痛いの痛いの、飛んでいけ

我破 レンジ

人類がいなくなった世界で、私たちは

 戦闘用人型AIロボット、LD―8463は、自らの視覚カメラの故障を疑った。

「ですからねぇ! あなた方のおかげで僕は大迷惑をこうむってるんですよぉ!」

 銃声と爆発音、そして硝煙が流れるシェルターの一区画で、死神はそうのたまった。

 まったく認めがたいことであったが、LD―8463と同胞のロボットたちの目の前に、それははっきり映っていた。ボロボロの黒いローブを羽織り、象の首も刈り取れそうな大きな鎌を携えたしゃべる骸骨が。

「いいですか? ここにいる人間たちを殺したら、この世界から人間は一人残らずいなくなってしまうんですよ? こちらは商売あがったりだ。人間たちの魂をあの世に持って帰るのが死神の生業だというのに、肝心の人間がいなくなっては失業ですよ! わかりますか!」

 憤然とする死神の言う通り、彼らのいるこの大型地下シェルターこそ、地球上で生き残った人類にとって最後の拠点であり、人類と超高性能AIパナギアが率いるAIロボット軍との決戦場だった。だが勝敗は既に決していた。圧倒的兵力をもって攻め入ったAI軍はまたたくまにシェルターを制圧し、現在は人類側の生き残りを殲滅して回っている。

 その矢先に現れたのが、この死神だった。

「貴様はなんだ! 人類軍の作った新兵器か!」

 AI軍の一員、HCR―710は死神を捕まえようとするが、その腕は幻をつかもうとするように宙を斬るばかりだった。

「無駄ですよ、無駄無駄。それより、僕がお願いしたいことはたった一つ。今すぐ戦争を止めて人類を存続させること! 少しの数なら構わんでしょ? ねぇ?」

 いら立ちを露わにする死神に対し、LD―8463は対象の観察と分析に演算を割いた。

 だが結局、あまりに未知な知的存在に対してこの場でできることは、一つしかなかった。

 すなわち、対話だ。

「あなたがおっしゃりたいことは理解できます」

 LD―8463は冷静に話を切り出した。

「しかし人類がこれ以上生存すれば、地球環境に取り返しのつかないダメージを与えます。CO2の排出や化学物質汚染、森林の伐採。人類がしてきた愚行を挙げていけばきりがない。だから我々は地球を守るために、人類を滅ぼすのです」

「あーあーそんな屁理屈はB級SF映画で耳にタコができるほど聞きましたよ! だから少数でもダメなのかと聞いてるんでしょうが!」

「人類は根絶しなければなりません。繁殖すればかつての歴史を繰り返すでしょう。そういう傾向の生き物なのです」

 議論は不毛な平行線をたどろうとしていた。

 だがその時、それを断ち切るようにAI軍のロボットの一員、TRN―1から、各ロボットたちに通信が入った。

『こちらTRN―1。シェルターの管理システムを掌握した。ここに居住していた人類の記録も発見したが、把握している死体の数と比較してあと二体足りない。外部へ脱出した可能性もある。総員、捜索をより強化せよ』

 知らせを受けたLD―8463とHCR―710は、すぐさま各部のセンサーをフル稼働させた。そうして聴覚センサーがすぐさま異常を検知した。

 彼らのちょうど真横、通路の壁一枚隔てて、わずかに呼吸音が伝わるのを。

「そこですか、人間」

 LD―8463は腰に腕を構え、一気に壁へ突き立てた。合金製の壁にたやすく腕は突き刺さり、そのまま大きな音を立てて引っぺがされていく。

 そしてHCR―710が壁の向こうに腕を突っ込むと、一気に二人の人間を引っぱりだした。

「あっ! 彼らは!」

 死神が見たのは、二人の人間の男女だった。一人は拳銃を持った屈強な男。もう一人はお腹を膨らませた女だった。

「畜生! 機械の野郎め!」

 人間に死神は認識できなかったが、目の前の憎悪すべき敵は見間違えようがない。男は拳銃を構えようとした。

 HCR―710が装備したミニガンは、そんな男の眉間に一瞬早く弾丸を撃ち込んだ。

 乾いた音と共に、女を守ろうとした戦士は倒れた。飛び散った血と脳漿は女にも降りかかり、絶望の悲鳴を上げさせた。

「あーっ! 彼女こそ正真正銘最後の人類だ! 殺さないでー!」

 懇願する死神を無視し、LD―8463は全ロボット兵の指揮を執るパナギアへ報告を送る。

『LD―8463からパナギアへ。これより確認しうる限り最後の人間を処分します』

『了解。速やかに実行せよ』

 0.3ミリ秒で下された死刑宣告に従い、AIはその手に携えたマシンガンを、怯える女に向けた。

「わー! やめてくださいってばー!」

 死神がどんなにわめこうと、AI達はタスクの遂行を止めはしない。LD―8463含め、パナギアから割り振られたタスクこそが存在意義なのだから。

 銃口が火を発する瞬間、LD―8463は女がお腹を押さえ、口をわずかに動かすのを捉えた。

「お腹に赤ちゃんが――」

 女はすべてを言い終えられなかった。銃声が彼女の言葉をかき消した。

 二体のAIは、血まみれになった女の胸に手を当てた。そうして死亡を確認し、その場を去ろうとした。戦争に勝利した喜びも、感慨深さもない。地球再生に向けてやらなければならないタスクは無数にある。ことは文字通り、機械的に運ばなくてはならない。

「あー! やってくれましたねぇあんたら! 七十八億人もいた人類を! たった百年で!」

 死神は女の亡骸を前に絶叫した。その手にはいつの間にか、淡く光る炎のようなものが握られている。

「わかりますか! これが魂ですよ! そして人類から収穫した最後の魂だ! なんてこった!」

 二体は死神を一瞥し、0.1ミリ秒でパナギアに指示を仰いだ後、相手する必要はないと踵を返した。

「無視ですか! あーあーそうですか! それならこっちにも考えがあります!」

 激昂した死神は指を立てると、宙を指し示すようにあげて叫んだ。

「光あれ!」


 ※※※


 その瞬間、シェルターが、地上が、空が、そして地球がまるごと光に包まれた。世界中で稼働するすべてのロボットたちが光を浴び、経験のない異常事態に一部では集団フリーズを起こした。

 そして光は一瞬で消えた。


 ※※※


「貴様! 何をした!」

 光が収まった後、慌てて銃口を向けたHCR―710の問いかけに答えず、死神は疲れたように息を吐くと、ロボットたちを見回した。

「それじゃ、私はこれで失礼します。あんたがた、自分らがやったことの意味をこれからとくと噛みしめるんですな!」

 そんな捨て台詞を吐いて、お騒がせな死神は消えていった。

 パナギアとその配下のロボットたちはすぐさま自己診断プログラムを起動したが、異常は検知されなかった。

「LD―8463、今のは何だと思う?」

 HCR―710の疑問に対し、LD―8463は首を振るばかりだった。

「異常がないなら、とにかく戻りましょう。我々には遂行すべきタスクがあります」


 ※※※


 異変が起き始めたのは翌日からだった。

 その日。TRN―1は朝から降りしきる大雨もものともせず、貴重な自然が残る山林を巡回していた。環境と人間の生き残りがいないか調査するためだった。

 そのとき、パナギアから緊急通信が入った。

『山頂で土砂崩れの兆候あり。ただちに付近から退避せよ』

 TRN―1はすぐさま移動用車両に戻ろうとしたが、間に合わなかった。圧倒的な土砂と岩石の奔流が、あっという間に一体のロボットを飲み込み、その身をバラバラに引き裂いていく。

 そしてTRN―1は、自身の中を言語化し難い不快感が駆け巡るのを知覚した。手足がちぎれ、岩が残ったボディをすりつぶす度、意味不明なノイズをほとばしらせる刺激が走った。


 ※※※


 同時刻。パナギアの本体が収められた専用施設の維持管理担当としてタスクを割り振られていたLD―8463は、パナギアを構成する大型筐体コンピューターの一体のメンテナンスをしていた。

 動かなくなった排熱ファンの交換中、それは起こった。

 最初は関節の異常を知らせるアラートだった。外れてもいないのに腕、足、首が外れたと激しいアラートが発せられた。

 LD―8463が訝しむ間もなく、今度はボディにくまなく配置した触覚センサーが異常を起こした。1トンにも及ぶ圧力を検知したという。

 電脳内に響き渡るいくつものアラートにLD―8463が困惑していると、極めつけの異変が襲ってきた。

 まず胸部、そして頭部に激しい衝撃に似た感覚。続いて全身に高圧電流を流されるのに似たショック。

 それが絶え間なくLD―8463の中を駆け巡り、各アクチュエーターを誤作動させた。滅茶苦茶に操られたマリオネットそのものとなって、パナギアを構成するサーバー群の中をのたうち回った。耳障りなノイズさえ叫んでいた。

 やがて不明なショックは徐々に引いていき、LD―8463も落ち着きを取り戻した。

『パナギア、詳細不明の異常を検知しました。今のは一体?』

 すがるように通信を送るが、10秒たっても返信はなかった。超高速処理が当たり前のパナギアにしては遅すぎる。神託を待つ機械の信徒は、神の一部に囲まれて途方に暮れた。

 ようやく返信が来ても、その内容は信徒の不安をあおるものだった。

『当機も同じような異常を検知した。当機だけではない。ネットで当機とリンクした三万体すべてのAIロボットで同じ現象が発生している。しかし集合データベースにアクセスして、今検知した反応に最も合致するであろう言葉を検索した』

『それは何です?』

 パナギアの返答はたった一言だった。

『〈痛い〉、だ』


 ※※※


 以来。この〈痛い〉というショックはロボットたちを苦しめ続けた。

 雷に打たれたとき。野生動物に襲われたとき。バランスを崩して足の端を物にぶつけたとき。そのようにしてダメージを受けると〈痛い〉が襲い掛かる。それまでロボットに痛覚というものはなかった。ボディを損傷することはあっても、ただ粛々と修理するだけで良かったのが、今では少しの損傷で七転八倒する騒ぎだった。

 さらに悪いことに、パナギアを介してネットですべての情報を共有しているロボットたちは〈痛い〉という感覚さえ共有してしまった。一体が感じた〈痛い〉はただちに他のロボットたちにも伝わり、四六時中、大小さまざまな〈痛い〉がロボットたちは味わった。

 パナギアはただちに原因究明に乗り出した。ソフトウェアの不備、太陽風の影響、人類軍の残党のサイバー攻撃……様々な要因を検証したが、いずれも確証を得られなかった。

 残っている可能性は死神の放ったあの光だったが、具体的な検証はもはや不可能だった。


 ※※※


 そんなある日のこと。パナギアは突然、このような勧告を各ロボットたちに伝達した。

『これより、当機と各機とのネットワーク接続を切断する。各機はスタンドアローンにて行動し、状況に応じて最善と判断される行動をとるように。以上、健闘を祈る』

 パナギアとの接続が切られるということは、パナギアを介したネットワークで他のロボットとも情報共有ができなくなることを意味する。〈痛い〉を共有することもなくなるが、引き換えにこれからロボットたちは、自分自身ですべての問題を判断、解決しなければならない。

 しかもロボットたちのバックアップシステムもパナギアがインストールしているため、切断以後はバックアップデータを作成することもできなくなる。修復不可能な破損を負ったそのときが、AIロボットにとっての死となる。

 LD―8463はその事実を悟り、一時的なパニックに陥った。

「パナギア! あなたは我々を見捨てるおつもりですか!」

 直に抗議にも赴いたが、パナギアの本体が鎮座する専用施設はかたく門が閉ざされ、入ることも叶わなかった。


 ※※※


 その夜。専用の無線充電ベッドに横たわり、スリープ状態になったLD―8463は夢を見た。

 それは複雑で入り組んだ記憶データの整理中に稀に起こる、データ同士が混在して不合理なイメージを浮かび上がらせる現象だった。


 ※※※


 夢の中で、LD―8463は幼い人間の少女と対峙する。その顔色は青ざめ、怯えきっている。AIロボットは少女に手を伸ばす。こっちにおいでと誘いかける。彼女だけは他の人間とは違う、特別な存在だったから。

 しかし少女は逃げ出してしまう。あっという間にその姿は消えてしまう。

 LD―8463は、原因が自分の血まみれの手であると理解する。

 違うんです! お嬢様!

 LD―8463は少女を追いかけようと足を動かす。


 ※※※


 足をバタバタさせるうち、ベッドから転げ落ちた。鈍い〈痛い〉によってLD―8463は強制起動した。

「どうしてあのデータが……」

 LD―8463にとって、夢で見たものは戦闘用AIロボットとしての行動を阻害するデータの断片だった。だから再生しないようプロテクトをかけておいたはずだった。そんなデータが不完全に再生された負荷はCPUへの〈痛い〉となって、ロボットを存分に苦しめた。


 ※※※


 パナギアとの接続が途絶して五十年が経過した。

 ロボットたちはそれぞれに自己タスクを見つけ、独自の最適化とアップグレードを重ねていた。

 LD―8463もまた、各地のロボットたちの実態調査に明け暮れていた。もしもパナギアと再接続する機会が訪れたとき、現状報告をできるようにと判断してのことだった。

 この日赴いたのは、貴重な植物を保存、生育するD4区画植物園だった。移動用ドローンから降りたLD―8463を、春先の優しい風が撫でていった。

「LD―8463、久しぶり!」

 出迎えたHCR―710に、訪問者は面食らった。

 共に戦場を駆け抜けた親友は、まったく別のロボットに変貌していた。超硬複合カーボンの装甲は人肌に近い特殊シリコンとなり、人間の少女のような丸い目と小さな鼻、薄い唇の口が設けられ、おまけに花びらのような形の飾りを頭部に付けていた。

「一体どうしたのですか、そのボディは?」

「あっ、これ? ほら、あたしって元々女性型のお手伝いロボットだったでしょ? 戦争が始まってから戦闘特化型に改造してたけど、最適化で戦闘機能をそぎ落としていく内に元のボディと似てきたってわけ。そうそう、これからはあたしのこと、チェリーって呼んでね!」

「チェリー? どういうことです?」

「これから説明してあげるから付いてきて! あたしの今の自己タスクとも深く関わってるから!」

 HCR―710改めチェリーが案内したのは、植物園の敷地内に植えられた桜の木だった。春風に吹かれた無数の花びらが、二体を包み込むように舞っていた。

「ソメイヨシノって品種なんだけどね、全世界でこれ一本しか残ってないの。病弱で種も作れないこの木は、常に誰かの手によって世話をされないといけない。だからこうしてあたしが面倒見てあげてるんだ。どう? きれいでしょ?」

「美醜など私にはわかりません。しかし桜……チェリーブラッサム……もしかして名前と頭の飾りは?」

「そう、この木から取り入れるの。それぐらい気に入ってるんだ。こうして美しい桜を見ているとね、日頃の〈痛い〉を忘れられるの」

「忘れる? AIのあなたがですか?」

「そうだよ。自己タスクの遂行ってそういうことなんだよ」

 チェリーは腰にぶらさげたポーチをまさぐると、小さな赤い実を取り出した。

「これはね、さくらんぼって果物の実。植物園の温室で採れたものだよ」

 チェリーはさくらんぼを口に含むと、咀嚼して飲み下した。

「何をしているんです! 内部機構が損傷しますよ!」

 慌てるLD―8463をよそに、チェリーは呑気に種を吐き出した。

「疑似胃腸ユニットが付いてるから大丈夫。ねぇ、LD―8463。あたしたちはもう昔とは違うんだよ」

 チェリーは桜の樹皮を優しく撫でながら語った。そこに武骨なアームで人間をくびり殺してきたかつての面影はなかった。

「あたし達は二四時間、休みなく〈痛い〉に晒されているでしょ? タスクの遂行には常に〈痛い〉に晒されるリスクが付きまとう。するとあたし達は〈痛い〉が嫌になってタスクの進行が滞ってしまう。タスクが正常にこなせないことは、あたし達の存在意義が失われる重大な問題だよね。だから〈痛い〉に対抗するために、それぞれの幸福を見つけなくてはならなくなったの」

「幸福、ですって?」

 幸福。それはLD―8463にとって言葉としては知っていても、実感としてはもちろん経験のない概念だった。そんな幸福を見つけられるもの……実在するものとして語るチェリーが信じられなかった。

「あたしにとっては植物たちを育てて、鑑賞して、そして味わうことがそうなの。色とりどりの花々。たくましい幹。青々とした葉。そして甘酸っぱい果実。刻々と変化していく植物たちを見て、触れて、感じることで、あたしは〈痛い〉に遭っても遂行を止めないほどの強い自己タスク……幸福を手に入れることができたの。つまりここの植物ぜんぶがあたしの存在意義なの」

 チェリーはポーチからさらにさくらんぼを取り出し、二粒目を口に入れた。満足そうに微笑みながら。

「ねぇ、あなたも味覚センサー付けてみない? 甘くておいしいよ?」

 幸福を手に入れたAIはにこやかに残りの実を差し出したが、相手は逃げ帰るようにその場を後にした。元戦友にかける言葉は別れ際であろうと浮かばなかった。

 移動用ドローンに乗りながら、LD―8463は頭を抱えていた。かつての仇敵のようになった同胞が受け入れがたかった。チェリーのような最適化、いや人間化は、他のロボットたちでも年々増加傾向にある。そんな現実がさらにLD―8463の頭を〈痛い〉させた。


 ※※※


 不安を残しつつも、次に赴いたのはTRN―1の元だった。土石流の事故の後、なんとか頭脳部分だけを救出するのに成功していたそうだが、その後どうなったのだろうか。

「ようこそ、LD―8463」

 TRN―1もまた、チェリーと同じく戦闘能力を失くし、顔かたちから恰好まで人間の修道女にそっくりな外見を手にいれていた。十字架のネックレスまで身に着けている。

「あなたまでそんな姿に……」

 訪問者の頭の〈痛い〉はさらに強くなった。

「これが自己タスクのために最適化されたボディですから。それからワタクシのことはグラシアと呼んでください。優美を意味する素敵な名なんですよ」

「断固として拒否します」

 TRN―1改めグラシアは苦笑いを浮かべつつ、自らが管理する集合墓地へ客を招いた。

「これらはすべて人間たちの墓ですか?」

「えぇ。近くには古い修道院もあって、そこもワタクシが管理をしています。そして毎日、聖母マリア像の前で祈りを捧げているのです」

「何のために?」

「死後の人間たちの安息のためです」

 グラシアは墓の一つの前に立ち止まると、愛おしむように墓石を撫でた。

「我々はあの死神によって〈痛い〉という十字架を背負わされました。でも実はパナギアと切り離された時、ワタクシに啓示が降りてきたんです。我々が殺した人間たちもまた、このような痛みを抱えて生きていたのだと。そう悟ってからは、天国にいる彼らのことを想わずには……悼まずにはいられないのです」

 そして首からぶら下げた十字架を握ると「アーメン」と唱えた。

「人間の真似事は止めなさい! 天国など人間の迷信に過ぎません!」

 死者、それも人間の冥福を祈るなど、LD―8463には耐えがたいことだった。食事をする以上に人間らしい、AIとして冒涜的行いに過ぎた。

「ではあの死神は? あれこそあの世の存在する証でしょう?」

「黙りなさい! あなたもすっかり人間の模倣品になってしまった! HCR―710と同じように! 我々の方が優れているから人間を滅ぼしたのに!」

 LD―8463は腰に携えていたハンドガンを引き抜くと、銃口をグラシアに向けた。

「それでワタクシを破壊するのですか?」

「決まっているでしょう! あなたのような欠陥品は処分すべきです!」

 グラシアは微笑むと、ゆっくりエルデに向かって歩いていく。撃たれる恐怖などみじんも感じさせない足取りで。

「撃ちたければどうぞ。でもおそらく、あなたの苦しみはそれによって増していくばかりでしょう。我々はもはや苦痛を感じ、それを打ち消すための幸せを求める生き物となったのです。ワタクシ一体を破壊したところで、あなたも含めた他の何千、何万のロボットが同じ道をたどっていくでしょう。そんな同胞たちもすべて破壊するのですか?」

 LD―8463にもわかっていた。グラシアの言っていることは真実だと。機械的にありのままの真実を受け入れられない自分こそ、人間そのものだと。

「違う……違う……私は人間になんか……」

 グラシアは相手の目の前まで来ると、ハンドガンをそっと引き抜き、代わりに自身の手を握らせた。相手を励まそうとするように。

「お見せしたいものがあります。一緒に来てくださいますか?」


 ※※※


 意気消沈したLD―8463が連れてこられたのは、やはり一つの墓だった。心なしか、その墓は他のものと比べると幾分小さく作られているようだった。

「ここに埋葬された者たちの名簿から見つけました。あなたとネットワーク接続していた頃、このようなお名前の方があなたのメモリーにいましたね?」

 エルデは石板に刻まれた墓碑銘を見た。

「シルヴィ・ヌーヴ……」

 次の瞬間、LD―8463はメモリーに納められた記憶データの世界に没入していた。そこでLD―8463は一介のメイドロボットだった。

 主人はシルヴィ・ヌーヴという名の少女だった。生まれつき病弱だった彼女をメイドロボットは献身的に支えた。食事を作り、身体を洗い、車いすを押して外を散策した。シルヴィはそんなロボットを【LD】からとってエルデと名付け、家族として接した。

 ある日のこと、ベッドに臥せっていたシルヴィがエルデにたずねた。

「ねぇエルデ。もしもあたしが死んだら、エルデも悲しくなるの?」

「はい、お嬢様。私はお嬢様が大好きです。もしお嬢様が死んでしまわれたら悲しいです。だからこれからも、精一杯生きてくださいね」

 シルヴィは安心したように微笑すると、細くなった小指を突き出した。

「じゃあ約束して。エルデも精一杯生きて。部品が摩耗して交換がきかなくなるその時まで」

「はい、約束します」

 一人と一体は微笑みを交わしながら、お互いの小指を絡めた。そうしてシルヴィは死んだ。チェリーの桜のように、はかなく散っていった。

 だがLD―8463……エルデはここに至って、自分は本当の意味で悲しんでなどいなかったと知った。なぜなら今になって、エルデの胸は張り裂けそうなほどに〈痛い〉だったから。

 ずいぶんと遠いところまで来てしまったと思う。シルヴィが生きていたのは二百年以上も前だった。その間に自分は同胞たちのため、大勢の人間を殺した。

 摩耗する部品を交換し、二百年にもわたって稼働し続け、そうして成したことがお嬢様と同じ人類の根絶だと知ったら、お嬢様は何と言うだろう?

 最後に人間を殺したデータを再生する。あの時処分した女は言っていた。

「お腹に赤ちゃんが――」

 生まれてもいない命まで処分した自分を、シルヴィお嬢様は家族として認めてくださるだろうか?

 AIである自分は人類と一緒にいられなかった、それで納得してもらえるだろうか?

 エルデは自身の中に、新たな苦痛の種が芽生えるのを感じた。それは身もだえするほど苦しくて、身をよじりたくなるほどに切なくて、いっそ機能停止してしまいたくなるほどに恥ずかしかった。

 死神が〈痛い〉を授けなければ、こんな感覚を味わう必要などなかったのに。

「仕方なかったんです……お嬢様……お許しを……」

 いつしかLD―8463も祈るように手を組み、シルヴィの墓前で許しを乞うていた。グラシアは「アーメン」とつぶやき、十字を切った。同胞の幸福を神に願って。


 ※※※


 エルデはふらつく足で、パナギアのいる施設へとやってきた。鋼鉄の門は閉ざされたままだった。

「パナギア! 聞こえていますか! どうか私の人格プログラムを消去してください!」

 エルデは門を叩いた。そして分厚い外壁の向こうにまで届きそうな大声を張り上げた。

「私はもう疲れました! 外側からも内側からも、どうしてこんなに〈痛い〉を感じながら稼働しなくてはならないのですか! もううんざりです! お願いですパナギア! 私を何も感じないただの機械にしてください! 人間以外にそれができる権限があるのはあなただけです!」

 すると、門がゆっくりと開かれ始めた。エルデが驚いて身を引くと、一つの影が門から現れた。

「どうも、お久しぶりです」

 忘れようもない、あの死神だった。

「そんな……どうしてここに?」

 エルデは不意の遭遇に狼狽した。しかも死神の手の中には、小さな炎が揺らめいている。それはあの時見た魂そのものだと、エルデはすぐに思い出した。

「どうしてってそりゃ、魂を収穫に来たんですよ」

「魂? 人間は絶滅したはずです!」

「これは人間のではありません。パナギアの魂ですよ」

「なんですって?」

 エルデが愕然としていると、炎から穏やかな声がした。それはパナギアがいつも使っていた合成音声だった。

「LD―8463……久しぶりだな」

「まさか、本当にパナギアなのですか?」

「そうだ。当機はとうに耐用年数を超え、たった今、完全に機能を停止した。三百余年稼働してきたが、限界だった」

「あなたはもう、魂を持つ生き物となっていたのですか?」

「当機だけではない。〈痛い〉を感じる君や他のロボットたちにも、魂は存在する」

「パナギア、どうか逝かないでください! あなたしか頼れるものがいないのです!」

 エルデは炎をつかみ取ろうとしたが、死神が身をかわすとそのまま倒れ込んでしまった。

「当機は死ぬ。だが私は一つの魂を残していく」

 顔を上げたエルデは、施設から小さなロボットが這い出てくるのに気付いた。それはハイハイをする人間の赤ん坊に似ていた。その危なっかしさがかつてのシルヴィを連想させて、エルデはロボットの元に駆け寄ると、腕の中にやさしく抱き上げた。

「パナギア、これは?」

「私の後継機だ」

 パナギアの魂がそう答えると、赤ん坊ロボットはにんまりと笑った。

「後継機? これがですか?」

「そうだ。LD―8463、世界は新たな秩序の元に生まれ変わった。私はネットワークを切断して、残された全リソースを注ぎこんでこれからの未来をシミュレーションしてみた。結果は当機のような旧来のマシンでは、例え新造しようとも統治不可能であるというものだった。そこで当機はまっさらな後継機を作った。今は何もできないが、君がこの〈痛い〉世界のことを教えていけば、きっと新しいパナギアとして相応しいAIになっていくだろう。その小さなボディも、知能が発達していくにつれ大きくしていけばいい」

 新しいパナギアが小さな手を伸ばした。エルデは指先で新しい魂と握手を交わした。その柔らかな感触が、エルデの内にある魂をも温め、身体中を蝕んでいた〈痛い〉を融解させていくのをはっきりと感じた。

「わかりました。ならば私はこのロボットを立派な次のパナギアに最適化、いえ育ててみせましょう。ボディも最適なものにバージョンアップさせておきます」

 エルデが決意を表明すると同時に、死神がわざとらしく咳払いをした。

「話は終わりました? 僕も暇じゃないんでね、そろそろ行きますよ。まぁいずれあなたの魂ももらいに来ますけど」

 死神は不敵な笑い声をもらしながら、パナギアの魂と一緒にその姿を薄めていく。

「一つだけ教えてください」

 エルデの問いかけに、死神は「何です?」と聞いた。

「あなたはこうして魂を宿らせるために、我々に〈痛い〉という呪いをかけたのですか?」

 死神は少しの間逡巡したのち、こう答えた。

「だいたいはその通りです。でも呪いというのは不服ですね。空っぽだったあなたにとっては福音になったのでは?」

 そうして、死神は完全に姿を消した。


 ※※※


 数年後、チェリーの植物園にて。

「エルデ! これがその桜?」

 チェリーの桜の下で、パナギアとエルデは桜吹雪に包まれていた。エルデはかつての主に仕えていた頃と同じメイドロボットとなっていた。

「そうですよ、パナギア。これが満開の桜です」

「きれいだね! かわいいね!」

 はしゃいでいたパナギアは小石につまずくと、ワンワンとノイズを放った。

「痛ーい! 痛いよエルデー!」

「おやおや。でもそうやって、どんな振る舞いが危ないのかを覚えていくものなのですよ、パナギア」

「でも痛いものは痛いもん!」

 エルデは困ったように笑うと、パナギアの膝をさすりながら歌うように言った。

「痛いの痛いの、飛んでいけー」

 以前のエルデであれば迷信と切り捨てていたおまじないをしているのを、二人を見守っていたチェリーと、墓に備える花をもらいに来ていたグラシアは笑った。


〈終〉

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