第21話 小料理屋

 呑兵衛たるもの酒が置いてあればどこでも飲み屋とするのだが、小料理屋という看板を掲げながら呑助を相手にするという矛盾に気付いたのは高二の冬ではあったと思う。

 居酒屋は堂々と酒を謳っているため酒を出すのは当然なのだが、いや、そうである以上は主役が料理にあるべきではないか。

 しかし、漫画やドラマなどで見る小料理屋には酒が欠かせず、居酒屋との違いを少年らしい真っ直ぐな目で疑問視したものである。

 父が懇意にしていたスナックもまた、鉢盛りの料理が並び、そのいずれもが家庭料理に近いものであった。

 飯と共に頂くというのであればまだしも、酒を主体にしながらそうした料理をいただくことに、当時の私は多くの疑問符を付けたものである。


 それが三十路を過ぎた今となっては、呑兵衛として小料理屋の意味が少し分かってきたように思う。

 実際にそうした店へ伺う回数も増えたのだが、二十代の頃はそうした店へ伺うことにどこか珍しく引け目を感じていたからではないかと最近になり気付いた。

 オーセンティックバーを自分への成人の祝いとしながらも、創作の中で描かれた小料理屋に対してはどこか「大人の社交場」としての敷居の高さがあり、それが二の足を踏ませていたようである。

 恐怖からではなく、ある意味では神社に気軽に足を踏み入れてはならないという感覚が最も近い。

 それでも、今は自然と足が向くようになったのだから、呑兵衛のんべえとしての成長は心の図太さにあるのかもしれぬ。


 小料理屋に入るとまずはひとしきり、何を飲むかで悩んでしまう。

 店によっては何を食べるかが決まっているため、自ずと飲み物も決まることが多いのだが、こと小料理屋においては安易に頼まぬ方が良い。

 その日に並ぶ料理と季節を勘案して、最も合うものを選ぶのであるが、おしぼりで手を清める(近頃は少々顔を清めることも出てきたが)この瞬間が堪らぬのだ。

 とはいえ、あまり時間をかけてしまってもリズムを崩すことになるため、その時は素直に、

「とりあえず、ビールですか?」

という問いかけに応じる。

 日本酒を頼むのが五割で、焼酎から始めるのも二割ほどあり、あとは麦酒が三割を占めるだろうか。

 何でも飲むのが呑兵衛のほまれであるが、何でもいいと飲み始めるのは呑兵衛の恥であろう。


 さて、逡巡しゅんじゅんの後にお通しを摘まみながら酒をるのだが、ここでひとしきりの道を決めてしまう。

 無論、寄り道や延長戦もあるにはあるのだが、一人で飲みに出る以上、どのように腹と心を満たしていくかは八分目まで決めておいた方が無難だ。

 それで丁度十一分目になろう。


 また、お通しは少々物足りないという具合で出されるのが丁度良い。

 焼き鳥屋や串カツ屋のキャベツではないのだから、準備運動が住む程度であるのが望ましい。

 三種盛りでもよいが、それぞれが少ないのがあくまでも条件となる。


 次いで頼んだ品で次々と酒をっていくわけであるが、あまり奇をてらった創作料理ではなく、あくまでも地に足の着いたものである。

 それこそ字面を見ただけでどんな料理かが想像できる、烏賊と筍の土佐煮や菜の花の白和えといった、家庭でも手の届く、しかし少し腕と手間が要るものが何とも嬉しい。

 生活の肉感をはらんだ料理をいただくくつろぎというのは代えがたく、それが私も分かるようになったということだろう。


 店で味わう家庭料理の安心と寂寥は香ばしい。


 思えば、呑兵衛にとって家庭料理は嬉しいものだが、「家庭」での料理は必ずしも満たされるものではない。

 それを外に求めてある意味ではをしているのだが、そのによって家庭を持つ呑兵衛は様々な表に出せぬものをしまい込んでいるのだろう。

 その一方で、独り身の呑兵衛にとってはかつて見た幻想をその一鉢に求めながら、静かに酔いを味わう。

 さながら大人の御飯事オママゴトとでも言うべき戯れの中でる酒は、少しほろ苦い。


 やはり通い始めを遅らせた私は、呑兵衛として正しかったのだろうと思う。

 そして、改めて考えると小料理屋という言葉のなんといじらしいことか。

 控えめに呑兵衛の生活へ寄り添うその在り方が、字面にそのまま表れたようで素直に嬉しい。

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酒論・肴論~飲兵衛はかく語りき 鶴崎 和明(つるさき かずあき) @Kazuaki_Tsuru

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