CASE6 - 霊葬機
悪魔を前に、アルバートはデイビッドの仮説を思い出した。それは、
「――勿論只の仮説に過ぎませんが、一つ浮かび上がりました。それは、ソフィアはオリヴィアと契約し父親を殺した――という筋書きです」
「ソフィアが……?」
アルバートの声にデイビッドは深く頷くが、その表情はどこか悲しげだった。
「はい。仮説はこうです。オリヴィアは悲惨な死を遂げ何かに取り憑いた。例えば身に着けていた装飾品などです。墓に入れてなければ形見として持ち歩いていた可能性はあります」
アルバートが電車で対峙した悪魔も同じく、ペンダントに宿った魂が悪魔になったものだった。
「そして父親を殺した理由。被害者のことをこう言うのも忍びないですが……スティーブン・セイヤーズは重度の鬱病とアルコール依存を併発していました。娘への虐待に発展していた可能性はあります。そして、俺が最も引っ掛かったのはヘレン・セイヤーズのあの様子。夫の虐待を傍観するしかない母親の表情だった」
「……その根拠は?」
アルバートは鋭く切り返した。
「根拠になるかは分かりませんが……経験です」
些か主観が入りすぎていることもあり、彼自身も根拠が薄いことを示唆していたが、その言葉は堂々としていた。そこからアルバートは何かを察するが、当然口にはしない。
「……俺も色々と考えたが一番説得力のある仮説だった」
「確かに有り得るな」
二人は深く頷く。デイビッドも二人に目配せして頷いた。
このデイビッドの説は、オリヴィア・セイヤーズとソフィア・セイヤーズが共謀しているという事実を裏付ける。それは正に的中していた。
――廃教会。
「私はソフィアと一緒に生きたい」
「……やはりそう来たか」
アルバートの視線と声色は依然冷たい。間を置かずに彼は言葉を続ける。
「ソフィアと契約したんだろう?」
「っ……」
オリヴィアは答えないが、それが寧ろ答えになってしまっていた。デイビッドの仮説通りだ。
「……ソフィアの今後が心配か?」
オリヴィアは反応を見せた。図星なのは彼にも伝わった。
「俺には分かる。事故だったんだろう? 感情の高ぶりによる意図せぬ契約と悪魔の顕現というのは……いくつも前例がある。事故だと認められなくても情状酌量の余地は十二分にあるぞ……親子二人が虐待の事実を認めればな」
「何故それを……!」
見通されていると感じたが、アルバートはカマをかけただけだとその直後に気が付き、オリヴィアはハッとした。しかし、情状酌量というのも嘘には聞こえない。アルバートは咥えた煙草を指に挟み溜息混じりに煙を吐く。
「……何より、こんな生活をいつまでも続けるつもりだ。胸糞悪い事実だが、快楽目的で悪魔をブッ殺す、それこそ本当の意味で悪魔みてえな野郎もわんさか居るんだぞ」
「そんなのどうだっていい」
子供じみた主張に苛立ち、アルバートは両手を仰いで声を荒げた。
「これ以上逃げたらソフィアの罪は確定し重罪にもなる! 刑期を終えた頃にはもう若くはない! 過ごす筈だった青春は失われる!」
オリヴィアはそのまくし立てるような口調に怯えた様子を見せた。それを見たアルバートは我に返る。自分の口調がヒートアップしていることに気が付き、両手を下ろした。煙草を咥えて再び溜息混じりに煙を吐き、落ち着いた口調に戻る。
しかし、依然として主張は変わることなく。
「だから……ここで大人しく殺されてくれ。気付いてるんだろう? 自らの穢れた霊力が周りに影響を及ぼしていると。ソフィアはアンタと一緒に居る事で衰弱しているんじゃないか?」
「っ……」
それは世間に周知されている紛れもない事実であり、オリヴィアも実感していた。
悪魔は霊体故に霊力を吸収しなければその形を留められず、朽ちて消えてしまう。それは周りの生物から、空気から。そして、特筆すべきは理由もなく襲う殺人欲求だ。今はまだ平気だが、いつタガが外れるか分からない。
「それにもし……ソフィアがそのまま死んだら、アンタは――」
「――やめて!」
オリヴィアは拒絶する。耳を塞いで頭を横に振った。不安を言葉にされたくない。
「改めて言う。すぐに済む――殺されてくれ」
それは脅迫ではなく、言葉通りの懇願であり、赦しを乞うようにも聞こえた。
脳裏に浮かぶのはソフィアを殺す自分の姿。
それでも――
「それでも――私が……私がソフィアと生きたいと言ったら?」
「心は痛むが、アンタは悪魔だ。無理矢理でも葬る」
主張はぶつかり合う。咥えた煙草から落ちた灰が、床の上で崩れた。
オリヴィアは無言のまま。答えは変わらない。
「……交渉決裂だな」
アルバートは巨大なケースに手を掛ける。
「させない!」
オリヴィアは黒い羽根をアルバートに放った。しかし、振り上げた頑強なケースの装甲が全て弾き落とす。ケースは持ち手を中心に赤い光を纏った。駆動音と水蒸気を伴い変形していく。轟音と共に水蒸気が辺りを包むと、彼の姿形は見えなくなった。
巨大な影が赤い閃光と共に現れる。
仰々しい黒鉄の塊。
巨大な黒い刃の根本で、リボルバーが駆動音と共に回転する。一部のパーツは赤い霊力を纏い、高温で熱せられた金属のように妖しく光る。
持ち手付近から伸びるパイプから熱風が吹き出し、黒い髪とネクタイが揺れた。
「霊力の伝導を通常の数倍まで引き上げた、対霊能殲滅兵器……霊力を込めれば威力は通常の兵器の数倍。俺達はそれを――
「お前を葬るこいつの個体識別名称は――」
死神は憐れむような、はたまた害虫を見るような瞳でこちらを一瞥した。こちらへ鋭い矛先を向け、横に付いたレバーを引いた。
「――
刃は変形し、二対の刃へと変わる。その断面には小さな溝が走っていた。剥き出しになった銃口がこちらを向き、赤い稲妻が上下に分かれて迸る。
その姿はある電磁兵器を彷彿とさせた。これは電磁力へと霊力へと置き換えた、いわば、
オリヴィアは、咄嗟に横へと身を放り投げた。
赤いマズルフラッシュが教会の中を照らし、爆音が鳴り響く。回避は間に合わない。霊力を伴った弾丸はオリヴィアの翼を貫いた。
「――――ッ!」
ジークフリート。その名前は、皮肉にもオデットと恋に落ちるかの王子と同じ名前を冠していたが、白鳥の湖のそれではないことは明白だった。
翼で覆われた視界の隅に何かが見える。
――巨大な刃。
オリヴィアは翼を最大限まで硬化し刃を受け流すが、霊力を伴った黒鉄の刃は、オリヴィアの翼を削り血飛沫を上げた。
「あああああ!」
振り切った刃は、その全重量を乗せてオリヴィアを吹き飛ばす。
粉塵と煙の中に、赤く光る二つの目が見えた。
「立て」
竜殺しの英雄、ジークフリート。
その刃は、邪悪な
ノートパソコンに映る
「こちらアルバート・クーパー捜査官。悪魔『オリヴィア・セイヤーズ』を捕捉。応援を求む」
「了解。すぐそちらに――」
返事を待たずに通信が切られる。デイビッドは嫌な予感がした。
「――クーパーさん?」
マーカーは二つに増えていた。グラフを見ると、微弱ではあるが実際に悪魔の霊力を示している。デイビッドの額から汗が流れ落ちた。
悪魔はもう一体居る。
「クーパーさん……!」
バディを見殺しにする訳にはいかない。デイビッドは無線機とノートパソコンをしまった。
「どうか俺が来るまで耐えてください……!」
デイビッドは
オリヴィアは痛みに絶叫しながら、自暴自棄に翼を振るう。アルバートは刃を盾にして、羽根のナイフを全て受け流した。そして、直ぐ様攻撃に転じる。間一髪で避けるが、いつまでもこうしていては分が悪い。
彼に抱く印象は、最初に戦った時と同じ。
――死神だ。
距離を取ればあのレールガンを喰らう。近付けばあの巨大な刃に真っ二つにされる。無論、逃げることも毛頭叶わない。
その兵器は冗談のような見た目をしていたが、アルバートの常軌を逸した霊力を計算に入れれば実用的かつ弱点の見えない武器へと変わる。
それならば立体的に動き回り狙いを定めさせないことが最善だった。オリヴィアは壁へと跳躍した。
「シンプルだが最適解だな……」
オリヴィアは壁から壁へと素早く滑空する。
アルバートはレールガンを撃つのを諦め剣を構えた。オリヴィアの気配へ五感を研ぎ澄ます。
後ろで風切り音がした。
「そこか!」
二つの刃がかち合い、火花が飛び散った。その衝撃に突き飛ばされたが、二の足でブレーキを掛けて止まり、両者は構えたまま睨み合う。アルバートの刃が再び変形を始め、銃口がオリヴィアに向いた。
その時、足音が響いた。
「オリヴィア!」
「ソフィア……!? 出てきちゃ駄目……!」
オリヴィアはつい目を離してしまった。閃光が彼女を照らす。
爆音と共に、赤と黒を纏った凶弾が放たれた。
デイビッドは廃教会に辿り着いたが、その光景を前に立ち尽くすしかなかった。
床に散った黒い翼と血飛沫。横たわるソフィアと、巨大な
「遅かったな」
振り向いたアルバートの顔には、返り血がべったりと付いていた。
「クーパーさん……!? そうだ……もう一体の悪魔は!?」
「何の話だ……?」
その時、奥でソフィアが膝を付いた。
「ソフィア・セイヤーズ……!」
振り向いたデイビッドは、自分の立てた仮説が正しかったことを悟った。そして、それはこれから訪れるソフィアの絶望も意味する。
「う、そ」
目の前に横たわるオリヴィアに、二度目の死が近付いていた。ぽっかりと空いた胸の孔から流れ出た血が、タイルの溝を満たして広がっていく。
「オリヴィア……? 嘘だよね……? オリヴィア……?」
オリヴィアは虚ろな目を閉じ、その息を止めた。
慟哭が、雨の音を掻き消し響く。
「うわああああああああああ!」
ソフィアは転びそうになりながらオリヴィアへと駆け寄る。アルバートはそれを尻目に
「こちらアルバート・クーパー。ソフィア・セイヤーズを発見。悪魔、オリヴィア・セイヤーズは瀕死。目標を排除後速やかに被害者を保護する」
デイビッドはクーパーの本来の実力よりも、その冷徹な態度に恐怖した。泣き喚く少女には目もくれていない。
見た目に反して気さくな人だと思っていた。薄々気が付いていたが、彼にそう思わせたこれまでのコミュニケーションに関しても、円滑に仕事をこなす為の通過儀礼に過ぎないのではないか。
彼は見た目通りに冷徹かつ素早く仕事をこなしただけだ。捜査官としてこれ以上無い程に正しい。
デイビッドはキースの言った言葉を思い出した。
『感情移入しすぎるな』と。
それは被害者に対しても、悪魔に対してもだと気が付いた。この教えを恐ろしい程に体現した人間が、目の前に居る。
アルバートは煙草に火を付けると、ジークフリートの矛先をオリヴィアへ向けた。
「トドメを刺す。退いてくれ」
「嫌だ! 死なせない!」
ソフィアはオリヴィアにしがみついて離れない。アルバートは深いため息を付いた。
「……デイビッド」
デイビッドの方へ目を流す。
「力づくでもソフィアを引き離せ」
純粋な命令形。冷たい目をしていた。
「……分かりました」
デイビッドの足取りは重い。
ソフィアは突如泣き止んだ。
雷鳴が轟く。ソフィアは歯を食いしばると、タイルの破片を拾い自分の手首に傷を付けた。
「あああああああ!」
自暴自棄に叫ぶソフィアを見て、二人は目を見開き動揺する。雷光が滴る鮮血を照らした。それは、ソフィアの口の中へと落ちていく。
「私の血を飲んで……!」
その言葉と行動にアルバートはこれ以上ない程の怒鳴り声を上げる。
「ふざけるな!」
止めようとするが、既に遅かった。
血の霊力を得たオリヴィアは、鋭く目を見開き、飛びかかろうとしたアルバートを吹き飛ばす。ジークフリートは手から離れ床に突き刺さった。
「クーパーさん!」
心配している暇はない。
デイビッドもケースからライフル型の
しかし、彼女の頭を守る仮面は硬く、微弱な霊力ではヒビすら入らない。
「そんな――」
――巨大な翼。デイビッドも一振りだけで吹き飛ばされた。
残るは、ソフィアのみ。
糸で吊られたマリオネットのように腕が持ち上がり、首が小刻みに動く。電気に打たれたように痙攣すると、ソフィアは、膝を付いたまま呆然としていた。
「俺は……これを恐れていた」
アルバートは血反吐を吐きながら立ち上がる。
折れ曲がった翼は元の形へと戻ると、更なる異形へと姿を変えていった。
「感情の昂りと外的事由がトリガーになる……」
腕にも羽根が生え、翼へと変貌していく。足にも黒い装甲が纏い、その体躯は倍ほど大きく見えた。
「悪魔の、暴走……!」
鳥類の頭蓋骨のような仮面が生え、彼女の顔の上部を覆った。
「オリヴィア……その姿は――」
ソフィアの言葉は遮られる。彼女は十字架の下へと吹き飛ばされる。何が起こったのか分からなった。口から血が流れる。
「どう……して……?」
オリヴィアは梟のように首をカクカクと捻じ曲げ、ソフィアを見つめる。顔を覆う頭蓋骨の目の中は、一切の光を灯さない漆黒。
床に倒れ朦朧とする意識の中、デイビッドは声を絞り出す。
「ソフィア……! 逃げるんだ!」
翼が軋む音を立てながらゆっくりと後ろに曲がっていく。次の瞬間、翼は前方に羽ばたいた。無数の黒い羽根がソフィアに襲い掛かる。
ソフィアは絶望して立ち尽くしていた。
「オリヴィア……」
――オリヴィアに殺される結末なら、構わない。
これは罰なのだろう。
ソフィアは目を閉じた。
血飛沫が上がった。
それは、鋭い金属音と共に。
「え……?」
目を開ける。アルバート・クーパーの背中だ。
盾にした刃から、羽根が落ちていく。
防ぎ切れなかった羽根は彼の肩に傷を付けていた。
「クーパーさん!」
血だらけになったアルバートを見てデイビッドは叫ぶ。アルバートは問題無いと言わんばかりにデイビッドへ掌を伸ばした。彼は刃の矛先をオリヴィアへと向けた。
「言っただろ……大人しく殺されてくれってな」
鋭い眼光でソフィアを睨み付けると、アルバートは刃を振り上げて叫びを上げた。
「二度と!
黒い刃と翼が赤と黒の火花を散らした。ソフィアとデイビッドは、目の前の化け物達の戦いをただ眺めることしか出来ない。
オリヴィアの咆哮が轟く。
この場で暴走したオリヴィアを止められるのは、アルバート・クーパー唯一人だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます