十歳の誕生日に
坂本 有羽庵
十歳の誕生日に
日差しに白く暖められたロータリーが、小さな駅に寄り添っていた。
朝の通勤通学ラッシュが終わり静かになった道に、風が転がり、縁石の上を軽やかに行き来していたハクセキレイが長い尾を上下に振るわせた。
「きみのお母さん、来たみたいだよ」
ひとつしかない改札口の前。
柵の内側に立つ駅員から声をかけられ、
彼の母は、会社に出かける時と違いラフな格好で足早にやってくると、肩にかけたトートバッグの紐部分を両手で握りしめ、「すみません」と駅員に小さくお辞儀をした。そして向き直り、強張った表情で翔太を見下ろした。
「どうして一人で先に行っちゃうの」いつもより硬い声だ。「お母さん、今日は駅まで送るって言ったよね」
そんなの、いらないのに。
翔太は上唇と歯茎の間に舌先を突っ込み、鼻を鳴らした。
「とにかく、これ結ぶね」
トートバッグから母親が取り出したものを見て、翔太は慌てて声を出す。
「いらない」
「学校でも言われたでしょう。向こうから帰って来られなくなるかもしれないのよ」
「なくても戻れるし」
「馬鹿なこと言ってないで、腕をあげなさい。結ぶから」
母の手には、ゆったりと束ねられた、光沢のある細い糸があった。
彼女は束の内側から糸端を引っ張り出すと、体操服を着た翔太のお腹のまわりをクルクルと二周させて巻き、へその前でキュッと器用に縛った。もう片方の糸端も同様に、母自身の身体に巻き付けて強く結ぶ。
「いらないって、言ってるのに……」
親子がしっかり繋がった状態の糸を手に持ち、翔太は項垂れた。
糸は引っ張ると、どこまでも柔らかく伸びる。そのうち手のひらの中でスッと溶けるように、糸がその細い感触と光沢を消していく。学校の説明会でクラスの皆と一緒に触った時と同じだった。
「大丈夫ですよ。うちの子も去年、十歳だったんで向こうに行ったけど、ちゃんと次の日の夕方には帰ってきましたから」
駅員に話しかけられた母親が何か言おうとしていたが、リュックサックに入れていたパスケースを首に下げると、翔太は急いで改札の中まで進んだ。母と繋がっている糸は、今はもうすっかり消えて見えなくなっていた。
「はい、それじゃあ、スタンプを押すよ」
翔太が透明のパスケースの中から乗車券を出すと、駅員はそれにポンと丸い判を押す。銀色のインクから細かい光の粒が散り、花や潮の香りが広がった。
「ホームで待っていたら、魚の群れがやってくるからね。それに乗るんだよ」
駅員にコクリと頷くと、翔太はホームへの階段を一段飛ばしで駆け上がっていった。
十歳の誕生日に 坂本 有羽庵 @sakamoto_yu-an
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