第79話 忠子、死後の願い
こうして、地獄のロマンスは一応の決着を見た。
閻魔王はワンオペだった業務を部下に振るようになった。
初めて訪れたときから忙しそうだったが、今はその中に活気が認められる。
もちろんそうして作った適切な余暇は、泰山王と過ごしているのだ。
仲良くお茶をして、互いの獄の情報交換などしているそうである。
「忠子よ、礼を申すぞ」
そうなると依頼を果たしたことになり、忠子は現世へ戻ることとなった。
泰山王の笑顔も幸せそうに輝いて、初めて会ったときよりずっと生き生きとしていた。
「長いこと引き留めてすまなかったのう。とは言え地上で時間は経っておらぬのだが」
隣には今度は忠子を無事地上に送り届ける任を受けた篁が控え、表には火車が停まっている。
「さて、そなたを地上に戻す前に聞こう。薬師如来に熱心に祈っていた願いは何なのじゃ?」
「はい」
神様に願いを直接申し上げるとなると、全身に緊張感がみなぎった。
「私の死後、書いた物語を地上から消し去っていただきたいのです。ひとつ残らず」
泰山王は目を見開いて、しばらく二の句が継げなかった。
篁は表情にこそ出していないが、普段は大袈裟なぐらい感情表現が豊かな人物である分、無表情こそが作った顔だ。
「人は世を去らねばならぬもの。だからこそ死して名を残さんとして書くのじゃろう? 己の生きた証を消し去ってほしいというも同然の願いではないか」
忠子は説明する。
前世の記憶を持ったまま、自分が生きた時代よりも過去に転生したこと、書いた物語の多くは有名な童話を書き起こしたに過ぎないこと。
図書館設立の経緯も語った。
「不本意ですが、私のパクリ物語も収蔵しないわけにいかないのです。もし残るようなことになれば歴史が混乱します」
「何と真摯な……」
泰山王は深いため息をついて暫し黙祷するように目を閉じていたが、やがて顔を上げた。
「分かった。何とも切ない話ではあるが、悩み抜いて決めたのじゃな。それがそなたの願いであるなら叶えよう」
「ありがとうございます! これで心置きなく、私設図書館を開館できます!」
むしろスッキリして表情を輝かせる忠子を前に、泰山王は再び目を丸くした。
「人間というのはほんに分からぬものじゃ」
* * *
忠子は
何食わぬ顔で
『己の生きた証を消し去ってほしいというも同然の願いではないか』
確かにそうだ。
(グリムやアンデルセンのパクリは残るかもしれないけど、私の実力じゃ読み継がれる物語なんて書けない)
前世でも投稿サイトなどに発表すればそこそこは読まれたが、その程度。
バズったことも打ち上がったこともない。
読めないほど酷くもないが、読んだはしから忘れ去られ、埋もれていく凡百の作品のうちのひとつでしかない。
自分は死ねば消えていく、ちっぽけな存在なのだ。
何に踏まれたのかも分からないまま死体になるアリや、舌打ちとともに叩かれて潰される蚊とどう違うのだろう。
命が終われば何も残らない。
急に、それはとても虚しいことに思えてきた。
何一つこの世に残すことなく消えていく。
多くの人が洋の東西を問わず不老不死を願った気持ちが、ひしひしと理解できた。
今までも命の危機を感じたことはあったが、それとはまた別種の恐ろしさだった。
人間はどうして死ななければならないのか。
残り何年生きられるか分からない。
(この時代の平均寿命ってどれぐらいだったっけ?)
官僚の定年は七十歳だが、四十歳で老年と呼ばれる。
源氏物語で物凄いおばあちゃん女官として書かれた
平均寿命が短いだけではない。医学も未発達だし、加えて貴族は病気にかかれば薬より祈祷だ。
治るものも治らない。風邪ひとつでも人は死ぬ。
(私、あと何年生きられるの? それまでに何かできるのかな)
不意に頭を占めてしまった考えに気を取られ、ふらふらと彷徨うように内裏へと入ったところで誰かにぶつかってしまった。
「あっ、ごめんなさ……」
「忠子? どうしたのさ、いつも以上にぼんやりして」
「
聞き慣れた声が、涙が出るほど懐かしい。
「ただいま」
「? うん、お帰り」
敏い理知は忠子の服装から外出していたことをすぐに察してくれた。
訝し気な顔をされる。理知にとってはほんの少しだが、忠子にとってはかなり久し振りに聞く幼馴染みの声なのだ。
感傷的になっていたのかもしれない。
「……赤ちゃん、欲しいな……」
「はあ?!」
深い考えなどなく反射的に口をついて出ただけだが、理知にとっては屋敷が消し飛ぶレベルの隕石が直撃したに等しい衝撃だった。
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読んでくれてありがとうございました! 地獄編、これにて一段落です。
次回は多分GW明けあたりからの再開となります。
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眼鏡っ子女房の転生ゆるふわ宮廷生活~物語で成り上がっちゃいましたがこれもチートに入りますか? 斗南 @yukiishii
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