CASE9 - 追憶

 少年は走る。


 永遠のようにも思える街道の先に、家が見える。窓には赤い血がべったりと付いていた。

 ドアは既に開いている。近付く程に脈動は早くなり、呼吸が乱れていった。

 恐る恐る家に入ると、血塗れのテーブルを見つめ、家族が団欒していた。その中に自分の姿は無いことに気が付き、目を伏せる。

 再び目線を上げると、家族の姿は消えており――白髪の少年の姿をしたがそこに立っていた。いつからそこに立っていたのだろう。何故気が付かなかったのだろう。その悍しき怪異は、少年へ歩を進めて手を伸ばす。

 逃げようとして振り向くと、彼が殺してきた悪魔達の姿が見えた。

存在する筈の無い風景。これが夢だと少年は頭では分かっているが醒められない。視界は高くなる。いつの間にかの手には拳銃が握られていた。

 この夢は何度も見た。罪悪感が見せる幻だ。この夢から醒める最適解を彼は知っていた。


 銃声が鳴り響く。

 銃口の先は彼自身だった。






 青年アルバートは自室のベッドの上で起き上がった。時計は午前7時を指している。外は真っ暗だった。

 何かがおかしい。何故この時間帯でここまで真っ暗なのか。そもそも、自室に帰った記憶は無い。搬送され、今頃病院のベッドに居る筈。

 ここは、まだ夢の中だ。

 気付くと、自室の風景は崩れ始め、辺りは黒一色に変わっていた。

 何かが肩を掴んでいる。

「寄越せ」

 それは自分の声をしていたが、酷く歪んでいた。

 振り向くと、自分の顔が見えた気がした。







 激しい動悸と共に目が覚めた。灰色の天井に白い壁。今度こそ本当に目覚めたのだろう。酷く荒い呼吸を落ち着けてゆっくりと周りを見渡した。

 体が少し痛む。すぐに対策局の病院だと悟った。

「そうか……俺は……」

 一人部屋で、他の患者は居ない。身体を見るとシャツの下に包帯が巻かれており、壁のハンガーにジャケットが掛かっていた。時刻は午前10時。今は何日なのだろうか。

 暫く呆けていると、花束の傍らにある置き書きに気が付いた。

『アルバートへ。運んでやったのは俺達だから感謝しろ。今度飯奢れ。ジャックより』

「なんだこれ……」

 アルバートは夢の中とはまた違った困惑の声を発した。途中から記憶が無い。やけに雑に運ばれたのだけは覚えている。手紙を見て眉をひそめていると、スライド式のドアが静かに開いた。看護師だ。

「あら?」

 と声を出しながら病室を覗くが、アルバートの目付きが悪く睨まれているのかと思い、後退りしてしまう。彼自身も自分の目付きが悪いのはよく分かっているので何が起こったかすぐに察した。

「あの……睨んでるわけじゃ」

「い、今すぐ先生を呼びに行って参ります!」

 ドアに顔を半分隠しながら言うと、看護師は慌ただしく医者を呼びに行った。「先生」と呼ぶ声が廊下に響いていた。気まずい空気が流れる。

 程なくして医者が来た。初老の医師は髪は短く髭も綺麗に剃られていたが、多忙のせいで痩せ細っているように見えた。

「クーパーくん、今回は酷くやられたねえ。軽微な物を含めた26箇所の裂傷と複数の内出血。骨が折れるよ」

「えっ。骨も折れてるんですか」

「私の骨が折れるって話だよ。尤も、これが無かったらいくら君でも酷いことになってただろうがね」

 そう言うと、医者は傍らのテーブルに置いてあった防刃ベストを片手に持って見せてきた。DCC霊能対策局の捜査官が着用を義務付けられている物だ。表面には巨大な切り傷があり、貫通していることが分かる。致命傷まで紙一重という所か。

「所で今は……」

 医者は背中で手を組みながら、アルバートの周りをうろうろと歩き回る。

「君が南地区の攫い魔サウスサイド・キッドナッパーを討伐した翌日の朝だよ。いやあしかし、君の回復力にはいつも驚かされる」

「そうでしょうね」

「抜糸は一週間後だ。念の為包帯とかは巻いてあるが、夕方ぐらいには外していい。動けるようになったら出てってくれて構わないよ。余計な心配だろうがな」

 医者は慣れた様子で淡々と伝える。アルバートも慣れているようだが、少し不安げな表情を見せた。

「どうも……所で、俺のの具合は?」

「そういうと思って検査しておいたが、今の所は問題は無い。まだ全然人間のままだよ。ただ、今回みたいに無理すると進行するだろう」

「……善処します」

「善処ねえ。しかし、そんな質問君にしては珍しいな。何か気になることでも?」

 医者の問いに目を細める。

「……夢を見ました」

 アルバートは窓の外を遠く見つめる。昨日の雷雨の面影など何処にもない、爽やかな秋空だった。





 DCC霊能対策局医療センター、ICU集中治療室

 大量の機器に繋がれた少女は未だ目を覚まさない。

 少女の名は、ソフィア・セイヤーズ。ベッドの上で眠る彼女を、デイビッドとキースはガラス越しに見ていた。デイビッドの昨夜の傷はそこまで尾を引くものでは無かったが、所々に包帯や絆創膏が見えた。

「……容態は?」

「霊傷による肉体・霊体両方へのダメージで意識がない状態です。安定はしていますが、未だに目を覚ましません。一体いつになるか……」

「そうか……」

 キースは腕を組んで短いため息をついた。医者は指を眼鏡のつるにそっと置いて調整して話を続けた。

「彼女の霊体を検査した結果、南地区の攫い魔サウスサイド・キッドナッパー……オリヴィア・セイヤーズさんの霊力パターンが微弱ながら検知されました。現在は二つの波形が並んでいる状態です」

 ベッド横には心電図の他に様々なモニターがあるが、その一つが霊力の波形だった。振幅の大きい波形の下で、小さく別の波形が揺らいでいるのが見える。

「つまり……悪魔の霊力が?」

「それが、そういう訳でもありません」

 デイビッドの問いに、医者は困り顔でメガネを上げた。

「証拠品から検出した霊力のデータとは一致しますが、悪魔のそれとはまた違った様子を見せています。エビデンスの欠けた仮説ですが……悪魔を悪魔たらしめる部分のみが浄化され、純粋な霊力のみが残ったとしか」 

 彼の推測はアルバートが建てた仮説と同じであった。暫しこの場の全員が考え込むが、沈黙を破ったのはキースだった。

「ドクター。ソフィアの処分はどうなると思う?」

 キースは宣言通りセイヤーズ家がこの先なるべく普通の生活を遅れるように手続きを進めていた。しかし、検査結果とそれを元にした上の決議によっては望まない結果になるだろう。

「寛容な措置が下されるでしょう。対策局の監視下であれば普通の生活は十分送れるかと」

「良かった……」

「監視下か……まあ、それがあの親子にとっても一番良いだろう。メディアや野次馬の手も止められる。尤も、メディアが嗅ぎ付けるより早く捜査が終わったから杞憂だろうがな」

 一先ず二人は胸を撫で下ろした。後は上層部の決議次第と言ったところか。

「この後は通常の病室へ移されるでしょう。こちらが諸々の書類です」

 書類を渡した医者にキースは軽く頭を下げる。

「何か状況が変わり次第また連絡致します」

「助かったよ。今後も頼む」

 キースは書類を持ちながら手を振り、ICU集中治療室を後にした。デイビッドもソフィアの様子を再び見つつ、その後を着いていく。

「まあ、一段落付いたな」

 振り返るが、デイビッドは黙って何かを考えている。

「……アルバートのことか?」

「……はい」

 雰囲気は重い。霊体侵蝕に関して質問したのは、昨日の話が関係していた。




 昨日。ソフィア・セイヤーズの奪還後へと遡る。車内では、SEHNERVセネーフの検知の話題から別の方向へと進んでいた。

「……あいつにとって重大な話だ。話すと長くなる」

「それってどういう……」

「運転しながらでもいいか?」

 キースはシートベルトを締めた。デイビッドも締めたのを確認し、キースは車のエンジンをかける。車のライトが夜道を照らした。

「どこから説明すべきか……霊体侵蝕、通称ゴースト・ブラッドについては知ってるか?」

「ええ。局内の資料で何回かは」

 デイビッドはアカデミーで習ったことがあるが、それでも聞き馴染みはない。該当者が少ない分授業の優先度は低かったからだ。

「アルバートは……とある事件に巻き込まれた時にそいつに罹っている。知っての通り霊体侵蝕は主に霊力の混入によって発症する」

 時折街灯がキースの横顔を照らすが、その表情は神妙なものだった。

「通常ならば霊力の混入は自浄される。が……一瞬だとしても悪魔同様にこの世界を呪う気持ちがあればどうだ? 霊力の混入を受け入れ自浄は弱まり、そのまま霊力は侵蝕され穢れていく」

「つまりクーパーさんも……」

「そうだ。今は知らないが……その瞬間だけは世界を呪ったんだろう。そして……霊力を全て侵蝕されたら、どうなると思う? 俺達、DCC霊能対策局の敵――悪魔へと変わる」

 嫌な想像が過ぎった。悪魔と化し、自分や他の隊員たちと対峙するアルバートの姿。デイビッドは想像に気圧されて絶句する。

「今はまだ危険な状態ではない。しかし、DCC霊能対策局の規定では侵蝕率が50%を超えた時点で悪魔として処理される」

 二人は前方を見つめる。風景は閑静な住宅街のまま変わらない。キースは話を続ける。

「時にデイビッド。アルバートにどういう印象を受けた?」

 突然の質問に少し狼狽するが、デイビッドは数秒の後に言葉を絞り出す。

「……頼りになる優秀な先輩であり、バディです。怖そうな人だと思ったら意外と爽やかな人で……でもやっぱり怖い人なのかなと」

 キースはその感想に強張った顔を綻ばせ、吹き出した。重苦しい雰囲気は一瞬にして消えたが、デイビッドは今言ったことがこの場に居ないアルバートに対してかなり失礼だったと気が付いた。

「すみません、っていうのは聞かなかったことに」

「考えておく」

 困り眉を浮かべキースの方を見たが、呼吸を整えて話を仕切り直す。

「……俺には、あの人が冷酷無比に徹しようとしているように見えました。勿論、憶測に過ぎませんが」

「そうか……そうだな」

 交差点の信号が赤に変わる。都市部に近付くに連れて、車の音が多くなってきた。

「……デイビッド。一つ、頼みがある」

 キースはサイドブレーキを入れ向き直る。

「こんなことを後輩に言ったとなると、あいつは嫌がるだろうが……アルバートのことを、どうか気に掛けてやってくれ。たまにでいいんだ。あいつが世界を呪うことが無いように……いや、それ以上に、生き急がないように」

 こちらを見詰めるキースの眼差しは、真摯そのものだった。それは親心にも似た感情かもしれない。デイビッドは息を呑み、両膝に載せた拳を固く握る。

「クーパーさんの過去を詮索するつもりもありません……ただ、バディとして最大限にサポートすることは約束します」

 返答を聞いたキースは口角を上げた。交差点はタイミング良く青信号へと変わり、アクセルを踏む。シカゴの摩天楼が遠い暗闇の中で光っていた。




 現在。二人は病院のエレベーター前へと歩いていた。デイビッドの脳裏にあったのは、昨日のキースの言葉。

「……心配してるのか?」

「ええ。昨日の話もありますし、何より傷が……」

「ああ。そのことならな……ゴースト・ブラッドには多少メリットもある。その一つが……」

 続く言葉を、エレベーターの到着チャイムが遮った。中に乗っていた男の顔に二人共一瞬の動揺を見せた。

「よお。ってなんだよ二人共。死人でも見たような顔しやがって」

 そこに居たのはアルバートだった。傷跡や包帯は多少残っているが、その声や顔から察するに体調は万全そうだった。エレベーターの中に、他の乗客の姿はない。

「えっ!? ええと、もう治ったんですね」

「おう。つうかアンタら早く入れ。あと車に乗せてくれ。局までの足がタクシーしかねえ」

 アルバートは壁にもたれかかりながらエレベーターの開閉ボタンを押しっぱなしにしている。デイビッドの誤魔化し方にキースは苦笑を堪えた。

 エレベーターに二人が足を踏み入れると、エレベーターの扉は閉まり下降が始まった。

 デイビッドは察する。恐らくキースが言いたかったメリットとはこの異常に高い自然治癒力だ。しかし、それを加味したとしても早い。恐らく、アルバートの霊力の高さが関係しているのだろう。

 思慮を巡らせている最中、エレベーターの扉が開いた。一階は吹き抜けで他のフロアと同じく白を基調とした清潔感のある造りだ。

 三人が正面のエントランスへと向かう中、婦人服に身を包んだ女性が、ハンドバッグを抱えながら歩いているのが見えた。

「あれは……」

 デイビッドが呟く。女性はアルバート達の視線に気付くとバツが悪そうに目を背け俯いたが、逡巡の後に決心を決め、ゆっくり歩み寄ってきた。三人はその顔を知っていた。ソフィア・セイヤーズ達双子の母である、ヘレン・セイヤーズだ。

「……お見舞いですか?」

 デイビッドの問いかけに女性は長いブロンドの髪を耳に掛け、口を開いた。

「……はい。貴人方は確か……」

「ニコルソンです。こっちはサンチェスとクーパー」

 三人は事情聴取の際に顔を合わせていた。双子の顔を実際に見た後だと表情や仕草に血の繋がりをよく感じるが、その振る舞いは年齢以上に大人びている。ヘレンは抱えていたハンドバッグを片手に持ち、三人の顔を見渡した。

「……この度はソフィアを救って頂き、本当にありがとうございました。感謝してもし切れません……」

「いえ……我々はソフィアさんに傷を負わせてしまった。判断を間違っていなければ傷を負わせることなく娘さんを連れ戻せた筈です。言葉もございません。二度とこのような事態にならないように尽力します」

 キースの謝罪に対し、ヘレンはハンドバッグを持つ腕を固く握り締め、か細くなった声を振り絞った。

「やめてください……謝らなければいけないのは私の方です。私は……」

 言葉に詰まるヘレンを見て、三人は顔を見合わせた。一息置いて、アルバートが神妙な面持ちでヘレンの目の前に立った。

「……庇ったのでしょう。娘さんを」

「貴方は、あの時の……」

 ヘレンはハッとした様子で目を見開くと、少しの間を起き伏目がちに呟いた。

「お見通しだったんですよね。あの時、既に」

「正直に申しますと、その通りです」

 その返答に当時の場面を思い出したヘレンは、声を震わせ、片手で口を覆った。細めた目は、床のタイルだけを見つめている。

「私は、なんてことを……」

「確かに、捜査の点で見ればその情報は頂きたかった」

 アルバートは真摯とした態度で言葉を続ける。

「しかし、幸い貴女のご主人以降、死傷者や重傷者は出ていない。子供を持ったことのない若輩者が言うべきではないかもしれないですが、親として間違っていたと言うつもりはありません。何より、貴女は被害者なのだから」

 その言葉を聞いたヘレンは、顔を上げてアルバートの目を見た。真っ直ぐな黒い瞳には、その中に確かに強い芯があった。後ろで聞いていた二人も、彼の出した答えに安堵した様子で少し緊張を解く。

「だから、俺達のことや面倒な手続きのことは忘れて、ソフィアさんの元へ行ってください」

 ヘレンはその言葉に緊張で固めた手を緩め、目を見開いた。

「……ありがとうございます」

 その言葉を聞き優しく微笑んだアルバートの肩に手を置き、キースが前に出てきた。

「クーパーが言う所の、面倒な手続きの際にまたお会いしましょう。娘さんをお大事に」

「……はい」

 ヘレンの返事を聞いたキースは、納得したように穏やかな表情で頷き、アルバートの背中を軽く叩いてデイビッドの方を見た。

「セイヤーズさん、失礼します」

 ヘレンの方を見て片手を上げたキースに続き、二人はその場を後にした。歩調を緩め、デイビッドはふと振り向く。エレベーターへと歩くセイヤーズ婦人の後ろ姿に、寂しさと強かな親心が同居しているのを感じた。

「何してんだ、行くぞ」

 大きなガラス戸の前で振り向いたアルバートに声を掛けられ、我に返る。デイビッドは急ぎ足で二人の元へと歩いた。似た境遇のせいか、ヘレンの後ろ姿にはどこか自分の母親に似た物を感じた。

 対策局へと戻る車中で、デイビッドは故郷に思いを馳せた。弟は今年から大学受験が控えているが、しっかりと勉強しているだろうか? 母は働き詰めで大丈夫だろうか? 父が居なくなってからの家計は正直な所切羽詰まった状態だった。なるべく実家に送る仕送りの量を増やしたい。

「痛っ……」

 突然、デイビッドを頭痛が襲った。今回の事件で疲れたのだろう。前方の運転席では負傷した二人の代わりにキースがハンドルを握り、隣ではアルバートが物憂げに煙草を蒸している。ラジオからは、ジョン・デンバーのカントリーロードTake Me Home, Country Roadsが流れていた。

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GHOST BLOOD 佐伯 寂 @sabire105

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