第2話 本文
異能力者の
「先輩、最近仕事上手くいっているな」
僕は代わり映えしない日常の一部にある小さな変化に気づいて言霊として発した。
普通なら、誰もが見逃してしまう本当に小さなものである。僕は職場のオフィスのデスク越しにそれを観察している。
僕の職場は上昇する兆しもなければ、倒産する心配もない。どっちつかずの会社だ。僕はそこの営業部で働いている。給料の割に残業や無理なノルマが当たり前のブラック企業。
でも、ホワイト企業なんてものが空想上でしか存在しない日本で僕の会社は完全な黒に染まりきっていないブラック企業と言える。
そんな可も無く不可も無い職場で一緒に働く先輩を僕は見ている。
「鷹野、ちょっといいか!」
「はい」
鷹野先輩は部長に呼ばれて、軽やかな足取りで部長のデスクへと向かう。二人とも何だか楽しげに話している。
きっと仕事の話をしているのだろう。新規の契約が獲得できたみたいな明るい話題で盛り上がっているのかな。
楽しそうに話している先輩のことを僕は見ているけど、僕は別に先輩を好きでもない。
ましてや同性愛という趣味を持っているわけでもない。
鷹野先輩は職場という日常の一部で会うだけの人間。
そんなありふれた関係の先輩を僕は仕事中にも関わらず興味を持っている。
「
「はい!」
「頼んでいた資料用意しろ!」
「はい、畏まりました」
僕は係長に現実へと引き戻されると、会社用のパソコンに入っている会議資料のデータを探し始める。パソコンのデスクトップにあったデータを見つけると、資料データに不備がないか確認する。
昨日も退社前に確認したから問題なさそうだ。だけど念には念を入れないと。係長は細かいミスにもうるさいから。
よし、資料データに問題はなさそうだ。あとは係長のOKがもらえたら、大丈夫だ。
「係長、営業部の共有フォルダに格納しました。ご確認お願いします」
「わかった!」
係長に資料データを渡し終わると、僕は再び鷹野先輩に目を向けた。鷹野先輩は部長との話を終えて自分の席でデスクワークしていた。
どうして鷹野先輩のことが気になるかと訊かれても、ただ何となく目が行ってしまう。それ以外の理由はない。明確な理由があるとしたら、鷹野先輩の営業成績が格段に上がったからだ。
僕よりも営業成績が悪かったのはずなのに。この一年で営業成績が営業部トップになっていた。
鷹野先輩の営業成績は一年前まで毎月最下位だった。
入社2年目の僕よりも営業成績が悪かった。僕も偉そうに言えるほど成績は良くない。
でも、毎月新規営業先を5件は獲得している。目標件数ギリギリだけど、毎月ノルマを達成しているおかげで僕は減給などの罰則を受けていない。
だけど、他の同期よりも成績が良くないので昇給という褒美も貰えない。昇給もされない入社二年目の僕よりもやばかったのが鷹野先輩だ。
毎月新規営業先獲得0件が当たり前で、取引先との関係を継続できずに契約件数を減らす。営業に必要な資料の作成も出来ない。それどころか作成ソフトもまとも使えない。そのため、僕のような後輩社員にペコペコ頭を下げながら、使い方は教わっていた。
しかし、毎回鷹野先輩から同じ質問をされて覚える気がないのかと不信感を抱く後輩社員が増えた。それから鷹野先輩は誰からも慕われなくなった。
鷹野先輩の同期は順調に出世街道を歩んでいる。本人に焦りがないのか、先輩は人に自慢できる肩書きを持っていない。
鷹野先輩のことを会社のお荷物と陰口を言う社員はたくさんいた。
そんな鷹野先輩の給料の額は僕と同じだったらしい。
入社年数が僕より長いという理由だけで、ギリギリ後輩の僕と同じ給料がもらえたみたいだ。
まぁ、鷹野先輩の入社歴で考えると、あり得ない金額である。
こんなにダメな人の給料を払うくらいなら辞めさせた方が会社のためになるんじゃないか。僕の同期が陰口を言っていたことを思い出す。
でも、そんな先輩が目を疑うほどに営業成績を伸ばしている。
僕はホワイトボードに貼られた月の営業成績が書かれた紙に視線を移す。この会社の新規営業先の件数は5件取れたら、良い方なのに鷹野先輩はここ最近では最低でも月30件、最高が月50件ということもあった。
今では営業成績がぐんぐん伸びている鷹野先輩に対して手のひらを返したように部長達が作り笑顔を浮かべながら、鷹野先輩を立てている。
それとは真逆に僕の会社で営業成績が常にトップだった大鷲課長が最下位に転落していた。今の鷹野先輩のように30件以上の新規営業先の契約件数を伸ばし続けていたのに。
まるで、それが幻だったかのように大鷲課長は新規営業先獲得が0件の月が続いている。
もちろん、大鷲課長も努力をしていないわけではない。営業不振の焦りなのか僕よりも外回りの回数を増やしたり、営業資料を作るために残業しているのも僕は知っている。
でも、今の大鷲課長はかつての鷹野先輩を見ているように僕は感じる。
今まで付き合いのあった営業先との関係が崩れて契約解除されたり、
資料作成ソフトの使い方が分からなくて僕に訊いたりする。
入社したばかりの僕に資料作成のコツを教えてくれたのは大鷲課長だったのに。なんで、前の鷹野先輩みたいなミスをするんだろう。
そんな疑問が浮かぶも僕は大鷲課長に育ててもらった恩がある。僕は何も言わず大鷲課長に資料作成のコツを教えた。
***
それからも鷹野先輩は変わり続けた。僕が知る限り中学生程度の英語しか話せなかったのに、今では英語がペラペラにしゃべれるようになっている。そのおかげで先輩は海外の取引先をメインとしている海外営業部への部署異動も決まった。
さらに女性社員と目も合わせられなかった程のコミュニケーション能力の低さだったのに、気づくと女性社員と仲良く出来ている。
僕が知らない間に社内一の美女の白鳥さんとの結婚まで決まっている。
先輩が僕の嫌いな勝ち組という存在へと変わってしまった。
きっと先輩は自分を変えるため、見えない所で努力をしていたのかな。
今日は勝ち組となった鷹野先輩の栄転を祝福するパーティが行われる。 営業部で会社近くの居酒屋で企画をしていたのだが、それを聞いた鷹野先輩は自分が主役のパーティのはずなのにポケットマネーで僕らの参加費を出してくれた。
それだけではなく、都内でも有名なホテルの会場や料理までも手配してくれた。これじゃどっちが祝われるのか分からない。
しかし、僕たちはお言葉に甘えて先輩が用意してくれたホテルのパーティ会場で鷹野先輩の栄転祝いに参加した。
パーティには後輩営業マンだけではなく、営業部部長までも参加している。主役の先輩は後輩の女子社員達に囲まれて笑顔を浮かべている。
しかし、その隣には婚約者である白鳥さんの姿もあった。
なんて華やかなのだろう。先輩の場所だけ空気が違う。
ここには先輩の変化によって居場所を失った人たちは来ていない。
そして、その人たちの居場所はこの会社にはなかった。先輩の活躍の影には居場所を追われて退社した人間もたくさんいた。
僕もその一人になる可能性がある。同じ道を歩まないように最近は仕事を必死にやっている。先輩ほどじゃないけど僕も営業成績を少しずつ伸ばしている。
こんなおめでたい日に暗いことを考えて水を差してはいけない。
今日は純粋に先輩の未来を祝おう。
僕は先輩を取り込む女性達の輪の中心にいる先輩を呼び出す。
「鷹野先輩」
「小鳥遊」
「この度は栄転おめでとうございます!」
「ありがとう。みんな、すまないが小鳥遊と二人にさせてくれ」
「えぇ!」
女子社員達のブーイングを無視して先輩は僕を会場の隅へと連れて行く。
「改めまして、鷹野先輩おめでとうございます!」
「よせ、褒めても何も出ないぞ」
「僕は本心で言っているんですよ」
「そうか。ありがとう」
「鷹野先輩、変わりましたよね」
「なんだよ、急に」
「営業成績も伸び続けているし、女性社員からの人気も上がっているし」
「だから、褒めても何も出ないぞ。まぁ、俺がその内引き上げてやるよ」
「ありがとうございます。最近の先輩って大鷲係長を思わせますよね」
「え?」
「だって営業成績は大鷲課長の絶頂期と同じ。
営業部一番のモテ男の鳥谷さんのコミュニケーション能力、
帰国子女で英語がペラペラな鵜飼さんの英会話力。
まるで、鷹野先輩が皆さんのスキルを盗んだみたいな感じですよね。 なんちゃって」
「おい、小鳥遊……」
え? どうしたんだ?
僕、何か気に障ること言ったかな?
僕は冗談交じりに言ったのに鷹野先輩の顔色が変わった。
先輩は体をぶるぶると震わせながら脂汗を流している。
「先輩?」
「あぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁ」
鷹野先輩は突然叫びながら陸に打ち上げられた魚を思わせるように
跳ね回っている。その勢いのまま会場の中心へと向かっている。
胸が苦しいのか、先輩はスーツの胸元部分を力強く握っている。
なんだ、何が起きているんだ。
「きゃああああああああああああああ」
鷹野先輩の奇行に驚いた女性社員達の叫び声がパーティ会場に響く。
さっきまでのお祝い雰囲気をぶち壊すように鷹野先輩は叫び続けた。
「あぁぁぁ……」
鷹野先輩の叫び声が消えたと同時に先輩はネジが止まったブリキのおもちゃみたいに動きが止まってその場に倒れた。
僕は恐る恐る鷹野先輩に近き、先輩の口元に右手を伸ばす。
息が当たらない。まさか、僕は鷹野先輩の胸に耳を当てる。
聞こえない。鷹野先輩の心音が。
「死んでいる……」
***
あの日、鷹野先輩が死んだ。翌週には社内に鷹野先輩の訃報が広まった。
死因は心臓発作だったと告げられた。
しかし、鷹野先輩は先月受けた健康診断の結果では何も異常がなかったらしい。
死因に直結する症状や外傷もないということで、警察も先輩の突然死ということ処理したようだ。
僕が鷹野先輩と死ぬ直前に話をした最後の人間ということで警察から事情聴取された。先輩が死ぬ前の様子に変わったことはないかと訊かれるも特に何もなかった。
まるで、鷹野先輩が皆さんのスキルを盗んだみたいな感じですよね。
あの時、僕の一言が鷹野先輩を殺したのか?
いや、そんなことはない。
僕には人を殺せるスキルなんて持っていない。
そんなことが出来るなら、僕はこんな会社をやめて殺し屋にでも転職している。なんてバカの事を考えているんだろう。
***
先輩がいなくなって悲しんでいたはずの会社は今日も何事もなかったように機能している。先輩が死んだ翌週には代わりの社員がすぐに補充された。先輩の死を悲しむヒマをくれないまま、会社は益々忙しくなった。
僕はその歯車の一つとなって働いている。
白鳥さんも鷹野先輩が亡くなって一週間もしない間に、別の男性社員と結婚して寿退社した。新しい恋をスタートするのは自由だけど、もう少し間を空けて欲しいと思った。
彼女の中で鷹野先輩はそこまで特別な存在じゃなかったのかもしれない。白鳥さんが新しい恋をスタートさせたことを天国で鷹野先輩はどう思っているのだろう。
「あれ、そういえば……」
鷹野先輩が死んだ日、栄転祝いのパーティ会場に社外の人間がいたような気がする。営業部の人間が三十人近くいた会場内で一際目を引いた女の子がいた。
黒髪で銀縁メガネをかけた燕尾服のを着た美女。可愛いというキレイという印象を与える子だ。先輩が死んだという緊急事態にもかかわらずに僕はその子に一瞬目を奪われていた。こんな子、営業部にいたかな?
そんなことを考えている間に、その子は僕の視界から一瞬で姿を消した。
「あの子は誰だったのかな?」
「小鳥遊! 昨日の営業先に連絡したか?」
「すいません、まだです」
「バカ野郎! 早く連絡しろ」
「はい!」
係長に叱られた僕は急いで営業先へと電話をかけた。あの子が鷹野先輩の死に関係あるのか。そんなことを考える余裕がないくらいに僕は忙しかった。
***
俺はこのまま終わるのか。
「鷹野! ちょっと来い」
「はい」
また部長か。部長に呼び出された俺は部長のデスクへと向かう。
部長がなぜ怒っているのはすぐにわかった。表情には出ていないが、部長の声色を聞いただけですぐに分かる。毎日怒られ慣れているから、部長がどのくらい怒っているのか理解できている。
俺の何が部長の怒りに火をつけているのかも大体予想がつく。
俺の場合、部長から怒られる内容なんてたった一つしかない。
「何やってるんだよ、お前は! 今月も0件じゃないか!」
俺は今月新規の契約を1件も取れなかった。サボっていたわけじゃない。新規開拓のために様々な会社にアポを取って営業をかけていた。
俺の努力は虚しく件数には繋がらなかった。部長は俺の努力を知らない。部長が俺を評価する基準はただ一つ。数字だ。数字の羅列でしか俺の仕事ぶりを判断できない。
営業部の獲得件数をまとめた紙は丸めて棒状にして俺の頭を叩いている。俺はモグラたたきのモグラじゃない。部長、これはパワハラですよ。俺も機械じゃない。心ある人間だから腹だって立てる。部長をパワハラで訴えたいという気持ちはもちろんある。
でも、俺には部長をパワハラで訴える権利はない。訴えることは簡単に出来る。それで部長を営業部から飛ばすことが出来るかもしれない。
それが出来てもその後の営業部に俺の居場所があるわけじゃない。
権利を主張したければ義務を果たせ。これがこの会社の風潮である。 何かを欲しければ、会社が欲するものを渡せ。新規契約が0件の俺に部長をパワハラで訴える権利はない。
俺に出来るのは部長のパワハラは暴言をネット掲示板の書き込みのように受け入れるしかない。
「わかったか、鷹野!?」
「はい」
部長からの公開処刑が終わると俺は自分のデスクへと戻った。
「それに比べて大鷲くん。今月も営業成績トップか! 素晴らしいよ」
「ありがとうございます」
「キミの垢を誰かさんに飲ませてやりたいよ」
同期の大鷲と部長の会話を聞きながら、俺は自分のデスクに戻る。
誰かさんって俺のことだろ、部長。濁さなくてもオフィスにいる人間が全員分かっていますよ。さぁ、そんなことはどうでもいいや。
仕事をしなくちゃ。業務用パソコンを立ち上げて共有事項や新規メールのチェックをしていると、周りからこんな声が聞こえた。
「また鷹野さんが叱られてる」
「あいつ、使えないよな」
「あんなこと言われてよく辞めないよね」
「あいつの給料分も俺達が稼いでるのかよ」
「会社のお荷物だよな」
「早く辞めちまえよ」
ネットの掲示板の書き込みかと間違えてしまうよう内容がオフィスで飛び交っている。本人達はひそひそ声で話しているつもりだけど、俺の地獄耳は聞き逃していない。
まだSNSを使って俺の晒し者しないだけ、こいつらはマシかもしれない。ニュースで見たことがあるが、今時の学生は裏サイトを使って見えない場所から
昔はこの言霊一つ一つに心を痛めていたけど、今はただの雑音にしか感じない。それだけメンタルが強くなったのか。俺のメンタルが崩壊したのか。
どちらにしても俺の状態は異常なのかもしれない。自分のメンタル状態を自虐的に分析しながら、俺は仕事を続ける。
***
俺は会社から電車で二時間以上離れている市外にあるボロアパートに戻った。恥ずかしいけど、ここが俺の家だ。築五十年以上のボロアパートで部屋は四畳半しかない。風呂無し便所は共用。
まるで昭和初期に存在したようなボロ物件だ。
でも、俺の給料で無理なく暮らすにはこのボロアパートを選ぶしかなかった。俺はスーツを着たままカビクサい畳の上に寝転がる。
「俺はこのままで終わるのかな……」
転職しようかな。どんな仕事がしたい? どんな仕事が出来る。
いや、どこなら俺を採用してくれる。営業成績も0件で目立った資格もコミュニケーション能力も低い俺をどこの企業が採用してくれるんだ。
どこも採用してくれないだろう。俺が採用者側の立場だとしても採用することはない。俺自身も何か変えなくちゃいけない。頭では理解しているけど、何をすれば良いのか分からない。
俺は寝転がりながら、スマホをいじっている。
今の現実を変えるヒントを求めるように検索欄にワードを入力する。
自分を変えたい。俺は検索欄に入力して検索ボタンをタップすると、上位は転職サイトや自己啓発のサイトばかりだった。
俺が求めているのはこれじゃない。出来るだけ努力しないで簡単に自分を変えられる方法。そんな魔法みたいなことが出来るわけないのに。
俺が諦めるようにスマホの画面を閉じようとすると、一つのサイトが俺の目に留まる。
「
なんだ、このサイトは。何かの宗教のサイトか?
サイト情報欄には”あなたを変える力を与えます”と書かれている。胡散臭いな。誰がこんな怪しいサイトにアクセスするんだ。ネットに疎い人間か、追い詰めら過ぎて頭が可笑しくなった人間しかいないだろう。
こんなサイトに興味が気になるなんて俺も病んでいるんだな。
そう思って俺はスマホを閉じようとするも、なぜか
「暇つぶしで見るか」
俺はただの暇つぶしのために
今の自分を変えたくないですか?
今のあなたを変える力を授けます。
スマホの画面上に紅い表紙の辞書くらい分厚い本が登場すると、ゆっくりとページが開く。本の中には気味の悪いタロットカードのような画像が数種類貼られている。
気色悪いサイトだな。怖いもの見たさと言えば良いのか分からないが、俺はサイトの中身をじっくりと見始めている。
サイトの一番下にご興味がある方はこちらにDMをください。
場所などは後ほどご連絡致します。詐欺サイトの典型的なやつだな。 あれ? 俺は入力フォームに自分のメールアドレスを入力して送信してしまった。
「何やってんだ。俺は! すぐにブロックしないと……」
鷹野様
今回、
鷹野様を変えるための能力をお渡しするため、○市△区□番地まで
お越しくださいますようによろしくお願い致します。
俺がメールをブロックするか迷っている間に連絡が来ちまった。
まぁ、こんな怪しい内容のメールなんて無視すれば良いだけだ。関わりを持たなければ俺が被害者になることはない。
「でも、ここに行けば何か変われるのかな」
避けたいと思っているはずなのに俺の中で怖いもの見たさで接触してみたいという気持ちが芽生える。
俺は
***
俺は
スマホの地図アプリを頼りに俺はメールに指定されている住所を探した。周りは閑静な住宅街ばかりであった。金持ちが住んでいそうな庭付きの広い家ばかりだ。社会的に底辺の俺とは無縁の世界が目の前にはある。
「ここか?」
管理者から指定された住所のへと辿り着くと、きれいな洋館が建っていた。ここに住んでいる人間が本当にあのサイトを運営しているのか?
入りづらいな。敷居の高さを感じた俺は管理者に会うかどうか躊躇ってしまった。何を考えているだ。俺はこのふざけた奴に会うためにここへ来たんだろう。いや、本当は自分を変えるための何かが欲しくて来た。
ここにその答えがあるかもしれないという僅かな希望を抱いて俺はここへ来たんだ。
俺は洋館の入り口にある呼び鈴を鳴らした。
「はい」
「あの、本日お約束した鷹野です」
「鷹野様ですね? ただ今、扉を開けますのでお待ちください」
洋館の玄関の鉄格子が自動で開くと、木製のドアが開いて燕尾服に銀縁メガネをかけた黒髪の若い女の子が俺を出迎えてくれた。
この子があの管理者か?
「お待たせ致しました。中へとご案内致します」
「あの?」
「はい?」
「あなたがあのサイトの管理者ですか?」
「いえ、鷹野様をお呼びした者は中でお待ちです」
この子じゃないのか。こんな可愛い使用人が雇えるなんて良いご身分の奴なんだな。俺は燕尾服の女の子の後を着いて行きながら洋館の中へと入っていった。
凄い広いな。俺は素直にそう思った。白を基調にした館内は清掃が隅々まで行き届いている。大理石の床なんて俺の顔が反射するくらいにきれいだ。この子が一人でやっているのかな?
「どうかされましたか?」
「いえ、なんでもないです」
「こちらのお部屋でお待ちください」
燕尾服の女の子は俺に大広間の真ん中にある大きなソファを勧める。
俺をソファにゆっくりと腰を下ろすとソファの座り心地に驚きを隠せなかった。なんて柔らかいんだ。ソファが俺の体を包み込んでいるようだ。四畳半のカビ臭い畳の硬さとは大違いだ。
俺が皮肉を心の中で呟いていると、大広間の扉が突然開いた。
扉の向こうには燕尾服の女の子と執事服を着た白髪のじじいが立っていた。
「鷹野様ですね?」
「あぁ、そうだが」
「初めまして、わたしが
じじいは俺に一礼をすると、俺の向かいのソファに腰を下ろした。
「
「はい。まぁ、ハンドルネームみたいなものです」
ハンドルネームか。怪しい宗教の呼び名にしか思えないが。
そんなことよりも本題を切り出して早く帰ろう。
「メールに書いていたが、俺に力を与えてくれるって本当か?」
「えぇ、もちろんです」
「信じられないよ」
「信じられないですか? そう言いながらも鷹野様は
「確かにそうかもしれないな」
「鷹野様は、どんな力をお望みでしょうか?」
「俺は職場の人間を見返したい。だけど、努力は嫌いだ。楽して力を手に入れたい」
「なるほど」
じじいは俺の話を聞きながら、上着のポケットから黒革の手帳を取り出してメモを取り始める。じじいは自分の書いたメモと睨めっこすると、手元にある紅い本を開いてページを捲りながら何かを探している。
あれ? その本はどこから出したんだ? じじいはいつの間にか辞書くらい分厚い本を握っていた。俺はこのじじいから視線を逸らしていない。
俺の目を盗んで本をどこからか取り出したのか。そうだとすると、このじじいは手練れだ。
「鷹野様にはこの力がお似合いだと思います」
じいさんは紅い本から一枚のカードを取り出してテーブルに置いた。
それはタロットカードみたいに何の変哲も無いカードだ。
カードには五羽以上の茶色の小さな鳥がいる巣の中心に一羽だけ灰色の大きな鳥がいた。灰色の鳥は他の茶色の鳥を押し退けてエサをもらっている絵が描かれている。
灰色の大きな鳥の必死すぎる姿に俺は引いていた。
なんて気持ち悪いカードだな。
「なんだ、このカードは?」
「これはあなたに
「はぁ?」
何を言っているんだ、このじじい。頭がおかしいのか?
やっぱり、何かの宗教なのか。
こんな怪しいところに来るなんて今の自分を変えたという気持ちでいっぱいになっていて頭がおかしくなったのかな。
「このカードは
「カッコウ?」
「はい。カッコウという鳥をご存じですか?」
「あぁ。カッコウって確か歌に出てくる鳥だろう?」
「えぇ。カッコウという童謡に登場する鳥です。彼らがどうやって成長するか、ご存じですか?」
「普通に親鳥が育てるんじゃないのか?」
「いえ、違います。彼らは托卵をして成長するのです」
「托卵?」
「はい。托卵とは別の生物の巣に卵を産んで代わり育てさせることです。寄生みたいなものです」
「カッコウってそんな鳥なのか?」
「はい。彼らは進化の過程で子育てのやり方を忘れてしまいました。
この能力は他人に持っているスキルを自分のものにして成長するカッコウそのものです」
「それが本当ならすごい力だな。でも、本当にそんな力が手に入るのか?」
「信じられてないのですか?」
「当たり前だろ。目にも見えないものを信じろなんて無理があるだろう」
「わかりました。では、お引き取りください」
「え?」
「あなたが
このじじい。俺を試しているのか? ここでじじいの話に食いついたら、高い金を請求するに違いない。俺はそんなバカじゃないぞ。
じじいは余裕の笑みを浮かべながら、こっちを見ている。
さぁ、どうしますか?って俺に訊ねているような余裕面は腹が立つ。
「その力を手に入るのにいくらいるんだ?」
「そうですね。一億円」
「え!?」
そう来たか。やっぱり典型的な詐欺。高額な金をふっかけられると思ったが、こんな金額を請求してくるなんて。
「冗談ですよ。お代は結構です。もらって頂けるだけで結構です」
金を取らない? ウソだ。
普通なら、あり得ないほどの金額を請求する詐欺に発展するパターンだろ。タダでくれてやるなんておかしい。そんなことをしてもこのじじいにメリットはないはずだ。
「良いんですか?」
「え?」
「別にこちらはあなたじゃなくても構わないんですよ」
「何がだ」
「
確かにそんな力が本当に手に入るなら、安いものだ。だけど、そんなおとぎ話を信じるほど俺はお人好しじゃない。目に見えないものをタダだと言って手に入るかどうか分からない。
「力が欲しくないのですか?」
「欲しい……」
「聞こえないですよ」
「欲しいよ! 俺は自分を変える力が欲しいよ。俺だって頑張っていた。 入社当時は営業成績を上げるために努力をした。でも、努力しても何も変わらなかった。俺は変わりたい……」
「では、授けましょう」
「え?」
「あなたを変える力を」
こうして俺はじじいから
***
「鷹野くん、ちょっと来たまえ」
「はい」
今日も部長から呼び出しだ。嫌だな。タメ息を漏らしながら、俺は部長のデスクへと向かう。落ちた気分で向かうも部長の声色がいつもと違うことに俺は違和感を覚えた。
「どうしたんだね、キミ。急に成績上がったじゃないか」
「はい。なんとかなりました」
「これからも頼むよ」
あれ? 部長に褒められた。俺が入社して初めてだ。俺は心の中でガッツポーズをした。褒められた俺は自分のデスクへと戻ると、入れ替わりで同期の大鷲が部長のデスクへと向かう。
「大鷲くん」
「はい」
「キミはどうしたんだ!? 先月から新規の獲得が0件じゃないか」
「申し訳ございません」
「ごめんで済むか。さっさと営業に行け!」
「はい!」
部長に怒られた大鷲はデカい図体でカバン片手にデスクを飛び出していった。
まるで、今までの俺を見ているようだ。
「はい、鷹野です。お世話になっております」
先日、取引の始まった新規営業先だ。飛び込みの営業にもかかわらず、先方の心を掴むことが出来た俺は契約を結ぶことに成功した。
俺は営業先からの電話内容を手元にあるメモ用紙に書き込みをする。クソ、左手だと書きづらいな。なんで、あいつ左利きなんだよ。
しかも電話中にペン回しなんかやっているだ。
俺の意志とは関係なく、左手が勝手にボールペンを回している。
あいつのクセだな。あいつ、考え事しているときはいつもやっていたな。あいつの能力は欲しかったけど、あいつのクセまでいらない。
俺は心の中で文句を言いながら、営業先との電話を続けた。
***
洋館の大広間で白髪交じりで執事服を着た老人が革製のソファに座って英字新聞を読んでいた。
大広間のドアが開くと、黒髪で銀縁メガネに燕尾服姿の美女が入ってきた。
「
「
「
「そうですか」
「問題ありません。
「畏まりました。失礼致します」
「托卵を見破られてしまったようですね。あの方は
相互補完は《クラウド》単調に呟きながら、英字新聞の続きを読み始めた。
***
「わたしが
そんな生活から楽に脱したいと、わたしが運営するサイト
「その陳腐な文面を見て、わたしはこの方に
カッコウという鳥は進化の過程で子供を育てる能力を失い、他の鳥の巣に卵を産み落として育てさせる托卵をしています。
鳥の姿形が違っていても一度見たものを子供と誤認してしまう習性を逆手に取ったこの方法」
「しかし、この托卵も確実に成功するとは言われていません。
他の鳥にカッコウの卵を見破られた瞬間にカッコウの子供は生き残ることは出来ません。この
「あの方は上手く托卵が出来たつもりですが、身近な人間に托卵を見破られた。
やはり、生き残るためには努力が必要なのでしょう。
しかし、カッコウのような彼は生き残る努力を忘れていました。そんな彼に
相互補完は何かを思い出しながら、天井を見上げた。
まるで、天国へ旅立っていく鷹野の姿を目で追っているようであった。
「おそらくなかったでしょう。
彼はもう少しで巣立てるという時に見破られた哀れな
鷹野を蔑む表情を浮かべながら、
「さて、本日はどんな方のお問い合わせがあるでしょうか」
***
「
「どうしました。
「
「今……」
彼女はこの声の主を知っている。
その声が
「二階でお仕事中です」
「そうでしたね」
二人に自分のあえぎ声を聞かれていることなど知らない
二人はその声を聞きながらも顔色を一切変えることなく、ただ黙って自分たちの役割を果たす。
10分程続いた
「終わったようですね」
二階の階段から誰かが下りてくる足音が聞こえた。一つは革靴の音、もう一つはヒールがコツコツと階段を鳴らす音である。
「マリアちゃん、今日も良かったよ」
「大守さん、いつもありがとうございます」
「こっちこそ、マリアちゃんのおかげで俺は明日からまた頑張れるよ」
「大守さん、マリアばっかりで飽きないの? たまには別の女の子が良いなってならない?」
「そんなことないよ。俺はもうマリアちゃんナシじゃ生きられない体なんだから」
「またまた。本当は別のお店の女の子とやってるんじゃないの?」
「本当だって。俺はマリアちゃん以外の女とはやらないよ。
マリアちゃんのためにバリバリ稼いでくれるからね」
「嬉しい! 楽しみに待ってるね!」
マリアと呼ばれる美女は大守の体に抱きつく。
マリアに抱きつかれたことに興奮しながら、大守は鼻の下を伸ばしている。マリアは華奢な体つきの割に出るところは出ている。マリアの胸元にある手のひらに納まりきらない膨らみが自分の体に押しつけられる。
しかも大守は数分前まで布越しではなく直に触っていた。その記憶が大守の興奮に拍車をかける。
だが、ここでマリアの体に興奮していることを悟られるのは大守のプライドが許さなかった。
「大守さん?」
「あぁ、なんでもないよ」
「うん。じゃあね、大守さん」
マリアは大守との別れを惜しむように大守にくちびるにキスをする。
ケガレを知らない少女が恋人にするように優しい口づけに大守の心は奪われる。
「うん。マリアちゃん、またね」
「大守様、またのご来店お待ちしております」
「お疲れ様でした、マリアさん。いえ、
マリアと呼ばれていた美女は
一仕事終えた
「ご苦労様でした。
「ありがとう、
「美味しい。
「ありがとうございます。
わたしたちのために体を張って頂いている
「良いのよ。それにアタシの
「仰るとおりです」
「
「あら、
「お疲れ様でした」
「ありがとう」
「私達のためにありがとうございます。しかし、
「どうしたの?」
「
「
「大丈夫よ。今更、男に裸を見られたり、抱かれることが恥ずかしいなんて思わないわ。恥ずかしさなんてもう忘れちゃった」
その笑顔を見た
「監視体制(プライベート・アイ)!
「申し訳ございません。大変失礼致しました」
「良いのよ。あなたは私を気にしてくれているのよね?
「ありがとうございます」
「
「三十分後です」
「あら、大変。急いで支度をしなくちゃ」
「ただいま、お部屋を準備致します」
「お願いするわね。お客様が来るまでにアタシも支度をしておくわ」
「
「どうされました?」
「申し訳ありません。わたし……」
「もう良いのです」
「しかし……」
「私達が出来るのは
「はい」
「これからも力を貸してください。
異能力者の円舞(ルーザーズワルツ)【プロットコンテスト応募作】 りの @rino584649
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