第40話 もう一度

 練習試合はまだ続くとのことだったので、試合の興奮冷めやらぬ中、俺たちは会場を出ることにした。


「尚弥君の妹さん、あんなに早いんだね」

「僕も初めて見てビックリしました」


 尚弥と聡実が何やら盛り上がっているのを尻目に、俺たちはメインホールを歩く。

 俺はと言うと、少し考えごとをしていた。


「それで、ゴリラさんはどうするんですか?」


 察したのか、椎名が声を掛けてくる。

 俺は静かに頷いた。


「約束は守るよ」

「約束でも、あなたが納得出来ていないと意味がありませんよ?」

「それは、そうだな……」


 水樹は頑張った。

 俺を後押しするために、あいつは自分の出来る最大限のことをしたんだ。

 そして、実際に結果を出した。


 その姿が、何だか俺とは真逆に見えてしまった。

 俺は、自分のためにインターハイを目指して、色んなことを後回しにして。

 人の心を散々引っ搔き回して。


 それで……結局結果を出せなかった。

 そんな俺が、もう一度バスケをして良いんだろうか。

 迷いは、胸中に蠢いている。


「ハルにぃ!」


 すると、不意に。

 背後から声を掛けられた。

 見ると、水着姿の水樹がタオルを被ったままこちらに走ってきている。

 来ると思っていなかったから内心驚く。


「水樹、何やってんだ。まだ練習だろ?」

「良いから!」


 水樹はドスンと、俺の胸元に思い切り突っ込んできた。

 そんな彼女を、思わず俺は抱きとめる。


「見てた?」

「見たよ」

「どうだった?」

「格好良かった。お前、頑張ってたんだな」

「ハルにぃだって、同じくらい格好良かったよ」


 水樹は俺のことを見上げる。

 すぐそこに、彼女の顔があった。


「私、もう守られるだけは嫌なんだ」


 彼女は静かに語る。


「ハルにぃが落ち込んでて、自分に出来ることがとても少ないって気づいた時……私、思ったんだ。小島さんや、柚さんがハルにぃに色んなことをしてあげられているのに、私は全然対等じゃないんだって」

「水樹……」

「だから私、今はまだ、ハルにぃの彼女になれない」

「……そっか。俺もフラれちまったな」


 俺が乾いた笑いを漏らすと、「でもね」と水樹は続けた。


「私、ハルにぃと対等になるために、これからハルにぃを追いかけるよ。だからさ、いつか、本当に私があなたと対等になれたと思えたら……」


 頬を紅潮させながら水樹は言う。


「その時、今度は私から、ハルにぃに告白する」


 そして彼女は、優しい笑みを浮かべた。

 その笑みは、俺がよく知っている笑みだった。

 幼いころ、いつも笑いかけてくれた、水樹の笑み。


「だからさ、ハルにぃはこれからも私のヒーローで居てよ」


 あの頃の水樹は、形を変えて、今もここにいる。

 そんな当たり前のことに、俺は今更気づいた気がした。


「失敗しても、負けても、めげずに顔を上げて、何度も戦って、最後には勝つ。それが、私の知ってるハルにぃでしょ?」


「そうだな」


 すると水樹は、一瞬だけニッと笑った後。


「ねぇハルにぃ、ちょっとだけ屈んで?」

「あ? 何だよ」

「良いから」


 言われた通り少し顔を低くする。

 すると水樹は思い切り背伸びして。


 俺の唇に触れるようなキスをした。


 予想外の行動に、思わず俺は飛びのく。

 横で様子を見ていた椎名と聡実が、小さく黄色い声を上げていた。


「おま、お前! 何やってんだ急に!」

「えへへ、賭けに勝ったご褒美だよぉ。じゃねー!」


 水樹はそう言うと、こちらに手を振って戻っていく。

 その姿は、すっかりいつものクソガキそのもの。

 でも、走り去る彼女の姿は、雄大な海を自由に泳ぐ魚のようでもあった。


「ハルにぃを追いかける、か……」


 俺は、そっと笑みを浮かべた。


「じゃあ俺も、負けないようにしないとな」

「何々? 何の話?」

「何でもねぇよ。あ、そうだ聡実。ちょっと頼みがあるんだけどよ」

「頼み?」


 ◯


 数日後の早朝。

 体育館から、バスケットボールを突く音が聞こえる。

 朝練よりもさらに早い時間帯。

 そんな時間に体育館に居そうなやつを、俺は一人しか知らない。


 俺が体育館のドアを開くと、ボールを構えた柚がこちらを振り向いた。


「ハル先輩……!?」

「よぉ、早いな」

「どうしたんですか、こんな朝早くに!」


 ボールを抱きかかえたまま、柚はこちらに駆けてくる。


「今日からしばらく怪我治るまでシュート練見ようと思ってな。お前が朝早いって聡実から聞いて、見に来てみた」

「でも、部活辞めたって……」

「もう一回頑張ることにした」


 俺の言葉に、柚は驚いたように目を見開く。

 何だか照れくさくて、少しだけ頬を掻いた。


「聡実に協力してもらって、顧問の先生やコーチとは話付けた。指定校推薦で大学行って、冬のウィンターカップ目指してみる」

「本当ですか……?」

「あぁ。柚には色々良くしてもらったのに、ちゃんと話出来てなかったからな。どうしても伝えたかったんだ。女子のインターハイまで、俺ががっちりサポートするからよ。こき使ってくれ」


 すると柚は目元に大きな涙を浮かべた後


「はいっ!」


 と、大きく頷いた。

 彼女の頬を流れる涙を、俺はそっと指先で拭う。


「泣くことないだろ、こんな朝に」

「だって……だってぇ、そりゃ私フラれましたけど、本当にハル先輩のバスケが好きでぇ、だから本当に嬉しくってぇ……」

「あぁあぁ、分かったから。頼むから泣かないでくれって」

「うううぅ……」

「おい、ハルじゃねぇか! 何やってんだよ?」


 不意に背後から声を掛けられ振り向くと、何故か鉄平がそこに立っていた。


「鉄平! お前こそ何やってんだよ。引退したはずだろ」

「そりゃこっちのセリフだ。他の三年は引退したけどよぉ、俺はお前が戻ってくるって信じてたんだよ。この天才トリックプレーヤーの後継も育てなきゃダメだしな」

「なんだそりゃ……」


 すると鉄平は柚と俺を交互に見て「何、修羅場?」と尋ねてきた。

 違う。


「俺が戻るって言ったら喜んで泣いてくれたんだよ」

「だってぇ、嬉しくてぇ……」

「マジかよ! 柚ちゃん、俺の時は泣かなかったよね?」

「鉄平さんは、早く引退してください」

「何で!?」


 いつものやり取りに思わず嬉しくなっていると、入り口に人の気配がした。


「あれ、ハルさん、何やってるんですか!? 柚ちゃん泣いてるし!」

「ちょっとハル! 何で柚泣かしてんの!?」


 ヌマや聡実と、ぞろぞろバスケ部の連中が集まってくる。

 全員朝練組だろう。

 さほど離れていなかったのに、ずいぶん懐かしい感覚がした。


「ごめん、みんな」


 俺は皆に頭を下げる。


「まだ俺、バスケに未練があるみてぇだ。迷惑じゃなけりゃ、ウィンターカップまで居させて欲しい」


 すると、しばらくの沈黙の後。


「おかえりなさい、ハルさん」


 と、ヌマが笑顔で声を出した。

 その言葉が、俺に居場所をくれる。

 ここに居ていいと、認められた気がした。


「ただいま」


 すると、パンッと肩を軽く叩かれる。

 鉄平だった。


「やろうぜ、相棒」

「あぁ」


 俺は静かに顔を上げた。

 体育館から見える空は青く、どこか海を思わせる。

 その海の中を颯爽と泳ぐ魚が居た。


 小さくて、生意気で、ひねくれていて、勇敢な魚。

 彼女の存在が、いつだって俺の背中を押してくれる。

 諦めるなと、胸に炎をともしてくれるんだ。


「いくか、ウィンターカップ!」


 俺が声を出すと、「おぉ!」と皆が声を上げた。



 ――了

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可愛かった幼馴染みの妹がとんでもないメスガキに育っていたので分からせる。 @koma-saka

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