第9話 黒竜の黄昏
(……あの子、もう帰ったのかな?)
夜の帰り道、立華はあの黒竜のことを思いながら歩いていた。
(あの時助けてくれたから、一言だけでもお礼を言いたかったんだけど……)
やがて立華は自宅の前に着き、玄関の扉を開けた。
「あれっ、風が……。窓、開けっ放しにしてたかな?」
立華は自分の部屋の中に入り、電気を付けた。
「あっ……」
その風景は、窓ガラスが盛大に割れていることを除けば、黒竜を拾う前のいつもの日常と変わりはなかった。
(そっか……、帰っちゃったか……。そうだよね)
立華は悲しげな表情を浮かべ、項垂れた。
……しかし、それは数秒の間だけだった。
「また、会えると良いな……」
立華は顔を上げ、そう呟くと、荷物をベットに降ろした。
(疲れたなぁ……、お風呂入ろ)
立華は服を脱ぎ、風呂場のドアを開ける。
「えっ!?」
『ん?』
立華が驚きの声をあげる。風呂の中には、あの黒竜がいた。蛇口から水を出し、洗面台の中で水浴びをしているようだった。
黒竜は風呂場に入ってきた立華を見ていた。
『ああ、帰って来たか。お前も水浴びしに来──』
「きゃーっ!! この変態ドラゴーーン!!」
立華は叫び出した。大声で叫び出した。もう絶叫。
『グワッ!? うるさっ!! どーしたんだよ!?』
「私今からお風呂入るんだからっ! 出てってっ!!」
立華はそう言って黒竜に手を払う。しかし黒竜は飛び上がり、立華の手を避ける。
『うわっと!? あん!? やんのか!? 人間でも容赦しねーぞ!!』
黒竜は声を荒らげ始める。
「んもーっ!! 早く出てってーっ!!」
今度はバスタオルを振り回し始める立華。強気だった黒竜も、手も足も出ない様子だ。その気になれば、タオルを炎で燃やして無力化する等、色々とやりようはあったのだが、黒竜はそれらをしなかった。
『あー! もう危ないだろっ! ……ったく、分かったよ、出てくよ……』
黒竜はそう言って、風呂場から出て行った。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
立華は息を切らしながら、シャワーの蛇口を捻る。シャワーから降り注ぐ温水を浴び始めると、立華は自身の行いの誤りに気づいた。
(……やばい。本当に帰っちゃうかも……)
立華は急いで体を洗い始める。
(……あの子に下心があるなんて思えないし、早く上がって謝らなきゃ。……言いたいこと、増えちゃったな)
一方黒竜は、机の上でタオルに包まっていた。自身の身体を吹いている訳でもなく、ただ包まっていた。
『はぁ……、何だよあいつ。急に叫び出して。っていうか、人間の叫び声は甲高くて頭に響くぜ……』
そして黒竜は、タオルの中で考え始めた。
(……そういえば、人間は裸を見られるのが嫌なんだっけ? 他の人間らも服来てたし。ったく、服なんて着てたら鱗の感覚が遮断されねーか? 理解に苦しむぜ……)
(……あ、いや、人間に鱗どころか毛もねーわ。皮膚か)
やがて、服を来た立華がリビングに入って来る。立華はリビングで待っていた黒竜を見ると、申し訳無さそうに話しかけ始めた。
「あっ、まだいてくれてたんだ」
『……』
黒竜は返事をせずに、ただ恥ずかしそうに目を反らした。
「……ごめん、さっきは。それと、昼は私を助けてくれてありがとう」
立華はそう言うと、黒竜の身体をタオルごと抱き寄せ、黒竜の身体を吹き始めた。
(……相変わらず扱いが雑だな)
黒竜は静かに思ったが、特に嫌な顔はしなかった。
「ねぇ、キミが良ければ、しばらくここで暮らさない? また助けに来て、とは言わない。ただ一緒に居てくれるだけで良いの。どう?」
立華が黒竜に話しかける。立華はもう、言葉が通じていないのは知っている。しかし、なんとしてもこれだけは聞いておきたかった。
お互いに見つめあっていると、黒竜が立華にすり寄って来た。
『ゴロロ……』
黒竜が猫のように喉を鳴らす。立華は嬉しくなって微笑んだ。
「ふふっ、よしよし」
立華は黒竜を抱き締めた。
「ふわぁ〜。眠くなって来ちゃった。もう寝よっかな?」
立華はそう言って部屋の電気を消すと、黒竜を抱いたままベットに横になった。
やがて、立華から寝息が聞こえ始める。すると、黒竜が立華の手からするりと抜け出した。
『ふんっ、ちょろいな』
黒竜は小さく呟いた。先ほどまでの甘えた態度は一切なくなっていた。
(さっきのを許してくれるためにわざと甘えた行動をとってみたが、案外うまくいくんだな……。まぁ、もうやる気はないが)
さて、今この部屋の窓は割れて、解放されている。黒竜はいつでも立華の家から出て行くことができる。しかし、黒竜は今もなお、それをしようとしない。
『しかし分からぬな。なぜ黒竜の子がそれほどまでに人間に固執するかが……』
黒竜はいつかの森の主の言葉を思い出していた。
(……やっぱり、知らねーよ。ただ)
黒竜は立華の顔を見る。
(こいつといると、なんか落ち着くんだ。……ホント訳分かんねーよ)
そう思いながら、黒竜も眠りについた。
雨雲の竜と少女の雨傘 カービン @curbine
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