あなたを救いたい。
砂嵐を防ぐことはできたが、風に乗って飛んでくる家具や食器、小物を避けるのは至難の業だ。
ぬいぐるみから半径一メートルの範囲に入った時点で、飛んでくる家具類のスピードは遅くなるものの、当たればそれなりに痛い。
「うぐっ」
「赤崎、大丈夫!?」
赤崎は少しでも金森を守ろうと、金森にガッツリ覆い被さっていた。
おかげで金森はほとんどダメージを受けずに済んでいたが、赤崎はボロボロだった。
「大丈夫だ」
赤崎が涙目で返事をしていると、今度はその顔面にティッシュ箱が飛んでくるのが見えた。
金森は咄嗟に手を伸ばして守ろうとするが、赤崎にしっかりと押さえ込まれているうえに、二人にはそれなりの身長差があるので、上手く対応することができない。
『ぶつかる!!』
そう思った瞬間、半透明の猫がその姿を黒や赤に煌めかせながら、赤崎の肩からハイジャンプして猫パンチを繰り出し、ティッシュ箱を叩き落とした。
驚いて猫の着地点を見るが、既にそこに猫はいなかった。
赤崎も、猫に気が付いたような様子はない。
金森の視線に、キョトンとした表情を返すのみだ。
金森が驚きつつも歩き続けると、先程の猫のことを考えすぎて注意が散漫になっていたのか、何か柔らかいものを踏んでしまった。
「ふぇ?」
間抜け声をあげ、確認してみると、それは守護者の髪の毛だった。
髪をたどって進むと、体を中心に、根を張るように無数の髪の束を床に張り巡らせている守護者が見えた。
『ああ、触手だと思っていたのって、髪だったのね』
そんな的外れなことを思いながらも、この恐ろしい砂嵐の中で仲間に再開できた二人は足取り軽く守護者の元に駆け付けた。
「金森さんに赤崎さん、来ていたんですか? ああ、赤崎さん、そんなに怪我をして」
二人に気が付いた守護者は初め優しく微笑んだが。赤崎の姿を見て痛まし気に表情を歪めた。
唇は切れており、頬には切り傷ができている。
家具や小物がぶつかったせいで衣服は寄れて、少し破れている箇所もあった。
また、制服に隠れて見えないが、背中など体の所々には打撲による傷もできている。
「なに、かすり傷だ。それより、清川藍は見つかったか?」
明らかにかすり傷ではなかったが、赤崎は虚勢を張ってドヤッと笑った。
赤崎の問いに、守護者は首を振る。
三人の間にわずかな沈黙が流れた。
それぞれの頭に嫌な予感がよぎっていたのだ。
それでも、金森が何か励ましの言葉を紡ごうと口を開いた時、
『助けて、寒いよ……』
と、女の子のすすり泣く声が聞こえた。
聞き覚えのあるこの声は、幼い清川藍の声だ。
金森は無言で一歩、歩みを進める。
すると、声が少しだけ大きくなった。
「この先にあるのは、台所?」
金森の頭をよぎるのは、当時の清川が唯一母親と長く会うことのできた台所だ。
清川は、父親を亡くし母親が忙しくなったその時から、母親の愛情を切望していた。
事件が起こる以前から何度も泣いて、寂しい夜に震えていた。
それでも彼女が母親を愛し、母親に文句を言うことなく過ごしてきたのは、母親が自分を愛しているのだ、愛しているからこそ忙しいのだ、と自分自身に言い聞かせてきたからだ。
だからこそ、母親が自分を愛していないかもしれないと、そのことを証明するような事実を突きつけられたとき、清川はショックで落ち込み、記憶すら消し去ってしまった。
清川は弱く繊細だが、同時にとても強い女の子だった。
犯罪に巻き込まれたこと自体はもちろん恐ろしかったが、それでも、母親がしっかりと清川を守り、愛したなら、彼女はきっと、記憶を消さずとも夜に立ち向かえた。
愛されないことだけが、清川にとっては酷く恐ろしいのだから。
愛されたい清川は、きっと台所で泣いている。
確信をもって、金森は台所へ向かった。
何かを察したのか、守護者は張り巡らせていた髪の毛を回収し、金森の後に続いた。
清川の家は、リビングと台所が繋がっており、リビングを通らなければ台所には行けない。
守護者がドアを開けると、そこに広がっていたのは台所と清川の部屋が合体した異様な空間だった。
幼い清川は、可愛いベッドの上で炊飯器を抱いて、声をあげて激しく泣いている。
それを、彼女の仲良しのぬいぐるみたちがグルリと囲って慰めていた。
しかし、癇癪を起こした清川は、ぬいぐるみを掴んで壁に投げ飛ばした。
投げ飛ばされたぬいぐるみはバシンと大きな音を立てて壁にぶつかり、しばし苦しそうに身悶えをするが、やがて腰をさすりながら立ち上がると、両手を広げて清川の元へ走って行った。
それを、清川は再び投げ飛ばす。
そんなことを、何度も何度も繰り返している。
「お、おい」
あまりに惨い光景に思わず赤崎が声を出すと、両目を真っ赤に腫らした清川が振り返って、じぃっと赤崎を見つめた。そして、
「くろいひとやだぁ」
と、ぬいぐるみを投げつけた。
ぬいぐるみはプロ野球選手が投げたボールのような凄まじい速さでぶつかり、赤崎はそのまま、ぬいぐるみごと後ろの壁に叩きつけられた。
赤崎は呻き声も上げられずに、その場で倒れ込む。
『赤崎、あんたの骨、拾うわよ』
金森はごくりと唾を飲み込むと、ニコリと笑った。
「お姉ちゃんは黄色だよ~。怖くないよ~」
少しくすんだ金髪のポニーテールをシャラシャラと揺らす。
そして、教育番組の元気なお姉さんを意識した態度で手を振るが、
「しらないひとやだ~」
と、余計にグズッた清川の剛速球、もといぬいぐるみが凄まじい勢いで金森にぶち当たる。
「ウグゥッ!」
金森も勢いよく壁に叩きつけられて倒れ込むが、隣の赤崎のように気絶することはなかった。
彼女は涙目になって背中に走る激痛に耐えながらも、匍匐前進で水玉模様のカーペットを這い、グッと守護者の髪を掴んだ。
そして、清川を指差した。
言葉をしゃべることができなくても、金森の意図は伝わったことだろう。
守護者は頷くと、意を決し、清川の元へ向かった。
不思議と、清川の赤い目が守護者をとらえても、清川は癇癪を起さなかった。
代わりにキョトンとして、
「おひめさま?」
と、舌足らずに呟いた。
ボロボロと流れていた涙も引き始めている。
「そうですよ、あなたのおひめさまです」
守護者が軽く屈んで清川と目線を合わせ、穏やかに微笑む。
すると、清川はムッと口を尖らせて首を振った。
「だめよ。おひめさまは、ですわって、いうのよ?」
「そうなのですね。失礼いたしましたわ」
守護者は翼でローブを摘まんで、絵本のお姫様のように丁寧に挨拶した。
清川は、スゴイ、スゴイと手を叩いて喜んでいる。
ずっと泣いていた清川の、初めての笑顔だった。
「あのね、おひめさま。あい、とってもこわいの。ママ、かえってこないの。でも、よるになっちゃう。おひめさま、あいといっしょにいてくれる?」
「ええ、もちろんですわ」
守護者は優しく微笑んだ。
まるで、清川の憧れていたお姫様のように。
それから、台所兼清川の部屋は嘘のように明るく穏やかな雰囲気に包み込まれた。
清川の望むお姫様を演じる守護者に、彼女はキャーキャーと声を上げて喜ぶ。
そんな二人を金森と赤崎は肩を震わせ、笑いを堪えながら眺めた。
「おひめさま、おひめさま。いまなんじ?」
「もう、四時ですわ」
「あらたいへん、ゆうひがきてしまうわ」
「あらたいへん、お紅茶に夕日を溶かして、飲み込んでしまいましょう」
「きゃーすてき! そうしたら、ゆうひはこわくなくなるかしら?」
「もちろんですわ」
清川にも守護者のしゃべり方が映ったようで、舌っ足らずに守護者を真似ては大笑いをしている。
夕日の話題に一瞬表情が曇ったものの、守護者が執事服のリスに銘じて紅茶を持ってくれば、にっこりと笑顔になった。
紅茶を守護者が一気に飲み込めば、清川は嬉しそうに瞳を輝かせる。
「おひめさま、おひめさま。いまなんじ?」
「もう、八時ですわ」
「たいへんたいへん、よるになってしまったわ」
「大丈夫ですわ。コーヒーに夜空を溶かして飲みこんでしまいましょう」
「おひめさま、そうしたら、こわくないかしら?」
「もちろんですわ、見ていらして」
守護者は、ウサギのメイドが持って来たホットコーヒーを上品に一気飲みした。
清川の表情がパァっと明るくなって、辺りに明るい色彩の花が飛び交う。
「あい様も飲んでごらんなさい」
守護者はクマの老紳士からカフェオレを受け取り、清川に手渡した。
清川も守護者を真似て、一気に飲む。
「おひめさま、おひめさま。なんだかあたまがすっきりするわ。こんやはずっとおきていられそう」
「あら、うふふ、それが狙いですのよ?」
守護者の言葉に、清川は首を傾げた。
「だって、あい様、時計をご覧になって」
ピンクの可愛らしい目覚まし時計は、十時をさしている。
清川が驚いた顔をすると、ガチャリとドアが開いた。
入ってきたのは、高校生の清川とよく似た、若い女性だった。
「ママ!!」
清川は一目散に駆け出して、母親に抱き着いた。
清川の母親、瑠璃はポロポロと涙を溢していた。
それが、抱き着いて胸に顔を埋める清川の頭上に、優しい雨のように降り注いで染み込んでいく。
「藍、藍、ごめんね。ママ、こんな時間にしか帰れなかった。でも、いつもよりは早く帰ってこられたんだよ」
涙声には罪悪感が混じっていて、許しを請うようだった。
「ママ、あいのこと、すき?」
涙をいっぱいに溜めた瞳で、じっと瑠璃の顔を見た。
瑠璃も涙を溜めながら微笑むと、ギュッと我が子を抱き締めた。
「ええ、愛しているわ。藍」
それを聞いた清川がにっこりと笑って、さらに強く、二度と放さないように母親を抱き返す。
すると、二人を中心にふわりと温かい風が舞った。
その風に交じった水晶の粒がキラリキラリと輝く。
まるで、哀しみの涙を、喜びの光に変換したかのように。
二人から少し離れた場所で、金森と赤崎は温かい親子を見守っていた。
「あの人、本物かな?」
「おそらく、違うだろうな。でも、いいんじゃないか、幻でも。清川藍が救われたのなら」
「そうだね」
あの風に触れれば、氷のツララに開けられた胸の中心が満ち、温かな幸福を感じることができる。
二人は穏やかな、春のような風に身を任せ、そっと目を瞑った。
クルリと足の裏を中心に、世界が反転するような感覚を覚える。
目を開けば、そこは何事もなかったかのように穏やかなリビングだった。
大きな窓の側では、高校生の清川がスースーと寝息を立てて眠っている。
もう、夕方になっていた。
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