CASE5 - 黒鳥の湖
頭が割れるように痛い。
私は何をしていたのだろう。火は私の周りを包み呼吸を殺していく。
生家が燃え上がるのをただ眺めるしかなかった。
記憶が流れていく。
これが所謂走馬灯なのだろうと、私は直感した。
日曜の礼拝が終わると、バレエ教室に行ってたね。
お父さんとお母さんが、上演に連れて行ってくれたのが習い始めたきっかけだったなあ。
その時見たのは、白鳥の湖だった。
私達は双子だから、オデットとオディールのどちらもやれるよねって。夢物語を話してた。
ねえ、ソフィア。私の言ったこと、覚えてる?
貴女が何処に居ても一緒だって。
「――ごめんね。約束、守れなかった」
胸に感じる愛の奥で、この世界を恨む感情が沸々と湧いていた。
私が何をしたというの?
「誰か、助けて……!」
ソフィアが叫ぶ声が聞こえた。
永い眠りから醒めた気分だった。
「――お父さん?」
錆びた鉄の匂いと、見慣れた顔。ちょっと疲れた表情をしていたけど、目の前にはお父さんが居た。
――良かった。悪い夢だったんだ。
そう思った矢先、周りの風景がおかしいことに気が付く。此処は何処? 私の知っているエヴァンストンの家ではない。
「オリヴィア……?」
ソフィアの声だ。背が伸びたように見える。それに、どうして泣いているの?
「あ、悪魔……」
「……え?」
誰に言ってるの? お父さん。どうして私をそんな目で見るの?
ぐしゃり。
お父さんが、崩れ落ちた。
窓硝子に、私の姿が映る。血に濡れた黒い翼が身体を覆い隠していた。
嗚呼、なんだ。
――こっちが悪い夢だったんだ。
父の亡骸を前にただ立ち尽くす。私の頬を伝う涙は、酷く冷たかった。
「オリヴィア……なの……?」
ソフィアが嗚咽を堪えながら私を呼ぶ。
「……うん」
私は笑顔を作り、ソフィアを見た。キャミソールに身を包んだ彼女の身体には、いくつもの
「……私が。私が助けてって言ったから……! 貴女を起こしてしまったの……?」
何かの本能が、これは契約だと私に伝えた。穢れた私の魂は、悪魔になった。私はソフィアに呼び起こされたのだと。
誰かの足音がした。
ゆっくりと扉が開かれる。
「……ソフィア?」
母の声。私の顔を見てソフィアと間違えていることは、すぐに分かった。
月明かりが私を照らす。私は今どんな表情をしているのだろう。床に滴り母の方へ伸びていく血の海に、翼から落ちた羽根が浮かぶ。
「あなたは……」
母は黒い翼と蹲るソフィアを見てようやく気が付いた。震えた声で、私を呼ぶ。
「オリヴィア……?」
私は、あまりのおかしさに嗤っていた。
「ねえ、ソフィア」
手を伸ばした先で、ソフィアは面を上げた。
「契約の代償は、お父さんの命と……あなたの行先」
側に置いてあった写真立てを手に取り、埃を払う。唯一残っていた家族写真だ。なるべく、優しい声で言おうとした。
「逃げよう?」
ソフィアは小さく頷いた。
「待って!」
静止の言葉も虚しく、黒い羽根が舞う。
私はソフィアを抱え、窓から飛び立った。長い髪が夜風に揺れ、飛び方を知らない翼で羽ばたいた。
無残に殺された父の死体と、独りになった母の悲鳴だけを残して。
これは消えることのない過ち。
わたしたちの失敗。
路地裏でふと目が覚める。隣では私に寄り添ってソフィアが眠っていた。シカゴの10月に寒さの中、あの薄着では心許ないと思い、こっそりと盗んだ服は私達にぴったりだった。
身体は成長したソフィアを模倣しているのか、生前よりも大きく違和感がある。しかし、焼かれて出来た傷だけは生前の私の物と同じようだ。
私はソフィアの肩を揺らした。
「ソフィア。朝だよ」
「……おはよう」
ソフィアは目を擦り私の顔を見つめた。ブロンドの髪を撫で、微笑み合った。
10月2日、朝7時。過ちはまだ続いている。
痣は父の虐待によるものだった。
私を喪って精神に異常を来し、酒に溺れていたとソフィアから聞いた。
せめて私を殺した犯人に復讐をしたかったが、既に電気椅子の上で死んだという。私達の逃亡に、
私は見つかれば勿論殺されるし、悪魔と契約して父親を殺したことが知られれば、ソフィアもどんな罪に問われるのか分からない。私が死ねば契約の証拠は残らないが、お母さんが当時の状況を供述すれば消去法的に判明する恐れがあった。
北へ逃げるのが私達の算段。
お母さんに見られてすぐ飛び立ったせいで、お金は無かった。路上で寝ているホームレスの人達から盗んでもまだ足りない。電車賃を優先して空腹を堪える。
気付けば二日目になっていた。
私達は都市部へ辿り着いたが、算段が甘かったことに気が付いた。空腹が限界を迎えたのは、人外となった私の方ではなくソフィアだった。
二年間の空白を知らなかった私は、セイヤーズ家がどれだけ切迫していたか分かったつもりでいただけだった。ソフィアの食生活は想像より酷く、まともな食事にありつけていないことを知った。
昨晩も例に漏れず、適当なインスタント食品しか出ていなかったという。
私は、食料を盗むことに決めた。
対策局が付近にある以上最悪なタイミングなのは分かっていた。しかし、空腹のソフィアに何かを食わせないとまずい。私を静止するソフィアの言葉を無視して私はダイナーへと向かった。
今頃ソフィアも行方不明者として写真が出回っているだろう。私が捕まっても大丈夫なように、ソフィアにはダイナーから離れた場所に隠れてもらった。とはいえ、私もソフィアと同じ顔をしている。体力のある私が行くことにしたが、顔を見られればまずいことは明白だった。
裏口。フードを深く被りリュックサックのジッパーを予め開けておく。ドアに手を掛けると、鍵はかかっていなかった。人の目も少なく容易に入れそうだ。扉の奥へ入ると、すぐに倉庫があった。
様々な食材があったが、これからの逃避行を考えると保存の効く食材が良い。
私の目に入ったのは缶詰だった。
周りを確認してから、リュックサックに缶詰を満杯になるまで詰める。
コロン、と軽快な音が響いた。
今日だけで幾度もなく盗みを働いたが、手元が狂ってしまった。リュックから缶詰が溢れ廊下へと転がっていく。
「なんだ……?」
店員の声。運悪く店員が廊下に居たようだ。即座に隠れる場所を探すが、見当たらない。迷っていると、店員が缶詰の跡を辿って、ダイナーの制服を着た男が倉庫へと入ってきた。盗人の可能性を既に考えているのか、手にはフライパンが握られていた。
「誰か居るのか?」
返事はない。店員の目には誰も映らなかった。しかし、倉庫から缶詰が大量に消えていることには気が付いたようだった。
「おいおい……」
店員は缶詰が盗まれたことを悟った。
「クソったれ……すぐに店長に報告だ……」
店員は踵を返して倉庫を出ようとしたが、そこには一人の少女が立っていた。
扉の裏に隠れていた私は、店員を蹴り飛ばした。
「痛っ!」
店員は棚に叩き付けられ、棚の中身がゴロゴロと落ちてくる。軽く蹴っただけで人間だった頃の倍の威力はありそうだった。鈍い音が響く。腹部を抑えて店員は私を睨んだ。
「く……クソガキ!」
当然、かなり切れている。私はリュックサックを背負い外へ走り出した。店員もすぐに立ち上がり私を追う。手には再びフライパンが握られている。
「俺は大学の陸上選手だったんだぞ! 逃がさねえからな!」
間抜けな口振りだったが、実際かなり脚が速い。悪魔の脚力を持ってしても逃げられそうになかった。もう少しで路地裏を抜けられそうだと思った、その時。
「捕まえたぞ!」
後ろからフードを掴まれた。パーカーが脱げ、顔が顕になる。店員は私の顔を思いっきりフライパンで殴ろうとした。
「やめて!」
気付くと店員が腰を抜かして倒れている。振り向くと、私の背中には最初より小さいが翼が生えていた。
店員の腕からは血が流れている。軽傷のようだが、確実に翼で切り刻まれていた。店員は遅れてやってきた痛みを感じる。今自分が何をされたのか気が付くと、怯えながら後退りしていった。
「あ、あ、あぁ……悪魔!」
私に背を向け逃げ出す。私は悪魔になってしまったことを再認識した。その様を唖然として見ていたが、すぐにこの状況が不味いことに気が付いた。
通報されてしまう。
私は翼をなんとか引っ込めようとしたが、引っ込め方が分からずに苦戦する。逆に脱力してみると翼が朽ちて行き羽根が剥がれ落ちた。ダイナーの方から何やら罵声が聞こえた。側にあったパーカーを羽織り、フードを被り直す。
私はソフィアの方へ走ろうとしたが、今向かうとソフィアまで見つかる危険性があり不味い。一旦何処かを迂回すべきだ。
私は1ブロック先の大通りへ出ると、目立たないように慎重に歩き出した。
ただのストリートの子供のフリに徹する。私を見る視線が疑いなのではないかと胸騒ぎがするが、平静を装った。
完全に人混みに紛れられたと思った矢先、遠くで男達の声がした。振り向くと、黒スーツの男達が何やら焦った様子で辺りを見渡していた。
――
茶髪の若い捜査官が私を見る。
私は怪しまれたと思い走り出してしまったが、すぐに過ちに気が付いた。走り出す方が俄然怪しい。私は人混みに紛れ込んで暫し歩くと、横に見えた路地裏に入り、彼の視界から消えた。
散乱したゴミを踏み付け路地裏を歩く。どうか気が付かれませんように。
私を見放した神様にそんなことを祈っている
しまった、と思った。完全に翼を消失させずに逃げたのが
捜査官は恐る恐る無線機を取り出す。子供の姿をした悪魔は珍しいのかまだ半信半疑だと思われる。
「デイビッド・サンチェスからアルバート・クーパー捜査官へ。悪魔らしき人影を確認。場所は3番通り衣服店裏。後を追います」
私を追うつもりだ。
私はなるべく冷静に考える。捜査官相手にそう上手く行くかは分からないが、また大通りに出て撒くのが最も勝算が高い。
大丈夫だ。きっと大丈夫だ。そう自分に言い聞かせつつ、少し振り向いてしまった。
捜査官が険しい顔でホルスターに片手をかけている。ジャケットの隙間からちらつく拳銃が見えた。
気が付くと私は走り出していた。
「っ……! 待て!」
怖い。私は二度も殺されるの? 怖い!
死んだ時の記憶が蘇る。
恐怖には抗えなかった。これは頭で考える程簡単なことではない。ましてや、私は齢12歳で死んで、精神もそのままだ。ソフィアへの思いでここまで大胆な行動を出来ている時点でおかしった。
路地裏を抜け横断歩道が見える。渡り切ると、運良く信号は赤へと変わった。捜査官は対岸にいる。
これで撒ける。そう思った矢先、捜査官は1秒程の躊躇でこちらへ向かって再び走り出した。
車を静止しつつ罵声を浴びせられながら横断歩道を無視して駆け抜けてくる。
大人を。捜査官を舐めていた。
目の前の細い路地裏はL字になっていた。新聞のゴミを巻き上げ空き缶のゴミを踏み付けながら、私は全速力で走る。
角を曲がった先で、私は絶望した。そこにあったのは、聳え立つコンクリートの壁。
――袋小路。捕らえられた私は、顔を見られぬようにフードを片手で掴みながら捜査官へ目を向けた。
「
怖い。今日だけで大人から何度も罵声を浴びせられたが、生前の私は数える程しか怒鳴られてこなかった。ましてや、こちらに銃口を向けている人間からは一度も無い。
「こちらサンチェス。容疑者を追い詰めました。場所は先程の地点から1ブロック先、コンビニエンスストア裏」
どうしようもない。もう諦めていいのだろうか?
私は掌を捜査官に向け、ゆっくりと手を上げる。ソフィアが罪に問われる可能性はゼロではないが、契約が判明したとしても虐待を知れば情状酌量の余地がある。私がここで殺されれば済む話じゃないのか。
「そうだ……そのまま伏せるんだ」
捜査官が中腰でにじり寄る。ソフィアはこの先平穏に生きていけるだろうか? 現実と想像の風景が交差して数秒が永遠に感じる。私はゆっくりと足を屈めて膝を付こうとした。
諦めた私の脳裏に一つのビジョンが浮かぶ。
ソフィアの笑顔だった。
――次の瞬間。屈めた足をバネにして私は壁へと跳んだ。迸る力に、私は悪魔になってしまったことを再び痛感する。それでも構わない。理屈を並べてもこの我儘な思いは変えられなかった。
私はソフィアと一緒に居たい。
「悪魔っ……!」
捜査官の銃弾を躱す。私は壁から壁へと跳躍し、室外機を足場にして登っていった。
背中から翼が生え、私を覆い隠す。ソフィアを、私自身も守れる力が欲しい。
その時、銃声が響いた。銃弾は私の頬を掠め、血が飛び散る。
壁にめり込んだ銃弾は赤い稲妻を発してコンクリートにヒビを入れた。何が起きたのか検討も付かない。
薬莢が転がる音。そこには
「そいつか!」
「クーパーさん!」
捜査官達は撃ち続ける。
怖い。殺意から身を守るように、硬化した翼で鉛の雨を受け流した。ここまで追い詰められてしまえば、彼らと戦わなければ先へは進めない。
私は肉親を殺してしまっている。必要に迫られれば、殺しすら厭わなかった。一番の脅威はあのクーパーという捜査官だったが、新人らしき捜査官から攻撃するのが先決だった。
私は黒い翼を震わせ、黒い雨を降らせる。昔から生えていたようによく馴染み、使い方もなんとなく分かっていた。
黒い雨は硬化した私の羽根だ。
「危ねえ!」
意外だった。冷血漢に見えたクーパーという男は、茶髪の捜査官を突き飛ばし庇ったのだ。羽根は彼の腕に突き刺さり、頬を掠めた。
「っ……! クーパーさん!」
新人捜査官がクーパーに駆け寄る。これでは追撃を免れないが、今しかなかった。
私はビルの屋上へと辿り着き、翼を広げる。これでソフィアの元へと辿り着ける。そしてまた逃げるんだ。
その時。
「悪魔風情が……」
私は戦慄した。低く、悍しい――冷たい声。その表情は殺意に満ちていた。それは、私を殺した男よりも、ずっと強く。
彼は血塗れになった腕を振り上げ私に狙いを定める。逃げなければいけないのに、恐怖で上手く動かない。
やっと空へと羽ばたいたその時、劈くような音を立てながら、赤い稲妻が迸った。振り向くと、空気を切り裂く銃声を伴って、赤と黒の雷光が辺りを包んでいた。
身体が熱い。
視線を動かすと、脇腹を銃弾が貫いていた。血が流れ、痛みが遅れてやってくる。
少女の声と獣の声が重なったような、不気味な音が聞こえた。
――私の声だった。
「うわあああああああああ!」
酷く醜い声。それと裏腹に私の脳裏に過ぎったのは、白鳥の湖のあの美しい王女だった。
何より、白鳥は美しい。私が変えられたのは、醜い
気付かぬ内に、血涙が溢れていた。私は地上を見下ろした。私は失態を重ねたことに気が付いた。フードが外れている。今の私は顔を隠せていない。
私の顔を見た新人捜査官は、驚いた顔をして唖然としていた。風切り音と共に銃弾が横切る。彼の手元が狂ったようだ。
私は血を撒き散らしながら、必死に翼を羽ばたかせ飛ぶ。飛ぶ余力は無い。ソフィアへの思いだけが私を動かしていた。
雨が私の血を洗い流す。
追撃は無かった。
捜査官達の姿はもう見えなかった。
暫くして、人気の無い建物の屋上へと降り立った。ソフィアの元へ急がなくては。傘を忘れた子供のフリをして走る。少し不自然だが、脇腹の傷は手で抑えるしかなかった。公園の中へ入ると、遊具の中でソフィアは待っていた。私を見るなり、傘を差してこちらを駆け寄る。
「オリヴィア……! どうしたの、その傷……!」
「捜査官に見つかった! 暫く飛べない!」
ソフィアに支えられながら二人で遊具の中に入った。私はパーカーとTシャツを脱ぐ。それを破いて包帯代わりに脇腹に巻き、リュックから出した予備の服を着た。
「ひとまずこれで大丈夫……悪魔の自己修復能力は高いって本で見たから。でも……」
「どうやって逃げるの……?」
「手段は選べない。都市部かつ雨は降ってるけど……電車に乗るしか方法はない。人混みを逆に利用するの。私を信じて」
私達は見つめ合った。ソフィアは私の目を見て頷き、案を出した。
「それならまず昔の家に行こう。ここから丁度北にある。そこで隠れるの」
「昔の家……? 大丈夫なの?」
「なるべく穏便に済ませるなら……それしかない」
「……分かった。絶対に二人で逃げよう」
私達は強く抱き締めあった。本物の血が通っていない私の身体に対して、ソフィアの身体は温かかった。
私達の作戦は今度は驚く程上手く行った。雨が血を大方洗い流し服を変えたお陰もあるが、そもそも、行方不明の子供の顔をちゃんと覚えている人がどれだけ居るのだろうか。
なけなしの電車賃を使い、私達はエヴァンストンへと辿り着いた。
「ここが、私達の家……」
私達が育ち、私の死んだ家。それは見るも無惨な姿でそこに建っていた。焦げ跡が少し残っていて本当に燃えたことが分かる。人の目を気にして、念の為裏口から入った。
造りは変わっていないのに閑散としている宅内が物悲しかった。持ち主を失った家の悲鳴が聞こえるようだ。
ソフィアが食事を摂っている間、私は傷跡を見様見真似で縫合していた。お母さんの使っていた裁縫セットがまだ残されていたのだ。
悪魔の身体にも通用するのかは分からなかったが、腹が開きっぱなしなのよりはマシだろう。歯を食いしばっていたが、あの一撃を喰らったあとでは大したことのない痛みだった。クーパーという捜査官の銃弾から感じたのは、強い怒りと、深い悲しみ。私と似たどす黒い感情だった。
その後私達は、私が死んだ廊下へ向かった。
焦げ跡が残り、床は所々焼け落ちている。雨の音のせいか、私は妙に落ち着いていた。
「私、本当に死んだんだね」
おかしな台詞だと思った。悪魔だとしても、こんな台詞を吐く人達がどれだけ居るのだろうか。
「でも、ここに居るよ」
そう私に言うソフィアは優しい表情で微笑んだ。
それが酷く悲しくて、嬉しくて。私も笑い返す。
私達は自室へと二年ぶりに戻ってきた。家具が壊れて倒れていたが、休むには十分なスペースがあった。
辛うじて残っていた布類を集め、その上に上着を敷く。横たわるソフィアの端正な白い頬に、何故か傷を付けたくなった。
きっと杞憂だ。
私は目を閉じた。
バイクの音で目が覚めた。
ソフィアは気が付いていない。窓の外を眺めると、二人の男を乗せたバイクがこちらへと向かってきていた。ヘルメットを被っていたがその背丈には見覚えがある。あの捜査官達だ。私達の旧家で手掛かりを掴もうとしているに違いない。
「ソフィア、起きて!」
「どうしたの?」
「捜査官だ……!」
「どうして!? 撒いた筈じゃ……!」
「私達が居ると思ってきた訳じゃ無い。多分何か手掛かりを探しに来たんだよ……!」
バイクの音は近付いてくる。私達は急いで荷造りすると、裏口から外へ出た。痕跡を隠す時間は無い。
本降りになって打ち付ける雨の中、私達は町外れの廃教会へと向かった。
教会の中は綺麗だった。神父も、神もそこには居なかった。悪魔の私がこの場所に居るのが証拠だろう。
崩れ落ちた十字架には、何の霊力も感じなかった。
ソフィアと懺悔室に隠れた。ここが見つかるのも時間の問題だとは思うが、私達の体力と精神は限界だった。
1時間が経った。寝ているソフィアの代わりに私は入り口を見張っていた。
バイクの音も、ましてや車の音も聞こえない。私は少し安心していた。
次にソフィアが起きたらもう一回逃げよう。
今度は、きっと大丈夫。
しかし、何故だろうか。ソフィアの呼吸は大きく乱れている。まるで病魔に侵されているかのように。そして、確かに衝動を感じた。目の前の少女を傷付けたいという、とめどない害意の衝動を。私は怖くなってソフィアから遠ざかった。
後ろで、何か小さな音がした。暗い教会の中で何かが光る。辺りを見渡すと、いくつもの赤く光る目に監視されていた。いくつもの蜘蛛のような何かが、機械音を出しながら壁を這っている。
「……蜘蛛?」
その中の一つを捕まえて観察する。
違う。霊力を帯びている機械の虫だ。
その時、扉が開く音がした。
「こちらアルバート・クーパー捜査官。悪魔『オリヴィア・セイヤーズ』を捕捉。応援を求む」
影は、手元の無線機を仕舞い、黒いフードに両手を掛けた。何か大きく重厚なケースを肩からぶら下げている。その黒髪の男を、彼女は見たことがあった。
「あの時の……!」
――雷の逆光と雨風を受けながら、死神が立っていた。
「また会ったな。傷が疼くか? ……俺もだよ」
雷が無慈悲に鳴り響く。
蜘蛛の形をした機械が金属の足を動かしながら、捜査官の開いたケースへと戻っていった。
「
「そんなことはどうでもいい! 私達を追わないで! 貴方を殺したくない!」
「殺すだと?」
また、あの冷たい声色だ。
彼は瞼を閉じると、煙草を咥え火を付けた。ライターの蓋を閉めた際の金属音が、教会に木霊する。
「ソフィア・セイヤーズは何処だ」
驚く程に端的な言葉と、凍てつくような視線。死神は少女の姿をした
人間扱いされていない実感が私を更に追い詰める。空気中の霊力を吸収する為だけにある紛い物の呼吸は、生前の記憶を思い出し荒くなっていった。
二度目の死が、私に迫っていた。
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