CASE7 - 暴走

 全て、私が悪いの?


 私が、オリヴィアに助けてと言ったから、この人達は、オリヴィアと戦っている。そして――オリヴィアは、あんな姿へと変わってしまった。


 私は赦されない。けどどうか、オリヴィアだけは。


 少女は、十字架の下でただ祈った。




 教会のステンドグラスを通った雷光が、色彩を伴いオリヴィアを照らした。オリヴィアは自我を失って獣のような咆哮を叫び続けている。四枚になった翼を羽ばたかせ羽根を飛ばし、防御をした所に間髪入れずに回転しながら飛び掛かった。

 遠心力と霊力を伴った斬撃は重い。それに加え、翼の数を考えれば手数で負けているのはアルバート。連撃は続く。暴走前とは違い、戦いは拮抗していた。

 距離を詰めれば羽根の雨が降る。近付けば翼の刃をもろに受ける。本人は先の戦闘時に気が付いていなかったが、戦闘スタイルにおいて弱点が少ないのはオリヴィアも同じだった。無論、現在の彼女には別の理由――即ち、自我を失っている以上気が付くことは出来ない。

 アルバートは無理矢理オリヴィアを薙ぎ払い突き飛ばす。目に見えるダメージは無いが、時間稼ぎの為だった。

「こいつを使うか……!」

 アルバートは弾倉を横に倒し腰に付けていたベルトから新たな弾丸を取り出す。弾倉に込め、直ぐ様トリガーを引いた。霊力の電気が迸り不協和音じみたチャージ音を発する。

「羽根には羽根だ……!」

 ジークフリートを含めた霊葬機ゴースト・ギア用に開発された専用のフレシェット弾。射出された弾丸は軌道上で炸裂し、赤い霊力を伴った鉄の矢が拡散してオリヴィアへ向かった。

 しかし、オリヴィアが首を傾かせて背中の翼を振ると、そこから放たれた羽根と矢が空中で衝突し相殺した。数は僅かにオリヴィアが勝っていたようで、残った羽根がアルバートの背後のステンドグラスを破砕する。アルバートは咄嗟に盾にした霊葬機ゴースト・ギアから顔を覗かせオリヴィアを睨む。

「効かねえか……!」

 羽根の追撃がアルバートを襲う。霊葬機ゴースト・ギアを盾にするが、その猛攻は防ぎ切れない。

 その様子をデイビッドは朦朧とする意識の中眺めていた。

「クーパーさん……! 俺も……!」

 加勢しようと何とか瓦礫の中から立ち上がった。身体からは血が流れる。しかし。

「なんだ……?」

 おかしい。身体の動きが鈍い。

 自分の身体を見ると、いくつかの小さい羽根が突き刺さっていた。羽根は黒い炎のような霊力を纏っている。傷は浅いが、霊力が奪われていくのを感じた。これはいわば、霊力の神経毒。そして、悪魔の負の感情を孕んだそれは、デイビッドの脳裏に過去の光景を蘇らせた。

 怒り狂う父親の前に、泣き喚く少年が居た。

 それは、幼き日の自分だった。

 強者からの理不尽な暴力による、死の恐怖。その感覚は、痛みと恐怖で頭を支配する。平衡感覚を乱した身体は膝を付いた。

 恐怖と毒で手が震える。悪魔の特殊能力――DCC霊能対策局アカデミーで学んだのは、個体によってその能力は千差万別ということ。悲惨な死を遂げたオリヴィアの精神はあの異形を具現化させただけではなく、このような恐ろしい能力まで内包していたのだ。

 自分の足から徐に視線を奥へとやると、十字架の下に横たわるソフィア、が同様の毒を喰らったのか動けずにいるのが分かった。デイビッド同様悪い記憶に苛まれているのか、頬からは涙が伝い怯えた表情を浮かべていた。

「ソフィア……!」

 ソフィアが気掛かりだが、今目の前で暴走しているオリヴィアをどうにかしなければいけない。

 デイビッドは捜査官としてここに来たのだ。過去の幻影や霊力の枯渇に足止めされている場合ではない。父親の幻影にも、目の前の敵にも負ける訳にはいかない。

 デイビッドは震える足を精神力のみで動かしライフルを取りに行った。頭の中で反復する負の記憶を振り切るように歯を食いしばる。

「待ってて下さい……クーパーさん」

 落としそうになりながらもライフルを拾い、構える。標的は自分のことなど眼中に無い。冷静に対処すれば当たる筈だ。デイビッドは呼吸を整え引き金を引いた――しかし。

「……嘘だろ」

 銃の故障。それは軽微なものではあったが、今直す時間は到底無く、危険を伴う。多少の迷いはあったが、デイビッドは諦めてライフルを投げ捨て、懐から拳銃を取り出した。

 この拳銃は霊葬機ゴースト・ギアではない通常の銃器であり、霊力の扱いにまだ慣れていない故に霊力を込めることも出来ず、有効打は望めないだろう。それでもこれだけで戦う方が勝算はある――僅かながらだが。デイビッドはスライドを引き装填を確認するが、普段は頼りになるこの小さな武器に心許なさを感じていた。

「これでどう戦えっていうんだ……!」

 デイビッドは額に汗を流しながら誰に言う訳でもなくそう呟いた。

 目まぐるしい攻防の中、アルバートは遮蔽物の後ろに転がり込み、レールガンのチャージを開始する。一息置くと身を乗り出し、神頼みするようにトリガーを引いた。

「当たってくれよ……!」

 轟音と共に射出されるが、オリヴィアの素早い動きはそのスピードを凌駕した。

 次の瞬間にはオリヴィアが目の前に飛んできていた。咄嗟に刃を向けるが、アルバートの霊力を以ってしても暴走した悪魔の力の方が勝っている。

「埒が明かねえぞ……クソッ!」

 何かで気を引ければレールガンが打ち込めるが、アルバートにそのアイデアはまだしも手法は全くと言って存在しない。このままでは、体力は尽きて段々と押し負けていく。

 ここまでくると対悪魔の特殊部隊――対霊機動の管轄だろう。事前に応援を呼ぶように取り合ってはいたが、実力を見誤っていた。

 アルバートは一旦大きく距離を置き、座席の背後へと回り込む。

 最初は全て一人で片付けようとしていた彼だが、頭の隅に追いやっていた一つの手段に乗り出した。

「デイビッド! 聞こえるか! 俺が戦っている間に何か突破口を見つけてくれ!」

 デイビッドは新人であり、作戦の要を背負わせるには心情的にも効率的にもリスクしか無かったが、この状況で手段を選んでなどいられない。

 そして、息をつく暇もなく次の攻撃はやって来た。翼の刃はアルバートの隠れている座席ごと壊そうとする。

「しまっ……――」

 防御しきれず、アルバートは教会の中央へと吹き飛ばされた。粉塵の中で咳き込むと、彼は血反吐を吐いて面を上げた。オリヴィアがにじり寄る。

足にはいくつもの羽根が深く突き刺さっており、アルバートの強大な霊力であろうと先程までのように素早く動くことは不可能だった。

 アルバートが倒れれば、とうとう勝ち目は無い。そして――成功の為だけでない。バディとして絶対に死なせてはいけない。しかし、アルバートも自分も満足に動けない中、有効的な打開策を考えるのは難しい。このままだとここにいる全員があの翼の餌食になるだろう。

 自らの未熟さを呪う暇もないまま睨む、狭い視界の先。教会の中心に掲げられた十字架を、オリヴィアの姿が隠した。ステンドグラスからの淡い光に照らされる彼女の姿は、醜くも美しい――絶対的恐怖の具現化とも言える姿。

 デイビッドが分かったつもりになっていた悪魔への恐怖など、氷山の一角に過ぎなかった。

 オリヴィアが歩き、十字架が再び姿を表す。視界の奥に誰かが見えた。十字架の下に、傷だらけの身体で手を伸ばすソフィアがいた。彼女に何かを懇願しようとしている。

「――行かないで!」

 その声に、再び脳裏に過去の風景が蘇る。酒瓶を持って血相を変えながら怒鳴り散らす父と、痣だらけになりながら涙を浮かべる弟。そして、成長して父に立ち向かい、拳を構える自分。自分が弟を守る姿だった。

 走馬灯のような記憶の中、ソフィアの叫び声が現実へ引き戻した。

(そうだ……同じなんだ……ソフィアは……俺と……)

 オリヴィアは通路の真ん中で倒れるアルバートの元へ着々と近付いている。その視界にデイビッドの姿はない。

「引きつければ……勝算は……」

 デイビッドの頭に掛かっていた靄が晴れ、打開策が脳裏を過る。しかし、それ相応のリスクを伴う物だ。決行する為の覚悟は彼には無かった――数秒前までは。

 手元の拳銃に目線を動かす。それに片手を添えると、デイビッドは前を向いた。

 もう彼に迷いはない。拳銃を構え、冷静に狙いを定める。たとえこの作戦が上手くいかなくとも構わない。

「こっちを見るんだ……オリヴィア・セイヤーズ……!」

 一瞬だが、霊力の青い閃光が小さく迸った。

 発砲音と共に、弾丸がオリヴィアの頭部へと飛んでいく。振り向いた彼女の骸の仮面に、亀裂が入った。

 打ち砕かれた仮面の隙間に、何かを叫ぶデイビッドが見える。その声はオリヴィアの後方へと向かって発せられた物だった。

「クーパーさん……!」

「デイビッド……!」

「俺が……俺が限界まで引きつけます! 最後に……俺ごと撃って下さい!」

「なっ……!」

 デイビッドは座席の後ろに潜り込み、オリヴィアに発砲を続ける。翼から放たれた羽根により、木材の椅子がボロボロになっていく。オリヴィアはデイビッドの方へ淡々と足取りを進めていく。装填する間は残されておらず、アルバートがレールガンを撃てるようになるまで耐えれるかどうか程度だ。

「お願いします! もうあまり持ちません!」

 アルバートは一瞬彼の大胆な行動に狼狽したが、その目に宿る覚悟を見ると、側に転がったジークフリートを手に取り構え直した。

「……それがアンタの見つけた突破口だというなら……任せろ!」

 トリガーを握り、枯渇した霊力を捻り出す。風切り音のような駆動音を立てて刃が変形していき、二対の刃の間で赤と黒の稲妻が迸った。

 先程の攻撃で奪われた霊力から逆算すると、どう足掻いてもこれが最後の一撃となるだろう。

「まだか……クソ……!」

 ジークフリートのレールガンは一定の霊力を装填すれば放たれる仕組みとなっている。現在の霊力では発射までの時間は通常の倍以上掛かるだろう。デイビッドもオリヴィアの攻撃が止んだ一瞬の隙を狙い拳銃で応戦するが、オリヴィアは少し動きを止める程度。気休めにしかならない。

 突然オリヴィアはその場に立ち止まると、翼を大きく広げた。大技を繰り出す予備動作――これで幕を閉じるつもりなのだろう。

「次のを喰らえば持ちません!」

 デイビッドは物陰からそう叫ぶ。羽根がいくつか掠っており、彼の肩や頬は切り刻まれ血が出ていた。

 翼に纏った黒い炎は刻一刻とその勢いを増していく。もはや翼の形をした炎そのものであり、その光景を見たデイビッドは息を呑んだ。

「クーパーさんッ!」

 座席からアルバートの方を覗く。巨大な黒鉄の塊をオリヴィアへと向けるアルバートの表情は焦りに満ちていたが、ふとその口角は上がった。

「……やっとかよ」

 そう呟くと、ジークフリートに帯びた霊力の稲妻はその光を急激に強め、協会内を赤と黒の雷光で照らした。デイビッドが振り向くと、断続的な放電と劈くような音を伴い、ジークフリートの二対の刃の間に強力な霊力の雷が迸っているのが見えた。

 アルバートとデイビッドの間ではオリヴィアが翼を後方へ仰け反らせ、今にも羽根を飛ばそうとしている。

「ハッ……逆に出力オーバーになるとはな――デイビッド、歯食いしばれ! 死ぬ気で避けろ!」

「……ッはい!」

 そう返答し走り始めた直後、オリヴィアは四対の翼を前方へと急速に押し出した。黒い霊力を伴った羽根が火矢の如く降り注ぎ、教会の中は戦争と見紛う光景となる。デイビッドは言われたままに歯を食いしばり、座席の隙間を死に物狂いで走り抜けて行く。


「……オリヴィア」


 アルバートは哀れむようにそう呟くと、ジークフリートの引き金を引いた。


「アンタはもう、過ちを重ねなくていい」


 空気を切り裂き、轟音が響いた。霊力の衝撃が、軌道上の床を抉っていく。その音にオリヴィアは振り向き、アルバートの更に奥――十字架の下に倒れる少女に目線を合わせた。銃弾がオリヴィアの身体を抉り、その衝撃で仮面が剥がれ落ちていく。


「……ソフィア」


 明瞭になった視界に映る妹の姿を網膜に焼き付けながら、黒鳥の異形は朽ちて消えていく。

 少女の姿をした悪魔は、教会の中心で崩れ落ちた。

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