第20話 無月雨月と騙る呑兵衛

「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」


 徒然草の中でも有名な段の初めであるが、読み返して見ると兼好法師は呑兵衛のんべえではなかったかと思ってしまう。

 葷酒山門に入るを許さずという一節も世を捨てる前であれば何も関係がなく、散り際や隠れた名月を肴に一杯っていたに違いない。

 というのも、呑兵衛にとっての花や名月というのは酒を旨くする添え物に過ぎず、主はあくまでも酒になる。

 そのため、全く花や月がないというのも寂しいものではあるが、なくとも酒を楽しめる強靭きょうじんな精神を持つ。


 そもそも花見や月見において、それらを愛でるのはどれほどの間であろうか。

 月見であれば二時間で考えたにしても、仰角が三十度は変わる。

 首が上向いていくにつれて疲れが出てしまい、ずっと見続けていれば肩凝りで月見酒どころではない。

 花見も同様で、遠くの桜であれば座って見続けてもいられようが、それよりも花見弁当ださかなだと気を取られてしまい、花は忘れられてしまう。

 五分ほど姿を拝めれば十分ではないかと思ってしまうのだが、それはあまりに極端な考えなのだろうか。


 花見酒や月見酒を否定するつもりはない。

 ただ、雨や雲にそこまで気を落とす必要はないのではないかと思うだけである。

 季語の世界にはおかしな言葉が多々あるが、その一つに無月や雨月がある。

 これは仲秋の名月の日に月が見えぬ時、それを風情の一つとして取り上げた季語であり、実際に楽しまれてもいたという。

 雲に隠れたならそれを思いながら飲めばいいじゃないかというのは何とも呑兵衛らしい発想だ。

 古代のバーチャルリアリティといっても過言ではあるまい。


 呑兵衛であればこうした時にも楽しむべく、食膳を工夫する。

 最も単純なものであれば、桜の枝を一輪差し、それを合間に眺めながら酒をる。

 花屋に行けば然程労せず手に入るため、なかなか花見に出られぬという方にはお勧めである。

 あるいは造花で何とかするという手もあるが、それならば食器や酒器に工夫を凝らした方がまだ救いがあろう。

 今であれば動画や写真を飾るというのものあるが、これにも想像力という助けが要るため、しっかりとをしておきたい。


 月見であれば皿だけでなく、床の間に飾る掛け軸などで工夫もできようが、床の間がない呑兵衛も私を含めて多い。

 そこでちょいと気の利いた扇子と芒を飾れば、雲に隠れた月も浮かばれよう。

 あるいは兎の箸置きを用いるのも一興であり、酒器に月が浮かんでいれば何とも楽しい宴となる。

 逆にここで兎を食べようとすれば少々悪趣味であるため避けられたし。


 さかなの工夫もまた大事な要素である。

 月見であれば衣被きぬかつぎや栗があると賑やかで楽しいだが、そもそも月見は収穫祭の側面があり、その年に採れた作物を並べれば気分が否応もなく高まっていく。

 田楽やふろふき大根も名前や見た目から似つかわしく、酒にもよく合い並べておきたいところだ。

 団子については酒の後に摘まめばよく、無理して肴にする必要はない。

 今は月見バーガーもあるためこれを肴にやるという剛の者もいそうだが、ちょうど頃合いとなるひやおろしでやるのなら、椀物に月を浮かべたい。

 小盛の月見そばをヌキでればとも思うが、そうすると月が沈んでしまうため麺が欠かせぬのが玉に瑕ではあるが。


 桜の時期に桜の使われた肴を合わせるのは少々難しい。

 更科一門の桜切りという手もないこともないが、四月に入れば甘茶に変わるため、素麺やうどんを工夫した方が良さそうだ。

 一方、この時期は鯛の味がよくなり、桜鯛とも呼ばれるようになるため、これを肴にるのがいいのではなかろうか。

 もしくは桜海老や馬肉をいただくのもいいかもしれぬ。

 沢庵という手もあるが、そうすると酒が茶に化けてしまいかねない。


 しかし、これらの遊びをあまりに気を入れ過ぎてやってしまってはかえって卑しくなってしまう。

 見れねえのかしょうがねえなあとぼやきながら、やるぐらいがちょうどよい。

 あくまでも酒を少しでも楽しむための手として置くべきであり、それを過ぎれば呑兵衛ではなく偏屈に過ぎぬのだから。

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