01 始動
「うわぁ…」
「これ全部1人でやってるんだとしたら相当場数踏んでるわね、犯人は…」
未明の本牧埠頭、倉庫街に3人の人影があった。
辺りに散乱する派手なスーツ姿の物言わぬ肉の塊の数々が、数時間前にここで起きた事をありありと物語っている。
「全員頭に花咲いちゃってるじゃないの…」
「カナデちゃぁん…言い方…」
テキパキと死体を調べまわる男女をオロオロと一歩下がった位置で狼狽える背の低い少女が嗜める。
「薬莢、こっちは弾痕もあるわね、シズク、トレースしといてくれる?」
「あ、はぁい…」
「その男の【頭の中】にも一個落ちてるから!わすれないでね」
「えぇー…もぉー最悪ぅ…」
シズクと呼ばれた少女はカナデと呼ばれた少女に促されて男の遺体に目を向ける、少女は目の前の惨状をしばらく見つめていたが【うっ】と低い声を出して堤防の端に向けて走り出し、際から首を出すと、直前に食べてきたエッグベネディクトを残さず海にぶちまけた。
「だらしないわねぇ…いい加減慣れなさいよアンタ…」
「慣れるわけ無いよぉ、平気なシュン君とカナデちゃんのがおかしいと思う…」
「確かに、こんな物には慣れたくなかったよ、俺も…」
シュンと呼ばれた男も【ほとほとうんざり】と言う表情で相槌を打つと、深くため息をついた。
「アリスかしら?」
「まぁ十中八九アリスだろうね…」
「抗争?」
「さぁ、そこまではちょっと、せめてこの死体の皆様の身元を洗ってみないと…」
「ここ日本よね?まったく、いつからこんな派手に人がバラされる国になったのかしら、この国は…」
「同感、俺たちだって、ついこのあいだまで普通に学生してたのに…まさか殺人事件の現場検証する事になるとは…」
「世も末ね、世も末」
「なんか今僕らが言うと、リアリティありすぎるね…その言葉…」
「あ、転がってる人達の照会結果出たわよ本部から」
「え?もう?」
「貴方にも”そのうち届く”と思うわ指定暴力団の幹部等みたいね…」
「便利だねカナデのアリス…」
「そうかしら…何でも自由にって訳じゃないから、意外と使い勝手悪いのよ、コレ」
「馬券とか宝くじとかは?」
「発想がまるで中学生ね貴方…でも無理、私が介入するとヴィジョンが変わっちゃうから、仮に見れてもそう言う使い方は出来ないの」
少女が大袈裟に腕を開いてヤレヤレといった具合に肩を上げて見せると、遠くでパトカーのサイレンが聞こえてきた。
「シズク?」
「うん、もう終わってる!」
「じゃ、撤収しよう!」
「なんかこれじゃあワタシ達が犯人みたいだよねぇ…」
「警察から見たら大して変わんないのかもよ、アリスの犯罪者集団も、私達”対ア”も…」
「うぅ、このお仕事辞めたい…日曜の朝だよ?友達と代官山でお茶したり、渋谷にお洋服見に行ったり…彼氏とデートしたり…そんな日常を謳歌する様な、普通の女子大生で居たかったよぉ…」
「お生憎様、今日は【頭蓋骨の破片探し】ってハッシュタグ付けてインスタにあげとくのね」
「また吐きそう…」
「勘弁してよね本当に…」
3人は付近に駐車していたボロボロのピックアップトラックに乗り込むと、閉まったのか閉まっていないのか、いまいち手応えに欠ける扉を勢い良く閉める
「なんとかなんないのかしらコレ…博物館に展示されてるレベルじゃない…」
毒づくカナデの横でシズクがくるくるとレバーを回して手動で窓を開け、犬の様に窓から首を出すと【気持ち悪いー】とうめいた
「管理官の趣味らしいよ」
「ダッサ、本当、転職視野に入れる必要があるわね…」
3人を乗せたボロ車は【ゴロゴロ】とおおよそ外観からは想像できない重低音を上げて、見た目とは裏腹に機敏にその場を後にした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「いってぇ」
「だらしないわねぇ、採血の針刺したくらいでギャーギャー言わないの、男でしょ?」
「痛いもんは痛いんですよ…」
「アリスってもっとこう…超人っていうか、人間とは一線をかくした存在だと思ってたよ私…」
見渡す限り白い物ばかりの診察室の様な部屋で、袖をたくしあげたシュンに白衣の女医が注射器を突き立ていた。
シュンは顔を顰め首を逸らし、どうにかして視界に注射器が入らないように心ばかりの抵抗を試みる。
「あのね先生、アリスだって普通の人と何も変わらないですよ…アメコミに出てくる目からレーザー出せるヒーローとかじゃないんだから…」
「んー普通かどうかはこの際置いといて…目からレーザー出せるアリスはいるんじゃない?」
「いやまぁ、そりゃ“そういうの“も居るかもしれないですけど…」
「もしさ、実際そんなんが居たとして、勝てる?君!」
「さぁ、どうですかね、手の甲から3本鉄の爪でも生やして戦いますか…」
「うひゃー、カッコイイじゃんそれ!総務部に特殊ケブラー繊維製の黄色い全身タイツ、作らせようか?」
「勘弁してくださいよ…外歩けませんよそんなの…」
「えぇー、とんがった耳付きだゼ?」
「うわーうれしいなー、というか耳なんですか?アレは…」
考えられる限り喜びとは程遠い声のトーンでシュンが喜びを伝えると、女医はこんなもんかなと呟きながらシュンの右腕から注射針を抜き取り、アルコールを浸した脱脂綿で針跡を数回揉みあげ、手際よく絆創膏を貼り付けた。
「やだぁーシュンくん…いっぱい出たじゃん若いってすっごいね」
「なんか嫌ですその言い方…すごい嫌です…」
「サービスなのに…」
「返品でお願いします」
女医は血液が入った試験管を何やらクルクルと決まった速度で回転する機械に嵌め込むと、今一度男の方を向き直った。
「んで、どお?体どっか変わった所ない?」
「全然、すこぶる健康体です」
「あっそ、んじゃぁまぁ定期検診はこれで終わり!ASP値はこの場でスグには出ないから、検体上がったら後日アンタのボスんとこに書面で回すね」
「あ、はい、宜しくお願いします…」
「カナデもシズクも問題なしだから、アンタんとこは後はユズキだけなんだけど…あいつ絶対すんなり来ないのよね…」
「言っときます、多分あんまり意味ないでしょうけど」
「べぇつに私は来ても来なくてもイイけどねぇ、給料変わんないし…ほっといてドロリッチになっちゃっても知らないぞって伝えといて!」
「ドロリッチって…」
「ま、それがアリスシンドロームが【進化】でも【超能力】でもなく【病気】に分類される所以だよね、シュンもあんまり勤勉に働くの考えモンだよ?アンタがどんだけ世界の敵と戦っても、アリスシンドロームはアンタを救っちゃくれないぜ?」
「まぁ、そうなんですけど…でもなんて言うか、それが自分が人間である証明なんで…」
「マジ?…アンタ幾つよ…あぁヤダヤダ、若者の自己犠牲とか流行んないっつーの」
女医が顔の前でパタパタと手のひらを上下に振りながら、うんざりした様子で男を嗜める
「そんなつもりじゃ…」
「21、22だっけ?別にどっちでも良いけど、普通そんくらいの歳だったらさー、バイトして学校いって目的も無いのにインスタ開いたり、見たいのか見たくないのかよくわかんないユーチューブ見たりして、どうやったら女にモテるか考えながら寝る生活してるもんだよ」
「なんですかそのやたら具体的で極端な人物像は…」
「え?大体こんなもんじゃないの?世の中の20そこそこの男子って…」
「………」
「ま、同情するけどね、アンタ達には…人間として生きるアリスか…救いがあると良いけど…」
「アリスは人間ですよ、先生はインフルエンザに罹った人間は人間じゃないと思うんですか?」
「あはは、そう来たか、でもね、インフルエンザの患者は、空飛んだり消えたり、それこそ目からレーザー出したりしないから」
「先生も発症してしまえば良いのに…」
「私の歳で発症したらおそらく検体コースね、30歳以上の発症例はまだほとんど症例ないんだわ」
「そしたら総務部に特殊ケブラー繊維製の黄色い全身タイツ作らせますよ」
「胸元ガバ開きのスリット入りでお願いね、峰不二子的な!」
「誰得ですかそれ…」
「サービスなのに…」
「返品でお願いします」
他愛のない会話が途切れたのを合図に男は上着を羽織ると、女医に挨拶をして医務室の扉を開けた、ちょうど部屋を出て扉を閉めんとした時に女医が【毎度ありー】と声をかけたのが聞こえたが、男は聞かなかったことにしてそのまま医務室の扉を閉めた。
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「どうぞ」
シュンが品の良い木製の扉を短く2回ノックすると、中から入室を促す凛とした声が聞こえてきた
「成宮管理官、お呼びでしたか?」
「あぁ、お疲れ様、定期検診はどうだった?」
中はいわゆる執務室の様相を呈していて、扉と同じ材質の木製テーブルが置かれ、1人女性が仰々しいリクライニングチェアに腰掛けている
「いつもと変わりませんよASP値は後日成宮管理官に書面で回すとの事です」
「了解、で、本牧の現場はどうだった?」
「どうもこうも無いですね…凄惨の極みって言うか…もうB級ホラー映画さながらでしたよ、シズクなんて気分悪いって吐いてましたから…」
「想像がつくわね…」
「間違いなくアリスです、銃撃されたとしか思えない死体が9体、因みに例外なくその…全員頭蓋骨の中身がアグレッシブな事になってました…でも現場に残された銃弾や薬莢は応戦したと思われる反社の皆様の9mmパラのみ、頭蓋骨半壊させてる訳ですからね、フルメタルの9mmパラじゃああはならない…それなりの薬莢が落ちてないとおかしいんですよ…フォローポイントの.44か.50あたりとか…一瞬超長距離からの狙撃かとも考えたんですけど…シズクのアナトミーで判明した弾の進入角度がどう見ても狙撃のソレとは違うので、可能性は低いと思います」
「そう…」
「シンプルに会いたくないもんです、至近距離で人殺すのにマグナム弾とか要らないじゃないですか?大泥棒の3世の相棒じゃあるまいし…ましてこれがアリスのヴィジョンなら“好きな銃“でとどめを刺せたはずですからね、絶対ヤバい奴ですよ、襲った側は」
「シュン、ヤバくない奴はそもそもおいそれと人を殺したりはしないんだよ、例えそれが正義の執行であってもね…そう言う意味では十二分に我々もヤバい奴なのさ、法に乗っ取らずに人間を殺して回ってる、善良な一市民からみたら大差ないんだよ…その45口径の奴も、我々も…」
「たとえそう思われていたとしても、そうはなりたくないもんですね、俺は…」
「真っ当な倫理観を持ちつづける事は、力を持つ物にとって最も重要な才能だと私は思う、辛い思いをさせているとは思うが、どうか頑張って欲しい…」
「ほかに選択肢なんて無いですから、やりますよ、勿論」
「……」
「そうだ!俺等が使ってるあの車なんですけど…」
「あぁ、1965年制の320ダットラだ!素晴らしいだろうあれは!」
「だ、ダットラ??いや、ちょっと、その、なんて言うか…」
「出力が足りないか?一応マセラティのV6ディーゼルターボをフルチューンしたエンジンを乗せているのだが…400ps超えを狙うとなるとV8か…ただなぁ、ダットラのエンジンルームにV8を入れるとなると…」
「ええっと、そう言う事じゃなくて…」
【車やらバイクやらが好きな人がその手の話をする時に感じるこの如何ともし難い温度差はどうしたらいいのだろうか…】シュンは要らぬ地雷を踏んだ事に気がついてじとっとした嫌な汗を流した。
「あぁ、シュンはサニトラ派なのかっ!しかしサニトラは初代から既にデザインが近代的でな、私はどうにもダットラの方が…」
「いや、トラックから離れて下さいよ…カナデは普通の車が良いそうです、なにせ目立ちますよあの車、どう考えても僕らみたいな存在が乗る車じゃないです…」
「だからこそのカモフラージュになるのでは無いか!夢がないなカナデは!」
【あぁー帰りたい…】
シュンはこの時、事あるごとに”辞めたい””帰りたい”と口走る少しシズクの気持ちが分かった気がした。
しかし非常な事に、現実はシュンの悪い予感を裏切らず、この後シュンが部屋を出る事になるまで実に一時間を要した。
【Phantom Vision】 まど @madn_0714
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