雨、雷、世界がくすむ

 電車日記を書くのも、ずいぶん久しぶりになってしまった。というのも、電車に乗る機会が減ったためだ。大学の夏季休業期間は、電車に乗る機会が著しく少ない。


 文章を書くこと、勉強すること、社会活動をすること。そのための環境を整えること。そんなあれこれに、特に環境を整えることに、ひたすら注力した夏だった。


 片付け、時間管理、優先順位。どれも私の苦手なもので、苦手だからこそ、取り組まねばならなかったこと。


 得意を伸ばすこと。苦手を補うこと。

 どちらも、大事だと言われて久しくて。だけれども、時代を見れば最近は若干、得意を伸ばすことに軍牌が上がるのだろうか。


 もちろん、それも真実だ。下手に苦手を補おうとするより、得意、に注力したほうがいいだろうとは思う。


 ただここで大事なのは、下手にやるよりは、というところで。

 では、下手に、でなければ、苦手は補ったほうがいいのか、という問題がある。


 難しい。程度の問題も、正直ある。たとえば苦手を補うこと、だけに集中してしまったら、なかなか苦しくなってしまうだろう。


 だけれども。なかなか、うまく言えないかもしれないけれど。

 得意、あるいはやりたいことのなかに、苦手なことが紛れ込んでいる場合がある。

 たとえばそれは、片付け、時間管理、優先順位、コミュニケーション、あるいは客観視やある程度の批判的態度といった、比較的普遍的なことがらかもしれないし。

 勉強自体は得意だけれど、課題の締め切りに間に合わせられないとか、文字を書くのが苦手とか、そういったことも考えられるかもしれない。

 ほとんど無限に、想定することはできるけれども。


 それは、社会の問題なのか個人の問題なのか、と問うこともできる。みんなが得意なことだけに注力できない社会がちょっと問題なんじゃないですか、と。

 もちろん、それも一定の真実性を持つ主張だろう。ほんとうは、そんな社会であればきっといい。誰しもが、不得意なことはアウトソーシングできて、得意なことだけやっていればいい世界。理想的で、すばらしくて、早く来てほしい未来。


 だけども2023年の今では、そんな社会はまだある種のユートピアとして響く。


 そういったすばらしい社会を目指すのと同時に、では、いまここに生きている自分。実存。それを無視して、ユートピアの建設ばかりに向かえない。


 いや。ほんとうはきっと逆で、各々が本当の意味で各々の得意なこと、もっと言えば使命、Responsibilityを果たせる、そんな共同体ができて初めて、ユートピア、というよりすばらしい社会の建設はほんのちょこっとだけ進むのかもしれない。


 そのすばらしい社会のことを、ユートピアというより楽園だ、とか礼賛してしまうのはすこし怖い。だけれども、人間どうしが今よりほんのすこしでも愛し合って生きられる、そんな世界のことを、楽園と本来呼んだのであれば。


 変に宗教じみた感覚なのかもしれない。雨が降る。雷が鳴る。世界がくすむ。何が真実かなんてわからないような世界で、だけれども、ほんとうにそうなのかな。

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帰りの電車で書く日記 柳なつき @natsuki0710

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