4/4(終)
「――ふざけないでください」
目の前の弱々しいような彼女の〝お願い〟に、ぼくは初めて彼女を否定する。
詩織さんはどこか驚いた様子で目を大きく丸めていた。
短剣・ムーダーエッジを片手にした男性は足を止めている。ぼくは彼女を横にさせながら、片手では手を握ってあげ、もう片手で傷口を抑えて止血に及ぶ。
騒ぎを聞きつけて、駆けつけたばかりだ。
理解出来ない。まことに、理解の出来ない状況だ。
いつかは訪れるかもしれないと薄々思っていたけれど、やはりぼくは、覚悟が出来ていない。
昨日の今日。信じたくないが、相手が誰だかは察しがつく。ついてしまう。だから余計に、今が堪えて仕方がなくて、なにも出来なかった自分がイヤで。
「――山代さん」
「剣崎」
フードの男に声を掛けた。彼は間髪なくぼくの名を呼ぶ。
「なんでお前がここにいるんだ……!」
ひどくイラついた様子で。悪態をつく山代さんが、そのフードを下ろすと険しい表情を覗かせる。彼はその黒く濁った眼光を、容赦なくぼくに向けてくる。
「邪魔を、しないでくれ」
「ぼくらを巻き込まないでください」
彼が奥歯を噛んだのを見る。ぼくも心臓をがならせて、必死に言葉で抵抗する。
と、手元の彼女が大きく呻いた。咄嗟に呼びかけると彼女はなぜかにへらっと笑っていたけれど、でもすぐに唇を噛んでぼくを見据える。
「……私はね、もう、だめなんだよ、冬馬さん。掲示板、見たでしょ……?」
「掲示板……?」
ぼくはまだそれを見ていなかった。彼女の言葉に、山代さんは苦々しそうに顔を背ける。
彼が何かしたわけではないのか……?
「私が赤色持っているって、全員にバレちゃった……! ……もう、無理なんだよ」
――待って。
なんで、そんなことが。
「きっと今日を乗り越えたって、どうせ私は狙われるの。もう逃げられないの、ごめんね冬馬さん、私もう、ここにいたくない」
ダメだ。それは、ぼくが嫌だ。
でもそのわがままは言葉にならず、飲み込めもしない。気持ちが悪い。
「だからね、冬馬さん、一つだけ、わがままを言いたいのは、」
その震えた声で、弱々しい声で、何度もぼくの名を呼ぶ彼女を、いつものようには見てあげられない。悲壮的で、辛くて、目の前の光景を信じたくない自分がずっと、現状を否定しようと視界を涙でぼやかせている。
「なん、ですか……」
彼女は大きく身じろいだ。ぼくの手元からごろんと転がって這うように移動し、……ぼくが捨てたシーカーをわざわざ取りに行って。
息も絶え絶えになりながら、それでも振り絞った気力に、彼女はぼくの目を見据える。
強い目だ、強かな目だ。
ぼくはそれが、少し怖い。
「どうせ、奪われちゃうならさ、私は貴方に、生きてほしいと、思うんだよ」
「……剣崎」
「黙ってください」
言葉を差し込む山代さんを止める。目の前の彼女の真意を探るように、ぼくは彼女のことを見つめる。
でも、ああ、だめだ、ぼくは、弱い。彼女の目を見て、もうその意思を変えることが出来ないと。ぼくに変えられる術はないと。むしろ、ぼくが彼女にしてあげられる行為とは、それしか残っていないのだと。その目を見て、知ってしまう。
「約束、したでしょ。叶えてよ、先生」
彼女はふんわりと微笑んだ。
「貴方にしか出来ないこと。優しい貴方だから出来ること。貴方に、して欲しいこと」
ぼくの声は震えていた。大の大人であるはずなのに、ぼくには彼女を救えない。
「……本気なんですか」
「最低な人でごめんなさい」
「卑下なんてしないでくださいよ……」
子供なのはどっちだろう。現実が見えていないのは誰だろう。
ぼくだ。それは、間違いなく。
駄々を捏ねてる時間なんて、ないというのに。
「剣崎。大人しくそれを俺に託してくれ」
「……すみません山代さん、ぼくは生き残らなきゃいけない」
シーカーを、受け取ってしまう。それは、瞬く間に短剣へと成ってしまう。命を奪える凶器として、ぼくの手元に生まれてしまう。
「バカが! それじゃあっ、二度手間になるだろう……ッ!?」
ハッとして口を噤む山代さんの、本音をやっと垣間見る。
――覚悟をしろ。剣崎冬馬。
「剣崎! お前から奪うのはっ、俺だって望んじゃいない……! 俺はただ生き返りたいんだよ!」
「――っ」
覚悟を、するんだよ。剣崎冬馬。
ぼくはこれから生き残るために戦わなきゃいけない。彼女の願いを背負うために。山代さんたちのような方々を、そうと知りながら踏み躙ってまで、進む覚悟を。
持たなきゃいけないんだ、この、ぼくは。
「お前は優しすぎるんだよ! ここにいる奴の大半は、自分のことしか見えていないのに」
呼吸が荒くなってくる。視界が遠くなってくる。それでもぼくは、踏み止まってる。
「お前は無理をしないでいいんだ。必要ないものまで背負うな!」
前を見ろ。怪我をした、致命傷を受けてまで強かな目でぼくを見つめる、彼女の存在を。
「……でも、ぼくは、今だけは、彼女の意思を尊重します。すみません」
「―――――ッ、お前は本当に、ッバカだ……!」
心臓がうるさい。今まで以上に騒がしい。今から行う行為に対しての緊張が、生の実感のように手を震わすのが、皮肉にもすぎて笑えない。
「……少しだけ、痛みます」
深呼吸をした。目を逸らさない。手の震えなんて、止めてしまえ。
「うん、うん……私がお願いしたんだ。冬馬さんは、何も悪くないから」
「言わないでください」
涙を拭え。ぼくはこれから、大切な人の命を自らの手で奪うのだ。
「私、貴方が好きでした」
「……笑えないですよ」
残酷だ。なんでそんなことを、今になって、笑顔で言ってくれるのだ。
「あなたのことを忘れません。ずっと」
目を合わせる。頷き合う。音が止む。――差し向ける。この世界での死というものを、ぼくは初めて目の当たりにする。
――それは、あまりにも。
あまりにも――。
「そんな……」
光の粒子となっていく。幻想的に、弾けた煌びやかな結晶は、青空へと向かって一条の虹を作って昇り、太陽に溶けて消えていく。
儚くて。美しくて、掴めも出来ずに、どこかへ行って。
「……剣崎」
赤色が、ぼくの所有物となってしまう。
「最後に一応聞いてやる。……俺の味方になってくれるか」
「……ぼくは、あなたが、許せません。だから協力することは、出来ない」
ガリッと彼は、強く奥歯を噛んでいた。
「――っ、俺だって、望んでやっているわけじゃないんだぞ……」
小さく聞こえたその一声。懺悔するような、無力感に打ち震えるような、そんな、救い難い彼の本音。
ぼくはそれに構うことなく、立ち上がる。
覚悟は決めた。理想を捨てて、現実を見る。
人として、きっと大切なものはあったであろうが、綺麗事だけでは生きられないし、守ることも出来ないのだと知った。
この世界にいる全員を。数々の想いがあると知りながら、きっとくだらない、典型的で、なんの変哲もないぼくの人生のために、ぼくはこれから剣を取る。……いや。
典型的、と自分で言って、つい先日、彼女にそれは違うと否定したことを思い出した。
「そう、ですね……」
……価値とかなんて、ないんですよ。
生きるべき人も、いないんです。
死ぬべき人も、いるわけがない。ぼくはそれを彼女に教えてあげられれば。
教えられるほど、大人であれば。
『――先生。将来、ほんとに先生になってください。私女子校だったので、女子校の先生』
『女子校って……絶対疲れるでしょう』
『いいじゃないですか。先生身持ち固そうだし、イケメンだし、たぶんウケいいと思うんです』
『ぜんぜん嬉しくないですね』
『そしたら先生は、私みたいな子を見捨てないで、絶対気にかけてくださいね?』
「……ぼくはここで、足掻いてみようと思います。詩織さん」
――願わくば。今度こそ彼女に、その愛らしい笑顔に似合った安寧を。
デスゲームは、まだまだ終わりそうにない。
(了)
※限定公開記事に裏話を掲載しました。
【27000字完結】貴方の色はなんですか? 私、赤色を持っています。 環月紅人 @SoLuna0617
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