第19話 肴の盛り

 独りで飲みに出た時、最も気がかりであるのはお通しに何が出るかということである。

 先日、ある日本酒バーに初めて入ったのであるが、雰囲気も酒も良い物が揃っており良い店であった。

 ただ、出てきたお通しが何とも呑兵衛好みに辛口で、ちびりちびりるのに向いており、なかなか減らぬ。

 二品並んでいたのだが、結局、片方を平らげたところで打ち止めとなってしまい、詫びてから店を後にした。

 あまりにさかなが良すぎるのも考えものよと苦笑しながら、裏を返す時にはお通しを一品にしてもらわねばと心に刻んだものである。


 呑兵衛が飲みに出る時、必ず相談しなければならぬのが腹具合であり、どれほどまで許してもらえるかを常に気掛けねばならぬ。

 というのは意地汚い飲兵衛にとってははらわたを断ち切られるような思いをする行いであって、できれば避けたいところだ。

 何を頼み、どのように組み立て、いつ締めめるのか――これを思い描く瞬間の愉しさは呑兵衛には堪らぬものであり、そこにどこまでも駆けうる牧野が広がっている。

 ただ、その選択も相手の面構えが分からぬ限り組み立てようがないのも事実であり、飲み始めて暫くはけんに回る。


 飲み物をいただき、まず一品か二品頼むことになるが、この時はあまり欲張らぬようにする。

 飲み会であれば一人はいる大食らいのために食いでのあるものを頼むが、様子も何も分からぬうちにあれやこれやと頼んでしまうと後悔することが多い。

 特に見知らぬ店であればどのような量で出てくるか分からぬため、一度に頼む量は抑えねばならぬ。

 いわきの街で訪ねた飲み屋を別の紀行文で紹介したが、あの時も一鉢ごとの量が多く、一品ずつの注文に切り替えた。


 ただ、この量というものは必ずしも重量に限ったことではなく、含まれるカロリーや塩分もそこに入る。

 別に塩分を気にして飲むような殊勝な心掛けは持っておらぬのだが、身体がこれ以上はと拒む量が私にはあるようで、先述した日本酒バーはこれで箸が止まった。

 カロリーの方もそれ自体は気にならないのだが、あまりに油分が多くなりすぎると酒を味わっているのか油漬けになっているのか分からなくなり、とても酒どころではなくなってしまう。

 昔は脂の多いものをいただいてもここまで気にはならなかったのであるが、呑兵衛として前に進むと胃の容量は後退するのだろうか。


 故に、周りの客が頼むものを見比べながら、自分が頼むべきものを決めていく。

 特に量がどうなっているのかを見つつ、自分の腹に語りかける。

 呑兵衛としての熟達を経て、研ぎ澄まされた調整ができるようになれば怖いことはない。


 とはいえ、やはり肴ごとに丁度良い塩梅というものがあるのではないか。


 やたらと多量を誇る店もあるが、飲み屋であれば必ずしも量が多幸感に繋がる訳ではない。

 もちろん、腹が八分目以上になり満たされるというのも大事な要素であるが、色とりどりの酒肴を愉しみたいというのも底なしの欲望である。

 例えば、肉じゃがなどの煮物は小鉢がよく似合い、丼のような大鉢に盛られたものが来た日には手に余るだろう。

 これに対して唐揚げが小皿に二つ並ぶだけでは少しいじらしいので、大振りにするか四つ五つと盛られるのが良い。

 枝豆も椀に山と盛られては多すぎるし、皿に三つ並ぶだけでは供え物かと見紛うので小鉢にちょいと出されるのがいいのではなかろうか。

 ただし、これがビアガーデンであればざるに盛られたものがよく似合う。

 よく見る量では少し物足りぬが、それが次の肴を求める原動力にもなる。


 物足りない、というのは飲み進めていく上で大きな原動力になるのではないか。

 満たされるために飲みに出ているのだが、すぐに満たされてしまってはそこで終わりとなる。

 だからこそ、呑兵衛は求める量よりも「僅かに」少ない肴を求め、り続けようとするのだろう。

 何とも業の深い話だが、呑兵衛の意地汚さを思えばさもありなんと言ったところであろう。


 こう考えると、例の日本酒バーのマスターは人が良すぎるのかもしれない。

 裏を返す折には、色々と伺ってみたいものである。

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