半透明の守護者 硝子と少女

宙色紅葉(そらいろもみじ) 週1投稿

いつもの日常と変化の兆し

 今日も、もちもちだな。


 始業の鐘が鳴り、騒いでいた生徒が渋々席に座り始める。


 頬杖をついて、金森響かなもりひびき清川藍きよかわあいの方を見ていた。


 別に清川がふくよかだ、というわけではない。


 むしろ清川は痩せていて可愛らしい顔立ちで、密かに男子生徒達に人気があった。


 金森の視線は、正確には清川の隣に向かう。


 ソレは清川の隣で、窓から差し込む太陽の光にキラキラと照らされながら、熱心に黒板を見つめていた。


 歪んだ楕円形のソレは半透明で、額に一本角が生えている。


 大きな透明度の高いわらび餅のようだ。


 ソレを通してみた景色は、ガラス玉を覗き込んだ時のようにぼんやりと歪んでいる。


 大きさは清川よりも頭二つ分ほど大きい。


 清川は小柄な方なので極端に大きいというわけではないだろうが、二人で並ぶと、ソレがやたらと大きく見える。


 また、二本の触手のようなものが腕にあたるだろう位置から生えていた。


 半透明なので、ソレが視界に入っても積極的に意識を奪われるわけではないが、やはり少しは気になる。


 暇な時には、ぼんやりとソレを眺めていた。


 その不思議な存在は、ゆらゆら揺れながら、いつも清川を守るように隣にいる。


 金森は、清川を守るその存在を「守護者」と呼んでいた。




 金森には、偶に不思議な存在が見えることがあった。


 しかし、それは幽霊というわけでは無く、とにかく不思議な何かだった。


 不思議な何かは、こちらに干渉してくるわけでもなく、思い思いに自分の生活を送っている。


 また、金森の能力は何とも微妙で不安定なものだった。


 幼かったある日、小さな角の生えたクラゲが宙を漂っているのを見つけた。


 その話を母にすると、


「何もいないよ?」


 と、困ったような笑みを浮かべながら言った。


 子供の急な戯言に、何と答えれば良いのか分からなかったのだろう。


『ああ、そうか。何もいないのか』


 もしかしたら、自分の見間違いでそんなものはいなかったのかもしれない。


 金森がそう考えたら、すぐにクラゲは消えてしまった。


 けれど、やはりそれからも不思議な存在を見ることはあったので、金森は、自分には少し変わった力があるのだろう、と思っていた。


 しかし、妄想力は豊かでは無かったから、中二病のようになって自分は特別な存在なのだ! と妄想し、過激な行動に出て黒歴史を生むことも無かった。


 また、日常で不自由を生じさせるような能力ではなかったが、曖昧で微妙な能力だから、体験を物語風に仕立て上げて人に何か楽しい話を出来るわけでもない。


 変人扱いされることは目に見えていたため、能力のことは誰にも話したことがなかった。


 しかし、何故か清川を守る不思議な存在のことだけはいつも見えていたし、いないかも、と思っても消えることはなかった。




 時刻は午後八時過ぎ。


 夏が近づき昼間は温かだが、未だに夜は冷える。


 冷たい風が金森の温かな頬を撫でると身が引き締まるような、気持ちが良いような気がして彼女は上機嫌になった。


 特にこの日は天気が良く、暗闇を照らす街灯の下では幻想的な気分に浸れる。


 一人で夜に外出なんて少し不用心かも、とは思ったものの、金森は夜の散歩が好きであったし、ついコンビニのスイーツが食べたくなって出掛けてしまった。


 母親も、ちゃっかりと自分の分を頼んできている。


 忘れないようにしなきゃ、とメモを握り直した。


 幸い金森の住む町はド田舎というわけではなく、歩いて行くことができる範囲にコンビニもスーパーも図書館もある。


 バスも細かく走っており、交通にはあまり困らないこの町を金森は気に入っていた。 


 横断歩道を渡ろうと信号を待っていると、向かい側の道に清川がいるのが見えた。


『こんな夜に不用心だなぁ』


 自分のことは棚に上げ、苦笑いで清川を見ていると、半透明な守護者が彼女の隣をゆらゆらと浮き、自分の方に向けて触手を振った気がした。


 守護者の体は闇に溶けてしまい、街灯に照らされて反射している部分しか見えていない。


 自分も手を振り返そうかと迷っていると、ライトも点けずに爆走している自転車が清川の方に向かって突進して行くのが見えた。


 このままではぶつかってしまい、双方、ただでは済まないだろう。


 金森は目を丸くして驚き、硬直した。


「————っき」


 清川さん、と叫びかけた時、守護者がモチンッと清川の前に出て自転車に衝突した。


 自転車は巨大なクッションにでも突進したかのように一瞬曲がり、力が反発して運転手ごと宙を舞う。


 運転手が地面に投げ出され、アスファルトに打ち付けられる寸前、守護者が触手を素早く運転手に絡み付け、自分の方に引き寄せてお姫様抱っこをした。


 運転手を地面に立たせると、守護者がこちらにウィンクした、気がする。


 一連の出来事がやたらとスローに見えて、頭が真っ白になった。


 まるで自分の時間だけが止まってしまったかのようで、金森は動くこともできずに二人の方を見つめ続けた。


 しかし、ありえない光景を目の前で見ただろう清川は、意外にも動じていないようだ。


 運転手の無事を確認すると、ひっくり返った自転車を回収してきて、地面に座り込み放心状態になる運転手に渡し、一言、二言告げると再び歩き出した。


 二人の姿が見えなくなった頃、金森はようやく動けるようになった。


 横断歩道を渡ろうと信号を見ると、少し前まで青だったのが点滅してパッと赤に変わってしまう。


 その赤が嫌に不気味で、金森は信号から目を逸らし続けた。


 ところで、清川が行った方面には金森の目的地であるコンビニがある。


『もしかしたら、清川さんに会えるかも』


 信号が変わると同時に走り出した。




 コンビニでは、清川はおつまみコーナーで商品を吟味していたが、金森に気が付くと、「こんばんは」と片手を振って挨拶した。


 金森はゼエゼエと肩で息をしていたが、何とか手を振り返す。


「清川さん、災難だったね」


 聞きたいことはたくさんあるはずなのに、なんと話しかければ良いか分からなかった。


 金森の言葉に清川は一瞬不思議そうな表情をしたが、すぐに得心がいった表情になって「ああ、あれね」と笑った。


 それから、


「なんかね、自転車が、急に転んじゃったみたい! 石につまずいたのかも。あの人も、私も、無事だったけれど、本来、何があってもおかしくなかったんだよ! ちゃんと、夜の運転の時は、ライトを点けてほしいな。しかもあの人、イヤホンまでしていたんだよ!!」


 と、興奮して捲し立てた。


 頬は真っ赤で、いつもの冷静で大人しい彼女には珍しい表情と態度だ。


「石にぶつかったの? それにしては随分」


 大きく吹っ飛んだようだけど、と言いかけて、守護者がフルフルと頭を振り、口元に触手をあてて「内緒だよ」とジェスチャーしているのが目に入った。


 取り敢えず、守護者については触れないでおくことにした。


「でも、凄い光景だったよ。清川さんはすごいな。私、驚いて、しばらく固まったまんまだったもの」


「ふふ、案外慣れているんだ。だから、平気」


 ニコッ笑う表情に無理をした様子はない。


 信じ難いが、本気なのだろう。


 これ以上、深く突っ込んではいけない気がして話題を変えた。


「それにしても、夜に一人で買い物なんて、危なくない?」


 苦笑いをする金森に、清川は眉間に皺を寄せた。


「だって、あたりめ、食べたくなったんだもの。大体、金森さんだって、夜に一人で、買い物してるじゃない」


 あたりめの袋を持って、少し非難するように金森を見た。


 金森の方も、バツが悪くなって頭を掻く。


「まあ、気持ちは分かるけどさあ。私も、スイーツが食べたくなっちゃって。それに、夜の空気って、好きなんだよね、涼しくて、澄んでいて」


「ちょっと、分かるかも。でも、確かに、お互い気を付けなくちゃいけないよね」


 清川とは、その後も少し雑談をしてから別れた。


 今夜の清川はニコニコと笑っていて、そんな姿が少し意外だった。


 学校では赤崎怜あかざきれいの他に清川へ頻繁に話しかける者は少なかった上に、彼女自身も比較的、物静かで、誰かとおしゃべりしている姿をあまり見なかった。


 いつも冷静で、人とは違う空気をまとった高嶺の花。


 自分たちとは違う次元に生きている人なのだと、大抵のクラスメイト達は思っている。


「まあ、私もそんなに友達は多くないけれどさ」


 思わず独り言を言ったのは、外があまりにも静かだったからだろうか。


 相変わらず晴れてはいるが、今は風の一つも吹かない。


 帰り道では、例の自転車の運転手は見当たらなかった。


 とっくに何処かへ行ったのだろうか。


 動揺して新たな事故を起こしていないことを祈るばかりだ。


 信号の赤を見ていると、さっきの光景や妙に冷静な清川を思い出し、なんだか不気味で駆け足になって帰宅した。




 今日も今日とて、もちもちだ。


 いつも通りの日常を送り、揺れる守護者の輪郭を眺めては、ぼんやりと思った。


 休み時間は友人と談笑し、それなりに真面目に授業を受けて、飽きたら守護者を見る。


 清川とは昨日のように親しく話すわけでもない。


 昨日の不思議な出来事も、ニコニコ笑う清川も、いつも以上に不思議な守護者も、存在しなかったのではないかと思ってしまう。


 まるで、夢でも見ていたかのようだ。


 ただ、一つだけ、いつもと違うことがある。


 それは、守護者が頻繁にこちらへ視線を送ってくることだ。


 いつもは暇そうにその辺を眺めて、時折、熱心な生徒のように教師の授業に耳を傾ける。


 そして清川の無事を確認しては嬉しそうにしている。


 偶にこちらへ一瞥いちべつをくれることはあったが、何かをしようとしたり、こちらを見つめるようなことは無かった。


 それが今日は触手をクイクイと動かして、こっちに来いとジェスチャーしている。


 気のせいかと無視を続けていたのだが、昼休みになっても守護者の様子は変わらない。


 守護者は、清川と彼女の隣に陣取って昼食をとる赤崎の二人を見守りつつ、こちらに視線を送ってくる。


 そして、何故か赤崎も金森に視線を送ってきている、というよりも睨んでいる。


 友人たちと昼食をとりながらも、金森は守護者のことが気になって仕方がなかった。


「ねえ、響~。アイツ、なんか響のこと睨んでない~?」


「なんなの、アイツ。清川さんに絡むだけじゃ飽き足らず、金森にまでちょっかい掛けるようになったわけ? 気持ち悪い」


 友人二人は嫌悪感を露わにして、そう吐き捨てた。


 明確な敵意をもって赤崎を睨むと、彼女たちに気が付いた彼がビクリと肩を揺らした。


 綺麗な黒い瞳が怯えて揺れている。


「ま、まあまあ。別に、気のせいかもしれないし。そんなに言ったら、かわいそうだよ」


 悪目立ちをするような行動をとる割にメンタルは強くないのか、涙目になって落ち込む赤崎を見て、金森はフォローをした。


 睨まれるのは気分が悪かったが、ここで自分まで赤崎を非難したら死体蹴りになってしまうのではないかと思ったのだ。


 しかし、


「ちょっと、響、優しすぎ~」


「あんなキモイ奴に、そんな優しいこと言わなくていいわよ。大体、他人のクラスに来て図々しすぎ。帰ればいいのに」


 と、友人たちは嬉々として死体に銃弾を撃ち込んで行く。


 乱射である。


 結局、赤崎は半泣きで自分の教室へ帰って行き、金森は苦笑いすることしかできなかった。


 赤崎怜あかざきれいは、艶のある黒髪と深い闇を閉じ込めたような黒い瞳をした、非常に容姿の整った男子生徒だが、自身を「闇に選ばれしナイト」だと言い張り、奇妙な行動をとることから周囲に遠巻きにされていた。


 いわゆる中二病だろうか。


 もう少し金森の能力が強くて、妄想力が豊かだったなら十分にあり得た未来だ。


 恐ろしい。


 暇さえあれば清川に絡みに来ているところを見るに、彼には同じクラスの友人はいないのかもしれない。


 だが、清川とは友達なのかというと、そういうわけでもない。


 赤崎は一方的に清川の元へ訪れて、一方的に話しかける。


 清川は苦笑いをして困っているようだが、誰も赤崎と関わりたくないので彼に直接注意する者はいなかった。


 加えて、時折、女子や格好つけたい男子が「赤崎に注意してやろうか?」と問うたが、清川は決して首を縦に振らなかった。


 そんな二人を最初、周囲は不思議そうに眺めていたが、最近では彼らに注意を払う人間すら減っていた。


 さきほど赤崎を非難した友人二人も、今回のように金森に絡んでこなければ、特に攻撃することは無かった。


 友人が攻撃されたと思ったから反撃した、という意識なのだ。


『なんだかなぁ』


 小さくため息をつくと、突然、モフモフと背中を叩かれた。


 やけに弾力のある感触に違和感を覚えて振り返ると、そこには守護者が立っていた。


「—————っ!!!」


 飛び出てしまう程に両目を大きく見開いて驚き、声無き悲鳴を上げる。


 清川の元を離れて他者へ積極的に話しかける守護者など、想像もつかなかったからだ。


 さらに、守護者は低く優しい声で、そっと、


「私とお手洗いに行きませんか?」


 と、ささやいた。


『アンタ、しゃべれたんかい!?』


 思うことはたくさんあったが、一番に出てきた言葉はこれだった。




 友人たちに顔色を心配されながら送り出され、守護者と金森は女子トイレの中にある手洗い場に向かった。


 あまり清潔ではなく、たいして広くもないトイレは静かだ。


 四つ並んだ個室は全て空で、二人以外には誰もいない。


 ちなみに、鏡に守護者は映らないようだ。


「人がいないならちょうどいいですね」


「ナ、ナニガチョウドイイノデショウ!?」


 三秒後に屍にされる未来が脳内を俊足で駆け巡り、裏返ったカクカクとした叫び声をあげてしまう。


 守護者は、静かに、と口元の辺りに触手を当てて、


「あんまり声を出すと、人が来てしまいますよ」


 と忠告した。


 金森としては、例え変人扱いされても良いから誰かに来てほしかった。


 だが、願いは届かず。


 人が来る気配すらなかった。


 ダラダラと背中に冷や汗を流したまま、授業の開始を知らせるチャイムが鳴った。


 これから五十分間、恐らく人は来ないだろう。


「ア、アノ、私に何の用でしょう?」


 最初こそ裏返ったが後半の言葉は多少ましになっていて、声の大きさも中程度に戻っていた。


 守護者は、ふむ、と口元に触手を当てる。


「いえ、貴方は私のことが見えているようだ、とは思っていたのです。よく、こちらを見つめていたでしょう? 藍を見ているわけでも、なさそうだったので」


「まあ、その通りですが」


 守護者には目と思われるものが存在しない。


 それでも守護者は自分の視線に気が付いていたのか、と思うと、なんだか不思議な感じがした。


「ただ、そういう風に私を見ることができて、話までできるのに、随分と、その、力が弱そうだ、と、不思議に思っていたのです」


 自分の能力が曖昧で微妙なものだという自覚はあったが、それでも他者から指摘されると失礼に感じ、ムッとしてしまう。


 しかし同時に「なんだ、そんなことか」と拍子抜けして一気に脱力した。


 金森の中では、生きるか死ぬか! という話になっていたのだ。


 一気に緊張が解けて、膝から崩れ落ちそうになった。


「そんなことですか? 知りませんよ。でも、確かに、私の力はそんなに強くないと思います。貴方のことは、いつでも見えているけれど、他の不思議生物? は、気が付くと見えなくなっていますし」


「そうでしたか。いえ、失礼でしたね。申し訳ありませんでした。どうにも気になってしまったもので……ところで本題ですが」


「な、なんですか?」


 本題があったことに驚くと同時に、再び緊張して唾を飲み込む。


 口の中がカラカラに乾いてしまった。


 先ほどから感情がジェットコースターのようで、思考も身体も追いつかない。


「その、ええと、貴方は、私たちのような存在には詳しいですか?」


 期待交じりの声でソワソワと問うが、金森が不思議な存在について詳しい訳が無い。


「いいえ、全然」


 首を振って即答すると、


「ええ!?」


 と、守護者は酷く驚いた声を上げて、固まってしまった。


 二人の間に気まずい沈黙が流れる。


「いや、本当によく分からないですよ。力も強くないから、今までは不思議生物をなんとなく眺めているだけでしたし。関りをもったのも、今日が初めてです。大体、不思議生物である貴方の方が、詳しいんじゃないですか?」


 そう問えば、守護者は「ううん……」と唸った。


「確かに、自分たちのような存在について、多少の知識は持っています。一目見れば、その人間の力の程度が分かったりもしますし。けれど、なんと言えば良いのでしょうか」


 モゴモゴと口籠ってしまい、なんだかはっきりしない。


 何やら守護者は困っているようだが、これでは金森の方も困ってしまう。


「私には、記憶が無いのです。自分が貴方たち人間とは違う存在であることや、貴方たちが所属するこの現実世界のほかに、自分たちが所属する別の世界が存在していることなんかは知っておりますし、同じような存在とコンタクトをとることで、少しずつ知識もつけています」


 急にファンタジー色が強くなる内容に、さっきから置いて行かれている思考が、とうとう走ることをやめた。


 色々なことが起こりすぎて、頭がパンクしそうだ。


 いっそのこと、全てを忘却してしまおうか。


 それとも風邪でも引いて、おかしな幻覚でも見ているのだろうか。


 それなら、精密検査でも受けて来ようか。


 そんな、現実逃避ぎみの思考が始まる。


 遠くを見る金森に、守護者は不満げな声を上げた。


「聞いていますか? とにかく、私には分かることもありますが、自分自身については何も分からないのです。けれど私は、自分の記憶を取り戻したいのです。何故、藍を守っているのか、何故私は生まれたのか、何故私は……」


「あー、待って待って。それ、そんなに重要ですか? 私だって、自分がなぜ生まれたのかなんて知りませんよ。ましてや、貴方のことなんて分かるわけがないじゃないですか」


 眠れない夜に更に頭を悩ませ、睡眠を阻害する思春期の悩みのような疑問を滔々とうとうと出し続ける守護者に、金森は待ったをかけた。


 答えのない哲学じみた謎を、トイレで探求するわけにはいかない。


「それは、確かにそうですが。しかし、気になるものは気になるのです。私たちの生まれ方は特殊ですし……」


「気になるものは気になるかもしれませんが、私だって、分からないものは分かりません」


 キッパリ言うと、守護者はガックリと項垂れて「そうですよね、でも」と繰り返す。


 金森のテンションは何週も回った挙句にハイになっていた。


 そのため、先程までの恐怖も忘れて、言いたいことをズケズケと言い出す。


 声もどんどん大きくなる。


「大体、さっきも話したと思いますが、私は、これまで貴方たちのような存在を見たことはあっても、関わったことはありませんでしたし、何も知りません。もう一つの世界? なんて、ファンタジーすぎて理解できませんし! 私が貴方の役に立てることなんて、ありません!」


「そ、それでも、私は他に頼れる人がいないのです。藍は、私を見ることができませんし、よく藍を訪ねてくる男の子は、なんだか怖いですし」


 足首に縋るように絡みついてくる触手を、気持ち悪い、気持ち悪い! と振り払うも、なかなか離れない。


 その後も、ああだ、こうだと二人は騒ぎ続け、言い争いは、怒鳴り合いの一歩手前まで発展していた。


 現在自分たちがいる場所も、時間も頭から抜け落ちていて、世界に二人しかいないかのようだ。


「離してー! 私は、授業に戻るの。いい加減に怒られる!」


「私に協力してくださるのなら、離しますから~」


「いーやーだー」


 触手は力が強いわけではないが、ただただ柔軟にピッタリと絡みつき離れない。


 このまま教室に戻ってやろうか、と思っていると、ガラガラと音を立ててトイレのドアが開いた。


 驚いてそちらの方を見ると、怒った表情の女性教師が入り口で仁王立ちしており、その横から心配そうな友人たちの顔が覗いている。


「どういうつもりなの、金森さん。授業をさぼって、こんなに騒いで。他の教室まで響いていましたよ。おまけに、貴方、ここに一人なの? 騒いでいる時も、貴方の声しか、聞こえませんでしたし……」


 始めはヒステリックに叫んでいたが、その勢いは急速に衰え、とうとう口を噤んだ。


 事態の異常性に気が付いたのだ。


 金森は、実際には守護者と言い争っていたわけだが、普通の人に守護者の声は聞こえない。


 始め、教師は金森と誰かが授業をさぼって喧嘩していたのだと思った。


 金森の声ばかりが響いていたのだから、彼女が誰かを虐めている可能性があるとすら思ったかもしれない。


 しかし、叱ろうとドアを開けてトイレにいたのは金森ただ一人。


 彼女が言い争っている最中にドアを開けたのだから「誰か」を隠す時間はない。


 つまり、金森は見えない「誰か」と言い争っていたことになる。


 教師にはさぞ異常に映っていることだろう。


 その証拠に、彼女はみるみる内に青ざめていく。


「あ、いやー」


 何か言い訳をしようとするが、上手く言葉が出ない。


 真っ青になっていると、昼休み一緒に弁当を食べていた友人、友美ゆうみが声を上げた。


「響、お腹とケンカしてたの?」


「え?」


 何の話だ? と困惑している内に、友子ともこも続く。


「そういえば金森、力を入れたり、悔しいことがあった時には、とにかく大声を出す! って言ってたわね。悔しかったの? お腹痛くて」


 友美は極めて真面目に言い、友子は半分呆れながら言う。


 二人の発言に、他の友人たちがざわつきだした。


 確かに金森は以前、自分に叱咤激励をするというようなキラキラとした意味で、友子の話したような言葉を語った。


 だが、決して、トイレの時に大声を出したり、具合が悪くて体に八つ当たりをしたりする、という意味で言ったのではない。


 第一、一人きりで騒ぐことも異常だが、具合が悪くなる度に人目も気にせず大声を出すことだって、十分異常だ。


 金森が固まっていると教師はため息を吐いて、


「体調が悪くてイライラする気持ちは分かるわ。でも、ここは学校よ。そんなに大声を出してはいけないわ。まだ辛いならもう少しここにいてもいいから、静かにね」


 とだけ言い残して去って行った。


 友人二人もこちらに手を振って去って行く。


 二人のフォローに心の涙が止まらない。


「それでは、頼みましたよ」と言い残して、守護者も逃げるように去った。


 加えて、教師がドアを閉める一瞬、赤崎がこちらを強く睨んでいるのも見えた。


「お前、授業中だろ。あと、ここ、女子トイレ……」


 ぽつりと呟いた言葉は誰も拾わない。


 授業終了のチャイムが鳴るまで、金森はトイレの個室の中で頭を抱えて座り込んでいた。

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