そこにいる

三咲みき

そこにいる

「そういえばさ、覚えてる?屋上のナナシくん」


 夜8時から有馬宅で始まった飲み会。2時間経ってそろそろ話題が尽きてきた頃、有馬はおもむろにその話題を切り出した。有馬の対面でちびちびと缶ビールを飲んでいた藤宮は、その手をとめた。僕はそれを意味もなく横目で見た。


「ナナシくん?なんだそれ」


藤宮が首をかしげる。


「ナナシは名無しの権兵衛のナナシ。誰もそいつの名前を知らないから。覚えてない?小学生の頃にさ、一時流行ったじゃん」


 有馬は缶ビールをテーブルに置いた。テーブルにはすでに空き缶がいくつも転がっている。ほとんど藤宮が空けたものだ。酒が飲めない僕は、二人が次々と缶を空ける様子を黙って見ていた。

有馬は煙草に火をつけ、深く煙を吸い込んだ。そして長い時間をかけてゆっくりと吐き出した。その姿は遠い昔に思いを馳せているようだった。


「夜の学校の屋上で『ナナシくん、ナナシくん、僕と友だちになってくださいな』って言ったらナナシくんが現れるっていう噂」


「わかんねぇわ。全然覚えてない。七瀬は?覚えてる?」


 藤宮が僕に尋ねる。僕は首を振った。有馬は何か言いたげに僕と藤宮を交互に見た。何か言葉を紡ごうとして、結局何も言わずにまた煙草をふかし始める。

 三人とも無言になり、時計の音がやけに大きく聞こえる。有馬が一体何を考えているのか、なぜナナシくんの話題を持ち出したのか、単なる話題作りだろうけども、それが妙に気になって、視線を送ったが彼は気づかない。何か考えている様子だった。しばらくして有馬は別の話題を持ち出した。


「じゃあさ、昔学校で転落事故がおきたのは覚えてる?」


 藤宮はあぁ、と頷いた。


「それなら覚えてる。屋上から足を滑らせたやつだろ」


「そう。昔、屋上で転落事故があったんだよね。あの屋上、縁が高くなっているだけでフェンスとか何もないから、結構危ないんだよ。 それであやまって落ちてしまった児童がいて、その子はそのまま亡くなってしまったんだ。

その児童は友だちが一人もいなくて休み時間はいつも屋上にいた。生きていた頃には作れなかった友だちを作りたい、死んだ後も屋上を彷徨っては、自分を呼びかける児童の前に現れる………。それがナナシくんだよ。まあ、よくある怪談話だな」


 調べたのだろうか、有馬は昔の事故とナナシくんの詳細を語った。


「友だちになるってさ、どういうこと?あの世に連れて行かれるとか」


 藤宮が訊いた。


「いや、そういうことではないらしい。俺らがあっちの世界に行くんじゃなくて、ナナシくんがこっちの世界に来るんだよ。初めからいたみたいにさ。知らないうちにクラスに紛れ込んで。だけど、ナナシくんの姿を見られるのは、呼び寄せたそいつ一人だけ。だから、端から見るとすっげぇおかしい話なんだよね。周りのやつらはナナシくんなんて見えないから、そいつ一人で喋ってる………みたいな」


「へぇ」


 少し背筋が寒くなる話に、藤宮は腕をさすった。


「お前やけに詳しいね。もしかしてナナシくんに会いに行ったとか?」


 藤宮の何気ない一言に有馬は顔を曇らせた。


「ホントに何も覚えてないの?」


「だから知らねぇって」


「お前が屋上に行ったんだよ。面白半分で」


「は?」


「ナナシくんの噂なんてどうせ嘘に決まってる。俺が夜の学校に忍び込んで確かめてきてやるよって」


 有馬の言葉に今度は藤宮が顔を曇らせた。藤宮は身に覚えがないらしい。


「俺は怖かったから、校門の前で待ってたけど。俺見たよ、お前が屋上に立ってるの」


有馬の言葉に、そんなことあったっけ………と藤宮が呟いた。そんな彼を余所に有馬は続けた。


「あとお前にずっと黙ってたことがある。今日ナナシくんの話をしたのは、これが言いたかったから。なんなら、この飲み会自体、そのために開いた」


「言いたかったこと?」


 有馬はすっかり短くなった煙草を灰皿でもみ消した。


「俺、じつは見たんだよ。あのとき屋上にいた、もうひとつの影」


「もうひとつの影………」


2人の間に流れる空気が、突然ひんやりしたものに変わった。


「お前と向かい合わせに立っている子どもがいた。俺、ナナシくんが出たって思った。すっごく怖くなって、お前をおいて先帰っちゃったんだ。ホントごめん」


有馬は頭を下げた。有馬のその様子に藤宮は慌てた。自分が謝ることはあっても謝られることはほとんどないからだ。


「なんかわかんねぇけど、もういいって。俺覚えてないし………。だいたいあれだろ?別にナナシくんと会ったからって、俺何も変わってないだろ?なぁ、七瀬」


 気まずくなった空気を取り繕うように僕に同意を求めた。僕はうんと頷いた。有馬は先程もそうしたように藤宮と僕を交互に見た。そして言った。


「お前は変わったよ。おかしくなった」


「おれのどこが?」


  有馬はちらっとこちらを見た。視線をそのままに、藤宮に言った。その顔には恐怖の色が浮かんでいた。


「さっきから七瀬、七瀬ってさ、一体誰に話しかけてんの」

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そこにいる 三咲みき @misakimaru

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