第7話 機械の死、少女の新生。

 このコロニーの辿った歴史は、完全に私の推理通りだった。小惑星との衝突事故で外壁の大部分が剥離した結果、コロニー内は規定値以上の宇宙放射線に晒されるようになる。それに伴い、住人の遺伝子が時々刻々と破壊されていった。衝突時の世代を一代目として、三代目の子供らが産声をあげる頃には、市民の大半が生殖能力を失っていたという。

 そんな中、ナギサさんの両親は衝突事故後の四代目であるのにも拘わらず生殖能力を備えた、極めて貴重なカップルだった。とは言っても、能力が著しく低下していることに変わりはない。現実的に考えて妊娠はありえないとされていた。ナギサさんを身籠ったのは思いもよらないことで、奇跡と言うより他はなかった。でもそれは、手放しに喜べる事態ではない。人口の増加に悩まされていた他のコロニーは、住人の移住を受け入れようとはしなかった。たった一人の子供でさえ、例外とされることはなかった。子供を産めば、コロニー内最後の一人としての役割を背負わせることになるのは必定だった。

「だけど母親は、私を産んだ。妊娠が発覚する直前に、私の父は亡くなっていたらしいから。父親の忘れ形見を自らの意志で手放すなんて、出来なかったんでしょうね。あの人は悪い人ではなかったけれど、強い人でもなかったから」

 ナギサさんの語り口はひどく淡々としたものだった。シリアスな身の上を話しているとは思えないほど乾ききった声だった。感じ取れる情念といえば、底抜けの諦念だけで。

「私の周りの人たちは、誰もが優しくしてくれた。物心がつく前の私にとってはそれが普通で、無条件に優しくされるのが当然と思いこんでた。でも成長するに連れて、徐々に違和感を抱くようになった。親切な割には距離感があるっていうか、よそよそしいところがあったから。何かあるなと疑念を抱いた私は、母親の目を盗んでデータベースを調べたの。それで、このコロニーの現状と自分の境遇を理解した。

 その日の夜、私は手酷い言葉で母親のことを罵った。最後の一人になんてなりたくなかった、不幸になるのがわかってて何故産んだんだ、って。言葉だけに飽き足らず、物を投げつけたりもした。それでも母親は、何一つ抵抗しなかった。ごめんなさいごめんなさいって、馬鹿の一つ覚えみたいに謝り続けるだけだった。その日以降、母親の顔を見るのが苦痛になった。家を出て一人暮らしを始めるようになるまで、そう時間はかからなかった。

 母親が息を引き取ったのは、別居を始めてから二年後のことだったわ。それ自体には何の感慨も湧かなかったけど、……送付された遺品のリストに、不自然なものがあったのよ」

 ここに来て初めて、ナギサさんの語り口に諦念以外の感情が滲み出た。私に対して意味ありげな一瞥を向けた後、視線を足元に落として、話を続けた。

「そこに記されていたのは、脳だとか肺だとかいった、人間の臓器の名前だった。ログを詳しく調べてみると、母は冷凍保存されていた父の精子を使って、もう一人の子供を作ろうとしたってことがわかったの。……その試みは、確かに成功した。だけどその子は、私のように五体満足な身体を持って生まれてはこなかった」

 ナギサさんが一旦唇を閉ざして、手元の端末を弄り始めた。

 差し出された画面に映っていたのは、フルスクリーン表示された一枚の画像だった。

 露店で盗んだ内臓と打ち捨てられていた骨を、肌色の袋の中に乱雑に突っ込んだ図。

 第一印象を言葉にすると、概ねこんな感じになった。少なくとも私には、大量の電極や管と一緒に培養液中に浮かぶ物体が、生き物だとは思えなかった。――だけど。

「これが私のオリジナル、ということですか」

 ナギサさんは肯定も否定もせず、ん、と曖昧に息を漏らしただけだった。

「……このときのイオは、機械の助けで辛うじて生体機能を維持しているだけの状態だった。システムからも人ではなく物として認識されていた。だけどこの世界には、不完全な肉体を完全なものにすることができる技術があった。宇宙線対策の一環で、身体を無機物に置き換えるサイボーグ化の研究が盛んだったから。私は、それをあなたに用いたの」

 人間のなりそこないと、それを補うために作られた人口のパーツ。これらを組み合わせて作られたジャンク由来のアンドロイド。それが私の正体のようだった。

 特注品が聞いて呆れるけど、それ自体はどうでもいい。大切なのは、そこじゃない。

「ナギサさんは、どうして私に機械の身体を与えようと思ったんですか?」

 役目なしに作り出されるアンドロイドなどいない。ナギサさんが私を作ったというのなら、そこには必ず理由がある。私には、それを知る権利があるはずだった。

「……正直に言うとね。物は試し、くらいの気持ちだったの。サイボーク化の実験は何度か行われていたけれど、成功例は一つもなかった。臓器の一つ二つを置き換えるだけならまだしも、肉体の大半を機械化するのなんて不可能っていうのが一般的な認識だったし、私もそう思ってた。だけど、イオはレアケースだったから。脳機能の一部がマイクロマシンで置換されているせいで、人工の肉体の制御に適していたんでしょうね。施術の後、程なくして心肺が自発的に活動を開始して、意識活動の兆候が確認された。……だけど私は、まさかこんな結果になるなんて、思ってもみなくって――」

 ふいにナギサさんが言葉を切った。伏せていた両目をゆっくりと持ち上げて、続ける。

「いや、違う。それは、ただの自分への言い訳だ。……結局のところ、私も母親と同じだったのよ。心のどこかで、この子が人間になってくれれば最後の一人の役目から逃れるって、期待していた。どうせ意識を持つことなんてないだろうって、都合のいい一般論を持ち出して、やろうとしてることの意味について考えることをやめたのよ。……その愚かさの結果として生まれたのが、今ここにいる、あなたなの」

 それきり、ナギサさんは口を噤んだ。昔話はこれでおしまい、ということらしかった。

 死んだような静寂が流れる。永久に続くかのように思われた沈黙は、しかし、ナギサさんの「……ごめん」の一言で打ち破られた。それで堰を切られたみたいに、黒髪で隠された容貌の向こうから透明に輝く何かが、ぼろぼろとこぼれ出た。

 両手で目頭を抑えつつ、嗚咽混じりの懺悔の言葉を幾度となく繰り返すナギサさん。

 その様子を、私はどこか冷めた気持ちで見つめていた。

「……ごめん。ごめんね、イオ。ずっと、言わなきゃって思ってた。でも怖かったの。イオを傷つけてしまうのも、イオに失望されるのも。……イオとの生活が、壊れてしまうのが、私には恐ろしかった。それで、何も言わずにいなくなれたらいい、なんて卑怯なことを考えて、あなたの前から逃げ出して……。ごめん。本当にごめん、イオ……」

「訊かせてもらいたいんですが……私をカルロの手で育てさせたのは、どうしてですか」

 塔の外壁に手を押し当てたとき、システムが私の戸籍データを表示させてきた。垣間見たデータの登録日は今日だった。ナギサさんが自分亡き後の私の生活を考えて、申請してくれたのだろう。それが通ったということは、サイボーグ化の施術を受けた後の私なら、人間として生きさせることも可能だったということだ。なのに、どうして。

「……機械として生きてくれれば、私みたいな孤独を味わわずに済むと思った、から」

「人間なら最後の一人でも、機械ならいくらでも仲間がいる、と。そういうことですか」

 ナギサさんが無言で頷く。それから、自嘲気味に口の端を吊り上げて。

「これでわかったでしょ。私は、死ななくちゃいけないんだって。……私、ちゃんと知ってたの。イオの生涯がどれだけ辛いものになるのか、身をもって。なのに私は、最後の一人になりたくない、一人きりは嫌だっていう我儘で、イオに意識を……命を、押し付けてしまった。だから私は、責任を取らなくちゃいけない。太陽の中で燃やされて、鉄にならなきゃいけないの。……それがイオのためにしてあげられる、唯一の贖罪だから」

 それだけ言うと、ナギサさんは延々と謝罪を繰り返すだけの機械と化した。

 ふと、強烈な既視感に襲われた。その正体はすぐにわかった。

 私だ。今のナギサさんはナギサさんと出会う前の、或いは出会ったばかりの私と、同じなんだ。自分という存在の罪深さに耐えられないから、誰かに罰してほしいと思ってる。口汚く罵られて、ぶん殴られて、あんたなんか死ねばいいと吐き捨てられて、核融合炉に放り込んでほしい、と。ナギサさんそうは思ってる。それこそがナギサさんの望みであり、幸せなんだ。

 なら、何を迷うことがあるというのか。私はナギサさんに作られたアンドロイドで、ナギサさんの付き人だ。私にとっての幸せはナギサさんの幸せに等しい。死んで鉄になることでしか楽になれないというのなら、その望みを叶えることが私にとっての幸せだ。

 幸せの、はずなのに。

「……なんなんですか、さっきから」

 どうしてかな。さっきから、やけに胸が詰まる。心臓が張り裂けそうなくらいに痛い。

 胸元を強く押さえつけながら、あの、と。絞り出すようにして声を発した。

「私って、そんなに不幸そうに見えますか? そんなに苦しそうに見えますか? ……おかしいなぁ。そんなつもり、ないんだけどな。だって私、ナギサさんと出会えて良かったし、一緒に暮らせて楽しかったし、生まれてきてよかったって、ちゃんと思える。……なのに、ナギサさんにとっての私は、生まれて来ないほうが良かった命なんですか……?」

 初めて幸福を与えてくれたのは、ここにいる意味をくれたのは、他ならぬナギサさんだった。だから私は、ナギサさんのために生きようと思った。ナギサさんを幸せにしたい、役に立ちたいって、心から思った。それが私にとっての、幸せの在り方だった。

 だけどナギサさんはたった今、私の幸せの在り方を根本から否定した。生まれてくるべきじゃなかったと暗に言い、私の感じる幸せを、粉々に破壊してみせたんだ。

「……そういうことなら、もういいです」

 知らぬ間にあふれていた涙を拭う。たちまち視界がクリアになった。中心には、ナギサさんの姿があった。ハッとした表情で凍りついたまま、唇をわなわなと震わせている。

「……私はもう、ナギサさんの付き人なんかじゃない。忠実なアンドロイドでもない。ナギサさんの幸せが私の幸せだなんて、絶対に思ってやらない。私にとっての幸せも、生き方も、私が自分で決めるから。ナギサさんになんか決めさせてやらないから。だから――」

 さようなら、と。心の中で最期の別れを告げてから、あなたの輪郭を抱きしめた。

「だから帰ろうよ、ナギサさん。……私、嫌だよ。知らないところでナギサさんが死んじゃうなんて。勝手にいなくなったりなんかしないで。死ななきゃいけないだなんて言わないで。私にとっての幸せを、ナギサさんが勝手に決めないで……!」

 死んだ、と私は思う。これまでの私が。アンドロイドとしての私が。

 今この瞬間、誰でもない私自身の手で、灰すら残らないほど完璧に、燃やし尽くした。

 ナギサさんが恐る恐る、私の背中に両腕を回す。でも、抱きしめ返しては来なかった。小刻みに肩を震わせながら、消え入りそうなほどか細い声で訊いてくる。これが私にとっての幸せなのか、と。そうだよ、と私は頷く。でも、とナギサさんが追い縋る。

「それじゃ、イオが死ぬ前に太陽が停止する。コロニーが寒冷化して、とても人が生きられるような環境じゃなくなってしまう。……そんな世界に、一人きりで取り残されるのよ?」

 自らの下した選択の意味をちゃんと考えているのかと、ナギサさんが真っ直ぐな眼差しで問うてくる。私は顎に拳を当てて、んー、と曖昧な唸り声を上げる。

「ナギサさんの言うことは尤もだけど、正直、あんまり深くは考えてないんだよね」

「っ、だったら――!」

「でもさ。私まだ、うんと豪華な夕食を作るって約束、叶えられてないから。取り敢えずご飯を食べてから考えればいいかなって、そう思って」

 冗談めかして私が言うと、ナギサさんはぽかんとした顔つきで固まった。その表情があまりに間抜けで似合わないものだから、私はついつい吹き出した。

 ナギサさんも私につられて破顔した。涙混じりの笑い声で、姉らしく釘を刺してくる。

「……あんまり作りすぎないでよ。私、沢山は食べられないからさ」

「大丈夫。私がナギサさんの代わりに、たらふく食べてあげるから」

 返答は、そっかの一言。でも、返ってきたのは言葉だけじゃない。回された両腕から伝播する体温が、言葉よりも雄弁に、ナギサさんの胸中を物語っていたから。

「ね、ナギサさん。今度は、ナギサさんが選ぶ番だよ」

 ちょっとだけ唐突な質問をしてみると、ナギサさんは案の定、何のことかと訊き返してきた。だから私は、いつかした問いかけを、もう一度だけ繰り返す。

 ナギサさんは泣き顔と笑顔と思案顔がごっちゃになった表情で、しばし考えを巡らせる。

 ややあって、少しだけ照れくさそうな顔つきで、ナギサさんはこんな解答を口にした。

「死ぬときは、イオに手を握っていてほしい、かな。その後のことについては、正直それほどの拘りは無いんだけど――、朝の散歩コースの途中に埋めてくれたら、嬉しいかな」

 そうすれば、毎日イオの顔が見られるし、と。ナギサさんは笑いながら付け足した。

 これで決まった。ナギサさんの亡骸は、鉄にはならない。

 鉄になんか、してやらないから。

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聖女の骸は鉄にならない 赤崎弥生 @akasaki_yayoi

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