リサイクルを望むなら

深上鴻一:DISCORD文芸部

リサイクルを望むなら

#01

「父さん、どこへ行くの?」

 小麦畑の間をまっすぐに伸びる、細い二車線道路。地面の起伏によって上がり下がりはするものの、それは定規で引かれたような直線だ。

 赤いピックアップトラックは、その都市間を結ぶ道路を時速60キロで走っていた。前後に他の車影は見えない。

 エディはハンドルを両手の人差し指でトントンと叩きながら、ジムに答えた。

「リサイクルショップだよ」

 運転しているのは金に染めた髪をツーブロックに刈っている筋肉質な中年で、名前はエディという。新政府軍を除隊して、いまでは経理事務所に勤めている。

 その隣に座って窓の外を眺めているのは茶色の巻き毛をした幼い少年で、名前は今のところジムという。

「あの隣街にある?」

 ジムはエディを見ずに尋ねた。サイドウインドウからは一面の小麦畑しか見えない。こんなずっと変わらない景色のどこが7歳の少年を夢中にさせているのか、エディにはわからなかった。やはりどこかが壊れているのだろう。

 トントンとハンドルを叩き続けながらエディは言った。これは運転中にイライラしていると出てしまう彼の癖だった。

「そう。あの隣街にあるリサイクルショップだ」

「ぼくを売るの?」

「そうだ」

「高く売れるかな?」

「さあ、どうだろう。頼むから査定で、ぼくは故障しています、なんて言わないでくれよ」

「うん、わかった。ぼくは父さんの言う通りにするよ」

 それからしばらくして指の動きは止まった。

 無言の時間が流れる。

 だが20分ほどしてから、ジムがまた尋ねた。

「父さん、どこへ行くの?」

 その質問は、これで4度めだった。

「リサイクルショップだよ。故障したお前を売りに行く。修理するよりも、それが得だと考えたからだ」

「高く売れるかな?」

「さあ、どうだろう」

 エディの人差し指は、また無意識にハンドルをトントンと叩いていた。



#02

 ジムが査定されている間、エディはコンクリート打ちっぱなしの店内をうろついていた。犬、猫、牛、馬。なんでもこの『チェン&ヨー合成動物リサイクルショップ』にはある。魚もある。昆虫だってある。

 誰もが合成動物を欲しがる時代だった。もうこの時代に、新しい生命が産まれてくることはない。そんな「絶滅を待つだけの時代」を生きる人間たちには、愛玩動物が必要だった。

 階段を上がり3階に行くと、そこはホテルのロビーを思わせる特別ルームになっている。木張りの壁面に、厚いカーペットが敷かれた床。天井からは簡素ながらもシャンデリアが吊られている。

 その広い部屋にはいくつもの透明な柱が立ち並び、その中には全裸の合成人間が収められていた。

 愛玩が目的なので子供しかいない。法律上、性目的の合成人間はもっと専門的なショップのみで取り扱えることになっている。

 エディは合成人間たちを一体一体見て回った。見るからに利発そうな少年。近所の子供たちのリーダーになりそうな体格の良い少年。将来はバレリーナになれそうなほっそりとした少女。

 みな血液の循環を止められているから、青白い肌をしている。しかしその見開いた目は、どれも生き生きと楽しそうな色を宿していた。

 エディは一本の柱の前で足を止めた。可愛らしい、いやとてもとても可愛らしい美少女がその中に浮かんでいた。金髪に碧眼。年齢は12歳で、胸が膨らみ始めている。まだ陰毛は生えていない。後ろに回って見ると、少年のものと変わらない小さな尻をしていた。

 柱の横のデータパネルを見ると、前のオーナーの使用期間はごく短かい。それも女性で、とても大事に取り扱っていたようだ。

 エディの家では、男の子が2度続いていた。次は女の子も悪くないな。エディはそう思い、妻に相談しようと携帯電話を取り出した。

 妻のイブは、すぐに電話に出た。

「なに?」

「リサイクルショップにいる。いま査定中だ」

「ジムは高く売れそう?」

「まだわからないな。それよりも」

 エディはデータパネルのコードに触れた。

「データを送った。どう思う?」

 しばらく無言。緊張して待つエディ。

「悪くないわね」

 イブの言葉に、ほっとする。合成人間は高価なため、エディの給料だけでの購入は難しい。たとえ中古でも、ジムを売って、それにふたりの貯金を足してやっと手が届くくらいだ。

「じゃあ、持ち帰っていいな?」

「そんな焦らないで。データをもっと良く見せてよ」

「そんなこと言ったって、もし先に買い手がついたらどうするんだ?」

 彼を呼び出す店内放送が流れた。

「連絡をくれ」

 エディはそれだけ言って、ジーンズの尻ポケットに携帯電話を押し込んだ。



#03

 査定室にいたのは丸い眼鏡をかけた東洋人で、店長のチェンという。

 テーブルを挟みソファに座ったエディの前に、合成人間のメイドがコーヒーカップを置いた。一礼して去る。

 チェンは簡単な挨拶のあと、エディにタブレットを見せた。

 全裸のジムが写り、ゆっくりと回転する。

「このタイプはそれほど生産されませんでしたので、希少の部類と言っていいでしょう。運動は苦手で嫌い。むしろ家で絵を描いたり、本を読むのが大好き。物静かで、一緒に暮らすにはたいへん向いています。ただ……その……大きな問題が」

 やはり故障がばれたか、とエディは思った。うまく誤魔化せるだろうか?

 だが続く言葉は予想外だった。

「これは仕様上、仕方ありませんが、反抗期を迎えつつあります。これではなかなか買い手はつかないでしょう。そこで初期化が必要になってしまいます」

 エディは尋ねた。

「店に並んでいる合成人間は、すべて初期化済みなんじゃないのか?」

「いえいえ。当店で基本的に行っているのは記憶の消去のみです。初期化とはまったく違います」

「初期化について、もう少し詳しく教えてくれ」

 そんなことを尋ねる客は珍しいのか、チェンは驚いたようだ。だが、すらすらと説明を始めた。

「合成人間はその使用年数によって様々な性格に変化するよう作られています。その方がリアルで、退屈しないからです。また合成人間は記憶を蓄えていきますから、その蓄積によって人格も変化します。記憶と人格は密接な関係にあります。記憶だけ消した場合、人格は変わりません。しかし初期化すれば、人格もメーカー出荷時に戻ります」

「ふむ」

 エディは尋ねはしたものの、途中から興味を失っていた。結局、彼の興味は査定額にしかないのだ。

「出荷状態に戻すにはコストがかかるのか?」

「はい。初期化は専門業者に発注するため、新政府が決めた作業手数料が発生してしまうのです」

 労働者を保護するために、新政府は何にでも最低価格を決めていた。最近では小説家も、1文字につき必ずいくら貰えるか決まっているそうだ。

「あと、ささいなことではありますが、肛門に裂傷がありますね」

「どんな子供だってそうだろうさ。それでつまり、いくらになるんだ?」

 チェンはタブレットに値段を出した。

 それは予想していたよりもだいぶ良かった。 

 頭は壊れ、尻穴から血を垂らした合成人間がこんな値段になるなら、満足すべきだろう。

「あと、本店で使える割引券を特別にお付けいたします。こちらは、本日からご利用できますよ」

 チェンの目が、ずる賢い商人の目に変わっていた。いや、最初からそんな目をしていたのだろうな、とエディは思った。東洋人の表情は、読めやしない。だから東洋人は嫌いなんだ。

 エディはタブレットにサインした。握手はしなかった。



#04

 階段を上がって3階に行くと、美少女の柱の前には老夫婦が立っていた。共に茶色の仕立ての良いスーツを着た、上品そうな老夫婦だった。ふたりとも真っ白な髪をしている。

 その隣には副店長のヨーが立っていた。

「もう少し安くはならないの?」

 老婦人の言葉に、ヨーはお辞儀をして答える。

「申し訳ありませんが、これが精一杯なんです。ですがスチュアート様」

 またお辞儀をする。

「お洋服も何点かお付けいたしましょう。とても可愛らしい『天使』のようなドレスもございますよ」

 老人が言う。

「これに決めようじゃないか」

「でも」

「我が家には『天使』が必要なんだよ。違うかね?」

「まあ、ケンったら」

 そこへエディが口を挟む。

「ちょっと。その合成人間は私が先約なんだが」

 老夫婦は、互いに顔を見合わせた。

 エディは続ける。

「もう妻には、買って帰ると伝えてあるんだ。だから私のものだ」

 老人は困惑した表情を浮かべて、ヨーを見た。ヨーは、またお辞儀をしてから言う。

「申し訳ありません。こちらの商談中のお客様に、まずは購入する権利がございます。もしご希望されるのであれば、次に購入する権利があるお客様として記録いたしますが」

「うるさい。東洋人のくせに『権利』という言葉を使うな。不愉快だ」

 エディは老人の胸を押した。

「買うのは止めて帰れ。これは俺のものだ」

「君は失礼だな!」

 老人の細い両手が、エディの右腕をつかんだ。だが乱暴に振りほどかれる。

「じいさんの萎びたペニスじゃ、どうせこの子に咥えてもらっても立ちはしないだろ?」

 老人の顔が真っ赤になった。

「性目的なら、専門店で買いたまえ! この子はただの愛玩用だぞ!」

「買った俺が、どう使おうと俺の勝手だ!」

 性目的の合成人形は、かなり高価になっている。そのため子供の合成人間を、性目的で使用する者が多かった。新政府はこの問題について知らないふりをしている。

 ここでようやくヨーが動いた。腕時計のパネルに、さっとふれたのだ。

 警備員がふたり、すぐに飛んで来た。



#05

 赤いピックアップトラックが、まっすぐに伸びる小麦畑の間の道を、時速75キロで走っている。

 エディの両人差し指は、トントンとハンドルを叩いていた。

 助手席にはジムが全裸で座り、窓の外を眺めている。

「父さん、家へ帰るの?」

「そうだ」

 エディはジムをリサイクルショップに売るのを止めた。不愉快だったからだ。期間内なら法律上、買い手がまだついていない場合のみ、買い戻すことができる。

 ジムは、まだ記憶の消去はされていなかった。ただ服を脱がされて、消毒桶に投げ込まれる順番を座ってじっと待っていた。

 ジムは助手席で、もじもじとしている。

「どうした? トイレにでも行きたいのか?」

 合成人間は食事を基本的にはとらないので、トイレに行くことはない。

 ジムは恥ずかしそうに言った。

「その、お尻がかゆいんだ」

「尻? お前、シートを汚すなよ!」

 エディは乱暴にジムを押した。白い革張りのシートには赤い血が付着していた。

 エディは車を急停止した。それから車を降りて助手席側に回り、ドアを開けた。シクシクと泣いているエディの髪を乱暴につかみ、引きずり降ろす。

「行け! どこにでも行け! 消え失せろ!」

「父さん、でも、ぼく、ごめんなさい、だって、ぼく」

 両手で涙をぬぐいながら、ジムは詫びる。

「うるさい!」

 助手席のダッシュボードを開けた。そこには軍隊で使用していたものと同型の、大型拳銃が入っている。エディはそれをジムに向けた。

「じゃあ踊れ! お前は踊りが好きだろう? 壊されたくなければいつものように歌い踊り、俺を楽しませてみろ!」

 それでジムは泣きながら歌い踊った。

「さあ、皆さん、踊ろうよ。ぐるぐる、ぐるぐる、回るんだ。ほら、ホップ、ステップ、最後にジャンプ」

「もっとだ! もっと楽しそうに踊れ!」

「ぐるぐる、ぐるぐる、終わらないよ。永遠に、永遠に、終わらないよ」

 エディはジムの胸を撃った。

 さすがの合成人間も、それで動かなくなった。



#06

 家に帰り玄関を開けると、強い煙草の臭いがした。リビングでは妻のイブがソファに座り、テレビを見ながら煙草を吸っていた。

 エディをちらりと見て言う。

「女の子は買わなかったの?」

「ああ。やめた」

「ちょっと楽しみだったのに。ジムはいくらになった?」

「そんなに高くは売れなかったよ。事情があって、入金は遅れるそうだ」

 それは帰り道で考えてきた彼なりの嘘だった。

「無事に入金されたら、お前の口座に半分戻しておくよ」

 イブはもうテレビに夢中で、返事はない。

 エディはいつも通りの自然を装って2階に上がり、パソコンの電源を入れた。友人のサムを呼び出す。

「やあ、じつは困ったことになった。金を貸してくれないか?」

「またか」

 サムは彼の幼馴染だった。同じく除隊して、中古自動車のディーラーをしている。

「お前の方が給料はいいだろう。どうしてそんなに金遣いが荒いんだ?」

「俺にだって事情があるんだよ」

 エディが金額を言うと、さすがにサムは顔をしかめた。

「そんな大金、俺が持ってるはずないだろ。それよりも、どうしてそんな金が必要なんだ?」

 そこでエディは事情を最初から説明した。

「壊したのは良くなかったな。リサイクルショップは、何もあそこだけじゃない。売ればかなりの額になったのに」

「わかってる。でもあれは、俺の愛車のシートを汚しやがったんだ!」

「捨てて来たのも良くない。合成動物は最後、回収局に引き渡さないといけないんだぞ。バラバラに分解して、リサイクルするんだから」

「新政府の決め事なんてうんざりだ!」

 昔はこの国も、こんなんじゃなかった。政府は正義と自由を守り、国民は政府を信頼していた。エディはくらくらとしてきた。『やつら』との戦争が始まって、新政府が樹立してからすべては変わってしまった。『やつら』だ。もちろん悪いのは『やつら』なのだ。だが新政府は俺の記憶を……。

「大丈夫か? 顔色が悪いぞ?」

「あ、ああ」

 エディは現実に引き戻される。

「聞いてたか? その『天使』を奪いに行くんだ」

「なに?」

「相手の老人の名前はわかるんだろう?」

「たしかヨーはスチュアートと呼んでたな。ああ、老人の名前はケンだ」

「よし。それだけわかれば検索できる」

「だが……奪いに行くって……本気なのか?」

「お前の嫁には、ジムを売った金でこいつを買った、って言えばいいだろ。シンプルでいいじゃないか」

 エディは考えた。犯す罪が明らかになった場合の刑事罰と、裸の少女との生活を天秤にかけてみる。それだけの価値が、あの合成人間にはあるだろうか。

 透明なケースに浮かんでいた姿を彼は思い出す。金の髪、白い肌、膨らみ始めた胸、未発達の性器、小さな尻。場所をベッドの上に変えると、少女は痴態を見せ始めた。頭の中が、すぐにそれでいっぱいになった。

「よし、やろう。さすがに殺しはしないだろ?」

「新政府は老人ふたりぐらい殺したって重罪にはしないさ。車は俺が出す。30分で準備しろ」



#07

 パーティー用の骸骨のマスクをかぶったエディは、老婆の腹を蹴った。老人は何か叫んだが、言葉にならない。サムが持つ拳銃の銃口が、口の中に突っ込まれているからだ。

 床に倒れた老婆の口からは、血が流れて止まらない。

 サムが言う。

「こっちも殺すだろ?」

 もう自分の正体はばれてしまっている。老人だけ生かしておいたら、さらに面倒になるだろう。そこで頷いた。小さな銃声が鳴った。

 エディは熱苦しいマスクを脱いだ。部屋の隅には、水色のネグリジェを着た少女が青い顔をしてしゃがんでいる。

「ついて来い。名前は?」

「……エンジェル」

 それでエディは笑った。

「オーケー、エンジェル。今日から俺がパパだ」

「あなたも、ひどいことする?」

「俺の言うことを守るなら、ひどいことはしない。こいつらにはされたのか?」

「つねられた。……ペニスを咥えなかったから」

 エディとサムは笑った。

「ママに言ったらもっと痛いことをする、って言われた。痛いのは嫌いなの。でも嘘も嫌い」

「俺も嘘は嫌いだ。きっと俺たち、いい親子になれるぞ」

 ふたりと合成人間は外に出て、家の前に止めた地味な茶色い車に乗り込んだ。あと数日で廃棄処分される中古車だった。

 車はそっと出発し、朝方にエディの家に戻った。



#08

 エディはいつものように出社し、いつものように仕事をした。ようするにほとんど何もしないで過ごしたということだ。給料は、何もしなくても新政府が保証してくれている。

 時間になるとビルを出て車に乗り、家へと急いだ。早くエンジェルとの性行為を試してみたかった。

 記憶の消去はしていない。専門業者に依頼すればできるのだが、それも安くはない。仕方なくそのまま使うことにした。名前もそのままにした。

 信号で止まってしまい、彼はハンドルを両人差し指でトントンと叩く。

 イブはもう先に、エンジェルとの性行為に及んだだろう。彼女は合成人間を痛めつけるのが好きだった。彼よりもサディスティックだった。

 妻とはもう何年も性行為をしていない。エディもイブも、小さな子供が大好きだった。いや、小さな子供が大好きだと気付いてしまったのだ。


 やっと家に到着して玄関を開けると、いつも通り強い煙草の匂いがした。

 だが吸っているのはイブではなかった。エンジェルだった。

「おかえり、パパ」

 ソファにはエンジェルが下着のまま、スツールに足をだらしなく伸ばして座っている。床にはイブが半裸の状態で倒れていた。

「ママ、とつぜん倒れちゃった」 

 少女は言った。

「たぶんバッテリーの故障ね」



#09

 サムが駆けつけてくれた。

 エディはソファに座り、グラスで強い酒を飲んでいる。その手は震えていた。

「そんなはずはない! 13年だぞ! 13年も夫婦だったんだぞ!」

 エディはイブの笑顔を思い出した。泣き顔を思い出した。

 退役軍人局の紹介で、初めて出会った日のことを思い出した。結婚式を思い出した。新婚旅行を思い出した。

 サムはイブの右足をつかみ持ち上げ、足の裏を見た。

「型番と製造番号がちゃんと書いてある。今まで気が付かなかったのか?」

 エディは何も言えなかった。俺はいままで自分の妻の足の裏を見たことがないのだろうか? 思い出そうとする。だがすぐに、くらくらとしてきた。

「だめだ。俺は記憶に障害があるんだ」

「知ってるよ。それで、どうする?」

「どうするとは?」

 サムは勝手に台所に入り、自分も水割りを作って飲み始めた。

「まずはメーカーに電話して修理するという方法がある。本当にバッテリーなのか?」

 床に座り、つまらなそうに絵本を呼んでいたエンジェルがこたえる。

「とつぜん倒れたから、そうだと思う」

「じゃあバッテリー交換だ。すぐ直るよな?」

 エンジェルは首を傾げた。

「古いタイプの合成人間だから、合うバッテリーがまだあるかしら」

「お前たち、いい加減にしろ!」

 エディは怒鳴った。『これ』は俺の妻なんだぞ、とは言えなかった。

「もしくは回収局に連絡して回収してもらう。壊れた合成動物は、勝手に処分してはいけない。リサイクルするんだから」

 エディは床の上に倒れている、半裸の女性を見た。

 俺の妻は合成人間だったのだ。なぜ今まで気が付かなかったのだろう。いや、気が付くはずがない。あまりにも、あまりにも『これ』は精巧過ぎた。

「退役軍人局に行ってくる」

 もちろんそうだ。結局、『これ』を俺にあてがったのは新政府なのだから。退役軍人局なら、事情のすべてを知っているに違いない。それに24時間、窓口は開いている。

 エディは立ち上がった。だがすぐにソファに倒れこんだ。アルコールが回っていた。

「そんなんじゃ無理だよ」

「うるさい! 俺はどうしてこんなことになってるのか知りたいんだ!」

 エディは怒っていた。愛していた妻が合成人間だったこと。13年間も騙されていたこと。それに関わっているに違いない退役軍人局に怒り、間抜けな記憶障害者に自分を変えてしまった新政府に怒っていた。

「わかった、わかった」

 サムは言う。

「すぐにタクシーを呼んでやるよ」



#10

 夜の街を、タクシーが法定速度50キロぎりぎりで走っている。

 目的地は退役軍人局で、エディはひとりぐったりと後部座席に座っていた。彼は急激な酔いで吐きそうだった。車内が芳香剤の匂いで充満しているのも最悪だった。

 吐きそうな気配を察しているらしく、運転手はちらちらとルームミラー越しにエディを見ている。

 エディは目を閉じた。だがトントンという音で、目を開ける。

「イライラしていると出るくせなんだろ?」

「え、ええ」

 ハンドルを叩く指は止まった。

「話し相手になってくれないか。気が紛れて助かる」

「いいですよ。吐かないでくれるならお安い御用です」

 エディはゆっくりと話し始めた。

「お前は結婚しているんだろう?」

「ええ、まあ」

「お前の妻は人間なのか?」

 運転手は驚いて、肩越しにちらりとエディを見た。

「それはどういう意味です?」

「お前の妻は、合成人間じゃないのか?」

「やだなあ、お客さん。そんなはずはありませんよ」

「どうして断言できる?」

「そうですねえ」

 運転手の指がトントンとハンドルを叩く。

「うちの妻はパスタが得意料理なんですよ。合成人間は料理なんて、それも美味しくなんて作れないでしょう?」

「俺の妻はできたぞ!」

 エディは大声を出していた。

「パスタだってシチューだって、ラザニアだって作れたさ! 料理が得意な妻だった! 最近はその……インスタント食品ばかりだったが……」

 エディは顔を手で覆った。呻くように言う。

「俺の、俺の妻は合成人間だったんだ。信じられるか? 13年間も俺は騙されていたんだ……ちくしょう……ちくしょう……」

 エディはやはり酔っていた。

「お客さんの? 奥さんが? 合成人間だった?」

 指の間から運転手を睨んでエディは言う。

「もっと教えてくれ」

「もっと?」

「妻が合成人間じゃないという証拠だ!」

 運転手はしばらく黙った。だが思い切ったように言う。

「妻は売れない歌手でした。レコードを出してもまったく売れなくてね。それで廃業するんですが」

「それで?」

「自分で作詞と作曲をしてたんですよ。さすがに合成人間には、そんな複雑なことできないでしょう?」

 エディは黙り、記憶を探った。だが楽器を弾いているイブの姿は思い出せなかった。そもそも家に楽器はあっただろうか? アップライトピアノがリビングにあったような気もしてきた。

「お前は、自分の妻の、右足の裏を見たことはあるか?」

「足の裏は……たぶんないですね」

「お前の妻は作詞作曲ができたかも知れない。だが、それがなんだ? 合成人間じゃないという証拠にはならないぞ。俺の妻は精巧だったんだ。足の裏に製造番号がなければ、今でも俺は人間だと信じてたさ」

「家に帰ったら見てみますよ。怒られる気はしますが」

 しばらく無言でタクシーは走った。

 エディは暗い窓ガラスを見ていた。そこに映る自分の頬には、涙が伝っていた。ジムの泣き顔を思い出す。だから尋ねずにはいられなかった。

「お前は、合成人間なのか?」

「ちょっと!」

 運転手は言う。

「ケンカする気なら降りてもらいますよ!」

 たがエディは聴いてはいなかった。

「俺は自分の右足の裏を、見た記憶がない」

「偶然ですね! 私もありませんよ」

 エディは自分の顔をした合成人間が、工場で大量生産されている光景を見た。

 途端に胃がきゅーっとして、エディは吐いてしまった。



#11

 退役軍人局に着くと、局員がタクシーに駆け寄ってきた。そしてエディと一緒に、いや彼以上に運転手に頭を下げてくれた。青い顔をしたエディに肩を貸して、医務室へと連れて行く。

 緑色のベッドに寝かされると、白衣の男がすぐに現れた。ベッドの横の椅子に腰かけて言う。

「ロッドだ。話はあとからゆっくりと聞こう。まずはひと眠りした方がいいんじゃないかな」

 エディはロッドの左胸のプラスチック・プレートを見て言う。

「いいえ、ロッド軍医中佐。私はこうなった事情をすべて知りたいのです」

「肩書は気にしなくていいよ」

「では、ロッド。私の話を聞いてください。私の妻は、合成人間だったのです」

 エディは最初から最後まで、多くの脱線をしたものの淡々と話をした。

 ロッドはそれに対して、何度も頷いてからこたえた。

「まずエディ。信じられないかもしれないが、じつは多くの退役兵が合成人間を妻にしているんだ」

 エディの心はすでに麻痺していたから、それに驚きはしなかった。

「様々な理由がある。世間の目があるから独身は嫌だ、誰でもいいから世話して欲しい、隣に誰かいて欲しい、性処理の相手が欲しい、暴力の相手が欲しい」

「暴力?」

「そうだ。復員兵の多くは精神的に傷を負っている。彼らの暴力衝動を解消するには、合成人間が一番だ。ここだけの話、退役軍人局には毎日のように、妻が壊れたと電話がかかってくるよ」

 エディはイブとケンカしたことなら何度もある。だが殴ったことは一度もなかった。すくなくとも記憶にはない。

「ロッド、私には記憶障害があります。新政府が私をそうしてしまいました」

「そんな言い方は良くないね。『やつら』と戦い負傷した君のために、新政府は最善の方法を選んだんだよ。それに、君はその手術に同意している」

「それすらも記憶にありません。私は合成人間を妻にすることにも、同意していたのですか?」

 ロッドは壁のスクリーンに文書を映した。それにはびっしりと文字が並んでいて、一番上には同意書と書かれ、一番下にはエディの名前があった。エディには、それが自分の筆跡なのかもわからなかったが。

「そして新政府は君のために、できるだけ高性能の合成人間を用意したんだ」

 できるだけ高性能の合成人間。

 その言葉にエディはくらくらとする。

「私は13年間も、いやいつからかわかりませんが、とにかく長い間妻を愛してきました。合成人間だとも知らずに」

「素晴らしいことだと思うよ」

 ロッドはエディの肩に手を置いた。

「君は他の退役兵とは大きく違い、他人を愛することができる。それはとても人間らしい心が、君にはまだあるということだ」

「教えてください。イブは俺を愛していたのですか? イブには人間らしい心はあったのですか?」

 ロッドはきっぱりと言った。

「愛してないよ。合成人間は人を愛することはできない。そのフリが巧みにできるだけだ」

「そうですか。はっきり言って貰って、むしろすっきりしました」

「君には、合成人間の妻は必要ない。むしろ害悪だ。できるだけはやく本物の人間を紹介できるよう進めよう。本物の女性は、もう数少ないのだけどね」

「数少ない?」

「そうだ。これは内密にだが、この街の85パーセントはもう合成人間なんだよ」

 エディの目の前が真っ暗になる。

「わからなかったかい? タクシーの運転手だって合成人間だったよ」



#12

「お前も合成人間なんだろ?」

 家に帰るタクシーの中で、エディは運転手に言う。

「いや何も言わなくていい。お前は、いいえ私は人間です、ってこたえるよう作られてるんだから。お前らは嘘つきだ。みんなみんなクソ嘘つきだ」

 運転手は何も言わない。

「ロッドは言ってたよ。『やつら』との戦争で、人口が減ったと悟られてはいけないのだと。それで合成人間を大量生産して水増ししてるのだと。なんてことだ」

 エディの手が震えてきた。

「俺は家に帰ったら、真っ先にエンジェルを犯すぞ。まだか弱い少女だ。犯しながら、首を絞めてやるんだ。口から泡を吹いて楽しいだろうな。抵抗しても、成人男性の俺には抗えない。じたばた暴れるのも楽しいだろうな。いいんだ。どうせエンジェルは合成人間なんだから。壊れてしまったら、修理に出せばいい。いや回収局に電話して、引き取って貰おうか。バラバラにしてリサイクルだ。目玉はまた目玉に、性器はまた性器にだ」

 エディは運転手の後頭部に顔を近づけて言う。

「なあ、仲間がそんな目に遭うんだぞ。どんな気分がする? 怒りはしないのか? 悲しくはならないのか?」

 運転手の両人差し指が動いていた。トントンとハンドルを叩いている。

 エディは運転手のシートを蹴った。

「そのくせをやめろ! それは人間のものだ! それは俺たちのものなんだ!」

 タクシーは停車して、運転手は逃亡した。



#13

 家に歩いて帰ると、リビングのソファで、サムがエンジェル相手に性行為をしていた。後ろから乗りかかって、腰を激しく振っていた。

「何してるんだ!」

 サムは怒鳴り返す。

「俺だって爺さんを殺したんだぞ! 権利はあるだろ!」

「俺がやろうと思って楽しみに帰ってきたのに! ふざけるな!」

 エディはズボンを脱いだ。

 エンジェルの髪をつかみ、顔を持ち上げる。ぐったりとしていた。目は見開かれていた。

「もう壊れてるじゃないか!」

 サムは腰を動かしながら言う。

「そうか? そう言えば、首を締め過ぎたかな」

「必ず弁償してもらうからな! ああ、腹が立つ」

 エディはキッチンに行き、包丁を手に取った。

「何する気だ?」

「首から切り落とす。その方が、口唇行為が楽そうだからな」

「なるほど」

 エディはそのようにした。

 サムが満足すると、エディはぽーんとエンジェルの頭を投げて交代した。それが往復したあと、サムは金の話もせずに帰って行った。



#14

 玄関のチャイムの音でエディは目を覚ました。いつの間にかソファで眠っていたのだ。

 やって来たのは回収局の男で、二人組だった。青いつなぎを着ている。サムが連絡をしたらしい。

 男は部屋を眺めて言う。

「我々は大人の女性型が一体と伺っていたのですが」

「うっかりもう一体増えてしまったんだ。こちらもお願いするよ」

「回収局としては、書類上困るんですけどね。我々が2回、こちらを訪問したという形で処理させてください」

 そう話している間、ひとりがエンジェルを運んで行った。身体を肩に担ぎ、頭をビニール袋に入れて。

 もうひとりは、イブの背中に何か器械を当てた。

「これは単純にバッテリー切れですね。ほら」

 イブは目を覚ました。

「なに? 私はどうしたの? 何かの発作? エディ、いるの?」

「どうします? バッテリーを交換すれば、まだ使えますが。数日分の記憶を消去すれば倒れたことなんて忘れますし」

「なに? バッテリー交換? 何の話なの? エディ! 何か言って! 言いなさいよ!」

 男は続ける。

「これはもう性格が歪んでますね。個人的には初期化をお勧めします」

「初期化?」

「ええ。ご存じありませんか? これじゃ料理も掃除も、夜の相手もまともにしてくれないでしょう? 初期化すれば購入時とまったく同じ性格に戻りますよ」

「エディ! 何の話をしてるの? 初期化? 怖い! お願い、私に説明して!」

「回収してくれ。イブはもういらない」

「わかりました。お客様がリサイクルを望むなら」

 男は、ぐったりとしたイブを器用に肩に乗せて出て行った。最後までイブは喚き続けていた。



#15

 しばらく経つと、また訪問者がやって来た。ドアを開けると、胸に大きな穴が開いたジムが立っていた。

「ただいま、父さん」

「おかえり、ジム。そんな恰好では寒かっただろう。悪かったな」

 ジムは小麦畑に捨てられたままの恰好、つまり全裸だった。

「大丈夫だよ。ぼくは合成人間なんだから」

「それもそうだな。でも温かいココアを入れよう。大好きだろう?」

「ありがとう、父さん。愛してるよ」

「俺もさ」

 ジムは中に入り、ソファに座った。エディは台所でお湯を沸かす。

「母さんはいないの?」

「壊れて、回収局が持っていったよ」

「別れの挨拶をしたかったなあ」

「お前は優しい子だね」

「お姉さんは?」

「エンジェルのことかい? ジムは知らないはずだろう?」

「あ、そうか。内緒にしてね。『やつら』に叱られちゃう」

「『やつら』?」

「うん」

 ぱっ、とエディの目の前が明るくなった。鍋つかみにコンロの火が点いたのだ。

「もうこの街には、『やつら』が送り込んだ諜報員がたくさん潜入しているよ。もう『やつら』にはわかってるんだ。この街の90パーセント近くの人間が合成人間だって」

 火はカーテンに燃え移った。

「父さんみたいな本物の人間は、本当に希少なんだよ」

「俺はどうなるんだろう?」

「ただ観賞されるんだ。この作り物の街で暮らし、それを『やつら』が観て楽しむ。研究はもう終わったから、人間は娯楽のための存在でしかないんだよ。人間はそのことを知らないけど」

 部屋の壁紙が燃え始めた。

「父さんは焼け死ぬ気なの?」

「そうなんだ。だから鍋つかみに火を点けた」

「でもそれでは終わらないよ。死んでもリサイクルされるから。目玉はまた目玉に、性器はまた性器にさ。ぼくたち合成人間みたいにね。記憶も消去か、初期化される。灰になったって『やつら』にはできるんだ」

「俺は、俺は、リサイクルなんかされたくない!」

 ジムはエディの両手を取った。恐ろしい力でそれを広げる。そして歌いながら踊り始めた。

「さあ、父さん、踊ろうよ。ぐるぐる、ぐるぐる、回るんだ。ほら、ホップ、ステップ、最後にジャンプ」

 燃え盛る部屋の中で、エディは人形のように振り回されていた。

「ぐるぐる、ぐるぐる、終わらないよ。永遠に、永遠に、終わらないよ。そう、終わりはしないんだ」

 ジムは、あははと笑って言った。

「『やつら』がリサイクルを望むなら、ね」

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リサイクルを望むなら 深上鴻一:DISCORD文芸部 @fukagami

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