茨の魔法(shortVer)
Tempp @ぷかぷか
第1話 茨の魔法
その魔法はもともと羊飼いをしていたただの人間だった。
毎日羊を追って暮らし、野と山を往復していた。
遥か向こうの地平線に霞む青灰色の山。そこから運ばれてくる風が草原を渡る。最初に遠くの黄金色の草の穂先を波のように揺らしてその訪れを知らせ、目の前に散らばるモコモコの羊の毛を撫でて、どこか乾いた匂いとともに羊飼いに到達してそのまま背後の丘の麓にある城下街まで流れていく。
ある晴れた日、羊飼いは一人の少女に出会った。何も知らなさそうなその可愛らしい生き物は、自分がこの国の姫であると偉そうに述べた。
羊飼いは馬鹿なことをと思いながら、ふわふわしたした美しい衣装を身にまとった少女に家に帰るようすすめた。
「この先は魔女の足元、魔女の砦。この清らかな小川を渡ると、そこは冷たい茨で覆われた深緑色の魔女の帝国しかありません」
少女は不思議そうに言う。
「魔女は私の出生を祝ってくれたわ。お友達よ」
「お嬢さん、世の中にはいい人と悪い人がいるように、いい魔女と悪い魔女がいるのです」
「この先にいる魔女は悪い魔女なの?」
「この先の魔女はちょうど中間。性状は会う人によって異なるでしょう。この先の魔女の名前は『茨と静かな夜』。その性質は冷徹ですが、微笑めば幸運を、恐れば不運を送るでしょう」
「それならきっと大丈夫。お父様はこの国の魔女はみんな私のお友達と言っていたわ」
少女は陽光を反射する穏やかな川に入り、向こう岸に一歩足をかけた瞬間、地面から突然生え伸びた茨に囚われ姿を消した。
羊飼いは慌てた。初めて見た綺羅びやかな少女はすっかり羊飼いの心を捉えてしまっていた。急いでじゃぶじゃぶと川を渡り、同じように茨の訪れを待ったが何も起こらなかった。
仕方なくその先の茨の森へ分け入る。茨は皮膚を鋭く掻き、歩を進める度に羊飼いを血に染める。どのくらい歩いただろうか、茨に覆われた冷たい白亜の城が現れた。これが噂の魔女の居城だろう。
覚悟を決めてその門前に立てば、ゆっくりとその内に開かれた。恐る恐る様子を伺いながら足を踏み入れれば一人の魔女がいた。魔女はすらりと背が高く、夜の月のような静かな目で羊飼いを見下ろした。
「用はあるか」
「ございます。少し前に女の子が川を渡りました。その子を助けたいのです」
「助けるとは何か」
「女の子をもとの生活に戻してあげたいのです」
「あの者の国は以前私を拒絶した。次は私が拒絶するのが理である」
魔女とは世界と同義である。何故その国はそのようなことを。羊飼いは混乱した。
「私はその子の国の者ではありません。私の願いで交換したく存じます」
「何を差し出すのか」
羊飼いは困った。あの子の国がこの魔女に何をしたのかわからなければ、釣り合うものが測れないからだ。
「私で釣り合いはとれるでしょうか」
「一年ほどであれば相当であろう」
羊飼いの命は少女の命の一年分相当。
一年経てば、少女は世界に拒絶される。
「何か方法はないでしょうか。あの子を不幸にしたくはないのです」
「不幸とは何か」
「私はあの子が世界に拒絶されるのは嫌なのです。あの子にこのまま笑って暮らしていって欲しいのです」
羊飼いの頭には、少女の春の訪れのような笑顔が焼き付いていた。
魔女とは世界の理に触れ、それを行使するものだ。負債を負う少女は自ら魔女の領土に来た以上、その負債を支払わずここを出るのは均衡が取れない。
魔女は対価の衡平性について頭を巡らせた。
「では私の仕事を任せよう。それで対価に満ちるだろう」
魔法になればもう人には戻れない。けれども羊飼いは一も二もなく同意した。魔女は羊飼いに茨の種を埋め込み、城の地下深くに埋められた。
魔女は少女は十六歳になる時、糸車に刺されて眠りにつくと宣言し、国は恐慌に陥り国中の糸車が焼かれた。
魔女は優しい羊飼いのために糸車を用意した。そうでなければ魔女は対価に少女を刈り取らなければならなかったからだ。
姫が糸車の針に触れた瞬間、その血が世界を経由して羊飼いに伝い、茨の種が発芽する。茨の種は羊飼いの血管を通して胎内を駆け巡り、次々にその皮膚を破ってその蔦を伸ばして城を包む。羊飼いに激痛が走る。けれどもこの羊飼いから伸びる花と棘の一つ一つが姫をこの世界に繋ぎ止める杭に、軛になる。
対価に等しく満ちるまで城は時をとめて凍りつき、魔女はその時間を対価として受け取る。対価が満ちた後、少女と城の時は再び動き出し、その運命に従って理どおり生命を終える魔法。
数百年の後に王子が現れ魔法を解き、茨は最後に美しい花を大量に咲かせてその訪れを祝福し、羊飼いの心臓に咲く大輪を除いて散り果てた。
羊飼いの身体は城と姫が時を取り戻した今も城の地中深くで静かに横たわっている。 羊飼いのことは世界と茨の魔女以外、誰も知らない。
茨の魔法(shortVer) Tempp @ぷかぷか @Tempp
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