同門討

色葉

甲源一刀流 真髄剣、獅子翻擲

 二人の男が、剣を抜いて対峙していた。

 一人は、はたちを少し越したであろう若い男。

 右手は目の高さ、左手は顎の高さ。両臂は伸ばし、鋒は真上、天を指している。

 左足を前に、真直ぐ相手へと向け、右足は後ろに配されて、右へ向いている。

 八相に近い構えで、縦本覚と呼ばれている。

 甲源一刀流に伝わる構えで、一刀流の陰に相当する。

 対するは三十がらみの男。構えは、勢眼。

 臍から三寸程前に柄頭を置く、中段の構え。

 但し、常の中段と異なる事、一点。

 鋒を、敵の左眼につけるため、僅か、斜に構えている。平正眼との呼び方が、最も人口に膾炙しているだろう。

 相中段であれば、触刃であろう間合い。

 中段対八相は一刀流系の組太刀において比較的多く見られる。 

 概ね、打太刀が八相、仕太刀が中段。

 仕太刀が切落を行い、最終的に打太刀に対して勝ちを得る。組太刀であれば、八相が必敗する形だ。

 それは、甲源一刀流でも変わらない。

 勢眼と縦本覚。

 二人は同門であった。

 齢は、縦本覚に構える男が十以上若かったが、入門は対手の方が数年遅い。

 道場内で表立つことはなかったが、内心、お互いを疎ましく思っていた。

 対手は、入門が古いだけの若僧に指導を受けることが愉快ではなかったし、男は男で、そう言った侮りを鋭敏に感じとり、お遊びの旦那芸如きが生意気に、と蔑んでいた。

 その二人が真剣を以て立ち会う事になったのは、まさに奇縁と言うべき事情がある。

 若い男は、同志と共に困窮の打破と自由の獲得のため、天朝の打倒をも辞さない決起に加わった。

 困民を食いものに暴利を貪る高利貸、貧窮に喘ぐ農民から二束三文で田畑を買い叩く豪農、郷里の苦境に片肌を脱ぐ事もなく旦那芸に放蕩する分限者。

 それらを打って、打って、打ち毀して。

 叩いて、叩いて、叩き潰して。

 やがては苛政をしく新政府を打倒しなければならない。

 富の再配分と、不平等の断固たる粉砕を求める、闘争の渦に身を投じた。

 対手は富裕の商家であり、少なからぬ数の貧農に金を貸していた。その証文を焼かんがため、標的とされたのだった。

 同志からそれを聞かされた時、男は一も二もなく名乗り出た。

 同門故に手の内は知り尽くしている、任せてもらおう、と。

 そこに若さ故、遺恨をはらす意がなかったと言えば、嘘になる。

 そうした因縁で、二人は対峙していた。

 対手は、勢眼をゆらともせずに構える。

 この餓鬼、人を嬲るか。俺の切落など、恐るに足らずと言うか。

 対手も、同門だけに心得ている。形において、縦本覚は必敗の構えと。

 無論、切落に限らずとも、己より高い実力の敵に対して技が綺麗に決まることは少ない。

 少ないが、殊、この切落に関しては、比較的、そう言った誤差が出にくい。

 切落には、幾つか種類がある。

 その中で、取り分け有名なものが、こちらの面を撃たんとする太刀を落とす、切落だ。

 この切落にも、大別して二通りの遣方が存在する。

 一つは、振りかぶって相手の太刀を切り廃る切落。

 外観は、柳生新陰流において合し撃ちと呼ばれる撃ち方に似ている。

 今一つは、振りかぶらず、相手の太刀を下から迎えて摺り落す、切落。

 要諦は、間合の制御と受太刀の一瞬。

 斜に構えた勢眼の迎えが、唐竹を襲う太刀と接する刹那、斜を直とし上太刀に摺り落す。

 前者の切落は間合いが近ければそのまま太刀の途を乗っ取り、相手の面撃ちを外してこちらが唐竹を割ることができる。が、素早く撃ち込まれる太刀にこちらも振りかぶって合わせる事から、動作は精妙を極め、実力差があればまず決まることはない。

 決まらなければ、却って割られるのはこちらの額だ。

 だが、後者の切落は、そうではない。

 相手の左眼につけた勢眼は、向上すればそのまま相手の太刀途を遮る盾となる。摺り落された相手の太刀が当たらぬよう間合を空ける必要上、こちらもその一撃で撃ち込むことは叶わないが、相手の太刀が落ちさえすれば、こちらの太刀はいつでも撃ち込める妙剣の位となろうし、最低でも太刀先で切り結ぶ互角の位となる。甲源一刀流は、そこからの勝ち口をこそ、追求した体系を有している。

 故に、勢眼と縦本覚であれば、勢眼こそ必勝、縦本覚こそ必敗の構えに相違なかった。

 勢眼の対手が、裂帛の気合を発する。

 若い男は口角を上げるように歪ませながら、右足を踏み込んだ。

 踏込みと同時に、太刀を頭上に取り上げ、真っ向に切り下ろす。

 対手は形通り、勢眼を上げて、迎える。

 刹那、鋼同士が噛み合い、摩擦する。

 ちらと、火花が散ったような。

 それほどまでに、鋭い一合。

 物打辺りの鎬同士で互いの太刀が留まる。

 留まった、留めた。

 摺り落す事こそ叶わなかったが、互角に留める事が出来た。

 これなら、如何様にもなる。

 ——甲源一刀流は斯様なる互角の位においての勝ち口を追求した流派、とも言える。

 例えば捲切。下がって上段に取り上げた相手を追い、水月を突く勝ち。

 例えば右足。同様に上段に取り上げた相手の左小手を撃つ勝ち。

 例えば逆払。太刀翻し右小手を撃ってきた太刀を摺り上げ、袈裟を撃つ勝ち。

 下がったら負け、先に動いたら負けよ。

 対手がそう考えた、刹那。

 鎬の、削れる感触が、した。

 男の剣尖が、すとん、と、落ちる。

 面が開いた。

 好機。対手が太刀を上げ、男の正面を撃たんとして——。

 ——夢想剣という太刀がある。

 下段、太刀を両手でただ引っ提げた無形の位。

 そこには何の企みもなく、敵の開いたところを、あたかも夢中に痒きを掻くが如く撃つ太刀。

 ——折身という体がある。

 前後左右が空間で、或は時間で窮まろうと、上下で間合を制する体。

 ——霞隠という形がある。

 鍔目を返し、敵の上段に取り上げた裏小手を取る形。

 それらを駆使しても、一手足りない。

 対手を攻め、面を引き出し、間合を制し、裏小手を取ったとて、正面撃ちは止まらない。いくら片手を切ったとて、重力を供とする真っ向の勢いは止められない。

 刃が迫る。早く、鋭い。

 ゆっくりとした時間の中、男の脳髄は痺れるほどに稼働する——。


 ——江海に千鳥の遊ぶ心持 千鳥の浪にさからはずして


 右足を左へ配る左右転化の位。

 一刀の太刀が、翻った。

 右手首の内側がひやりとし、すぐに熱くなる。

 それが痛みだと気付く前に、対手は咽喉元に突きつけられた鋒で、身動きを封じられていた。

 その手からは、刀が落ちる。

 右手首が抉られ、破られた膚から血がぼたぼたと滴っている。

「同門故、これ以上の手向かいなくば命までは取らぬ」

 男は対手へ言った。

 対手はその場で腰砕けに座り込む。

 右手は、動かない。剣を握ることは、もう、できない。

 男は残心をとり、抵抗の意志なしと見るや、対手を捨ておき同志と共にその屋敷へと雪崩れ込む。

 その様子は、一太刀に心を留めず新たな一太刀を重ねた、先の勝負にも似て。

 獅子が、倒した相手に心を留めず、身を翻して新たに向かう、その姿にも似て。

 ––––獅子翻擲。

 甲源一刀流の、真髄であった。

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同門討 色葉 @suzumarubase

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