【怖い商店街の話】 床屋

真山おーすけ

床屋

いつも行っていた床屋が廃業してから、俺の髪は伸びに伸びてしまった。上司から、いい加減切れと言われ、仕方なく自宅近くの床屋を探してみた。


すると、家からそう遠くない場所にもう一軒あることがわかり、ボサボサの頭で俺は向かった。その床屋のある商店街は、店が連なってはいるが、半分以上が廃業してシャッターが閉まっていた。開いているのは、総菜屋や飲み屋ばかり。俺は不安に思いながら、商店街の奥に進んでいった。すると、赤、青、白のサインポールが回っているのが見えて、そこに床屋があり営業中だということがわかり俺は安堵した。店の窓ガラスから中を覗くと、客の姿も店主の姿もなかった。


ドアを開けると、カランカランとドアベルが音を立てた。中に入ると、シャッターばかりの寂しい商店街とは対照的に、カットモデルの写真や派手なポスターが壁に貼られ、店のあちこちには花の植木鉢が置かれて華やかだった。設備も綺麗で、待合場所には優雅なソファと最新号の雑誌が置かれていた。意外に穴場かもしれない。


そう思っていていると、店の奥からは店主らしき男性が出て来た。それが店のイメージとはまるで違う、小柄で白髪交じりの短髪で太い眉毛の、年季の入ったエプロンをつけたじいさんだった。


「いらっしゃい」


店主は俺の顔を見て、微笑みもせずそう言った。


そして、案内されるがまま理容椅子に座ると、店主はじっとこちらを見ながら何かを待っているようだった。その意味をわかるのに、数秒かかった。店主は口にしなかったが、きっと「どんな髪型にするか」だろう。だが、俺の場合はいつも髪型に対する注文は特になく、ただ「短く揃えて」と言うだけ。だから、その完成された髪型が良いかどうかで、その店との相性を決めている。周りの反応がよければまた来るし、逆ならば二度と来ない。それが、俺の流儀。そして、俺は不愛想な店主に、「短く揃えて」と伝えた。


店主は何も言わず、椅子に座った俺にクロスをつけると準備を始めた。俺は鏡越しに、店主の様子を見ていた。背後にある棚の青白い照明が灯ったケースから、何種類か置いてあるハサミを吟味しているようだ。


ふと、俺はその上にある棚に目がいった。その棚の戸が中途半端に半分開いていて、ボサボサな黒髪と首から上の女が見えた。


一瞬、生首かと思い心臓が止まりそうになったが、よくよく見れば練習用のマネキンだった。そのマネキンは目を閉じながら、顔の半分を覗かせていた。なかなか不気味な光景だ。もしかしたら他にも同じようなマネキンが、あの棚の中に置かれていると思うと、不気味さが増した。


一方、店主はまったく話をせずに淡々とハサミや櫛を台に並べ、鏡越しに俺の髪だけを見ていた。こんなにも不愛想な店主を、俺は初めてみた。


ただ、技術は確かなようだった。ごつくてシワシワな手でハサミを巧みに操り、俺のくせ毛も難なくカットしていった。


ハサミと髪が切れる音だけが響く中、ふと鏡越しにマネキンを見た。マネキンは、じっと前を向いていた。


あれ、目を開けている。さっきから開いていたか?


俺は戸惑った。最初に見た時は、確かに目を閉じていた。見間違えたのだろうか。


その間も、店主は無言のまま俺の髪を切り続けた。俺の髪が、次第に短く切り揃えられていった。ふと無言の店主を尻目に、俺はまた鏡越しにマネキンを見た。


すると、マネキンの視線がこちらを向いていて、鏡越しだが俺はマネキンと目が合った。瞬間、鳥肌が俺の体を駆け巡り、俺はとっさに目を反らせた。チラリと棚を見ても、やはりマネキンはこちらを見ていた。


さっきまで目が合うという感覚はなかったはずなのに。


そのうちカットが終わり、洗髪をすることになり、店主は俺の頭にシャンプーをかけた。「痒いところはありませんか?」なんて言葉は一切なく、ひたすらに俺の地肌を擦る。まぁ、気持ちはいい。ただ、俺の頭が激しく左右に振られたのだった。


洗面台でシャンプーを流し、店主にタオルで髪と顔を拭かれて、そのまま体を起こされた。そこで目を開けると、鏡越しにマネキンの棚から黒い髪の毛がパサリと床に落ちたのが見えた。見れば、半分開いた棚の中から、次々と細かな髪が押し出されるように床に落ちた。俺の視線は釘付けだった。店主は几帳面なのか、まだ洗面台を綺麗に流している。


俺はパラパラと落ちてくる髪の毛を見ていた。すると、マネキンの目がゆっくりと瞬きをした。俺は驚いて、体がビクリと跳ね上がった。見間違えかと思ったが、マネキンの瞬きはその後も二度三度と続けた。


その時、洗面台の掃除を終えた店主は、床に広がるマネキンの髪を見てため息をついた。鏡越しに店主が俺のことを見たが、俺は反射的に目を反らしてしまった。店主は床に落ちたマネキンの髪を、俺の髪の毛と一緒にチリトリの中に入れた。そして、何事もなく開いていたマネキンが置いてある戸を閉めたのだった。視界からマネキンが消えて、正直安堵していた。


その後、椅子の背もたれを倒され、店主が研いだ剃刀で髭を剃られた。剃刀の使い方も上手く、店主の技術はすべてにおいて最高だった。そのまま寝てしまいそうになった。


それから髭剃りも終わり、整髪を終えた後、クロスを取って終了するはずだった。椅子から立ち上がろうとした時、不意に鏡越しの棚に目がいった。そこには、店主が閉めたはずの戸が開き、またマネキンの顔が半分見えていた。マネキンの目は開いていて、ただ前を見ていた。


「店長、あのマネキンって」


俺はマネキンを指差して尋ねた。すると、店長は顔色も変えずにまたマネキンの戸をピシャリと閉めた。


「古いから立て付けが悪いんだ。お代は3800円ね」


そう言って手を差し出した。俺は店主に4000円を渡し、おつりをもらった。


店長は「どうも」とだけ言って、店の奥に入っていってしまった。


店主は古くて立て付けが悪いと言ったが、どうみても棚は新しくて立て付けが悪いようには見えなかった。ただ、閉まった戸の隙間からは髪の毛がゆっくりと押し出され、僅かずつ床に落ちているようだった。


あのマネキンは一体何だったのか。


俺は気になったが、触れてはいけない気がしてそのまま店を出た。


そして、店主の技術は確かだったが、俺はきっとまたこの床屋を利用することはないだろう。

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【怖い商店街の話】 床屋 真山おーすけ @Mayama_O

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