、どんな時も忘れんようにしよう。
ほんで書き続けよう。
そんなことを思いました。