第6話 エレナ・ライディアス
辺りにエドリックの苦痛の叫びが響く中、レンガはあられもない姿になったミーナに形見である父の羽織を掛ける。
「レンガ、さん……どうして?」
「いいから。ここで待ってろ」
そう言ってレンガは、今も尚痛みで苦悶の表情を浮かべているエドリックを鋭い目つきで睨んだ。
その表情にミーナも含め騎士達、そして周りにいる村人たちも委縮してしまう。
「何をしている貴様らぁぁ!! 早くあの男を始末しろお!!」
しかしエドリックの怒りに満ちた一声で、我に返った騎士たちはすぐさまレンガを取り囲んだ。
エドリックは今、この上なく頭に来ていた。自分は本来、こんな魚臭い田舎の漁村なんぞに来るべき人間ではない。常に王のお膝元近くに仕え、財政を管理することこそ、次期ミランゼルク家当主たる自分の役目だ。
それを先代である我が父は『真に王の側近を名乗るならば、民の声を聞き見聞を広めよ』などとのたまい、自分を聖牙騎士団に入団させた。
まぁそれでも、百人長の座に就かせてくれたことには僅かながら感謝はしているが、その結果村娘ごときに説教され、鬱憤を晴らそうとしたら見知らぬチンピラに肩に風穴をあけられたのだ。
最早この屈辱は、村人全員の血をもって注がなければ収まらない。
手始めに、このチンピラを見せしめにしてやる!
怒りに囚われたエドリックには、最早威厳などなく、そこに居たのは権力を持った只の小物に成り下がっていた。
聖牙騎士達に囲まれ、鈍く輝く剣の切っ先が自身に向いているにも拘らず、レンガは酷く落ち着いている。
ミーナが犯されそうになっているのを見て、島から出る際に持ってきた槍を咄嗟に投げたため、自分は今空手の状態だ。ならばとる行動は一つ。刃で切れない超接近戦で対処する!
腰を低く構え、左腕を前に出し、右腕を引いた独特の構えをとる。
すると背後にいた騎士の一人がレンガに斬りかかると、レンガはそれを後ろを見ずに、左肘で騎士の
鎧を着込んだ相手をたった一撃、しかも素手で倒してしまったレンガに騎士達は皆、警戒心をぐん、と高めた。
一人ではだめだと悟った騎士達は、複数人で同時に攻めた。だがその戦法も無駄に終わる。何人で斬りかかろうともレンガには掠りもせず、全ての攻撃を、まるで見えているかのように悠々と躱されてしまう。酷いときには刃を摘ままれてしまうこともあった。
(なんだこの太刀筋、遅すぎる……)
否、レンガには事実相手の太刀筋が見えていたのだ。それも酷くゆっくりと。
レンガはリュウガが何故自分に無理やり修行をさせてきたのか、今の今になって、その意味を理解した。
「こういうことだったのか……感謝するぜ、親父!!」
そこから先はレンガの一方的な戦いだった。騎士達は自分が今まで血の滲むような修練と研鑽を積み重ね、磨き上げてきた剣が全く通用しないことに驚愕していた。
捕らえたと思った剣筋は空を切り、気づいたときには地に臥せているのは自分と言う、理解が追い付かない状況が続いていた。
しかし、周りにいた村人達には見えていた。騎士達の攻撃を、まるで揺れる炎のように躱すレンガの姿を。荒々しくも何処か優雅さがあるその動きに、皆声も出せぬほど魅了されていた。
「凄い……あの動き、まるで踊ってるみたい」
ミーナもまた、レンガの動きに惹かれていた。
悉く圧倒されている部下たちに怒りを覚えるエドリックは、反面ただのチンピラと侮っていた男に恐怖していた。
カルニアム国屈指の精鋭である彼らが、どこの馬の骨とも知れぬ男に手も足も出ないなど露ほども思ってなかったのだ。
そしてエドリックの部下の最後の一人が倒され、レンガはゆっくりと目の前で地面をじたばたと後ずさっているエドリックに歩み寄っていく。
彼の目の前に立つと、肩に刺さっている槍を無理やり引き抜いた。
「ぎゃああああああああああ!!!」
肩の肉がブチブチと切れる嫌な感触が手に伝わったが、この男に対しては何の情も湧かない。
「き、貴様ぁぁ!! 王の側近たる私に、こんなことをしてただで済むと……」
しかし、エドリックが言い切る前に、レンガは槍を彼の顔面スレスレに突き立てた。
「生憎、大陸に来たのは今日が初めてでな、こっちの常識なんざ微塵も分からねぇんだ。だからテメェがどこの誰の側近かなんざ知ったこっちゃねぇんだよ」
そう言ってエドリックを見下ろすレンガの瞳は、紅蓮の炎のように赤くなっていた。その瞳はまさしく、罪人に死を告げる死神のようであった。
しかし、ミーナにとって今のレンガの姿は、小さいころ父に読んでもらった英雄譚に出てくる、お姫様の危機に駆けつける英雄に見えた。
「ん? どうしたミーナ? 顔赤いぞ?」
「……え? あ、い、いいえ!何でもないです!」
そう言われてようやく自分の顔が赤面していることに気が付いた。おまけに心臓の音が聞こえるくらい早くなっている。
(え、うそ? これってもしかして……いやいやいやいや! 確かに助けてもらった時はかっこいいなぁって一瞬思ったけど、今日初めて出会った男の人にそんな訳……)
何やら顔を赤くしてあたふたしているミーナを見て首を傾げるレンガ。まぁ、それも仕方がない、公衆の面前であんな姿にさせられたのだ、女なら恥ずかしがって当然だ。
ミーナの思いとは裏腹に、まったく的外れなことを思っていたレンガだった。
「そこまでよ!」
すると村の入り口から、周りに倒れている騎士達と同じ装備をした者達を数十名引き連れた、一人の小柄な少女がやってきた。
他の騎士達とは違い、シュールコーとその下に着用しているチェインメイルは肩から先がなく、腕を大きく露出させている。
足首まである長い金髪を後ろで二つに結んでおり、大きくでこを見せるような髪型が特徴的で、切れ長の目はどこか冷徹な印象を受ける顔の整った少女だった。
彼女が合図を送ると、周りの騎士達は即座に行動に移し、負傷したエドリックを守るように盾を構えて円陣を組んだ。
そして彼女はレンガの周りで倒れている騎士達を見る。
「これは、全てあなたがやったのかしら?」
「誰だテメェ?」
目の前の少女に鋭い眼光で睨みつける。
「……私の名は、エレナ・ライディアス。カルニアム王国国王カロル二世直属、聖牙騎士団の百人長を任されているわ。それで? 私の質問への返答がまだなのだけれど?」
「てことは、そこのクソ野郎の仲間か。もし、そうだと言ったら? 俺をしょっ引くのか?」
エドリックと同じ騎士団の人間だと分かると、何時でも戦闘を行えるよう槍を構える。それを見た騎士達も、各々の武器を構えてレンガの一挙一動に警戒する。
しかしエレナが右手を上げると、騎士達は皆構えた武器を下ろした。
「そう、これをあんた一人で……」
そう言って顎に手を置き、何かを考えるそぶりを見せると、レンガにある提案を持ち掛けてきた。
「あんた名前は?」
「……レンガ」
「レンガ、あんた私に雇われる気はないかしら?」
「あ?」
唐突な勧誘に一瞬警戒を解いてしまう。
「無論タダでとは言わないわ……あれをもってきて」
エレナが連れてきた騎士達にそう指示すると、内二人の騎士が何やら大きな鉄例の箱を重たそうに運んできた。
中から何やらジャラジャラと音が鳴っている。
ドサッ、と箱を地面に置き、錠前を外して箱を開けると、中には山のように積まれた金貨が入っていた。
それを見た村人たちは目を点にしていた。
「なんだこりゃ?」
「3000ペリュー入ってる。平民なら暫くは遊んで暮らせる額よ。これであんたの実力を買いたい」
「……もし断ったら?」
「この村の人達を徴兵する。無論、そこのあられもない姿になってる子もね」
「テメェ……」
完全に断れなくなった。今日この村に来たばかりの自分には何の思いれもないが、それでも見知った顔の人間が嫌々徴兵されていくのを黙って見ていられる程、冷酷にはなりきれなかった。
どうやらこのエレナという少女は、かなり頭がキレるようだ。
しかし、そんなエレナに異議を申し出る者がいた。
「ちょ、ちょっと待てライディアス卿! この任は私が国王様に命じられたものだ! 勝手な真似をするんじゃない!!」
盾の隙間から顔を出してそう叫んできたエドリックは、なんとも情けない姿であった。
「それは私も同じことですよ、ミランゼルク卿。貴方がまた不祥事を起こしていた場合、『多少怪我をさせてでも連れ戻せ』と、そう仰せつかって来ましたから」
「父上から!? ……しかし、私に与えられたのは王命だ。命令の優先権は私の方が上だぞ!」
「王が最も信頼する『側近』のロバート様のご命令ならば納得してくださるでしょう。それとも……その肩と同じような風穴をもう一つ開けられたいかしら?」
「ひッ……!!」
エレナの鋭い眼光に尻込みしたエドリックは、それ以上何も言えなくなってしまった。
正直言って、このエドリックという下種にはもう話しかけたくはない。しかし、こいつの父ロバート・ミランゼルク卿には何度か助けられたこともある。
それでもやはり気乗りはしない。彼は聡明で国民からも人気があるのに、その嫡男であるこいつはどうしてこうなってしまったのか……。子は親に似るというが、この男は似ても似つかない。
無駄に威張り散らすエドリックを黙らせたエレナは、再びレンガに向き直る。
「明日の正午、またこの村に来るわ。その時にはいい返事が聞けるよう期待してる」
そう言ってエレナは馬に跨り、エドリックとその部下を連れて村から出ていくのを、レンガは何もせず、ただ黙って見ていた。
「何が『いい返事』だ。出す答えなんて一つしかないようなもんだろうが……」
いけ好かない女だ、と心の中で呟いた。
エレナは現在王国への帰路についていた。
辺りには青々とした草原が広がっており、鼻腔に生草特有の青臭さが伝わってくる。休暇中であれば、この草原を眺めながら木陰でゆったりと過ごしたいところだが、暫くはそうもいかないだろう。
何故なら王国に変えればエドリックが起こした不祥事の処理を行わなければならないからだ。あんな男の尻拭いをしなければならないのは癪だが、腐っても同じ聖牙騎士団の一員、自分の立場的にも放っておくわけにもいかなかった。
「エレナ様、コレット村での一件は、本当にあれでよかったのでしょうか?」
どうやって今回の事を処理しようかと頭を抱えているところに、一人の部下がエレナに話しかけてきた。
この男の名はラクス・メルギット。エレナの隊に所属する彼女が最も信頼を寄せている部下だ。
「どういう意味かしら、ラクス?」
「いえ、その……あの金子は元々、エドリック様が村で不祥事を起こした際に、村人達への迷惑料と口止めのための物だった筈です。それをあんなチンピラ紛いの男を雇い入れるために使ってしまってよろしかったのかと思いまして」
ラクスの意見は正しかった。本来であればいつものように、金と引き換えにエドリックの所業の口止めを行うはずだった。
だが、今回は村にいた謎の男のおかげで、彼の蛮行は未遂に終わった。
感謝の気持ちが無かったと言えば嘘になる。しかし、エレナは別の意図があった。
「ラクス。貴方、前の戦でどれだけの徴兵された村人や街の平民たちが犠牲になったか知ってる? あなたあの場の最前線にいたんでしょ?」
「マクデニア防衛線ですね……正確には分かりませんが、確か6000人程の死者が出たと聞いています。しかしそれは、敵側の異常なまでの制圧力が原因でした。寧ろそれだけの犠牲で済んだと思うべきでは?」
一瞬間を置くエレナ。
3年前、ここカルニアム王国はマクデニア国と言われる軍事国家に宣戦布告され、多くの犠牲を払って今の国土を死守した。しかしその後の国力の回復は上手くいかず、疲弊したところを再び攻め入られようとしている状況だった。
「……前の戦で徴兵された平民たちは、全部で一万、その半分以上が死んで、その結果、国を潤すはずの若者が激的に減ってしまったために、再びマクデニアに侵攻の機会を与えてしまった……」
「その犠牲を少しでも減らすために、あの男を雇うと?」
「紛いなりにも、カルニアム王国屈指の精鋭である聖牙騎士十数人を相手に勝利した男よ。その価値はあるわ」
見ただけで分かった。あのレンガという男は戦い方を心得ている。たった一人の戦力を迎え入れたからと言って、戦局が左右されるとは思っていない。
しかし素人に付け焼刃の戦い方を教えるよりもよっぽどマシだ。
それに、正規ではない傭兵ならば、何処で死のうが国力に何の影響も出ない。すべては国の繁栄の為、何と言われようと構わない。
それが王に対し、私にできるたった一つの恩返しなのだから。
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