第7話 狂気の誘惑


 夜が訪れた。

 辺りに一定の間隔で流れるさざ波の音、リンリンと鳴く羽虫の声。そのどれもが島で聞きなれたものであった。

 しかし、一つだけ今までと違うものがある。それは、


「コレット村の英雄、レンガ殿に乾杯ぃ!!」

「「「「「かんぱーーーーーい!!!」」」」」

「……なんだ、こりゃ?」

 

 島では味わったことのない、広場で村を上げての大宴会が行われていた。


 昼間、エレナと名乗った少女が去った後、村人たちは歓喜の声を上げレンガを称えた。それからと言うもの周りの連中は自分を英雄と祭り上げ、村人全員係で胴上げされた。ただ一人、ミーナを除いては。

 

「……はぁ」


 溜息を一つ吐いたミーナは、とても宴会を楽しめる雰囲気にはなれなかった。

 広場の中心でどんちゃん騒ぎをしている皆の輪に入らず、ミーナはそのまま自分の家に戻っていった。

 村人の若衆に囲まれ、この時の為に獲ってきたご馳走を渡され、食べろ食べろと催促されているレンガはそういえば、とミーナの姿が見えないことに気が付く。

 すると遠くの方に自分の家に帰っていくミーナの姿が見えた。


「ミーナ?」




 自宅に戻ったミーナは、リビングの机に置かれたランタンの蠟燭に火をつける。

 椅子に座り、その火をジ見つめるミーナの顔は、酷く悲しげなものだった。


「私の……せいだよ、ね」


 そう言って彼女は机に顔をうずめる。

 あの騎士に犯されそうになった私をレンガさんが助けてくれた。あの時は凄く嬉しかった。でもそのせいで、レンガさんが戦場に行く羽目になってしまった。

 今日村に、いや、このアングラム大陸に来たばかりの無関係な人を巻き込んでしまった。ミーナはそうなってしまった原因が自分にあると深く攻め続けていた。

 あの時自分がしゃしゃり出なければこんなことにはならなかったはずだ。

 本来国民を守る立場の人間が、なんの恥ずかしげもなく、立場と権力をぶら下げて国のために戦えと言ってきたことに。

 普段は税金を取るだけ取って、いざ私たちが困った時には何もしてくれない。そんな奴らのために父が戦争の道具にされたのかと思ったらどうしても我慢できなかったのだ。

 落ち込めば落ち込むほど、ミーナの心の中はどんどん負の感情に飲まれていってしまう。


(お父さん……私、いったいどうすれば?)


 今ほど父に会いたいと思ったことはない。落ち込んでいる私を見ては、いつも頭を撫でてくれた。だがそれも二度と叶わぬ願いに過ぎなかった。

 

「父親に会いたいかい?」

「っ!?」


 と、台所の方から見知らぬ声がした。

 驚いた拍子に椅子から立ち上がったミーナは、声のした方向に顔を向ける。

 そこから出てきたのは真っ黒いフード付きのマントを被っていて素顔までは分からないが、声色から察するに、恐らく女性であろう。


「誰ですか貴方は! 人の家に勝手に入っていったい何を……」

「何って、そんなの決まってるじゃないか。あんたに会いに来たんだよ、お嬢ちゃん?」

「私に?」


 飄々とした態度でそう言ったフードの女は、懐からある物を取り出し、机の上に置いた。

 それは黒曜石のようなものであったが、何やら内側から赤黒い、何処か禍々しさを感じる不思議な石だった。


「なんですか、それ?」

「これはね、たった一つの代償と引き換えに、持ち主のどんな願いでも叶えてくれる奇跡の結晶さ。例えば、、とかね?」


 その言葉に一瞬ピクッ、と反応するミーナ。それを見逃さなかったフードの女は、ミーナの耳元に顔を知被け、さらに言葉を続けた。


「思ったことはないかい? 周りの子供たちが家族睦まじく漁にいそしんでる中、自分だけ独り寂しく過ごしてるなんておかしい、ってさ? でもこの石があれば、お嬢ちゃんもそいつらと同じ『普通の家族』に戻れる」

「普通の、家族に……」

「そうさ。そうすれば、あんたが今一人で抱え込んでるその悩みもすぐに解決するさ。だからさ、これはそんな可哀そうなお嬢ちゃんへ、お姉さんからの贈り物だよ」


 甘く妖艶な言葉に頭がボーっとしてきたミーナだが、ハッ、と我に返り、彼女を引き離す。

 

「あなた、宗教の勧誘か何かですか? 人の弱みに付け込んで、この石を高く売りつけようって魂胆でしょう! そもそも、こんな変な石一つで人が生き返るなんて聞いたことありません! 生憎ですが、私にこんなものは必要ありません。これを持ってとっととお引き取りください!」


 ミーナの予想外な行動に一瞬呆気にとられたフードの女は、次の瞬間突然笑い出した。


「何がおかしいんですか!」

「ハハハ……、いや何、すんなりいかないもんだと思ってさ、でも……」


 ミーナに詰め寄るフードの女。その際に彼女の顔がチラリと見えた。

 燃えるような赤髪に深紅の瞳、しかし右目は潰れているのか、眼帯をしている。女の自分から見ても絶世の美女というのはこのような人の事を言うのだろう。

 しかしそれとは裏腹に、彼女の纏うオーラは、何処か狂気を感じさせるものだった。


「人が持ってる願いや欲望ってのは、一種の麻薬みたいなものさ。どれだけ綺麗ごとを語ったところで、その誘惑にいつか負けてしまう。でも、恥じることはないさ。それもまた人の性って奴だからね」


 ミーナの頬に手を添え、そのまま首筋に、胸に、まるでその手を蛇のようにミーナの身体を滑らせる。

 ミーナは感じたことのない恐怖で身動きが取れなかった。


「すぐにわかる。あんたも他の奴らと同様、コイツの誘惑には抗えない」

「何を言って……」


 すると蠟燭が溶けきり、火がボウッ、と勢い良く燃えたことに驚き、彼女から視線を放してしまう。

 すぐに向き直ると、そこにはもう誰もいなかった。

 真っ暗になったリビングには自分一人と、先程までいたフードの女が差し出してきた禍々しい光を淡く輝かせる不気味な石だけが残っていた。

 

「いったい、なんだったの?」


 そしてミーナは、フードの女が残していった不気味な結晶に視線を向ける。

 それは絶えず禍々しく光り続け、見ていると胸の奥で何かがざわつく感じがした。


「あれ?」


 ミーナは無意識にその結晶を手に取っていた。

 だんだん怖くなってきたミーナは家を飛び出し、その結晶を海に投げ捨てようとしたが、自分の腕に意思が宿ったかのように、その結晶を放そうとはしなかった。


「ミーナ?」


 振り返ると、そこにはレンガがいた。


「こんなところで何やってんだ? 皆広場で楽しくやってるぞ、お前も来いよ」


 レンガの顔を見た途端、ミーナはレンガの胸に飛び込んだ。


「ちょ!? おいおい、いきなりどうした?」

「ごめんなさい……でも、暫くこうさせてください」


 レンガに対する後悔の念と、先程のフードの女から発せられていた狂気にミーナの心は押し潰される寸前だった。

 こうしてレンガに抱き着いたのも、弱り切った自分を誰かに受け止めてほしかったからだ。そうでもしないと、自分が壊れてしまいそうな気がしたから。

 そしてミーナは、戸惑うレンガに問いかける。


「レンガさん。貴方は父親を亡くしていると、そう言っていましたよね?」

「あ? あぁ、そうだが、それがどうかしたか?」

「……もし、もしですよ? 何か一つを代償に、自分にとって大事な人を生き返らせられる方法があったとしたら、レンガさんはどうしますか?」

「そんなことは絶対しない」


 即答だった。

 

「何故ですか? レンガさんは、死んだ父親にもう一度会いたいとは思わないんですか?」


 自分はそうは思わない。なぜなら両親が私を愛していたように、私も父と母を愛しているからだ。そんな二人にまた会えるのならば、私は多分どんな手段も厭わないだろう。親子とはそういうものだから。


「親父が言ってた、『死んだ人間は死んだままにしておくのが一番幸せなんだ』ってな。命に始まりがある限り、いつかは終わりが来る。それがたとえ徴兵によるものだったとしてもな……」


 最初にあった時と少し様子が違うが、ここは正直な意見を言った方が彼女の為だろう。しかし、ミーナはその問いにどこか納得していなかった。


「それは、今を生きてる人達の勝手な解釈なんじゃないですか? なぜ死んだ人たちは死んだままの方が幸せだと言いきれるんですか!」

「お、おい……」

「戦で死んでいった人たちにも、恋人や家族がいたはずです。それなのに……!!」


 だんだんミーナの口調が激しくなってきた。今の彼女からは、初めて会った時の元気な姿は微塵も感じ取れなかった。

 まずは落ち着かせようとミーナの肩を掴むも、彼女のか細い手で振り払われてしまう。その拍子に、ミーナが何か手に石のようなものを持っていることにようやく気付く。それは赤黒く禍々しい光を放っており、その光は徐々に強くなっていっている気がした。

 するとレンガの首に下げている紅蓮色の石も同様に淡い光を灯らせる。


「おいミーナ、それは一体……」

「私はもう一度両親に会いたい! 会ってみんなと同じ普通の生活を送りたい!」


 それは先程よりも強く輝きだした。

 何か嫌な予感がする。


「そのためなら私は、私の全てを!!」


 その言葉を叫んだ次の瞬間、赤黒く光り輝いていた石に罅が入り、ミーナを中心に辺りに強烈な衝撃波が放たれた。

 

「ぐああああ!!」


 あまりの威力に耐えきれなかったレンガは、そのまま家屋の壁に叩きつけられる。

 背中からもろに喰らってしまったため、肺から一気に空気を吐いてしまい暫く呼吸困難に陥る。鈍痛と息苦しさに耐え、何とか目を開きミーナを見ると、砕けた石の中から赤黒いヘドロ状の何かが溢れ、ミーナの体を覆っていく。

 ヘドロがミーナの肌に触れると、その個所はジュウ、と焼爛れ、人の肌が焼ける嫌な臭いがレンガの鼻腔を刺激する。

 苦痛の叫びを上げながらレンガに手を伸ばすミーナ、全身に広がる痛みを必死に抑え彼女の手を取ろうとするが、その手すらもヘドロに飲み込まれてしまう。

 ミーナを完全に取り込んだヘドロは、まるで巨大な繭のように丸くなり、中からはドクンッドクンッ、と何かが脈動する音が聞こえてくる。


「ミーナぁぁぁ!!!」


 彼女の名を叫ぶが、その声は届くことはなかった。

 すると広場の方から騒ぎを聞きつけてきた村人たちが集まってきた。


「レンガさん! これは一体!?」

「こっちに来るな! 離れてろ!!」


 そう言った次の瞬間。ミーナを覆っていた繭に罅が入る。

 すると、その繭を内側から長い尾鰭おひれのようなものが突き破った。

 徐々に繭を壊して中から出てきたのは、ミーナではなく、背中から鰭のような羽を生やし、全身に鱗がある魚のような見た目をした化け物であった。

 そして、その化け物の胸部にはミーナの顔と、彼女の両親であろう二人の顔が浮き出ていた。

 

「な、なんだコイツは!?」

「化け物だぁぁぁぁぁぁ!!」

「逃げろ、みんな逃げろぉ!!」


 村人が阿鼻叫喚する中、レンガは異形と化したミーナに、島で自分達親子を襲ってきた謎の騎士と同じオーラを感じ取った。


(似てる……外見はともかく、この禍々しいオーラは間違いなく、あの野郎と同じ……)

 

 嘗ての記憶が脳裏に流れる。その時、ミーナに動きがあった。

 

『アアアアアアアア!!!』


 耳をつんざくような雄たけびを上げると、ミーナは翼を広げ、逃げた村人の元へ飛んでいく。

 

「ミーナ? ……っまさか!!」


 考え得る最悪の事態を想像してしまったレンガはミーナの後を追った。

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炎獄のアルカンジュ 三浦浩介 @miura_mira

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