「地底に咲いた花」(第37回)

小椋夏己

地底に咲いた花

※怖い話ですご注意を


「嘘よね?」

「しつこいなあ、おまえとはもう終わりだって」

「嫌!」


 女は泣きながら男にすがりつくが、男はうっとおしそうに、大きなため息をわざとらしくついた。


「十分楽しい思いさせてやっただろ? だからもう勘弁してくれよ」


 男はいわゆるジゴロというやつで、女にさんざん貢がせ、しゃぶりつくし、どん底まで落ちると用済みになったと別れを切り出したのだ。


「嫌!」


 女は人には言えぬような仕事とも呼べぬ仕事に就き、入った金を全部この男へと貢いでいた。


 家族や長年の友人知人が女を説得し、し尽くして、最後にはとうとうさじを投げた。

 何もかもなくし、挙げ句の果てに借金まみれ、それが今の女の状態だ。


「もう終わりだって。いい子だから言うこと聞いてくれよ」

「嫌!」

「さっきからいやいやばっかりだけどな、もうどうしようもないだろ?」


 今、女に残っているのはこの男だけだ。別れてくれと言われても、はい分かったと言えるはずもない。


「別れるぐらいなら!」


 そう言いざま、どこかでこんな場面を想像していたのだろうか、隠し持っていたナイフを取り出して男に飛びかかる。


「やめろ!」


 後はお約束、揉み合っているうちにナイフは女の胸に刺さり、あっという間に絶命してしまった。


「お、おい……」


 女は不思議なことに満足そうな笑顔を浮かべて動かなくなっている。


 男はどうするか迷いはしたものの、どうせ捨てるはずの存在だったと、自分の未来のための行動に出た。


 この夏、面白がって肝試しに行ったある山の中腹にある廃墟。


「地下室があったよな」


 元豪華なホテルだった朽ちた建物、その大広間の床に穴が空き、元は何だったか分からない地下室がぽっかりと口を開けていたのだ。

 

 今はもう冬、わざわざあんな山の中までやってくるもの好きも少なかろう。


「床下は地底のように真っ暗だった。覗き込むやつがいたとしても気がつくまい」


 男は女を地下室に放り込むと、上から覗き込んだ。


 懐中電灯で照らしてみるが、人が落ちているなんて目を凝らしてみないと分からない。自分が落としたからなんとか探し出せるぐらいだ。


「すまんな、せめてもの弔いだ」


 男は昼、何かのキャンペーンでもらった名も知らぬ花を胸ポケットから取り出し、ぽいっと地下室に投げ込むと、


「今までありがとな、じゃあ」


 そう言ってとっとと廃墟を後にした。


 男が投げ込んだ花は女の傷の上に狙ったようにして落ち、傷口に、うまくうまく刺さっていた。


 花は女の血を吸い、養分を吸い、ぐんぐんと伸びていく。

 地上を目指して。


 花は天井に空いた穴を通り抜け、建物の窓からもれる光を求めて外へ外へ、どんどんと伸びる。棘のある茎を伸ばし、葉を伸ばし、どんどん、どんどん……


 その茎が廃墟を取り巻き、脇芽を伸ばして縦横無尽に朽ちかけた建物にしがみつき、びっしり覆い尽くした茎のあちこちから芽が出て、つぼみをつけ、やがて血のように真っ赤な花が咲き乱れた。

 元豪華ホテルは、それ自体が一つの巨大な花のように、山の中腹に咲き誇った。


「あれはなんなんだ」


 不思議に思った人が廃墟に注目し、話題になり、人が集まる、マスコミも寄ってくる、そして、


「あそこは廃墟だ、人が出入りするのは危ない」


 と、立ち入り禁止になり、調査が入ることとなった。


「本当に不思議な花だ」


 ぱっと見たところは薔薇に似ているが薔薇ではないという。


「どこから伸びているんだ」


 調べていくと長い長い茎の根本は地下室だ。


「なんだこれは!」

 

 茎の根元は一体の亡骸なきがらから伸びていた。


 それは風船のように中身がなくなった皮膚だけを残した人の形をしたものだった。

 それに残った刃物の傷と「あるもの」から容疑者が浮かび上がり、逮捕され、事実が明らかになった。


「本当に不思議だった」


 今も捜査員が口をそろえて言う。


 皮膚には容疑者の名が彫られたタトゥーが鮮やかに残っていた。

 その名の人間を調べたところ、操作の手が伸びた経緯を聞いてがくがくと震え出し、すべてを認めた。


 亡骸が回収され、犯人が捕まった後、あの不思議な花はすっかり枯れてしまった、跡形もなく。


「それが、あの花を配ったアルバイトに聞いたんだが、造花だったって言うんだよな」

「ああ、女を殺したあの男もそう言ってた」

「そもそも、本当の植物だとしても、人間一人から吸い上げた栄養素だけであの廃墟を覆い尽くすほど成長するのは無理だって話だ」


 今も何が何だったのか分からない。

 

「もしかしたら、あの廃墟の地下にたまった何かが女の怨念と混ざり合って、男を追いかけてきたのかも知れないなあ」

「おいおい、よせよ」


 一人の捜査員がもらした言葉にもう一人の捜査員がぶるるっと震える。


「結局犯人は自分で自分の体中をかきむしって、真っ赤な花を全身に咲かせたみたいにして死んじまったしな」


 本当の話は誰にも分からない、今はもう終わった話。

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「地底に咲いた花」(第37回) 小椋夏己 @oguranatuki

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