彼女は水晶

冷田かるぼ

 

「私の心臓は水晶で出来てるんだよ」


 教室の真ん中で、彼女はそう言った。それは自分が特別であるという一種の宣言であった。全くもって信憑性のない情報でも人は気になってしまうもので、彼女の周りには人だかりができている。


 それにしても水晶でできた心臓というのはどういうことなのだろう。突然変異のようなものなのだろうか。相田裕貴はそう予想した。興味があるにはあるのだが、彼にはあの人だかりに飛び込む勇気などなかった。


「なんかね、心拍音がおかしかったんだって」


 少し遠くから聞こえてくる声を、全く興味のないふりをして盗み聞く。少々気取って頬杖をついた。彼女の言うことが本当だとして、心拍音のような心臓そのものが見えない情報でそんな事がわかるのか?


 あまり踏み込みたくはないが、考察を広げるのは楽しいものだった。それが他人の身体的特徴についてだというのはなんとも悪趣味だと思われそうだが。




 さて、相田裕貴。先程から水晶の心臓を持つという彼女のことが頭から離れない彼だが、なんと医師志望である。そう、医師。だからこそ彼女の心臓に惹かれずにはいられない。理由はそれだけではないのだが、今この時点では割愛しよう。


 彼女に接近してもっと情報を得たい。そんな思いが頭を支配する。だが前述したように彼は人だかりに入り込んで馴染めるようなコミュニケーション能力を持っていないのだ。


 そうなると今情報を得ることはできない、という結論に至った。人がまばらになった時を狙おうか。なんて頭の中で計画を立てるのはいいのだが、実行できずにそのまま放課後を迎えてしまった。




 結局彼女は帰る瞬間まで沢山の人に囲まれたままだった。もともと明るい性格だったからというのもあるかもしれない。


 というよりも彼が臆病すぎるのが大きな要因だ。彼の『大勢』『沢山の人』の定義は四、五人なのだ。それ以上になると近寄ることもできなくなってしまう。そのせいか彼には友人と呼べる存在はほとんどいなかった。




 裕貴は自室の学習机にノートを開き、今日得た情報を書き込んでいく。医師となるための情報集めだ。単純に好奇心、というのもあるが彼は人体や生物の構造なんかに異常なほど惹かれていたのだ。


 きっと周囲は医師よりも生物学者や解剖医を勧めるだろう。彼の周りにはそんな大人も同世代もいなかったというだけなのだが。


 開いたノートには様々な経験や情報が記されている。中には解剖記録もある。もちろん、人間ではなく昆虫などの範囲だ。流石にそれ以上踏み込むと人間性を失ってしまうかもしれないと理解していた。




 裕貴ははっ、と顔を上げた。ノートを見返していると、ふと『降りてきた』のだ。そうだ、彼女のことも解剖してしまおう。言い訳はいくらでも言えた。水晶の心臓を持っているだなんて、普通の人間じゃない。


 だから解剖したって、もし死んでしまったって、僕は何も悪くない。そもそも狙われるような情報を公共の場で晒す方が悪いんだ……。


 こんな言い訳が通じると思ってはいない。あくまで社会に属する人間としての自分を納得させたに過ぎなかった。


 決意を固め、両親も寝入っているであろう深夜、裕貴はこっそりと台所を漁っていた。解剖前夜はいつもこうなのだ。


 事前に必要なものをこっそりと持ち出す。幸いにも、と言っていいのかは定かではないがまだ一度も両親に見つかったことはない。よく切れそうな包丁と、ついでにキッチンバサミを部屋に持ち込んだ。




 次の日、放課後。彼女をどこかに誘い込んでその心臓をこの目で見たい。彼はそんな欲に飲み込まれ、何を言ったのかもわからないまま一緒に下校していた。どんな会話をしたか、何をしたのか、わからない。気がつけば目の前にいたのは意識のない状態の彼女だった。


 混乱すると同時に興奮した。


 何が起きたのかは把握できなかったが、ようやく水晶の心臓を見ることができる。カバンから包丁を取り出す。手が震えた。今から人体解剖が始まるのだ。


 それは禁忌であると知っている。自分は少々おかしいのだということも知っている。だけれど胸の高鳴りを抑えることなどできなかった。




 彼女の胸元に包丁を突き立て、ゆっくりと、そして力強く押し込んだ。想定していたよりも固く、あまり深くは刺せていない。溢れ出てくる液体で切り込みを入れた箇所はすぐに分からなくなった。


 覚悟を決め、肉を切り裂くように包丁を動かした。いくら包丁としての切れ味がいいとはいえ、正しい用途ではないのだからそう切れるわけがない。


 あまり時間が経ってしまっては完全に死んでしまう。ある程度乱雑に、力を入れてしっかりと切ることを意識していると手術のように胸がぱっくりと開いた。


 問題はここからである。このような形態の開胸手術の場合はどのようにすればいいのか調べてあった。だが設備もなにもない状態ではそんな専門的な解剖はできないだろう。


 最初からどうするかは決めてあった。なんとかして引きずり出してしまえばいい。それが成功するかは定かではないとして。彼は狂った発案をする自分に酔っていた。




 解剖開始から何十分経ったかも分からない。当初の計画は崩れることなく成功した。彼は包丁を振るい、心臓が見えるように肉を裂くことができた。


 彼女の心臓があるだろうと思われたそこには、水晶があった。彼女はどうやら本当のことを言っていたらしい。水晶の中には管が張り巡らされ、心臓の代わりとして動いているであろうことが察せられた。


 周りの肉から漏れ出た赤が水晶に透ける。淡く光って、これはまさに生命の神秘とでも言うべきだろうか。彼は目が離せなくなった。魅了されてしまった。これが欲しくてたまらない。その欲望はもう、抑えようがなかった。


 持ってきていたキッチンバサミを使い、通っていた管を全て断ち切る。液体が飛び散り、顔や体にへばり付いた。レインコートを着ていたため服は無事であった。




 取り出した水晶は、本当にこの世のものかと疑うほど美しかった。だが管を外してからどんどん黒く濁っている気がする。早く持ち帰って調べなければ。水晶をタオルでくるみ、カバンに入れる。ある程度の後始末を済ませて帰路についた。


 ……そういえば、彼女の名前は何だっただろうか。顔も正直思い出せなかった。だが今となってはどうでもいい。水晶が手に入ったのだから。




 家についた途端、彼は自分の部屋にこもり水晶を観察し始めた。包んでいたタオルを開くと、そこにあったのはどす黒く変色した水晶であった。急いで洗面所で洗った。何も起きなかった。

 あんなに綺麗だったのに。どうしてこんなにも汚くなってしまったのだろうか。


 ノートにまとめていて気付く。ああ、なんて皮肉なことだろうか。生命とはこんなにも儚いものなのか。自らの犯した罪の重さに、正気に戻った彼は頭を抱えたのだった。





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