CASE8 - 白鳥の湖
――血飛沫が上がり、仮面が剥がれていく。
身を包んでいた異形は朽ちて消えていき、三人に突き刺さった羽根も朽ち始めていた。デイビッドを蝕んでいた霊力の神経毒も消えていく。
倒れていくオリヴィアの目には、こちらを見つめるソフィアが映っていた。
「オリヴィア!」
ソフィアはボロボロの体でオリヴィアの元へと駆け寄る。デイビッドが静止を促すが、その声は耳には入っていない。
「ソフィ……ア……」
か細い声で名前を呼びながら、オリヴィアは手を伸ばす。ソフィアはその手を取って涙を流した。二人を止めようとするデイビッドに、アルバートが手を伸ばして頷く。デイビッドは暫く考えると、その場に留まった。
「私が、助けてなんて言ったから……」
ソフィアは片手で涙を拭うが、それでも尚涙は零れ落ちていく。
「私が、私が悪いの……! 私のせいで、お父さんも……オリヴィアも……! こんなことさせたくなかった……! ごめんなさい……! ごめんなさい……!」
嗚咽して謝り続ける彼女の姿を見て、オリヴィアは口を開いた。
「昔、遊園地でソフィアと喧嘩したよね……」
ソフィアは他愛ない内容に少しばかり驚くが、涙を堪えながら返答を紡いだ。
「……その後、私が走り出して迷子になっちゃった。覚えてたんだね」
「家族皆でソフィアを見付けた。お父さんとお母さんは叱ってたけど、私はただただ謝りたかった……その時言ったこと覚えてる?」
「覚えてるよ……」
オリヴィアは、優しく囁く。
「貴女が何処に居ても一緒だよ。って」
オリヴィアはソフィアの頬に伝う涙を指で拭おうとするが、その指先が黒い灰に変わっていく。
「オリヴィア……!」
ソフィアは体温の無いオリヴィアの手を強く握り、どうにか出来ないだろうかと捜査官達の方を見るが、彼らの表情は暗く、アルバートは首を振った。悪魔になった時点で、二――否、2年前既に手遅れだったのだと痛感するばかりだった。
「ねえ、ソフィア」
その声にソフィアが振り向くと、オリヴィアは諦観したかのような微笑みを浮かべていた。
「約束……また守れなくて」
オリヴィアの頬には涙が伝う。紛い物だとしても、その感情に間違いはなかった。
「ごめん」
顔の半分が灰に変わろうとしていた。ソフィアは声にならない叫びを上げた。
「ソフィア……!」
ソフィアはオリヴィアの体を起こし抱き締めた。オリヴィアは目を細める。心配させまいと作っていた笑顔は崩れ、涙が溢れた。それは、年相応の子供のものだった。
「でも……」
悲しさと愛おしさ、そして悔しさが入り交じる。その思いは、変わることはない。
「本当は、一緒に居たいよ……」
涙までもが朽ちていく。その言葉を最期に、オリヴィアの身体は原型を失った。そこにあるのは、純黒の灰だけ。
「オリヴィア……オリヴィア!」
後ろで見守っていたデイビッドは行き場のない感情を胸にしまい、目を閉じて深く俯く。他に方法は無かったのか――否、あるとしたら今この場に自分達は居ないのだろう。同じ感情を既に何度も味わっているであろうアルバートも、暗い表情で目を伏せている。
涙で覆われた視界の中、ソフィアは何かを見つけた。涙を拭うと、灰の中からそれは流れ出てきた。
それは呪いではなく、祝福するかのような白い光だった。ソフィアは零さないように両手でそれを受け止めようとすると、光はソフィアの掌へひらひらと舞い降りていった。
傍から見ていたデイビッドは目を見開く。見間違いかと思いアルバートの方を見たが、彼も動揺しているようだった。アルバートの経験の中でも見たことのない事例だ。
光に触れたソフィアは、その正体を確信して呟く。
「オリヴィアなの……?」
ソフィアは安堵の笑みを浮かべると、その光の中でゆっくりと瞼を閉じた。
「……分かった」
ソフィアは優しく抱擁するかのように、光を自らの胸へ当てる。涙は既に止まっていた。
「ずっと一緒だよ」
光はその勢いを増し、辺りを包んだ。捜査官達はその眩さに思わず目を細める。
光は、ソフィアの中へ入り込み消える。気付けば、辺りは再び暗闇に覆われていた。崩れた屋根から入り込む雨の音だけが辺りに響いている。
「なんだったんだ……?」
アルバートは疑問を口にするが、彼らが目撃した光景は、決して見間違いではない。灰の横に、意識を失ったソフィアが倒れていた。二人はソフィアに近寄る。
「今のは……」
ソフィアの手には、家族の写真と白い羽根のペンダントが握られていた。二人は現場から写真がなくなっていたのを思い出した。そして、ペンダントは恐らくオリヴィアの形見であり、生前の彼女の遺品だろう。
脈を確認すると生きているようだった。
「デイビッド、包帯を」
「……はい」
二人は急いで応急処置を施すが、妙なことに気が付く。オリヴィアの姿はないのにも関わらず、ソフィアの霊力には微弱ながらオリヴィアの霊力が混じっていた。アルバートは包帯を巻き終えると、呆然と思慮に耽った。
「穢れていない――霊力の純粋な部分だけを掠めとった? いや、そんなことが――」
疑問が脳裏を埋め尽くす中、アルバートは頭をふらふらと揺らした。
「クーパーさん!」
デイビッドの声が近くにも関わらず遠ざかって聞こえ、視界がぼやけて歪む。霊力も体力も使いすぎたアルバートは、殆ど精神力だけで動いていたようだ。倒れていくアルバートをスライディングして支える。
「――ッ!」
痛みが全身に走る。恐怖で忘れていた痛みが今頃やってきたのだ。デイビッドは、一つ思い出して苦笑いした。
「情けないな……俺……」
身体はアルバートに比べ負傷は少ない。それにも関わらず碌に動けなかった自分をデイビッドは恥じていた。しかし、アルバートはその言葉を聞いて薄目を開けた。
「おい……んなことねえよ……」
「クーパーさん! 無理に喋っては……」
デイビッドは急いでアルバートにも包帯を巻く。
「寧ろ……悪かった。アンタにも、あの双子にも」
「……え?」
「俺だけで十分やれると……新人だからと甘く見ていた。そのせいでオリヴィアを、ソフィアを。余計に苦しませたんだ。デイビッドが引きつけて無ければ倒せなかった。アンタがこの状況を変えたんだよ」
「そ、それは……」
アルバートはデイビッドの返事を待たずに、何かに気が付いて眉を潜める。指をくいくいと動かしながら入り口を差してそのまま仰向けに目を閉じた。
「遅えんだよ……」
振り向いた先には、車のライトの逆光を浴びる数人のシルエット。
「おい! 終わっちまってんじゃねえかよ! 楽しみは取っておけよなぁ」
「悪魔だろうとガキ相手に
「あなた達は……!」
デイビッドとその男達は初対面だが、顔と名前は知っていた。挨拶する機会が無く話したことのない、同僚の捜査官達だった。
煙草を吸いながら入ってくる若い男の名前は、ジャック・エマーソン。センター分けした髪の下を刈り上げており、更に剃り込みが入っていた。耳には大量のピアス、ジャケットの下にはシャツではなくパーカーを着ており、不良のような印象を受けた。
彼が煙草を捨てて踏み付けると、後ろの色黒の男が彼の肩を掴んだ。
「おい。お前……」
彼の名前は、コーディ・グラッドストン。口元に縦に走る傷と大きな体躯は威圧的な印象を与えるが、その口調から穏やかな人間であることが伝わる。筋肉質で窮屈そうなのにも関わらず、第一ボタンまでシャツをぴったりと締めてスーツを規定通りに着ている。
「公務員としてどうなんだ」
彼はジャックの落とした煙草を拾い上げると、携帯灰皿に捨て直した。
「なんだよ、皆やってるぜ?」
「それも良くないんだよ。そもそも、お前は他にも色々と問題が多すぎる!」
「はぁ、そうかよ」
ごもっともなことを言われてジャックは拗ねる。
指導役のコーディは元軍人の優秀な男。今までに凶悪な要警戒悪魔を8体殺しており、極めて礼儀正しく厳格な模範的な捜査官。若手であるジャックはアルバートに並ぶ新人として期待されているが、如何せん扱いの難しい狂犬だと風の噂で聞いている。この様子を見るに、噂は本当のようだ。
「お前ら何喧嘩してんだ……」
彼らの仲裁をしながらキースが入ってきた。眉間にシワを寄せ、深く息を吸い込む。
「アルバート! なんで増援を待たなかった」
その怒号をアルバートは鼻で笑う。
「はっ……んなことしたらどんな帰結になるか分からなかったもんでね。対霊機動でも呼んでくれるなら話は別だがな」
確かに仮説が正しいのかも分からなかった故に、増援が来ればどんな行動に出るのか分からない。アルバートなりの考えがあったのだろう。
「機動隊は……この程度の話じゃ動かない。と言いたい所だが、その様子を見るに無理にでも呼ぶべきだったろうな。はあ……俺のミスでもあるか」
キースは深く溜息をつくと、アルバート達を見て頷いた。
「ヘリは一基しか呼んでいない。アルバートを車に運べ。コーディは
「了解」
「ええ?」
不満そうな態度のジャックは先に歩き出したコーディに睨まれると、頭の後ろに手を置きながら渋々アルバートの元へと向かった。
「わぁーったよ」
コーディはジークフリートをケースに入れると軽々と持ち上げた。アルバートもジャックに肩を貸され、その乱雑さにうなされながら車へ運ばれていく。
キースは彼らの様子を見送ると、倒れている少女へ視線を動かし口を開いた。
「それで、サンチェスくん……あの少女は、ソフィア・セイヤーズか? それとも、
返答に困るが、少しの間を置いて告げる。
「ソフィアさんだとは思います。しかし……」
デイビッドは経緯を説明する。キースもやはり前例を知らないようで腕を組みながら唸った。
そして、彼女に近付くと改めて脈を確認し、体をゆっくりと起こして抱き抱えた。デイビッドも手伝おうとするが今度こそ止められ、その言葉に甘えることにした。教会の外へ出ると雨は止んでおり、澄んだ空気に星が輝いていた。
アルバート達を乗せた車の姿は既に無い。
「彼女はどうなるんですか?」
「うむ……適当なことは言えないが、不当な扱いを受けないようには尽力する。母と再び普通の生活を送れるようにな」
「つまり……!」
デイビッドは声のトーンを上げて目を見開いた。キースは乗ってきた車の後部座席に一旦ソフィアを乗せると話を続けた。
「ああ。ヘレン・セイヤーズがスティーブンによる家庭内暴力を認めた。彼女も被害を受けていたそうで、痣とボイスレコーダーが証拠になったよ。告発する準備はしていたようだが、中々踏み出せずずっと表に出していなかったようだ」
「そ、それは……!良かっ……」
吉報に笑顔を溢しそうになるが、デイビッドはすぐに自分の不謹慎さを顧みて言葉を止めた。
あくまで不幸中の幸いに過ぎないからだ。虐待されていたのが事実だったのは、どう解釈しようと不幸な話だろう。そして、虐待の加害者であり、実の娘に殺されたスティーブンの遺体が脳裏に過る。デイビッドは俯いた。
「気の毒でしたね……スティーブンさんは……」
「まあな。しかし、家族に手を出すことは如何なる理由があっても許されない。それが自分の子供なら尚更だ」
デイビッドはその言葉を聞き、シャツの上から自分の胸に手を当てた。アルバートも言っていた。家族を傷付けるなと。
「……その通りです」
ネクタイごとシャツを握り締める。顔を上げたデイビッドの目は朝の彼よりも強く視界を捉えていた。
この一日だけで彼は成長した。キースは口角を上げて手を差し出した。朝の流れ作業的なそれとは違い、その手には最大限の敬意が込められている。
「サンチェスくん……いや、デイビッド。ハードな初任務になっただろうが、よくやってくれた。君とこれから仕事が出来る事を光栄に思う。改めて宜しく頼むよ」
「……恐縮です。俺からも、宜しくお願いします」
固く握手を交わす二人を風が煽る。
上空から風を切る音が聞こえた。ヘリコプターだ。
機体は強風を巻き起こしながら目の前の空き地に離陸する。降りてきた隊員達の制服には
「
「よく来てくれた。被害者はこっちに。その、なんだ。訳有りだから君たちの上司にこちらから事情を説明しておく」
「了解。被害者の保護を!」
隊員達はソフィアをヘリコプターに乗せ、医療センターへとヘリコプターを飛ばした。手の甲を額に当て風を避けながら、二人はそれを見送る。
暫くしてキースは伸びをしてから言い放った。
「さて……俺達も帰るか。乗ってくか?」
「はい――」
乗ろうとして扉に手を掛けたが、何か心残りがある気がする。デイビッドははっとして表情を変えた。
「……そうだ!」
疲弊して大事なことを忘れていた。
「ニコルソン主任! 確か付近にもう一体悪魔の反応が……!」
「何!? 早く言え!」
「すっ……すみません!」
キースはまくし立てるが、気に掛かる点が一つあったようで呼吸を整えた。
「……いや、ちょっと待て。パソコンを見せてみろ」
「え……? は、はい」
デイビッドは困惑しながらも助手席に乗り、
「はぁぁ……」
「え、何かミスを……」
怒られたこともあり慌てるが、キースは気の毒かつ申し訳なさそうにデイビッドに伝える。
「いや、お前は悪くない。悪いのは技術部の奴らだ……」
「となると……『目』の故障ですか?」
「それも違う。検知は寧ろ抜群に出来ているが……
「2年前……?」
「ああ。特例で除外される反応がいくつかある。」
2年前。丁度アルバートが入局した頃と一致するが、因果関係はあるのだろうか。そんなことを考えていたが、答えはすぐに出た。
「この
「……え?」
理解が追い付かない。アルバートが悪魔ということなのだろうかと馬鹿な考えが過るが、当然そんなことはない。デイビッドは疑問を重ねる。
「どういうことですか……!?」
「あいつは……アルバートは、契約せずとも悪魔の力を使える、対策局でも数少ない人間。あいつの霊力の色、覚えてるか?」
キースの口から出た言葉に、デイビッドは思い当たる節があった。霊力の色は各々の魂の色を映す鏡。アルバートの霊力の色は赤と黒の二種類があった。
黒い霊力。それは悪魔が扱う基本的な霊力の色と同じだった。
「まさか……」
「そう――アルバート・クーパーは、二種類の霊力を扱える。燃えるような赤い霊力と、穢れた黒の霊力……即ち、悪魔の霊力をな」
「悪魔の、霊力……」
「……あいつにとって重大な話だ。話すと長くなる」
デイビッド・サンチェス捜査官のシカゴ支局への配属、二日目。車内には重々しい空気が流れていた。
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