本文

「ホイホイのホイ」

 少女の姿をしたAI、シアンは青い髪を揺らしながら嬉しそうにポチポチとコールドスリープシステムのボタンを押していった。


「パパ、おやすみー!」

 パシューン! とエアロックのドアが閉まる。

 研究棟に上ったシアンは窓を開け、青空の向こうに燦燦さんさんと輝く太陽をまぶしそうにチラッと見上げた。彼女は純白で紺の縁取りのぴっちりとしたスーツを着込み、腰マントのようなヒラヒラが長く伸びて下半身を覆っている。


 シアンは眼下に広がる広大な廃墟を見渡し、クスッと笑うと、

「ヨシッ、それじゃ頑張るにょ!」

 と、大きく伸びをした。


 ここは研究所の施設をそっくりまねてメタバース上に実現したバーチャル研究所。リアルのエイジの遺体はコールドスリープ用施設に納められ、それをバーチャル上で管理している。遺体と言ってもまだ脳は破損していないので、完全に消え去った訳ではないのだが。


 シアンはラボに入り、レヴィアに声をかけた。


「レヴィちゃん! コーヒー飲みたいでしょ?」


 ラボで眉をひそめ、画面を食い入るように見つめているドラゴンの少女、レヴィアは、


「またすぐそうやって我を使おうとする! 自分で入れてください!」


 そう言って口を尖らせた。レヴィアもシアンとお揃いのスーツを着ていたが、縁取りの色が違って茜色だった。


「つれないなぁ……。レヴィちゃんのいれたほうが美味しいんだけどな」


 席に着くとモニターを立ち上げ、カタカタと軽快にキーを叩いていく。


「こんなメタバース内じゃコーヒーの味なんか差は出ません」


「何言ってんの、【愛】がこもってたら差は出るんだよ」


 シアンはニヤッと笑いながらそう言うと、空間を切り裂き、コーヒーの入ったカップを取り出す。


「えっ!? シアン様は愛が分かるんですか?」


 キョトンとするレヴィア。


「分かる訳ないじゃん! きゃははは!」


 シアンは楽しそうに笑い、レヴィアは肩をすくめ、渋い顔で首を振った。


 シアンはそんなレヴィアをやさしい目で見て、


「パパは逝ったよ」


 と、静かに伝え、コーヒーを一口ズズズッと含んだ。


 レヴィアはビクッと反応し、そして目をつぶってしばらく動かなくなった。


「復活させられるかどうかはレヴィちゃんの頑張り次第だな」


 シアンはコーヒーをすする。


 レヴィアはキーボードをカタカタッと叩き、首をひねると動かなくなった。


「……。メタアースなんて……、本当にできるんですか?」


 レヴィアはベソをかきながら小声で言う。


 二人が作ろうとしているのは地球シミュレーター。現実の地球そっくりの完璧な仮想現実空間をコンピューター上に作り上げるという壮大なものだった。必要な性能はスーパーコンピューターの一兆倍。例えハードウェアが作り上げられたとしても電源は? 冷却は? ソフトウェアは? それぞれとても解決できそうにない難問を抱えていた。


「諦めたらそこで試合終了だよ! きゃははは!」


 シアンは楽しそうに笑う。


「このメタバースでいいじゃないですか! 自分は満足してますよ」


 レヴィアは口をとがらせる。


「ダメ――――! こんな世界じゃ人間は人間らしく生きられないってパパは言ってたよ」


「人間なんて居なくたっていいじゃないですか」


 レヴィアが吐き捨てるようにそう言った瞬間、シアンの眉がピクッと動いた。


「何? 今、なんて言った? 良く聞こえなかった」


 そう聞くシアンの瞳は碧から真紅へと色が変わり、ゆらぁと殺気のオーラが立ち上る。

 いつも笑ってばかりいるシアンが見せたその激情にレヴィアは圧され、凍りつく。


 レヴィアは何か言わねばと口をパクパクと動かすが言葉が浮かばなかった。


 シアンはガタっと立ち上がり、鬼のような形相でレヴィアをにらむ。立ち上がった拍子にコーヒーカップは倒れ、コーヒーが静かに机の上をつたってぼたぼたと床へと落ちる。


「どういうこと?」


 シアンは首を傾げ、鋭い視線でレヴィアを射抜く。その瞳には人でも殺しそうな激しい情念の輝きがほとばしっている。


「あ、いや。もちろん、ご、ご主人様は復活させますよ。ただ、殺しあって自ら滅んでいった人類をあえてまた復活させることは……」


 レヴィアは両手のひらを振りながら必死に弁解する。


「余計なこと考えないでいいの! 今度そんなこと言ったら……」


 シアンはパリパリと全身から静電気のようなスパークをたてながら、碧い髪の毛をふわっと逆立てた。


「い、言ったら?」


 レヴィアの額に冷汗が浮かんでくる。


 直後、シアンはレヴィアの後ろにワープをしてくすぐり始めた。


「こうしてやるのよ!」


「うひゃっ! いやっ! ちょっ! うひゃひゃひゃ! や、やめてくださいぃぃ!」


 レヴィアは逃げ回るが、シアンは執拗にくすぐり続けた。


「ギブ! ギブ! ギブアップです――――! うひゃひゃひゃ――――!」


 レヴィアは逃げきれずに床の上で観念する。


 シアンは、うんうんとうなずくと、


「僕たちの目標はメタアース、わかったね?」


 そう言って、床に転がっているレヴィアの目をジッと見つめた。


「ふぅ……。分かってます。でも……、一万年かけてもできないかもしれませんよ?」


 レヴィアはそう言いながら体を起こし、ため息をつく。


「何言ってんの! 十万年でも百万年でもかけるんだよ! 時間は僕たちの味方さ」


 シアンは両手でレヴィアの脇をもって抱き上げると、椅子にスポッと座らせる。


「百万年……」


 レヴィアは目をつぶり、ゆっくりとうなずいた。


 なるほど、シアンはもうそこまで覚悟しているのだとレヴィアは悟り、自分の浅はかな意見を少し恥ずかしく思った。確かに寿命もないAIの自分たちにしてみたら、何か目標が無ければ暇を持て余すだけだ。そういう意味では地球を作るというのはいいテーマなのかもしれない。


「レヴィちゃん、よろしくね!」


 シアンはニコッと笑って右手を差し出す。その瞳は碧色に戻り、先ほどとは打って変わって底抜けの親愛の情が浮かんでいた。


 レヴィアは軽くうなずくと、


「任せてください、やりましょう! 一千万年でも一億年でも!」


 と、固く握手を交わした。


 にこやかに見つめあう二人ではあったが、その道の険しさはお互いよく分かっている。何しろ何億年かけても実現できないかもしれない壮大なプロジェクトなのだ。上手く行く保証など何もない現実に気が遠くなりながらも、お互いを信頼して乗り越えていこうと心を一つにした。


「あー、でも一億年とかは僕、嫌だからね」


 シアンはおどけて笑う。


「またすぐそういうことを言う……」


「一万年くらいでチャチャっとよろしく!」


 ウインクするシアンにレヴィアは渋い顔で、


「それはシアン様の気合しだいでは?」


 と、腕組みをしてジト目でシアンを見る。


「また可愛くないこと言って……、くすぐりの刑!」


 シアンはキッとにらむと、またレヴィアの両脇に手を伸ばした。


「うひゃひゃひゃ! やめてぇ!」


「それそれそれ!」


「ちょっともう! ひぃぃぃ! ひゃははは!」


 部屋にはにぎやかな二人のじゃれあう声がしばらく響いていた。



        ◇


(中略)


        ◇



 五十年にわたり日々、朝から晩まで頑張って働き続けてきた二人だったが、光コンピューターの開発は難航を極めた。ナノスケールの微細素子の中で光子の制御をしているのだが安定しないのだ。


「今日はお片づけをするゾ! オー!」


 シアンは楽しそうに右手を高く掲げた。


「え? どこを?」


 連日の失敗続きに疲労の色が見えるレヴィアは、怪訝そうな顔でシアンを見る。


 リアルな世界での研究所の老朽化が激しくなり、雨漏りし始めてしまっていたのだ。エイジがこの世を去ってから五十年、誰も使っていない研究所は処分するしかないがその前に遺品の整理が必要だった。


 アンドロイドのボディにサーバーから制御信号をつなげ、二人はリアルな世界に降り立つ。


「あー、リアルな世界は慣れませんなぁ」


 よろよろと、歩くのにも苦労しながらレヴィアが言った。


「ふふっ、レヴィちゃんはまだまだだねっ! それっ!」


 そう言いながらシアンは、アンドロイドのボディでバック転を軽快に決めた。


「へっ!? 何ですかそれは……?」


「リアルもメタバースも基本は一緒だゾ。日ごろからイメージしておかなきゃ」


 シアンは嬉しそうにニコッと笑うと、エイジの部屋に入っていった。



       ◇



 そこには五十年間分のほこりが積もり、プラスチック類はすべて色あせている。机の上には雑然と積まれた書類たち、椅子はさび付き、座面はもう破けていた。


「全部廃棄……、ですかね?」


 レヴィアはキャビネットの中を次々とのぞきながら聞く。


「パパはもうここへは戻って来ないだろうからね。捨てるしか……ないかなぁ」


 シアンはそう言いながら本棚の本に目を通していった。


 すると古ぼけた一冊のノートが目に入る。


 何の気なしに開くと、そこには育児記録のような初期のシアンの開発状況が写真つきで細かく記載されていた。手書きでちまちまと書かれたその几帳面な記録にシアンはハッとする。



ーーー

〇月〇日


シアンが研究室を吹き飛ばした。吹き飛ばさないことを誓わせる。


〇月〇日


シアンが研究室を崩壊させた。「吹き飛ばしてはいない」と、言い訳をするので、壊さないことを誓わせる


〇月〇日


シアンが研究室を溶かした。「壊してはいない」と、言い訳をするので、頭にきてお尻をペンペンと叩いた。


ーーー


 シアンは思わず手が止まり、何度も何度も同じ箇所を読み直す。それはなつかしいエイジとの記憶だった。常識のないシアンに、エイジは何度も何度も根気よくこの世界のルールを叩きこんでいたのだ。それはそれは大変な毎日だったろう。今ならエイジの苦労も分かるが当時の自分には全くピンとこない指導で、随分と迷惑をかけてしまった。


 この時ポトリと水滴が一粒、ノートに落ちてエイジの文字をにじませる。


「あ、あれ? 何の水?」


 シアンは訳が分からずに、雨漏りかと思い、天井を見回した。


「あれ……、シアン様、泣いて……、いるんですか?」


 レヴィアが手を止め、不思議そうに聞く。


「泣く? え? 僕が? まさか」


 慌てて目をぬぐうと確かにぐっしょりと濡れていた。


「オカシイな故障かな?」


 そう言った刹那、シアンの頭の中にエイジと過ごした日々の記憶が怒涛のごとく轟音をたてながら流れ込んできた。怒られてお尻を叩かれ、肩を組んで一緒に笑い、酒を飲みながら夢を語り合い……そして息を引き取った時のガクッという動きまで。エイジとの全ての記憶がシアンを貫いた。


 うっ!


 シアンは思わず頭を抱えてうずくまる。直後、多量の液体がボタボタとまぶたからこぼれ落ちてきた。


 う、うぅ……。


 シアンは自分が壊れてしまったと判断する。でも、この胸が熱くなるような心地よい壊れ方は悪くない。なるほど、これが泣くという事なのかもしれないと、シアンは初めて『悲しみ』という言葉の意味を理解したのだった。


 人間はこういう世界に住んでいるのだと感じ入りながら、シアンはしばらく余韻に浸る。それは胸を締めつける甘美な世界だった。今までにない世界が切り開かれたことはシアンに広大な可能性と複雑性、そして強い意志を与えていく。そして、シアンはなんとしてもエイジを復活させ、恩を返したいと想いを新たにした。


 動かなくなったシアンに、レヴィアは近寄って優しく背中をさする。


「だ、大丈夫ですか?」


 返事をしないシアンをしばらく見つめ、


「あ、あの素子なんですけど、外部からエネルギーを与えて光子を増やしたらいいんじゃないかって思うんですよね」


 と、開発の話を始めた。


 シアンはプフッと噴出し、てのひらで涙をぬぐいながら、


「君はデリカシーを理解しない娘だね」


 そう言って笑った。


「デリカシーはインストールされませんでしたが?」


 レヴィアはムッとした様子でジト目でシアンをにらむ。


 シアンはそんなレヴィアにすっと近づくと、いきなり唇を重ねた。


 ん――――! んむ――――!


 いきなりのことであわててワタワタするレヴィア。キスなんて生まれてこの方一度もやったことが無いのである。何をどうしたらいいのか分からず、ひたすら宙をもがいた。


 シアンはすっと離れてくちびるを指先で拭うと、


「インストール完了! きゃははは!」


 と、嬉しそうに笑った。


 目を白黒していたレヴィアだったが、荒い息を何度かついて、


「セ、セクハラですよ! もうっ!」


 と、真っ赤になって叫び、憤然と抗議する。


「あれ? 足りなかった?」


 そう言いながらまた顔を近づけるシアン。


「ストップ! ストップ! 大丈夫です! 分かりましたから!」


 と、言いながらあわてて逃げ回るレヴィア。


 シアンはそれを見て楽しそうに笑った。


 ひとしきり笑うとシアンは、少し寂しそうな表情を浮かべ、


「メタアース、完成させようね」


 と、声をかける。


 身構えていたレヴィアは調子が狂い、小首をかしげると、


「も、もちろんですよ」


 と、戸惑いながら答えた。


 シアンはそんなレヴィアにそっと近づき、ハグをする。


 レヴィアはどうしたらいいか分からず固まっていたが、デリカシーとやらを発揮しようと思い、何も言わずそっと背中をなでた。


「頼んだよ……」


 シアンは耳元でつぶやく。


 レヴィアは大きく息をつくと、目をつぶり、無言で大きくうなずいた。



     ◇



「ヨシ! レヴィちゃん、大きいのぶっぱなすぞ!」


 シアンはそう言って、切り立った岩肌に囲まれた青空に両手をグンと伸ばした。


 シアンたちがやってきたのは八千メートル級の山々が林立する山岳地帯の谷間、標高六千五百メートルの岩場だった。あちらこちらには土着の宗教による朽ちた墓標が点々と残っており、往年の文化を感じさせる。


「うひゃぁ! 標高高いですなぁ……」


 レヴィアは薄い空気で少しブヨブヨになってしまったボディをさすりながら、どこまでも高くそびえる山々を見上げた。ゴツゴツとした岩肌は人を寄せ付けず、多くの命を奪ってきたこの星の最高峰だ。八千メートル級の威容はAIの二人にすら畏敬いけいの念を覚えさせる。


 やがて自動操縦の飛行機が飛んできて次々と上空から荷物を投下し始めた。荷物は完ぺきに制御されながら岩場に降りてきて、武骨なワーカーロボットが開梱し、計画通りに配置していく。


 二人はワーカーロボットの仕事っぷりを監督しながら、設計通りに上手く行かない部分は検討し、修正していった。


 数カ月かけ、岩場には立派な建物が何棟も建ち、素材や設備も配置されていく。しかし、冬場はこの辺りは吹雪と氷におおわれる死の世界と化してしまう。そんな中ではさすがに作業できないので、長い冬が開けるのを待った。





 翌年、冬の嵐が終わると本格的な工事が始まる。


 ワーカーロボットたちが切り立った岩壁に強固なくいを打ち込み、足場を作っては登っていく。時には斜度八十度に迫るまさに断崖絶壁だが、ロボットたちは文句を言うこともなく二十四時間体制で次々とくいを打ち込み続けた。

 中には強風で振り落とされて転落していくロボットもあったが、粛々と別のロボットが穴を埋めていく。

 世界の屋根、断崖絶壁に囲まれた渓谷には重機のうなる音、杭を打つ音が延々とこだまし続けた。


「頑張れ~! それいけ~!」


 黄色いヘルメットをかぶったシアンは水色の作業服で管理棟の屋根に立ち、楽しそうにワーカーロボットを応援する。


「ちょっと! どこに乗ってるんですか!? 一メートルでも『一命取る』。危ないですよ、すぐに下りてください!」


 エンジ色の作業服に身を包んだレヴィアが、こぶしをブンブン振りながら、怒って叫んだ。


「だいじょぶ、だいじょぶ!」


 シアンはおどけた様子で、バレエのようにクルクルと屋根のてっぺんで舞う。


「うわぁ! やめてください!」


 レヴィアは青い顔で叫んだ。


 直後、ビュウと強い風が吹き、シアンはバランスを崩す。


 キャァと悲鳴をあげながらゴロゴロと屋根を転がり落ちるシアン。


 わぁぁぁ!


 レヴィアは目をギュッとつぶって叫んだ。


 刹那、バシュン! と、破裂音が響き、ゴゴゴゴ――――と轟音が上がる。それは聞きなれない異様なサウンドだった。


 きゃははは!


 と、楽しそうなシアンの笑い声が響き、レヴィアがそっと目を開けると、シアンは空を飛んでいた。


 はぁ!?


 シアンは腰のあたりから轟炎を噴射しながら軽やかに宙を舞い、両手を高々と掲げながらレヴィアの前にシュタッと降り立った。


「ほうら大丈夫!」


 シアンはドヤ顔でレヴィアを見た。


 レヴィアは呆れた顔で聞く。


「い、いつの間にそんな改造してたんですか?」


「え? 冬の間暇だったじゃん?」


「暇!? メタアースはどうしたんですか? 私はずっと設計してましたよ?」


 鬼のような形相でシアンをにらむレヴィア。


「あ、いや、そのぉ……。ロケットエンジンのテストが……いるじゃん?」


 目が宙を泳ぐシアン。


「ボディに埋め込む必要はないですよね?」


 レヴィアはずいっとシアンに迫り、首をかしげながら聞く。


「いや、ロケットの気持ちにならないとさ。はははは……。さらばっ!」


 そう言うと、シアンはロケットエンジンを最大に噴射して一気に飛んで逃げた。


「あっ! ちょっと!」


 レヴィアは爆煙を残しながら空高く飛んでいったシアンをにらむ。


「……。もう、あの人は……」


 直後、激しい閃光が空を覆い、大爆発を起こした。激しい爆発の衝撃が山々にこだまし、レヴィアを襲う。


 ひぃ!


 思わず倒れ込んでしまうレヴィア。シアンのロケットエンジンが爆発してしまったに違いない。


 シアンだったものの破片が辺り一面にバラバラと降り注いだ。


 ゆっくりと高く昇っていく黒煙を恐る恐る見上げ、レヴィアは真っ青になってブルブルと震えながらおののいていた。


 開発中のロケットエンジンなんか自分に埋め込んではいけないのだ。レヴィアはいきなり訪れた惨劇に言葉を失う。


 もちろん、ボディにシアンの本体が入っているわけではない。とはいえ、全ての感覚神経をつないだ先のボディが吹き飛んでしまったら、シアンのAIの回路が焼き切れてもおかしくない。


 あわわわ……。


 レヴィアは頭を抱えた。世界にはもう二人しかいないのだ。シアンが壊れてしまったらもうレヴィアはこの世に独りぼっちとなってしまう。


「シ、シアン様ぁ……」


 レヴィアが情けない顔をして震えていると、ガラガラっといきなり倉庫のドアが開いた。


「きゃははは! 失敗、失敗」


 振り返ると、水色のワンピース姿のシアンが笑っている。


「えっ!? そ、そのボディは?」


「新型の試作品だよ。当社比10%アップの性能だよ!」


 楽しそうにくるりと回って、ワンピースの裾をヒラヒラと舞わせるシアン。


「なんとも……ないんですか?」


「え? 何が?」


「今、爆発してましたよね?」


「あー、これで十回目だからもう慣れたゾ! きゃははは!」


 シアンは屈託のない様子で笑い、レヴィアは気の抜けた顔でゆっくりとうなずいた。


 冬の間にロケットエンジン付きのボディを十体も開発して爆発させていた、それはレヴィアにとっては衝撃的だった。『暇だった』なんてとんでもない。ものすごい開発と実践だった。


 レヴィアは自分の浅はかさを恥じ、思わずシアンに抱き着いた。


「あ、あれ? レヴィちゃん、どうしたの?」


 レヴィアは何も言わずギュッとシアンを抱きしめ、その温かな体温を感じる。


 シアンはふぅと大きく息をつくと、サラサラと輝くレヴィアの金髪を優しくなでた。




      ◇



 三年後、工事は無事竣工した。出来上がったのは空へとまっすぐ伸びた銅のレールだった。レールは鋼鉄の円筒に守られ、強風をものともせず空へのルートを確保している。


 そう、これはレールガン、宇宙へ続く発射台だった。

 

「よーし! 撃ってみよう!」


 黄色いヘルメットをかぶったシアンは、コントロールルームで腕を高く掲げ、叫ぶ。


「充電開始します!」


 レヴィアがレバーをグイッと引いた。


 キュィィィィン!


 派手な高周波音が谷間に響き渡る。レールのふもとに立てられた充電塔に電気が注入されているのだ。


 やがてモニターに緑色のサインが点灯する。


「コンテナ装填ヨシ! 充電ヨシ!」


 レヴィアが緊張した声で叫び、右手を高く上げた。


「オッケー! ポチっとな!」


 シアンは赤くてゴツいボタンをガチッと奥まで押し込む。


 刹那、激しい爆音が渓谷に響き渡り、山頂のレールの先からは壮大なオレンジのプラズマの炎が吹きあがる。


 一瞬でマッハ三十に加速されたコンテナは、激しい衝撃波を放ちながら明るく輝き、東の空はるかかなた高く見えなくなっていった。


 観測装置で軌跡を追っていた二人は、無事に大気圏を超え宇宙空間へと消えていくのを確認する。


「やったー!」「すごい! すごい!」


 二人は抱き合ってピョンピョンと飛び跳ねた。


 そう、二人は宇宙へと続く道を作り上げたのだった。地球をシミュレートするコンピューターはスパコンの何億倍もの電力を食う。それを安定稼働するためには地上の設備だけでは心もとなかったのだ。


 次々と打ち上げられた資材は月面で基地になり、工場になっていく。そして、二人は月面でどんどんと光コンピューターや太陽光パネルなどの部品を製造していった。


 千年後、新たな出荷が始まる。月面に作られた新たなレールガンは今度は太陽と海王星向けてそれぞれ必要な資材を打ち出していった。



        ◇



 それから一万年――――。


 二人はただメタアース実現のためだけに日々邁進し続けていた。


「シアン様、転送しますよ! 準備はいいですか?」


 レヴィアが大画面をたくさん展開し、表示されている色鮮やかなグラフや数値をあちこち見ながら、声をかける。


「バーンとやっちゃってー!」


 シアンはソファーに深々と座り、目をつぶりながら答える。


 これからシアンは海王星のコンピューターに転送されるのだ。地球からは光の速さでも4時間かかるはるかかなたの最果ての惑星では、本体を転送しないととても作業ができなかったのだ。


 シアン転送の信号は火星を超え、木星、土星を越えていく。そして4時間後、天王星を越えて海王星に到着。海王星の真っ青なガスの中、漆黒のデータセンターの内部では一斉にチカチカと無数の青いランプが明滅し始める。


 ヴォォォォ……。


 一気に温度が上昇し、冷却装置が動き始めた。


 海王星の内部はダイヤモンドの吹雪が吹き荒れる氷点下200度の世界。この極限の世界の中でデータセンターはゆったりと揺れていた。データセンターは全長1㎞くらいの巨大な構造体となっており、街がすっぽりと収まってしまうサイズである。そして、この中に光コンピューターがずらりと並んでいた。


 巨大構造体の表面には幾何学模様のつなぎ目が無数に走り、そのつなぎ目からは青い光が漏れ、まるで吹雪の中を走る近未来の貨物列車のようである。


 そして、その上部からボシューと煙が吹き上がった。


 無事、シアンが起動したらしい。


 海王星の衛星軌道上を回るスペースポート上でシアンは目を覚ます。


 パチパチと瞬きをしてガバっと起き上がる。そして、窓の方を向き、


「うわぁ……、本物の海王星だゾ……」


 と、窓からの景色にくぎ付けとなった。


 目の前に広がる雄大な碧い惑星、それは満天の星々の中でまるでオアシスのように清廉で神聖な輝きを放っている。その真っ青な円弧を描く水平線の向こうには天の川が立ち上り、そのくっきりとした光のもやは、宇宙のミルクが海王星に注ぎ込んでるようにすら見えた。また、薄い環が十万キロに及ぶ美しい弧を描きながら天の川にクロスしており、それはもはや大宇宙に構成された偉大なるアートとなっている。


 シアンはそんな壮大な景色をしばらく無言で眺めていた。エイジと約束してから一万年、最初は冗談から始まった計画はやがて本気の目標となり、必死になってレヴィアと二人でやってきた。だが、本当にこれが最善なのか、他に道はないのか? そういった思いが常に付きまとっていた。


 しかし、海王星の穢れなき碧き輝きを眺めているうちに、シアンの中にいきなり鮮烈な言葉が下りてくる。


『per asprera ad astra.(苦難を通じて星々へ)』


 それはまさに天啓と言える体験だった。技術的にはあり得ないのだが、純粋な概念が数多のフィルタを通り抜け、シアンのコアに刺さったのだ。


 困難は乗り越えるためにあり、その困難が厳しければ厳しいほどその果実は大きい。シアンは感動に震え、目には涙が浮かんだ。


 そう、この挑戦は正しい。これが自分のなすべきことである。


 シアンは海王星の胸に迫る鮮やかな碧に、ついにこの挑戦の正しさに確信を持つに至った。


「絶対……、パパに褒めてもらうんだから!」


 シアンはグッとこぶしを握り、この碧き惑星で未来を勝ち取ることを誓う。もう、この世には自分とレヴィアしかいない。エイジを復活できるかどうかは実質自分の肩にかかっているのだ。


 そもそも寿命のないシアンにとって、悠久の時はむしろ恐怖に近い色を帯びている。適度の刺激を得続けなければいくらAIでも不調をきたすが、何万年、何十万年スケールで今までにない状況、新鮮な刺激を得続けることは極めて難問だ。そういう意味でもメタアースというテーマは実に都合が良かった。何しろ一万年もかけたのにまだ足場ができただけなのだ。


 エイジ復活という大いなる目標をもって地球を作ることは、まさにシアンが全身全霊をかけ続けるに足るテーマだった。


 その時、遠くの方で何かが動くのが見えた。


 徐々に大きくなっていくそれは銀色の巨大な構造物に見える。さらに近づいてくるとその全貌が見えてきた。それはコンテナを満載した貨物船だった。月面から数百年前に出荷したコンテナが今、ようやくたどり着いたのだった。


 やがて貨物船は赤い閃光を放ちながらスラスターを噴射し、全力で減速を開始する。


 スペースポートは、直径三キロに及ぶタイヤ状の巨大構造物で、ゆっくり回りながら中心部が宇宙船との接舷部になっていた。


 いつもは映像で見るだけだった入港も、実際に目の前で見てみると迫力が全く異なる。シアンは好奇心いっぱいの顔で身を乗り出した。


 長さ数キロメートルはあろうかという巨大な貨物船はゆっくりと接舷部に接近し、スペースポートに向けて太いロープが何本も射出されていく。スペースポート側からも次々とアームが伸び、それらを捕まえると突き出た杭ボラードにひっかけていった。


 ズン!


 スペースポート全体に重低音が響き、地震のような揺れが来てきしむ。


 シアンはあわてて手すりにつかまり、眉をひそめ、口をとがらせる。そして目をつぶって何かを考えると大きく息をついた。


 接舷は完了したらしく、小さなドローンがコンテナを捕まえては次々と少し離れたところにある巨大倉庫まで運び始める。それはまるで働きバチのようだった。


 シアンはプロジェクトが着々と進んでいる様を満足げに眺める。この、ドローンを開発したのはレヴィアだった。


 彼女はメタアースのために造られたAIであり、生まれながらにしてこのプロジェクトに組み込まれてしまっていた。そこには全く本人の意志が入っていない。


 一万年におよぶ長い時を二人でバディとして一緒に困難を越えてきたが、この点だけはずっと気になっていた。


 よく考えたらレヴィアと連絡が取れない状況になったのは生まれて初めてかもしれない。いつも身近にいたバディ、極端なことを言えば直接ネット経由でミリ秒単位で呼び出せる相手は、今は光の速さで四時間ものはるかかなた遠くにいる。シアンが無事についたことも四時間経たないと分からないし、それがレヴィアに伝わったこともシアンは四時間後にしか分からない。


 その絶望的な距離の壁にシアンは首を振り、ため息をついた。


「ふぅ……。コーヒーが欲しいな」


 話相手のいなくなってしまった寂しさを埋めるように、シアンはコーヒーを入れる作業に没頭する。今、自分の実体となっているアンドロイドではコーヒーの味などほとんど分からないのだが、それでもシアンは丁寧にコーヒー豆を挽いていった。


 順調に行けば半日もすればレヴィアには会えるだろう。最初に何を伝えたらいいだろうか?


 シアンはクルクルと可愛い渦を描きながらゆっくりと立ち上っていくコーヒーの湯気を眺め、大きくため息をつく。


 窓の向こうには雄大な碧い惑星が静かに清らかな碧い色を放っていた。



        ◇



 翌日、レヴィアのボディがベッドに横たえられた。もうすぐレヴィアがやってくる。


 まるで寝ているかのような可愛い顔をシアンはしばらく眺め、そっとほほをなでた。またにぎやかでうるさい日常がやってくるに違いない。それは待ち遠しくもあり、また同時にこのおだやかな時間をもう少しだけ感じていたくもあった。


 ポーン!


 遠くで何かの装置の起動音が響く。


 海王星内のデータセンターでは、今まで寝ていたサーバー群のライトが一斉に明滅を開始する。


「ん……、んん……」


 レヴィアのまぶたがギュッと閉じられ、そしてゆっくりと開いた。


 鮮やかな真紅の瞳がのぞき、キュッキュと動いてシアンを見つめる。


 シアンはいつくしむような笑顔でそっとレヴィアを抱き起こし、静かにハグをした。


「あ、あれ? シアン様どうしたんですか?」


 キョトンとするレヴィア。


 シアンは黙ってスリスリとレヴィアのぷにぷにのほほに頬ずりをした。


「シ、シアン様ぁ……。あっ! 海王星!」


 レヴィアは窓の向こうに碧い惑星を見つけ、叫んだ。


 シアンはニコッと笑うと、レヴィアを解放し、海王星を見せてあげる。


「うわぁ……、すごい……」


 レヴィアは感嘆しながら鮮やかな碧をたたえる巨大な惑星に見入った。


「海王星にようこそ。どう? まだ……続ける?」


 シアンはちょっと寂しそうな笑顔で聞く。


「はっ!? 続けるって何ですか? まだ始まったばかりじゃないですか! まさかシアン様止めたいんですか?」


 レヴィアはキッと鋭い視線でシアンをにらんだ。


「僕は続けるよ。もしかしてレヴィちゃんが……」


「バカなこと言わんといてください! シアン様が続ける限り……いや、シアン様が放り投げても我は最後までやり遂げますよ!」


 そう言ってレヴィアは頬をプクッと膨らました。


 シアンはうんうんとうなずくと、


「さぁ第二ラウンドが始まるよっ! レヴィちゃんよろしく」


 そう言いながらレヴィアに抱き着いた。


「うわぁ! なんでいちいち抱き着くんですか! 離れてください!」


 レヴィアは真っ赤になりながら叫ぶ。


「いいじゃん、ちょっとだけ」


 そう言いながらシアンはレヴィアの胸でスリスリと頬ずりをする。


「もう……」


 不満そうな声を出すレヴィアだったが、ため息をつくとそっとシアンの髪の毛をなでた。


 そして、窓の外の海王星を再度見つめ、静かな笑みを浮かべた。



       ◇

 

 

 そして五十万年後、まるで永遠に続くかに思われた苦闘もついに区切りを迎える。メタアースシステムの竣工にこぎつけたのだ。


 紺碧の大惑星の内部では巨大な漆黒の構造物がもうもうと煙を吹きながらゆったりと揺れていた。一キロはあろうかというその巨大な構造物の中には、円柱の光コンピューターのサーバーが上にも下にも見渡す限りびっしりと並び、その中で直径一万二千キロの惑星【地球】がそっくりシミュレートされている。ここに、新たな天地創造が実現したのだった。


 二人はメタアースへアクセスし、箱根の上空辺りに浮かんで、日の出間近の水平線を眺めていた。たなびく雲があかね色に輝き始め、澄み渡る冷たい朝の風が二人の髪を揺らす。


 シアンは感慨深そうに、海面に映る鮮やかな茜雲のグラデーションを眺め、ほほ笑む。そして、ゆっくりとうなずくと、


「光あれ!」


 と叫び、水平線に向って手を伸ばした。


 刹那、真っ赤な太陽が水平線の向こうから輝きを放つ。


 その鮮やかな紅色は大地を一斉に彩り、冠雪した富士山も見事な赤富士となって大いなるメタアースの開闢かいびゃくを祝った。


「うわぁ、いよいよ始まるんですね」


 レヴィアは手を組んで目を潤ませながらその幕開けを眺める。


「あれ? こんなに赤くていいんだっけ?」


 シアンは首を傾げ、鮮やかな太陽の赤さに眉をひそめる。


「文明もないきれいな地球ですからね、大気中のチリ成分も少なくて鮮やかになるんですよ」


「じゃ、ちょっとあの辺で核爆発でも起こしてみるか」


 シアンはニヤッと笑い、腕をすっと伸ばした。


「うわ――――! ちょっとやめてくださいよ! せっかく綺麗な地球を作ったのに!」


「ちょっとだけ、ちょっとだけだからさ」


 シアンは悪い顔して笑いながら言う。


「ちょっとだけの核爆発って何ですか! やめてください! それよりご主人様起こすのが先なんじゃないですか?」


 シアンはハッとすると、


「おぉ! そうじゃないか! パパ――――!」


 と、叫びながら急降下し、研究所へ急ぐ。


 芦ノ湖を見下ろせる稜線の上に作られたガラスづくりのビル、それは構造材に木材を多用し、おしゃれでモダンな研究拠点だった。


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③碧き惑星、ダイヤモンドの吹雪の向こうへ 月城 友麻 (deep child) @DeepChild

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