最終話 三月の白いウサギ

 依存と共依存。その言葉の正確な意味を俺は知らない。ただ耳に触れる感覚で「良くない言葉」だと認識していた。そんな俺の顔を見て、ツバサさんがやっと口を開いた。

「隼人がリョウくんに寄り掛かろうっていうのが依存。で、依存されることで居場所があるって認識するリョウくんが共依存。そうだよね、お父さん」

「あ、うん。……そういうことだ」ああ、これセリフ盗られたやつだ。

 ハヤトのお父さんは杏仁豆腐に手を伸ばした。胡麻団子は懲りたんだろう。俺は遠慮なく胡麻団子を。……なんだこれ。メチャメチャ美味い! お土産に売ってないだろうか?

 この通り、俺はほぼ完全に開き直っていた。最初に大恥をかいたこともあるが、それよりも、もうハヤトの両親に嘘をつきたくなかった。あと一つ、やっぱりツバサさんがハヤトの味方だと分かったこともあっただろう。本当に、心から腹立たしいけど。

 ツバサさんはわざとハヤトを怒らせた。わざと両親とケンカをさせている。ちゃんと目的があって。

 俺に女装で来るよう仕向けたのも、両親に状況をちゃんと把握させるためだ。男の服装だとコスプレをしていた俺と別人だと思われたかもしれない。……それならそうと教えて欲しかった。性格の悪さは熊谷といい勝負だ。

「……そんなナリで、リョウちゃんがほんまに女の子になりたい言うたときに、ちゃあんと責任取ってあげられるん?」

 ……ちゃん? あとお母さん、俺はなるべく男の子でいたいです。必要に迫られなければ。

「依存してる自覚はある。だからこそ、俺は決めたんだ。リョウが男になっても女になっても、守ってやれる俺になると」

 ハヤトが俺を見て目を細めた。いや……元々が男で、出来れば女にならない方向でお願いしたいんですよ? ハヤトが頷く。いや絶対通じてないだろ。

「……だからもう一度言っておく。父さん、母さん。俺はリョウが好きだ。俺のほうから手を離すつもりはない。そう決めた」

 ハヤトのお父さんは腕組みをして考えた。それは長い時間じゃなかった。

「悪いが、手放しで歓迎はできない。お前たちが選んだのはそういう道だ」

「……はい」俺が頷くと、ハヤトも無言で頷いた。当たり前だ。息子が男を連れてきて「彼女です」なんて、歓迎するほうがどうかしている。つまりウチの親はどうかしている。

「しかし、隼人がそう決めたなら話は別だ」

 …………ん? なにか、雲行きが……。

「しばらく見んうちに、立派になったなあ。これもリョウちゃんのおかげやろか?」

 ……お母様、泣いてらっしゃる?

「決めたことは貫き通せよ。好きならな」いやいやお父様、感無量みたいな顔でそのセリフは……。いや、ドヤ顔? 上手いこと言ったみたいな?

「良かったね、二人とも」ツバサさんがふう、と息をついて微笑んだ。

 良かった……、確かに断固反対されるよりは、ずっと良いことではありますが? なんだか釈然としないですよ?

「うちは女の子になってくれたら嬉しいわあ。こんだけ可愛ええんやし」

「私も。一緒にコスプレできる妹が欲しかったしね」……おいおい。お母さんもツバサさんも好き勝手言わないでくれ。

「二人とも、それはリョウくんが自分で決めることだ」……お父様! やっぱり一番まともだ! ……とはいかないんだろうな、どうせ。

「隼人はどう考えているんだ?」

 ほら来た。ハヤトは身体ごと俺に向き直った。……信じているぞ、ハヤト。信じさせてくれ、頼むから。

「俺はどっちでもいい。リョウはリョウのなりたい自分になるべきだ」

 よし、偉い! 今度二人きりのときに頭を撫でてやろう。と、思っていれば。「ただ」と頬を染めた。染めるなよ、今だけは。

「やっぱり女子の制服のほうが似合うな、リョウは」

 そうですとも。そうでしょうとも。それは誰より、お前と俺が一番知っているんだ。



「自分で決める、ってことが昔から苦手だったんだ」

「親に向かってあそこまではっきり、自分の意見を言ったのも初めてだと思う」

 中華料理店を出たあとに二人で入った喫茶店で、ハヤトはそう種明かしした。理由は以前に聞いた通り。自己肯定感が低く、他人の顔色ばかり窺って生きてきたからだと、恥ずかしそうに言った。いつかの「噂」の件も、提案してきたのは杉戸からだった。「見てらんない」「苦しいなら一度ゼロに戻せば」と、杉戸ならいかにも言いそうだ。

「……分かってると思うけど。俺の顔色は窺わなくていいんだからな」

 これはハヤトのためだけじゃない。二人が対等でいるために必要なことだ。

「分かってる」とハヤトが笑った。……っていうか、さっきから周囲の視線が痛いと思っていたら、俺、女装で滅茶苦茶普通に喋ってた! 女声で女性っぽいセリフ……。

「ハヤトのためじゃ、ないんだからね!」

 いや俺、今さら女声出す意味あったか? なんかツンデレみたいになってるし。

「……なんでツンデレ……っ」

 ハヤトが腹を抱えてテーブルに突っ伏した。よほどツボに入ったようだ。五月蝿い! やかましい!

 それにしても。

「……良かったな、ハヤト。本当に……」

「……ああ。やっとスタートラインに立てた気分だ」

 的確な表現だと思った。ウチの親ともハヤトの両親ともちゃんと話をして、なんのかんの言いつつも一旦は受け入れて貰えた。男同士のカップルでこれは僥倖と言うべきだろう。不理解や拒絶ならまだしも、ハヤトが恐れた人間の「闇」の部分、差別や迫害もあり得る。いや、これから先の未来には必ず何かしらの障壁がある。

「俺たちの戦いはこれからだ、だな」

 俺がそう言うと、「綾瀬アヤなら?」とハヤトが悪戯っぽく笑った。そうだな……綾瀬アヤなら。

「私たちの冒険は始まったばっかりだよ! 二人ならぜったい大丈夫! ……かな」

「……最強に可愛いリョウが言うなら、その通りだな」

「茶化すなよ。俺だって恥ずかしいんだ」

「悪い。でも本心だ」

 どちらからともなく吹き出して、ひとしきり二人で笑った。

「今度ツバサさんにもお礼を言わないと。あの人が俺たちのホワイトラビットだった」

「いや……アレは三月ウサギだ」

「ハヤトもアリス読んでるのか?」

「姉ちゃんのマンガをな」と複雑な顔をした。あー……不思議の国のアリスの男版を描いてるんだっけ。この反応、一八禁だな。

 三月ウサギとは不思議の国のアリスの「狂ったお茶会」に登場するキャラで、頭のアレなウサギだ。つまりハッキリ悪口だ。

「なあに、悪口?」

 突然うしろの席から声を掛けられて、俺は反射的にハヤトの隣に逃げ込んだ。

「……ツ、ツバサさん。いつからそこに?」

「よきツンデレだったでござるよ」って……うわあ。本当に恐ろしい人だ。

「私もね、二人にお礼が言いたかったの。あなたたち、変で面白いカップルに勇気を貰ったから、夢に一歩踏み出せたんだよね。つまり……」

「つまり?」

「私たちみんな、三月の白いウサギってこと!」



*****



 普段滅多なことで部屋の窓は開けないんだが、この季節だけは別だ。開けた窓から入ってくる桜の匂いが昔から好きだった。

 まだ一度しか袖を通していない、ほぼ新品の制服。着るなら今日、終業式の日にしようと決めていた。

 本当なら四月の始業式のほうが良いのだろうが、そうなるとハヤトとは別のクラスになってしまう。あとは「三月」だということに、なんとなく思いがあったのかもしれない。

 それと、「思い」といえばもう一つ。

「産まれるまで全員、女の子だって思っててな。お前の名前、本当は『綾』って付けるつもりだったんだ。でも男でさ、考えるのが面倒で稜にした。一太郎とかにしとけば莉里に『綾』って使えたんだけどな」

 二言多いぞクソ親父。

 ……今日から俺は「三橋綾」と名乗ることにした。『綾』はアヤともリョウとも読めるし、何より「綾瀬アヤ」の『綾』でもある。

 性別を変えなくても名前だけなら案外簡単に変えられると、これは熊谷から聞いた。なんでそんなこと知ってるんだ?

 ただし、よほどの理由がないと変更は一度きりらしいので、それは読み方と一緒にゆっくり考えることにする。だからいまの俺はリョウでもあってアヤでもある。まるでシュレディンガーの猫だが、それはそれで俺らしくていい。もしかしたら中二のときに患った病気が抜けていないのかもしれない。

「綾ー、ハヤトくんがお迎えに来たわよー」

「はいはい」

 宮原さんに貰ったヘアゴムと杉戸に貰ったシュシュ。鏡の前で少し迷って、以前熊谷に貰ったヘアピンを選んだ。小さなウサギのついたヘアピンだ。肩につくくらい髪が伸びたが、纏めるほどには邪魔じゃない。

「いってらっしゃい、お姉ちゃん」

 一足早く今日から春休みの莉里が満面の笑顔で手を振った。「お兄ちゃんな」と言って俺は家を出た。……うわ。ハヤト。眩しいほどいい笑顔だ。

「おはよう、綾。今日も可愛いな」

「おはようハヤト。俺らしくて格好いいだろ?」



END

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三月の白いウサギ ウメダトラマル @umeda_toramaru

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